レッスン277「私が自分で作り出した法則によってあなたの子を束縛しませんように」


We forge the chains we wear in life.
人生において我々を縛る鎖を作っているのは、自分自身なのだ。



Charles John Huffam Dickens
チャールズ・ディケンズ

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You will not break loose until you realize that you yourself forge the chains that bind you.
あなたが自分で自分を縛る鎖を作っていると理解するまで、あなたが束縛から抜け出すことはないだろう。



Gary R. Renard, The Disappearance of the Universe: Straight Talk about Illusions
ゲイリー・R.レナード(「神の使者」)

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レッスン277です。

「私が自分で作り出した法則によってあなたの子を束縛しませんように」が今日のテーマです。


まず、キリストってなに?をご覧ください。





神の法

「What you project or extend is real for you.
 あなたが投影したり拡張したりするものは、あなたにとっての現実となります。

 This is an immutable law of the mind in this world as well as in the Kingdom.
 あなたが投影したり拡張するものがあなたの現実となるということこそ、王国においてと同様に、この世界においても、不変の心の法則です。」(T7-2 神の法)


神の子が従うのは、この神の法・愛の法(レッスン344「今日、私は愛の法を学ぶ。それは、私が自分の兄弟に与えるものは自分に対する私からの贈り物だということだ」)のみです。


例外がないゆえに誤用もできる

ただし、この神の法の適用には例外はないので、間違って使うことも可能です。

つまり、神の子は自由なので、自分で自分を制限、束縛する自由もあります。

なので、自分で作り出した法則で自分を束縛することは可能です。

したがって、神の子は自由であるがゆえに、自分を縛る自由すら持っており、その帰結として、神の子は無制約の自由を持つが、その無制約さゆえに、神の子の自由には、ひとつだけ例外があることになります。


自分を不自由にする自由

つまり、神の子には、自分を不自由にする自由があるわけです。

「He is not bound except by his beliefs.
 神の子は何ものにも束縛されませんが、自分の信念による場合だけは例外です。

 Yet what he is, is far beyond his faith in slavery or freedom.
 それでも、神の子の本質は、彼が自分が奴隷状態にあると信じようが自由であると信じようが、そんなことによっては、まったく何の影響も受けません。

 He is free because he is his Father's Son.
 神の子は、彼の父の子であるがゆえに自由だからです。」


神には、強制的に子を自由にする介入はできない

神の子が持っている自由は、このように制限のない完全な自由なので、この自由を神の子が間違って行使して、自分を不自由に制限してしまうことすら可能ということになります。

これは、神の子が神の子ではなくなる事態ですが、それが可能なのは空想の中でだけです。

とはいえ、妄想によって自縄自縛に陥って不自由になっている状態に神が介入して強制的に神の子の不自由を解くとすれば、神の子には間違う自由、狂う自由はないということになります。

その時点で、神の子の自由には例外があることになり、神の子は自由ではなくなります。


そして、三位一体である神の子と神はひとつなので、神は自らの自由を侵害することになるので、神には子を強引に自由にすることはできないことになります。

そして、この理屈でそもそも神には、わが子に自由を強制できないけれど、仮にできたとしても、神にはわざわざ強引にわが子に自由を強制する必要はありません。

というのも、神の子は完全に自由なのであり、例外として自分を縛ることができるといっても、神に創造された自由を全廃することができるわけではなく、自分を不自由にできると信じるだけの信念の問題でしかないので、神の子の気づきひとつで簡単に自由に復帰できるからです。

コースが取り組むのがこのプロセスです。


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Lesson 277

Let me not bind Your Son with laws I made.
私が自分で作り出した法則によってあなたの子を束縛しませんように。



1. Your Son is free, my Father.
 わが父よ、あなたの子は自由です。

 Let me not imagine I have bound him with the laws I made to rule the body.
 身体を支配するために私が作り出した法則で私が神の子を束縛していると、私が想像しませんように。

 He is not subject to any laws I made by which I try to make the body more secure.
 神の子は、私が身体をより安全なものにしようとして私が作り出したいかなる法則にも、縛られてはいません。

 He is not changed by what is changeable.
 神の子が、変わりうるものによって変えられることはありません。

 He is not slave to any laws of time.
 神の子は、どのような時間の法則にも従属することはありません。

 He is as You created him, because he knows no law except the law of love.
 神の子は、あなたが彼を創造したままです。なぜなら、神の子は愛の法以外のいかなる法則も知らないからです。



2. Let us not worship idols, nor believe in any law idolatry would make to hide the freedom of the Son of God.
 私たちが偶像を崇拝しませんように。そして、私たちが、神の子が自由であることを隠蔽するために偶像崇拝が作り出そうとするいかなる法則も信じませんように。

 He is not bound except by his beliefs.
 神の子は何ものにも束縛されませんが、自分の信念による場合だけは例外です。

 Yet what he is, is far beyond his faith in slavery or freedom.
 それでも、神の子の本質は、彼が自分が奴隷であると信じようが自由であると信じようが、そんなことによっては、まったく何の影響も受けません。

