レッスン186「世界の救済は、私にかかっている」


Since no man is excluded from calling upon God the gate of salvation is open to all.
神に助けを求めることから誰ひとり除外されてはいないのだから、すべての人に救済の門は開かれている。

There is nothing else to hinder us from entering, but our own unbelief.
私たちがその門の中に入るのを妨げるものは、何ひとつ存在しない。あるとすれば、それは私たちの自己不信だけだ。

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John Calvin
ジャン・カルヴァン




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レッスン186です。

「世界の救済は、私にかかっている」が今日のテーマです。





私は救世主?

今日のテーマは、インパクトがあるのではないでしょうか?

世界の救いが私にかかっているだって? それは、私が救世主だってことを意味するではないか? 本気でこんなことを信じるなんて傲慢にもほどがある、狂気の沙汰の誇大妄想でしかない! と感じていませんか?

ですが、このように叫んでいるのはエゴの声です。

自己卑下するエゴが、神が与えた役目を、自己判断で、自分にはふさわしくないと言って退けるのは、自分が神に勝る判断力を備えていると思いあがることであり、こちらのほうこそ傲慢なことです。

このことを今日のレッスンは丁寧に説明してくれます。

自分以外の人間の数の多さによって自分の価値が希薄化してしまうように感じる錯覚については、選挙での無力感になぞらえて述べたレッスン63M14 世界の終わりのエッセイを読んでいただければと思います。


「待ってましたぁ!」私の出番だぁ、という人も

さて、世の中の大多数の人は上の「世界を救うなんて大それた役目を自分が担うなんて滅相もない」というリアクションをとるはずです。

しかし、スピリチュアル方面に関心が向く私たちの中には、これとは違ったリアクションを示す人も少なくないかもしれません。

すなわち、いわゆるメサイア・コンプレックスを抱いていて、待ってました! とばかりに、今日のテーマは自分に運命づけられた偉大な使命を明らかにするものだ! と心が浮つく感覚を抱いている人もいるかもしれません。

ですが、このようによだれを流して喜んでいるのも、実はエゴで、自分を苛む自分の無価値さの感覚を、自分は困った人の助けとなり世界を救う価値ある救い主であるという「偉大で価値のある」自己像によって補償しようとしているだけです。

エゴにとっては、私たちからみて矮小な取るに足らない自己像であれ、誇大妄想的な偉大な自己像であれ、とにかく、私たちが個としてのアバターへの一体化の感覚を保ってくれていなければ、自らの存続が危うくなるからです。

増上慢になった尊大なエゴが、救世の偉大な業を神が自分に託したのももっともだと自己満足に耽(ふけ)るとしたら、馬車の中で主人が眠りこけているのをよいことに御者が主人の印籠を冒用して主人のふりをして越権・背任行為のかぎりを尽くして虚栄心を満たしているのと同じくらい傲慢な事態です。


C5 キリストとはあなたのことです!もご覧ください。


私たちは世界という物語の架空の登場人物であり、これまでは主人公だった

どんな偉大な存在を主人公とする小説や映画などの物語等のコンテンツであれ、どんな卑小な存在を主人公とするコンテンツであれ、その世界を体験する主人公として主役の座に鎮座するのは「私」現象の究極の主体である大いなる自己であり、この「私」が、物語の主人公から読者に、ゲーム世界の中を動き回るアバターからプレイヤーに、人の子から神の子にアイデンティティー・シフトを遂げることが救済です(レッスン255「今日、私は完璧な平安の中で過ごすことを選ぶ」)。


空想上のキャラクターが自分は架空の存在ではないと言い張ることが傲慢極まりないことは言うまでもありません。

この傲慢を押し通しながら、そのうえでそのキャラが、自分は大それた役目を果たすようなたいそうな存在ではありませんとへりくだっているさまは謙虚なことでないのはもちろんのこと、とても滑稽でシュール極まる狂気の沙汰です。


人の子である私たちの役目は、自分が砂粒のような希薄で卑小な存在だと認めるから、その代わり絶対に自分が現実に実在することだけは譲れない! と、往生際悪く駄々をこねるのをやめて、潔く自分が物語の一登場人物である、つまり、今、本当の自分だと思っている存在は実在しない影であり、本質は無であるという冷徹な事実を思い切って認めて潔く受け入れて、はてしない物語でアトレーユが主人公バスチアンが物語の世界から現実に帰ることができるように友として手助けしたように、神の子の友となって彼が神の下に帰郷できるように助けることです。

