T18-9 ふたつの世界


ふたつの世界があるように見えるでしょうが、実際はひとつだけです。恐怖心は愛の不在に過ぎません。欠乏は豊かさの不在にすぎません。不平不満は感謝の不在にすぎません。

もともと豊かさの中に存在していなかったものだけが欠乏するのです。そもそも存在しなければ、不在になったと言っても意味がないではありませんか。

これは隠れんぼのゲームに似ています。誰かがまず隠れます。誰でしょう?あなたでしょうか、私でしょうか。もしかしたら創造主ご自身かもしれません。

本当は誰でもいいのです。あなたの番になって、あなたは隠れます。兄弟はあなたを見つけ出すでしょう。私が兄弟を見つけたように、みんな順番に鬼になり、順番に最後には見つけられます。

二極性の世界は、全一の世界から放射されたものであり、またそこへ帰ってゆきます。合わさっていたものが、ふたつに離れ、またひとつになります。これはシンプルなダンスです。怖いことはありません。

自分自身のことをあまり深刻に考えずに、このダンスに加わってみてはどうでしょう。プロのダンサーは誰もいません。でも全員がステップを学ぶ必要があります。誰かの足を踏んでしまったら「失礼」と言えば済みます。あなたがたはみな学んでいる最中なのですから、間違えても当然です。

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イエス・キリスト(Paul Ferrini ポール・フェリーニ著「無条件の愛 キリスト意識を鏡として」より)

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世界が実在するという考えをあなたが手放さないかぎり、あなたの心はいつも世界を追い求める。存在するものは実在するものだけであるにもかかわらず、現れを実在とみなすなら、実在そのものを知ることは決してできないだろう。



ラマナ・マハルシ






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今回は、テキスト第十八章から、「ふたつの世界」という一節をご紹介します。





籠城を続けるかぎり、ふたつの世界は存在しつづける

ふたつの世界とは、私たちの見ているこの世界と真の世界です。

ひとつ前の小さな庭園で出てきた小さな王国(エゴが支配する身体)が引き続き出てきます。

エゴに従う状態にあるかぎり、私たちは高い城壁に囲まれた小さな王国の中に籠城して一歩も外に出ることはできないので、城壁の狭い覗き穴から外の世界を眺め、外の世界に放った使者が持ち帰る外の情報をもとに外部世界はこんなものだと空想するしかありません。

いつまで経っても、自分の見る世界と、その世界とはかけ離れたどこか遠くにある天国を反映する真の世界とがあると思うことしかできません。


開城することで、実はふたつの世界は同じひとつの世界だったとわかる

城の周囲を取り囲む堀には、罪悪感の涙が溜まった水が渦巻いていて水面から湧き立つ恐怖の靄が暗雲のように城を取り囲んでいます。

この暗雲の中に人々や自然や都会という世界が映像として現れ、肉体の感覚器官という狂気の使者がこの暗雲に映る世界が実在するという狂気のメッセージを持ち帰ってきて世界は本物だと証明するので、籠城する私たちには分離は真実だと信じることしかできません。

小さな庭園では、城門を開くことが語られましたが、本節では、小さな王国から外に出て、聖霊の導きを受け、固い堤防のように見えている恐怖の暗雲が実体を持たない貫通可能なものであることに気づき、他者と愛でひとつに結ばれることによって、罪悪感が実在しない幻であると看過することで、罪悪感の涙からなる堀は干上がって、もはや恐怖の暗雲を醸し出すことはなくなります。

そのとき、すでに暗雲の中に見えていた幻の世界ではなく、愛に包まれた真の世界が見えています。ふたつの世界はひとつだったのです。






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テキスト第十八章

IX. The Two Worlds
九 ふたつの世界



1. You have been told to bring the darkness to the light, and guilt to holiness.
 これまであなたは、闇を光へ、罪悪感を神聖さへともたらすようにと告げられてきました。

 And you have also been told that error must be corrected at its source.
 あなたはまた、誤りはその源において修正されなければならないとも教えられてきました。

 Therefore, it is the tiny part of yourself, the little thought that seems split off and separate, the Holy Spirit needs.
 したがって、聖霊が必要としているのは、あなた自身の小さな一部である、切り離されて分離しているように思える小さな想念だけです。

 The rest is fully in God's keeping, and needs no guide.
 この小さな一部を除いたあなた全体は完全に神の庇護の下にあるので、いかなる導きも必要とはしません。

