レッスン43「神は私の大いなる源だ。私は神から離れて見ることはできない」


People see God every day, they just don't recognize him.
人はみな毎日神に出会っています。彼らはただ神に気づいていないだけなんです。

パール・ベイリー_1201114032

Pearl Bailey
パール・ベイリー



If you live in harmony with nature you will never be poor; if you live according what others think, you will never be rich.
もしあなたが自然と調和して生きるなら、あなたは決して貧することはないだろう。もしあなたが他人の考えに従って生きるなら、あなたは決して豊かにはなれないだろう。



Seneca, Letters from a Stoic
ルキウス・アンナエウス・セネカ






shutterstock_1961013871 (1)_1227061758 (1)

レッスン43です。


今日のテーマは「神は私の大いなる源だ。私は神から離れて見ることはできない」です。



昨日のレッスン42のテーマは「神こそが私の力の元だ。ヴィジョンは神からの贈り物だ」でした。

今日のテーマは昨日のテーマを別の側面から言い換えたものだということがわかります。



正しい知覚への修正

知覚は神の属性ではないので、神の中では見るということはできません。

けれど、幻想を取り消す救済においては知覚は役に立つことができるので、病んだ知覚を癒して正しく見ることが救済の手段となります。

肉眼もヴィジョンも「知る」作用ではなく「知覚」する作用ですが、正しく見ることは、肉眼を通してではなく、ヴィジョンでなすことです。

肉眼は、罪悪感から生じる恐怖の暗雲というスクリーンに、自分の心から投影した世界を見るための覗き窓となる映写機兼カメラであり、アバターである身体が備える器官であり、肉眼に見えているスクリーンに映る像の向こう側に奥行きのない「絵」を見る知覚作用です。

ヴィジョンは、赦しによって罪が実在しない幻想であることを見極めることで、肉眼で見えている恐怖の暗雲のスクリーンに投影された映像の向こう側にある実像を透視する知覚作用です。






五感の知覚からヴィジョンへのシフト

この向こう側というのは、神の拡張である神の子そのものであり、ヴィジョンで見ることになるのは自分自身です。

この主客の分離していない状態は、なかなかイメージしづらいので、神の子にアイデンティティーを置いた状態でも、神の子に見えるのは、私たちと同じように、見る主体である神の子にとって外部の神の子とは分離した世界の光景だというふうに想像してしまうと思います。

しかし、神の子はすべてを持っていると同時にすべてでもあるのだから、神の子に見ることができるのは、自分自身だけです。



はたらく細胞的な人体内世界をナノサイズのカプセル内視鏡のカメラから見ている状態から脱したり、電子顕微鏡による超ミクロの視界から衛星カメラからのマクロの視界に移行するようなものです。

視界の広さは上の例のようなイメージですが、次元の相違という点では、VRゲームのアバターの見ていた映像から、VRゴーグルを外した現実に戻るくらいのまったく別の世界が見えるというイメージです。



kame (1)_1226094537 (1)

Workbook Lesson 43

God is my Source. I cannot see apart from Him.
神は私の大いなる源だ。私は神から離れて見ることはできない。





God is my Source. I cannot see apart from Him.
神は私の大いなる源だ。私は神から離れて見ることはできない。



1. Perception is not an attribute of God.
 知覚は、神の属性ではありません。

 His is the realm of knowledge.
 神の属性は、知識の領域にあるからです。

 Yet He has created the Holy Spirit as the Mediator between perception and knowledge.
 しかし、神は聖霊を、知覚と知識の大いなる仲介役として創造しました。

 Without this link with God, perception would have replaced knowledge forever in your mind.
 この聖霊という神との絆がなければ、あなたの心の中で知覚が永遠に知識に置き換わってしまっていたことでしょう。

 With this link with God, perception will become so changed and purified that it will lead to knowledge.
 この聖霊という神との絆によって、知覚は本当に変化して浄化されるので、知覚は知識へと導くようになります。

 That is its function as the Holy Spirit sees it.
 聖霊は、知覚の役目を知識へと導くものと見ています。

 Therefore, that is its function in truth.
 それゆえ、知識へと導くことが真の意味での知覚の役割なのです。



2. In God you cannot see.
 神の中では、あなたは見ることはできません。

 Perception has no function in God, and does not exist.
 神の中では、まったく使いみちがないので、知覚は存在しないからです。

 Yet in salvation, which is the undoing of what never was, perception has a mighty purpose.
 しかし、かつて一度もなかったことを取り消す救済においては、知覚には大いなる役目があります。

 Made by the Son of God for an unholy purpose, it must become the means for the restoration of his holiness to his awareness.
 神の子によって不浄な目的のために作り出されたがゆえに、知覚は、神の子の自覚に彼の神聖さを回復させるための手段とならなければなりません。

 Perception has no meaning.
 知覚には何の意味もありません。

 Yet does the Holy Spirit give it a meaning very close to God's.
 しかし、聖霊は、知覚に神の意味にきわめて近い意味を与えます。

 Healed perception becomes the means by which the Son of God forgives his brother, and thus forgives himself.
 癒された知覚は、神の子が自分の兄弟を赦し、そうすることで自分自身を赦すための手段となります。



3. You cannot see apart from God because you cannot be apart from God.
 あなたは神から離れることができないので、あなたは神とは別に見ることはできません。

 Whatever you do you do in Him, because whatever you think, you think with His Mind.
 あなたが何をするにせよ、それは神の中ですることです。なぜなら、あなたがどんなことを考えるにしても、あなたは神の大いなる心で思考しているからです。