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私たちが救済のためになすべきは、主役の座を聖霊に明け渡し脇役に徹すること

この意味で、
「Salvation of the world depends on me.
世界の救済は、私にかかっている。」
というときの「私」は、真の自己と個別の自己の双方を意味し、小さな自己が自分の架空性を見極めることで、大いなる自己が目を覚まし、本来出会うことのありえない両者が次元の境を超越して融合することが救済であることを示しています。




「3. Be certain that it is impossible God and the ego, or yourself and it, will ever meet.
 次のことを確信しなさい。それは、神とエゴ、つまり、あなた自身とエゴが出会うことは決してありえないということです。」(T23-1 相容れない信念

「11. And thus are two sons made, and both appear to walk this earth without a meeting place and no encounter.
 こうして、ふたりの子が作り出されたのです。そして、両者は、出合いの場もなく、決して出会うこともないままに、この地上を歩んでいるように見えます。

 One do you perceive outside yourself, your own beloved son.
 あなたが自分自身の外側に知覚しているひとりは、あなたの自作の愛し子です。

 The other rests within, his Father's Son, within your brother as he is in you.
 あなたの内側で安らいでいるもうひとりは、大いなる父の子であり、彼はあなたの中にいるように、あなたの兄弟の中にもいます。」(T24-7 出会いの場

「2. Thus does the son of man become the Son of God.
 こうして、人の子は神の子となります。

 It is not really a change; it is a change of mind.
 それは実際に、何かが変わることではありません。それは心の変化です。」(M12 キリストの言葉(世界を救うために必要な教師の数)



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Lesson 186

Salvation of the world depends on me.
世界の救済は、私にかかっている。



1. Here is the statement that will one day take all arrogance away from every mind.
 こう宣言することで、いつの日か、すべての心からあらゆる傲慢さが一掃されるでしょう。

 Here is the thought of true humility, which holds no function as your own but that which has been given you.
 こう考えることは、真に謙虚になることであり、それは、あなたがほかのどんな役割も受け入れずに、自分に与えられた役割だけを引き受けることを意味します。

 It offers your acceptance of a part assigned to you, without insisting on another role.
 この宣言はあなたに、それ以外の役割があると言い張ることなく、自分に割り当てられた役割を自分のものとして引き受けるように提案しています。

 It does not judge your proper role.
 この宣言は、あなたにふさわしい役割が何なのか価値判断するものではありません。

 It but acknowledges the Will of God is done on earth as well as Heaven.
 この宣言はただ、神の大いなる意志が天におけるのと同じように地にもなされることを承認するだけです。
 
 It unites all wills on earth in Heaven's plan to save the world, restoring it to Heaven's peace.
 この宣言は、世界を救うための天の計画の下に、地上のすべての意志をひとつに結び合わせ、世界に天国の平安を取り戻させます。



2. Let us not fight our function.
 自分の役割と格闘するのはやめましょう。

 We did not establish it.
 私たちが自分の役割を確立したわけではないからです。

 It is not our idea.
 それは私たちが思いついたことではありません。

 The means are given us by which it will be perfectly accomplished.
 私たちは自らの役割を果たすための手段を授かっており、その手段によって私たちは自分の役割を完璧に果たすことができます。

 All that we are asked to do is to accept our part in genuine humility, and not deny with self-deceiving arrogance that we are worthy.
 私たちに求められているのは、心から謙虚になって自分の役割を受け入れ、自分がその役割にふさわしいことを自己欺瞞の傲慢さによって否認しないようにすることだけです。

 What is given us to do, we have the strength to do.
 なすべきこととして私たちに与えられたものである以上は、私たちはそれをなす力を持っています。

 Our minds are suited perfectly to take the part assigned to us by One Who knows us well.
 私たちみんなの心は、私たちのことをよく知る大いなる存在によって自分たちに割り当てられた役目を担うのにこの上なく適しています。