 Yet this wild and delusional thought needs help because, in its delusions, it thinks it is the Son of God, whole and omnipotent, sole ruler of the kingdom it set apart to tyrannize by madness into obedience and slavery.
 しかし、この見当違いで妄想に囚われた想念のほうは助けを必要としています。なぜなら、その想念は妄想に陥って、自分こそが神の子であり、自ら隔離した王国を服従させて隷属させる完全にして全能なる唯一の支配者だと思いこんで狂気による暴政を敷いているからです。

 This is the little part you think you stole from Heaven.
 これこそ、あなたが天国から掠め取ったと思いこんでいる小さな部分です。

 Give it back to Heaven.
 その部分を天国に返してください。

 Heaven has not lost it, but you have lost sight of Heaven.
 天国はその部分を失ってはいませんが、あなたのほうは天国を見失っているからです。

 Let the Holy Spirit remove it from the withered kingdom in which you set it off, surrounded by darkness, guarded by attack and reinforced by hate.
 あなたはその部分を闇で取り囲み、攻撃によって防衛し、憎悪によって補強することで天国から仕切って王国を衰退させていたのです。聖霊に狂気の暴政を解いてその部分を天国に戻してもらいなさい。

 Within its barricades is still a tiny segment of the Son of God, complete and holy, serene and unaware of what you think surrounds it.
 そのバリケードの中には、今なお、神の子の小さな一部があります。それは完全かつ神聖で、静穏なまま、あなたがその部分を取り囲んでいると思っているものに気づいてもいません。

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2. Be you not separate, for the One Who does surround it has brought union to you, returning your little offering of darkness to the eternal light.
 自分を分離させていてはなりません。というのは、その部分を確実に取り囲んでいる聖霊が、あなたのちっぽけな闇の捧げものを永遠の光へと戻すことで、あなたに融合をもたらしてくれているからです。

 How is this done?
 どうすれば、これを成し遂げられるのでしょうか。

 It is extremely simple, being based on what this little kingdom really is.
 この小さな王国の本質に基盤を置くなら、分離状態を融合させるなど、いとも簡単なことです。

 The barren sands, the darkness and the lifelessness, are seen only through the body's eyes.
 不毛の砂地や闇や生命の欠けた状態は、ただ肉眼を通して見えているだけだからです。

 Its bleak sight is distorted, and the messages it transmits to you who made it to limit your awareness are little and limited, and so fragmented they are meaningless.
 肉眼が見せるその殺伐とした光景は本来のありのままの状態を歪曲したものです。そして、自分の意識を制限するために肉眼を作り出したあなたに肉眼が伝えるメッセージは、矮小で制限されているうえに、あまりにも断片化されているので意味をなしません。



3. From the world of bodies, made by insanity, insane messages seem to be returned to the mind that made it.
 狂気によって作られた肉体の世界からは、そんな世界を作り出した心に対して、狂気のメッセージが送り返されてくるように思えます。

 And these messages bear witness to this world, pronouncing it as true.
 そして、これらの狂気のメッセージは、この世界の証人となって、この世界は真実だと宣言します。

 For you sent forth these messengers to bring this back to you.
 というのも、あなたが、こんなメッセージを持ち帰るようにと、これらの使者たちを送り出したからです。

 Everything these messages relay to you is quite external.
 これらのメッセージがあなたに伝えることはどれもみな、実に外面的なことです。

 There are no messages that speak of what lies underneath, for it is not the body that could speak of this.
 その奥の内面にあるものについて語るメッセージは何ひとつありません。というのも、肉体は内面にあるものについて語ることができないからです。

 Its eyes perceive it not; its senses remain quite unaware of it; its tongue cannot relay its messages.
 肉体の目は内面にあるものを知覚しないし、肉体のほかの感覚器官もまったくそれに気づかないままだし、肉体の口はそのメッセージを取り次ぐこともできません。

 Yet God can bring you there, if you are willing to follow the Holy Spirit through seeming terror, trusting him not to abandon you and leave you there.
 それでも、もしあなたが、聖霊は自分を見捨ててそこに置き去りにするようなことはないと信頼して、うわべの恐怖を通り抜けて聖霊に従う意欲を持ちさえすれば、神はあなたを内面へと連れて行くことができます。

 For it is not his purpose to frighten you, but only yours.
 というのは、あなたに怖い思いをさせるのは聖霊の目的ではなく、ただあなたの目的だけだからです。

 You are severely tempted to abandon him at the outside ring of fear, but he would lead you safely through and far beyond.
 あなたは渦巻いている恐怖の輪の外側で聖霊を見限ってしまいたいという強い誘惑に駆られていますが、聖霊はきっと、あなたを無事にそこを通り抜けさせて、はるか遠くまで導いてくれるでしょう。

