レッスン45「神は大いなる心だ。その神の心で私は考える」


神の到来を待ち望む者は、自分が神の御手の中に現在いることがわからない。神と幸福は不離一体であるという信念を抱いて、あらゆる幸福を現在のこの一瞬の中に注ぎ込むことだ。

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アンドレ・ジッド




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レッスン45です。

今日のテーマは「神は大いなる心だ。その神の心で私は考える」です。


私たちはみな唯物論の信者となるよう育成される

私たちは、現に、自分の内心で思うことは身体という肉の壁の中で、自分の脳内だけで単独に思考しているのであって、自分が神の大いなる心で思考しているなどというのは、とてもありえない話だと感じます。

このように発想するのは、物理的な世界が実在し、確固たる現実として身体があり、私たちが心に感情や思考を抱くという働きが起こっているとしても、それは脳の作用として個別の身体の内部だけで生じる生理現象にすぎないという唯物論的な世界観に基づいてのことです。


多少の精神性を加味したところで、まったく唯物論的発想からは脱していない

唯物論の別名は物質主義であり、現代社会が唯物論を基盤に成り立っていることは明らかであり、私たちは自覚の有無にかかわらず、骨の髄まで唯物論に毒されています。

唯物論から多少離れて、もう少し精神性を重視する考え方に譲歩して、魂が存在して身体に宿って輪廻していることを認めるにしても、それでも、受肉してこの世にいる間は、個別の魂は身体の中に閉じ込められていて、肉の壁を超えて思考が伝達したり共有されたりするはずがないということになります。

仮に魂があの世にいたとしても、個別の霊魂として相互に分離している以上は、この世での唯物論とさして変わりのない分離幻想に汚染されているということができます。


この世もあの世も含めて世界そのものが幻想だとしたら

これに対して、世界自体が幻想で想念だという前提に立つと、身体や物質による壁はもちろんのこと、想念同士の分離という錯覚が除去されます。






仮に魂があるとしても、魂は想念の一種だし、自分の身体を含めた物質はどんなに堅固な存在に見えていても想念だということになります。

そして、想念とは思考されるものなので、思考の起こる場である心に思い浮かべるものです。

そして、小さな心が無数にあると想定することも、たくさんの小さな心が個々に別の事柄を思考することが可能だと想定することもできますが、想念同士の間に隙間や区切りは存在しないし、それらの想念を観念することができること自体がその観念を抱く主体そのものは分離していない一なる心であることを物語っています。

つまり、小さな心は自分では個別に思考しているつもりでいるけれど、小さな心自体が想念なのだから、そのように小さな心の抱く思考作用自体は大元である大いなる心によって行われざるをえないということになります。


水道や太陽光や電気等でのアナロジー

水源から各家庭に水道を経由して水が届いていて、シンクの蛇口からきれいな水が流れるのは水源があればこそです。

蛇口にフィルターがつけられて、コーヒーの出る蛇口やオレンジジュースの出る蛇口があったとしても、水が出るという作用自体は水源によります。

ある蛇口からコーヒーが出るからといって、蛇口に来ている水と水源の水が異なるわけではありません。

太陽の光がいろんな窓から射し込んで部屋の中を照らしても、窓にステンドグラスが取り付けてあったり、窓に落書きがしてあって、それぞれの部屋の奥の壁に違う模様が映し出されたとしても、部屋を照らし出すという光の作用は太陽の光によります。

電力会社の供給する電気が各家庭のコンセントからどのような器具に行くかによって、電気はいろんな機能を果たします。電灯で部屋を照らしたり、エアコンで室温を調整したり、テレビを映したり、IHヒーターではガスコンロと同じような働きをしますが、それぞれの器具が電気で作用していることは変わりません。

私たちの思考も、私たちエゴ・身体という端末の回路次第で、テレビや冷蔵庫等の電気器具と変わらないくらい多様に異なる機能を発揮するので、とても同じエネルギーが同じ原理で作用しているように思えないとしても、神の大いなる心で私たちが思考しているというのが本当のところです。