3. Today's idea may seem quite sobering, until you see its meaning.
 あなたがその意味を理解するまでは、「世界の救済は、私にかかっている」という今日の考えは、実に深刻な身をすくませるものに思えるかもしれません。

 All it says is that your Father still remembers you, and offers you the perfect trust He holds in you who are His Son.
 しかし、今日の考えは、あなたの父なる神は今でもあなたのことを覚えており、わが子であるあなたに完璧な信頼を寄せていると述べているだけです。

 It does not ask that you be different in any way from what you are.
 今日の考えは、あなたに対して、ありのままのあなたから少しでも違う者になるよう求めてはいません。

 What could humility request but this?
 謙虚さが求めることができるのは、ありのままであることだけです。

 And what could arrogance deny but this?
 そして、傲慢さが否認できるのも、ありのままであることだけです。

 Today we will not shrink from our assignment on the specious grounds that modesty is outraged.
 今日、私たちは、謙虚さが踏みにじられるというもっともらしい根拠に基づいて、自分に与えられた役割を引き受けることに尻込みしないようにします。

 It is pride that would deny the Call for God Himself.
 神自身を代弁する呼び声を否認しようとすることこそ、高慢というものです。



4. All false humility we lay aside today, that we may listen to God's Voice reveal to us what He would have us do.
 私たちは今日、すべての間違った謙虚さを放棄します。そうすれば、私たちは、神が私たちに何をさせようとしているのか、神の大いなる声が私たちに明らかにするのを聞くことができるでしょう。

 We do not doubt our adequacy for the function He will offer us.
 私たちは、神が私たちに与える役目を担うのに自分がふさわしいことを疑わないようにします。

 We will be certain only that He knows our strengths, our wisdom and our holiness.
 そうすれば、私たちはただ、神が私たちの力と私たちの知恵と私たちの神聖さを知っていることだけを確信するようになります。

 And if He deems us worthy, so we are.
 そして、もし神が私たちがこの役目にふさわしいと思ってくれているのなら、その通り、私たちは世界を救うにふさわしいのです。

 It is but arrogance that judges otherwise.
 それは違うと判断することは、傲慢にほかなりません。



5. There is one way, and only one, to be released from the imprisonment your plan to prove the false is true has brought to you.
 偽りこそが真実だと証明するためにあなたが建てた計画があなたを幽閉しました。この幽閉状態から解放されるための道が存在します。それは唯一の道です。

 Accept the plan you did not make instead.
 それは、あなたの計画の代わりに、あなたの立てなかった計画のほうを受け入れることです。

 Judge not your value to it.
 自分がその計画に貢献できるのか判断しようとしてはなりません。

 If God's Voice assures you that salvation needs your part, and that the whole depends on you, be sure that it is so.
 もし神の大いなる声が確信をもってあなたに、救済にはぜひともあなたが役割を果たすことが必要であり、それも、救済計画の全体があなたにかかっていると言うのなら、それはその通りだと確信すべきです。

 The arrogant must cling to words, afraid to go beyond them to experience which might affront their stance.
 傲慢な者は、言葉を超えて進むことで、自分の面目を損なう経験をするのが怖くて、必ず言葉に執着してしまいます。

 Yet are the humble free to hear the Voice which tells them what they are, and what to do.
 しかし、謙虚な者は、何の囚われもなく、自分が何者であるか、そして何をすべきか自分に告げる大いなる声を聞き入れることができます。



6. Arrogance makes an image of yourself that is not real.
 傲慢さは、実像とは違うあなた自身の肖像を作り出します。

 It is this image which quails and retreats in terror, as the Voice for God assures you that you have the strength, the wisdom and the holiness to go beyond all images.
 神を代弁する大いなる声が、あなたにはすべての偶像を凌ぐ、あらゆる力と知恵と神聖さが備わっていると保証するとき、怖気づいて恐慌の中に逃げこもうとするのはこの偽りのあなたの自己像です。

 You are not weak, as is the image of yourself.
 あなたは、この自己像のように弱いものではありません。

 You are not ignorant and helpless.
 あなたは、無知でも無力でもありません。

 Sin can not tarnish the truth in you, and misery can come not near the holy home of God.
 罪には、あなたの中の真理を穢すことはできません。そして、悲惨さには、神の聖なる家に近づくことなどできません。