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4. The circle of fear lies just below the level the body sees, and seems to be the whole foundation on which the world is based.
 恐れが渦巻く領域は肉体に見えるレベルのすぐ下にあり、この恐怖の循環が、この世界が依って立つ全体的な基盤になっているように見えています。

 Here are all the illusions, all the twisted thoughts, all the insane attacks, the fury, the vengeance and betrayal that were made to keep the guilt in place, so that the world could rise from it and keep it hidden.
 ここに、すべての幻想があります。すべての捻じ曲がった思考、すべての狂気の攻撃、激怒、復讐、そして裏切りがあります。これらはすべて、罪悪感から世界を生起させて、罪悪感を隠れたままにしておけるように、罪悪感を保持しておくために作り出されたのです。

 Its shadow rises to the surface, enough to hold its most external manifestations in darkness, and to bring despair and loneliness to it and keep it joyless.
 罪悪感の影は、その最も外側の現われは闇の中にとどめつつ、表層に絶望や孤独をもたらして、表層を喜びのないところにしておくには十分なだけ表面に浮上します。

 Yet its intensity is veiled by its heavy coverings, and kept apart from what was made to keep it hidden.
 しかし、罪悪感の強烈さはその重厚ないくつもの覆いに包みこまれ、罪悪感を隠しておくために作られたものからは引き離されています。

 The body cannot see this, for the body arose from this for its protection, which depends on keeping it not seen.
 身体にはこれが見えません。というのは、身体は罪悪感を守るために罪悪感から生じたのであり、身体に罪悪感を守ることができるかどうかは罪悪感を見えないままに保っておけるかどうかにかかっているからです。

 The body's eyes will never look on it.
 肉体の目は決して罪悪感を見ることはありません。

 Yet they will see what it dictates.
 しかし、肉眼は罪悪感が見るように命じるものを見ることになります。



5. The body will remain guilt's messenger, and will act as it directs as long as you believe that guilt is real.
 身体は罪悪感の使者であり続け、そして、あなたが罪悪感は実在すると信じるかぎり、身体は罪悪感が命じる通りに行動するでしょう。

 For the reality of guilt is the illusion that seems to make it heavy and opaque, impenetrable, and a real foundation for the ego's thought system.
 というのは、罪悪感の実在性こそ、幻想を重厚かつ不透明で通り抜けられないものに見せかける錯覚であり、エゴの思考システムの真の基盤だからです。

 Its thinness and transparency are not apparent until you see the light behind it.
 あなたがその背後に光を見るまでは、幻想が透けて見えるほど薄っぺらなものだということは明らかにはなりません。

 And then you see it as a fragile veil before the light.
 したがって、光を前にすれば、あなたにも幻想が脆弱な覆いでしかないとわかります。

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6. This heavy-seeming barrier, this artificial floor that looks like rock, is like a bank of low dark clouds that seem to be a solid wall before the sun.
 この重厚に見える障壁、この岩盤のように見える作り物の床は、まるで太陽の前に低く立ちこめた暗雲が頑丈な堤防のように見えているようなものです。

 Its impenetrable appearance is wholly an illusion.
 その雲が通り抜けられないものに見えているのは、まったくの錯覚です。

 It gives way softly to the mountain tops that rise above it, and has no power at all to hold back anyone willing to climb above it and see the sun.
 その雲は自分より高く聳える山頂には静かに道を譲るし、雲より上に登って太陽を見ようとする者を引きとどめる力などまったく持ち合わせてはいません。

 It is not strong enough to stop a button's fall, nor hold a feather.
 その雲にはボタンが落ちるのを押しとどめる力もなければ、一枚の羽根を支える力すらありません。

 Try but to touch it and it disappears; attempt to grasp it and your hands hold nothing.
 ただそれに触ろうとするだけで消え去ってしまうし、それを掴もうとしても、あなたの手は空を掴むばかりです。



7. Yet in this cloud bank it is easy to see a whole world rising.
 それでも、この分厚い雲の塊の中に全世界が姿を現すさまを見るのは造作もないことです。

 A solid mountain range, a lake, a city, all rise in your imagination, and from the clouds the messengers of your perception return to you, assuring you that it is there.
 確固たる山脈や湖や都会、すべてがあなたの想像の中に姿を現してきます。そして、あなたの送り出した知覚の使者がその雲の中から舞い戻ってきて、あなたに見えているものは確かにそこに存在するとあなたに保証します。

 Figures stand out and move about, actions seem real, and forms appear and shift from loveliness to the grotesque.
 人影がはっきりと姿を現して動き回り、その動きは本物に見えます。そして、さまざまな形をしたものが姿を現し、美しいものから奇怪なものまであらゆる取り揃えがあります。