 If vision is real, and it is real to the extent to which it shares the Holy Spirit's purpose, then you cannot see apart from God.
 もしヴィジョンが本物であるなら、そして、聖霊の目的を分かち合うかぎりヴィジョンは本物なのですが、そうであるなら、あなたは神から離れて見ることはできないはずです。



4. Three five-minute practice periods are required today, one as early and one as late as possible in the day.
 今日は5分間の実習時間が3回必要です。1回は1日のうちのできるだけ早い時間に、もう1回はできるだけ遅い時間にとるようにしてください。

 The third may be undertaken at the most convenient and suitable time that circumstances and readiness permit.
 3つ目は、状況と準備が許すかぎり、最も都合のよく、ふさわしい時間に行うようにしてください。

 At the beginning of these practice periods, repeat the idea for today to yourself with eyes open.
 実習を始める際には、目を閉じて今日の考えを自分に繰り返し言い聞かせてください。

 Then glance around you for a short time, applying the idea specifically to what you see.
 それから、自分の周りをしばらく見回して、自分の目に留まるものに今日の考えを具体的にあてはめるようにしてください。

 Four or five subjects for this phase of the practice period are sufficient.
 実習時間のこの場面では、4つか5つの対象で十分です。

 You might say, for example:
 たとえば、次のように言ってください。


God is my Source. I cannot see this desk apart from Him
神は私の源だ。私は、神から離れてこの机を見ることはできない。

God is my Source. I cannot see that picture apart from Him.
神は私の源だ。私は、神から離れてあの絵を見ることはできない。



5. Although this part of the exercise period should be relatively short, be sure that you select the subjects for this phase of practice indiscriminately, without self-directed inclusion or exclusion.
 練習時間のうちのこの部分は、比較的短めにすべきですが、この実習場面のための対象の選別は、自分独自の観点で対象に入れたり除外したりしないで、無差別に行うように注意してください。

 For the second and longer phase, close your eyes, repeat today's idea again, and then let whatever relevant thoughts occur to you add to the idea in your own personal way.
 長いほうの第2段階では、目を閉じて、今日の考えを再び繰り返し、それから、それに関連して自分の心に浮かんでくるどのような思考でも、自分なりの方法で今日の考えに付け加えてください。

 Thoughts such as:
 たとえば、次のようにするとよいでしょう。


I see through the eyes of forgiveness
私は、赦しの目を通して見る。

I see the world as blessed
私は、世界を祝福されたものとして見る。

The world can show me myself
祝福された世界は私に私自身を見せることができる。

I see my own thoughts, which are like God's.
私は自分自身の思いを見るのであり、それは神の大いなる思いと同じものだ。


 Any thought related more or less directly to today's idea is suitable.
 今日の考えに多少なりとも関連するものであれば、どんな思考でも、今日の実習に用いるのに適当だといえます。

 The thoughts need not bear any obvious relationship to the idea, but they should not be in opposition to it.
 ただし、その思考は、今日の考えに明白な関連性を持っている必要はありませんが、その思考は今日の考えに対立するものであってはなりません。



6. If you find your mind wandering; if you begin to be aware of thoughts which are clearly out of accord with today's idea, or if you seem to be unable to think of anything, open your eyes, repeat the first phase of the exercise period, and then attempt the second phase again.
 もしあなたの心が脇道に逸れてさまようように感じたり、思考が今日の考えから明らかに逸脱していることに気づきはじめたり、もしあなたがが何も考えることができなくなってしまうようなら、目を開けて、練習の第1段階を繰り返し、それから、第2段階を再び試みるようにしてください。

 Do not allow any protracted period to occur in which you become preoccupied with irrelevant thoughts.
 関係のない思考に没頭してしまう時間が長くなってしまわないようにしてください。

 Return to the first phase of the exercises as often as necessary to prevent this.
 こんなことにならないように、必要であれば、何度でも練習の第1段階に戻るようにしてください。



7. In applying today's idea in the shorter practice periods, the form may vary according to the circumstances and situations in which you find yourself during the day.
 短いほうの実習で今日の考えを適用するに際しては、1日の間であなたが直面する境遇や状況に合わせて、適用の形を変えてかまいません。

 When you are with someone else, for example, try to remember to tell him silently:
 たとえば、あなたがほかの誰かといるときには、心の中だけで彼に次のように言うことを覚えておいてください。


God is my Source. I cannot see you apart from Him.
神は私の大いなる源だ。私は神から離れてあなたを見ることはできない。


 This form is equally applicable to strangers as it is to those you think are closer to you.
 この形は、あなたが自分に近しいと思う人に適用できるのと同じように、見知らぬ人にも適用することもできます。

 In fact, try not to make distinctions of this kind at all.
 むしろ、一切このような種類の区別をしないように努めてください。



8. Today's idea should also be applied throughout the day to various situations and events that may occur, particularly to those which seem to distress you in any way.
 今日の考えは、また1日を通して生じうる多様な状況や出来事に適用すべきですが、とりわけ、どんな形であれ、あなたを悩ませるような事柄に適用すべきです。

 For this purpose, apply the idea in this form:
 この目的のためには、次のような形で適用してください。


God is my Source. I cannot see this apart from Him.
神は私の大いなる源だ。私は、このことを神から離れて見ることはできない。



9. If no particular subject presents itself to your awareness at the time, merely repeat the idea in its original form.
 もし特定の対象がまったく意識に上ってこないようなときには、ただ今日の考えを原形のまま繰り返してください。

 Try today not to allow any long periods of time to slip by without remembering today's idea, and thus remembering your function.
 今日は、どのようにも、今日の考えを自覚しないまま、つまり、自分の役目を忘れたまま長い時間が過ぎてしまわないようにしてください。


20150316115937f70_transparent (1)





関連記事