端末のほうにアイデンティティーを合わせているかぎり源と端末の真の関係性は不分明なまま

ただし、蛇口のフィルターや窓のステンドグラスのようにエゴ・身体が作用するために、蛇口から純水が出ず、窓の奥に曇りや色付けのない光が届かないという形が現れるために、コーヒーの蛇口はオレンジジュースの蛇口は自分とはかけ離れた別の存在と考えるし、赤いガラス窓は緑のガラス窓は自分とは別の存在だと考えます。

人間というアバターは、蛇口やガラス窓のバリエーションどころか電気器具の多様性に劣らないほど極端な多様性を備えるので、テレビが自分を冷蔵庫と同類だと思えないのと同じくらい、別の人間が自分と同じ源を持つとは考えられないし、自らの源として神がいるなど考えられなくなっています。

とはいえ、自分の本質的なエネルギーが電気であることを自覚するために、テレビが煩悩を捨て去り個性を削ぎ落として、画面を白い光で満たして「解脱」するようなことが求められるわけではありません。


コースの手法は分離側の闇の走狗を光の使者に変容させること

特別な関係等の特別性と同じように、コースは、この世界の有害事象を引き起こす要因となる概念や物事にアプローチするに際して、その物事や概念を攻撃して打ち壊して解消するのではなく、光の当て方を変えて影が生じないようにして救済の役に立つ道具へと変容させるという手法をあらゆる面でとります。

ですので、コーヒーを出してみんなを喜ばせる蛇口はより美味しいコーヒーを出すことに専念することで、自らの源である水源に奉仕することになるし、ステンドグラスは窓をきれいに磨いて部屋の奥に個性あふれる美しい陰影を映し出すことに専念すべきであって、色や模様を削り取るような真似はかえって、窓の奥に届く光を台無しにすることになってしまいます。

個性はエゴだから抹殺すべきだというスタンスではなく、個性はあってよい、間違ったアイデンティティーを抱いて個性にちゃんと光が当たらずに影ができている状態だけをエゴと呼んで正しく光を当てるべき指標として用いるという捉え方です。

この観点では、エゴは戦って打ち倒すことで消滅させるべき敵ではなく、エゴの言い分を聞いて理解して役立ててやり光が正しく当たるようにして、全体に奉仕する個性溢れる自我として昇華させることで消滅(=悪さをせずに役に立つ自我への変容。そもそも無なのだから「消滅」させるという表現もふさわしくないくらいですが。)させるものだということになります。




子なる神

8.「For this kind of practice only one thing is necessary; approach it as you would an altar dedicated in Heaven to God the Father and to God the Son.
 この種の実習に臨むうえで唯一必要なことは、天国において父なる神と子なる神に捧げられた祭壇に自分が近づいているという意識で練習に取り組むことです。」

コースでは、"God the Father"「父なる神」はよく出てきますが、"God the Son"「子なる神」が出てくるのはここだけです。

「神」と「神の子」という呼び方に慣れていると、神と神の子は別もので、神の子は神ではない神に劣る存在というイメージを抱きがちです。

しかし、コースでは、三位一体である神と子は、神が神の子を創造したという神の父性の点を除いては、神と子の間に何の相違もなく、まったく同一のものだといいます(T1-2 啓示と奇跡はどう違うの?時間とはどんな関係にある?)。

神と同じ大いなる心で子は思考し神と同じ意志を持っていることを私たちは思い出す学習をしています。

神の子を矮小化してイメージしないように注意しましょう。



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Workbook Lesson 45

God is the Mind with which I think.
神は大いなる心だ。その神の心で私は考える。





God is the Mind with which I think.
神は大いなる心だ。その神の心で私は考える。



1. Today's idea holds the key to what your real thoughts are.
 今日の考えに、あなたの真の思考とは何かを突き止める鍵があります。

 They are nothing that you think you think, just as nothing that you think you see is related to vision in any way.
 あなたの真の思考は、あなたが自分の思考だと思っているものとはまったく違います。それはちょうど、あなたが自分に見えていると思っているものとヴィジョンが少しも関連しないのと同じです。