 He is free because he is his Father's Son.
 神の子は、彼の父の子であるがゆえに自由だからです。

 And he cannot be bound unless God's truth can lie, and God can will that He deceive Himself.
 そして、神の真理が偽ることができ、神が自分自身を騙すことを意図できるというのもでないかぎり、神の子が束縛されることなどありえないことです。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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TAPA
2023/10/30 (Mon) 22:54

”神の子の持つ自分を不自由にする自由を神の子が行使して”

いつも楽しく勉強させていただいております。ありがとうございます。

このコラムで一点ミスタイプなのか・そうでないのか、ちょっと疑問に感じる部分がありましたので、ご回答いただければと思います。

それは以下の部分です。

”神の子の持つ自分を不自由にする自由を神の子が行使して”

この文の、”神の子の持つ自分”という部分ですが、”神の子の持つ自由”のミスタイプかとも思いました。

どちらでも意味は通じると思うので(内容は異なりますが)、確認させていただければと思います。

タイプミスでない場合、”神の子の持つ自分”とは自我(エゴ)のことを指すことになると思いますが、罪を知らない神の子が罪を知る自我を持つ場合・・・・これ以降の解説をお願いしたいできればと思います。よろしくお願いいたします。

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 松山 健 Matsuyama Ken
 松山 健 Matsuyama Ken
2023/10/31 (Tue) 08:37

Re: ”神の子の持つ自分を不自由にする自由を神の子が行使して”

TAPAさん


いつもありがとうございます。コメントいただき、ありがとうございます。

楽しく学ばれていらっしゃるようでなによりです。


> このコラムで一点ミスタイプなのか・そうでないのか、ちょっと疑問に感じる部分がありましたので、ご回答いただければと思います。
>
> それは以下の部分です。
>
> ”神の子の持つ自分を不自由にする自由を神の子が行使して”
>
> この文の、”神の子の持つ自分”という部分ですが、”神の子の持つ自由”のミスタイプかとも思いました。

わかりにくい表現だったようですみません。

意図としては、この文のとおり、神の子が持っている自由は、自分自身が自由である状態を縛ることすら制限されない自由、つまり、自分を不自由にする自由を持っているという意味で述べています。

ですので、ミスタイプではありませんが、「神の子の持つ自由」(この自由には自分を不自由にする自由すら含まれているので)と同義でもあります。



> タイプミスでない場合、”神の子の持つ自分”とは自我(エゴ)のことを指すことになると思いますが、罪を知らない神の子が罪を知る自我を持つ場合・・・・これ以降の解説をお願いしたいできればと思います。よろしくお願いいたします。

上記の文意ですので、「神の子の持つ自分を不自由にする自由」は、自我(エゴ)を意味する「神の子の持つ自分」で文節を切って、この自我(エゴ)を不自由にする自由という趣旨ではありません。

この点は、「神の子の持つ自分」をエゴに置き換えると、「エゴを不自由にする自由を神の子が行使して不自由になっている状態」と、もともと不自由と同義のエゴを不自由にするというように意味が通らなくなることでご理解いただけると思います。


さて、罪を知らない神の子が罪を知る自我を持つ状態(これが私たちがいる世界の状態なわけですが)、これが起こり得ない不可能な事態であることは、いつもの実在と実在の不在の仕組みのとおりです。

光は闇に変容することはできず、光の前にスライドをおいて光の不在の影を作ることしかできません。

自由も不自由に変容することはできず、エゴというスライドを介して自由の不在を視野狭窄を起こすことによって妄想することしかできません。

神の子が神から与えられた自由を間違って用いて自分を不自由にできたと思ったとしても、それは事実ではなく、主観的な妄想でしかないということです。

罪を知らない神の子がなぜ罪を知る自我を作り出せたのかという点については、それこそまさに、神が子に与えた自由には何の制限もないから、間違うことも可能な自由だからです。

そして、この間違いは妄想として起こっているだけなので、神の子は潔白なままであり、アバターである罪を知る自我に自己同一化しているだけなので、自我が自分だというアイデンティティー障害を解消する必要があるだけということになります。

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TAPA
2023/10/31 (Tue) 22:49

早速のお返事ありがとうございます。コメントを読ませて頂いた後、コラムを読み直したのですが、私が引用した部分が見当たりませんでした。コラム自体も修正されたのでしょうか?コラムを読み直したところ、私が混乱?したところが見当たらなかったので・・・

兎に角、コラムとご回答を読ませて頂いたことで、混乱していた部分がスッキリしました。ありがとうございました。

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 松山 健 Matsuyama Ken
 松山 健 Matsuyama Ken
2023/11/01 (Wed) 07:51

Re: タイトルなし

TAPAさん

お返事ありがとうございます。

ご指摘を踏まえて、コラムの文章を混乱を招かないように表現を修正しました。

また、気になる点等ございましたら、ご指摘いただけるとありがたいです。

今後ともよろしくお願いします。

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