7. All this the Voice for God relates to you.
 このようなことすべてを、神を代弁する声があなたに対して語ります。

 And as He speaks, the image trembles and seeks to attack the threat it does not know, sensing its basis crumble.
 そして、聖霊が語るとき、あなたの肖像は自らの基盤が崩壊するのを感じ取って震えあがり、見知らぬ脅威に対して攻撃しようとします。

 Let it go.
 あなたの自己像の基盤など崩れ去らせてしまいなさい。

 Salvation of the world depends on you, and not upon this little pile of dust.
 世界の救済はあなたにかかっているのであって、この小さな塵の塊を当てにしているわけではないからです。

 What can it tell the holy Son of God?
 そんな塵の塊が、聖なる神の子に何を告げることができるというのでしょうか。

 Why need he be concerned with it at all?
 どうして神の子が少しでもそんなものを心配しなければならないのでしょうか。



8. And so we find our peace.
 こうして私たちは、自らの平安を見出します。

 We will accept the function God has given us, for all illusions rest upon the weird belief that we can make another for ourselves.
 私たちは、神が自分に与えてくれた役目を受け入れることにします。なぜなら、すべての幻想は、私たちには自分のために別の役割を作り出すことができるという異常な信念の上に成り立っているからです。

 Our self-made roles are shifting, and they seem to change from mourner to ecstatic bliss of love and loving.
 私たちの自作の役目は移り変わるものであり、それらの役目は、悲嘆の底から愛と愛情に満ちた至福の歓喜にまで変貌するように見えます。

 We can laugh or weep, and greet the day with welcome or with tears.
 私たちは、笑ったり泣いたり、一日を喜びで迎えたり、涙で迎えたりすることもあります。

 Our very being seems to change as we experience a thousand shifts in mood, and our emotions raise us high indeed, or dash us to the ground in hopelessness.
 私たちの気分は多様に変化し、私たちの感情は非常に高まったかと思えば、私たちを絶望のどん底まで叩き落とします。このような体験するたびに、私たちの存在自体が変わるように思えます。



9. Is this the Son of God?
 こんなものが神の子でしょうか。

 Could He create such instability and call it Son?
 はたして神に、こんなにも不安定なものを創造して、それをわが子と呼ぶことなどできたでしょうか。

 He Who is changeless shares His attributes with His creation.
 不変の存在である神は、自らの属性を自らの創造物と分かち合っています。

 All the images His Son appears to make have no effect on what he is.
 神の子が作り出したように見えるすべての姿かたちは、本当の彼に何の影響も及ぼしてはいません。

 They blow across his mind like wind-swept leaves that form a patterning an instant, break apart to group again, and scamper off.
 それらの肖像は、まるで木の葉が風に吹かれて一瞬ある模様を形作ったかと思えば、ばらばらに分かれて再び群れをなして飛び回っては、彼の心をよぎってゆきます。

 Or like mirages seen above a desert, rising from the dust.
 それはまた、砂漠の上で、砂埃から姿を現す蜃気楼のようでもあります。



10. These unsubstantial images will go, and leave your mind unclouded and serene, when you accept the function given you.
 あなたが自分に与えられた役目を受け入れるなら、このような実体のない自己像は去り、あなたの心は晴れて澄み渡ります。

 The images you make give rise to but conflicting goals, impermanent and vague, uncertain and ambiguous.
 あなたの作り出した自己像は一時的で漠然とした、不確かで曖昧な葛藤する複数の目標を生み出すだけです。

 Who could be constant in his efforts, or direct his energies and concentrated drive toward goals like these?
 このような目標に向かって、絶え間なく努力を続け、自らの熱意を傾けて集中力を注ぐことのできる者などいるでしょうか。

 The functions which the world esteems are so uncertain that they change ten times an hour at their most secure.
 この世界が評価するような役割は実に不確かなものなので、それは最も安定しているときでも、1時間に10回は変化します。

 What hope of gain can rest on goals like this?
 このような目標を基盤にして、いったいどんな成果を望めるというのでしょうか。



11. In lovely contrast, certain as the sun's return each morning to dispel the night, your truly given function stands out clear and wholly unambiguous.
 それとは見事なまでに対照的に、毎朝、太陽が夜の闇を払いのけるために戻ってくるのと同じくらい確実に、あなたは本当にはっきりと際立つまったく曖昧なところのない役割を与えられているのです。