 There is no relationship between what is real and what you think is real.
 現実であるものと、あなたが現実だと思っているものとの間には、何の関連もありません。

 Nothing that you think are your real thoughts resemble your real thoughts in any respect.
 あなたが自分の真の思考だと思っていることは、あなたの真の思考とは、いかなる面でも似ていません。

 Nothing that you think you see bears any resemblance to what vision will show you.
 あなたが自分に見えていると思っていることと、ヴィジョンがあなたに見せてくれることになるものとの間には、いかなる類似点もありません。



2. You think with the Mind of God.
 あなたは神の大いなる心で思考します。

 Therefore you share your thoughts with Him, as He shares His with you.
 それゆえ、神が自らの大いなる思いをあなたと分かち合うように、あなたは自分の思考を神と分かち合っています。

 They are the same thoughts, because they are thought by the same Mind.
 神の思いとあなたの思いは同じ思いです。なぜなら、それらは、同じ大いなる心によって思考される思いだからです。

 To share is to make alike, or to make one.
 分かち合うことは、同じものにすること、つまり、ひとつにすることです。

 Nor do the thoughts you think with the Mind of God leave your mind, because thoughts do not leave their source.
 また、あなたが神の大いなる心で思考する思いがあなたの心から離れることはありません。なぜなら、思考がその源を離れることはないからです。

 Therefore, your thoughts are in the Mind of God, as you are.
 したがって、あなたが神の大いなる心の中にいるように、あなたの思考も神の大いなる心の中にあります。

 They are in your mind as well, where He is.
 神がいるあなたの心の中に、同じようにあなたの思考もあります。

 As you are part of His Mind, so are your thoughts part of His Mind.
 あなたが神の大いなる心の一部であるように、あなたの思考も神の大いなる心の一部なのです。



3. Where, then, are your real thoughts?
 そうだとすれば、あなたの真の思いはどこにあるのでしょうか。

 Today we will attempt to reach them.
 今日、私たちは、あなたの真の思いに到達しようと試みます。

 We will have to look for them in your mind, because that is where they are.
 私たちは、あなたの真の思いをあなたの心の中に探さなければなりません。なぜなら、あなたの真の思いがあるのはあなたの心の中だからです。

 They must still be there, because they cannot have left their source.
 あなたの真の思いは依然としてあなたの心の中にあるはずです。なぜなら、あなたの真の思いが、その源を離れてしまったはずがないからです。

 What is thought by the Mind of God is eternal, being part of creation.
 神の大いなる心によって思考されたものは永遠なるものです。それは創造の一部だからです。



4. Our three five-minute practice periods for today will take the same general form that we used in applying yesterday's idea.
 今日は5分間の実習時間を3回とって、昨日の考えに適用したのと同じような一般的な形を用いて行ってください。

 We will attempt to leave the unreal and seek for the real.
 私たちは、現実ではないものを離れて、現実を見つけ出そうと試みています。

 We will deny the world in favor of truth.
 私たちは、真理のほうを選んで、この世界を否認することにします。

 We will not let the thoughts of the world hold us back.
 私たちは、この世界の思考に自分たちを引き留めさせることはしません。

 We will not let the beliefs of the world tell us that what God would have us do is impossible.
 私たちは、この世界の信念が、神が私たちにさせようとすることは不可能だと教えようとしても、そんなことはさせません。

 Instead, we will try to recognize that only what God would have us do is possible.
 その代わりに、私たちは、ただ神が私たちにさせようとすることだけが可能なことなのだと認めるように努めます。



5. We will also try to understand that only what God would have us do is what we want to do.
 私たちはまた、ただ神が私たちにさせようとすることだけが自分たちのしたいことなのだと理解しようと努めます。

 And we will also try to remember that we cannot fail in doing what He would have us do.
 そして、私たちはまた、神が私たちにさせようとすることを私たちが果たし損ねることはありえないことを忘れないようにします。

 There is every reason to feel confident that we will succeed today.
 私たちには、今日自分が成功することに確信を抱くだけの十分な理由があります。