 There is no doubt of its validity.
 あなたの役割が正当で確固たるものであることには、何の疑いもありません。

 It comes from One Who knows no error, and His Voice is certain of Its messages.
 あなたの役割は、いかなる誤りも知らない存在である神に由来し、神の声である聖霊は、神のメッセージを確信しています。

 They will not change, nor be in conflict.
 そのメッセージは変化することも、矛盾することもありません。

 All of them point to one goal, and one you can attain.
 それらのメッセージはすべて、あなたが達成できるひとつの目標を指し示しています。

 Your plan may be impossible, but God's can never fail because He is its Source.
 あなたの立てる計画は実現不可能かもしれませんが、神の計画は、神がその計画の偉大なる源であるがゆえに、決して失敗しません。



12. Do as God's Voice directs.
 神の大いなる声の導く通りに行いなさい。

 And if It asks a thing of you which seems impossible, remember Who it is that asks, and who would make denial.
 そして、もし聖霊があなたに不可能に思えることを求めるときは、それを求める大いなる存在が誰なのか、そして、それを拒もうとしているのは誰なのか思い出すようにしてください。

 Then consider this; which is more likely to be right?
 それから、次のように考えてください。正しいとすれば、どちらの可能性が高いだろうかと。

 The Voice that speaks for the Creator of all things, Who knows all things exactly as they are, or a distorted image of yourself, confused, bewildered, inconsistent and unsure of everything?
 正しいのは、すべての物事をありのままに知る万物の創造主を代弁する大いなる声でしょうか、それとも、混乱し、途方に暮れて一貫性がなく、何事にも確信を持てずにいる、あなた自身だと思っているひねくれた肖像でしょうか。

 Let not its voice direct you.
 肖像の声に自分を導かせないようにしてください。

 Hear instead a certain Voice, which tells you of a function given you by your Creator Who remembers you, and urges that you now remember Him.
 その代わりに、あなたの創造主によってあなたに与えられた役割をあなたに告げる確かな大いなる声を聞いてください。創造主はあなたのことを覚えているので、今度は、あなたのほうが創造主を思い出すようにと促しているのです。



13. His gentle Voice is calling from the known to the unknowing.
 創造主の優しい声は、知るものから知らずにいるものへの呼びかけです。

 He would comfort you, although He knows no sorrow.
 創造主は、自らはいかなる悲しみも知りませんが、あなたを慰めてくれます。

 He would make a restitution, though He is complete; a gift to you, although He knows that you have everything already.
 創造主は完全であるし、あなたがすでにすべてを持っていると知ってはいますが、あなたへの贈り物として、創造主は復活を引き起こそうとしてくれます。

 He has Thoughts which answer every need His Son perceives, although He sees them not.
 創造主自身は必要性など認めませんが、創造主はわが子が知覚するすべての必要性に答える大いなる思いを抱いています。

 For Love must give, and what is given in His Name takes on the form most useful in a world of form.
 というのも、愛は必ず与えるのであり、神の名において与えられたものは、形の世界において最も役立つ形をとることになるからです。



14. These are the forms which never can deceive, because they come from Formlessness Itself.
 これらの形は、決して欺くことのありえない形です。なぜなら、それらは形のないものそれ自体から生じるものだからです。

 Forgiveness is an earthly form of love, which as it is in Heaven has no form.
 赦しとは、ありのままの状態にある天国ではいかなる形も持たない愛が地上でまとう形です。

 Yet what is needed here is given here as it is needed.
 というのも、この世界で必要とされるものは、それが必要とされる形で与えられるからです。

 In this form you can fulfill your function even here, although what love will mean to you when formlessness has been restored to you is greater still.
 この形によって、たとえこの地上にいたとしても、あなたは自分の役割を果たせるようになります。けれども、あなたが形のない状態に戻ったとき、あなたにとって愛はよりいっそう偉大な意味を持つことでしょう。

 Salvation of the world depends on you who can forgive.
 この世界の救済は、あなたにかかっています。あなたには赦すことができるからです。

 Such is your function here.
 赦しこそ、あなたのこの世界での役割なのです。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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