 It is the Will of God.
 私たちが今日成功することこそ、神の大いなる意志だからです。



6. Begin the exercises for today by repeating the idea to yourself, closing your eyes as you do so.
 今日の練習は、あなたがそうしたいなら目を閉じて、自分に今日の考えを繰り返し言い聞かせながら始めてください。

 Then spend a fairly short period in thinking a few relevant thoughts of your own, keeping the idea in mind.
 それから、今日の考えを心に保ちながら、ほんの短い時間、この考えに関連するあなた自身の思考を考察してみてください。

 After you have added some four or five thoughts of your own to the idea, repeat it again and tell yourself gently:
 今日の考えに、自分自身の4つか5つくらいの思いを付け加えたあとで、改めて考えを繰り返して、自分に優しく次のように言ってください。


My real thoughts are in my mind.
私の真の思考は、私の心の中にある。

I would like to find them.
私は、それらを見つけようと思う。


 Then try to go past all the unreal thoughts that cover the truth in your mind, and reach to the eternal.
 それから、自分の心の中で真理を覆い隠す偽物の思考のすべてを通り過ぎて、永遠に到達するよう試みてください。



7. Under all the senseless thoughts and mad ideas with which you have cluttered up your mind are the thoughts that you thought with God in the beginning.
 あなたが自分の心に散らかして積もらせているあらゆる無意味な思考や狂気の想念の奥底には、原初のときにあなたが神とともに抱いた思考が存在します。

 They are there in your mind now, completely unchanged.
 それらの思考は、あなたの心に今もまったく変わらないまま存在しています。

 They will always be in your mind, exactly as they always were.
 それらの思考は、まさにつねにそうであったように、これからもあなたの心にあり続けます。

 Everything you have thought since then will change, but the Foundation on which it rests is wholly changeless.
 そのとき以来、あなたが思考してきたことのすべては変わりゆきますが、それらの思考が依って立つ大いなる基盤は完全に不変のままです。



8. It is this Foundation toward which the exercises for today are directed.
 今日の練習が向かおうとするのは、この大いなる基盤です。

 Here is your mind joined with the Mind of God.
 この大いなる基盤において、あなたの心は神の大いなる心とひとつに結びついています。

 Here are your thoughts one with His.
 ここには、神の大いなる思考とひとつになったあなたの思考があります。

 For this kind of practice only one thing is necessary; approach it as you would an altar dedicated in Heaven to God the Father and to God the Son.
 この種の実習に臨むうえで唯一必要なことは、天国において父なる神と子なる神に捧げられた祭壇に自分が近づいているという意識で練習に取り組むことです。

 For such is the place you are trying to reach.
 というのも、あなたが到達しようとしているのは、まさしくそのような場所だからです。

 You will probably be unable as yet to realize how high you are trying to go.
 あなたは、おそらくまだ、自分がどれほどの高みにまで昇ろうとしているのか気づくことができていません。

 Yet even with the little understanding you have already gained, you should be able to remind yourself that this is no idle game, but an exercise in holiness and an attempt to reach the Kingdom of Heaven.
 しかし、あなたがすでに得ているささやかな理解だけでも、あなたはこれが空想を弄ぶことではなく、神聖であることを学ぶ練習であり、天の王国に到達しようとする試みであると自分に思い出させることができるはずです。



9. In the shorter exercise periods for today, try to remember how important it is to you to understand the holiness of the mind that thinks with God.
 今日の短いほうの練習では、神とともに思考する心の神聖さを理解することが自分にとって、どれほど重要なことか思い出すように努めてください。

 Take a minute or two, as you repeat the idea throughout the day, to appreciate your mind's holiness.
 1日を通して今日の考えを繰り返すに際しては、1分か2分をとって、自分の心の神聖さの真価を認めるようにしてください。

 Stand aside, however briefly, from all thoughts that are unworthy of Him Whose host you are.
 ほんのわずかな時間でも、あなたが宿す大いなる神にふさわしくない思いはすべて退けるようにしてください。

 And thank Him for the Thoughts He is thinking with you.
 そして、神があなたとともに思考するその大いなる思いについて、神に感謝することです。


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