 And back and forth they go, as long as you would play the game of children's make-believe.
 あなたが子供たちのするような真似ごと遊びを続けようとするかぎり、人影は行ったり来たりします。

 Yet however long you play it, and regardless of how much imagination you bring to it, you do not confuse it with the world below, nor seek to make it real.
 しかしながら、あなたがどれほど長い間そんなごっこ遊びをしようが、そして、あなたがどんなに精いっぱい想像力をその空想に注ぎこもうが、あなたが、その雲の中の想像の世界を雲の下の世界と取り違えたり、空想の世界を本物に作り変える助けにならないのは言うまでもありません。

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8. So should it be with the dark clouds of guilt, no more impenetrable and no more substantial.
 だから、罪悪感という暗雲もそれと同じで、貫通できないものでも、実体のあるものでもないはずなのです。

 You will not bruise yourself against them in traveling through.
 あなたがその中を通り抜けようとしても、あなたが暗雲にぶつかって傷を負うことはありえません。

 Let your Guide teach you their unsubstantial nature as he leads you past them, for beneath them is a world of light whereon they cast no shadows.
 あなたの大いなる案内役の導きを受けて、その雲の中を通り過ぎながら、聖霊にそれらの暗雲の実体を持たない本質を教えてもらいなさい。というのは、その雲の下には雲がひとつも影を落とすことのない光の世界があるからです。

 Their shadows lie upon the world beyond them, still further from the light.
 暗雲が影を落としているのは、その雲の彼方の、さらにずっと光から遠く離れた世界なのです。

 Yet from them to the light their shadows cannot fall.
 しかし、暗雲から光に向けて影が差すことはありえません。



9. This world of light, this circle of brightness is the real world, where guilt meets with forgiveness.
 この光の世界、この輝きの円環こそが真の世界であり、そこで罪悪感は赦しと出会います。

 Here the world outside is seen anew, without the shadow of guilt upon it.
 ここにおいて、罪悪感の影が差すことのない状態で、外側の世界が新たに見られます。

 Here is the new perception, where everything is bright and shining with innocence, washed in the waters of forgiveness, and cleansed of every evil thought you laid upon it.
 ここに新しい知覚があります。ここでは、すべてのものが潔白さで明るく輝き、赦しの水の中で洗われ、あなたがすべてのものに押しつけていた邪悪な思いはどれもみな綺麗に洗い清められています。

 Here there is no attack upon the Son of God, and you are welcome.
 ここには、神の子に対する攻撃などなく、あなたは歓迎されています。

 Here is your innocence, waiting to clothe you and protect you, and make you ready for the final step in the journey inward.
 ここに、あなたの潔白さがあります。あなたの潔白さは、あなたを包みこんで守り、あなたに内面に向かう旅路の最後の一歩への支度をさせようと待ち受けています。

 Here are the dark and heavy garments of guilt laid by, and gently replaced by purity and love.
 ここで、罪悪感の暗く重い上着は脱ぎ捨てられ、穏やかに清らかさと愛に衣替えさせられます。

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10. Yet even forgiveness is not the end.
 もっとも、赦しですら、完結ではありません。

 Forgiveness does make lovely, but it does not create.
 赦しは愛で満たしてくれますが、赦しが創造することはないからです。

 It is the source of healing, but it is the messenger of love and not its Source.
 赦しは、癒しの源ではあります。しかし、赦しは、愛の使者なのであって、愛の大いなる源ではありません。

 Here you are led, that God himself can take the final step unhindered, for here does nothing interfere with love, letting it be itself.
 神が自ら何らの障りもなく最後の一歩を踏み出すことができるようにと、あなたはここまで導かれました。というのも、ここには愛を妨げるものは何もないし、ここでは愛はあるがままにさせてもらえるからです。

 A step beyond this holy place, a step still further inward but the one you cannot take, transports you to something completely different.
 その最後の一歩とは、この神聖な場を越えて、さらに深く内面に向かう一歩ですが、あなたが自分で踏み出すことのできないものです。この神が踏み出す最後の一歩は、あなたをこれまでとはまったく異なるところへと運んでくれます。

 Here is the Source of light; nothing perceived, forgiven nor transformed.
 ここに光の大いなる源があります。そこでは何も知覚されず、赦されることもなければ、変容させられることもありません。

 But merely known.
 ただ知られるだけです。



11. This course will lead to knowledge, but knowledge itself is still beyond the scope of our curriculum.
 このコースは知識へと導きはしますが、知識それ自体は、なおも私たちの学ぶカリキュラムで扱う範囲を越えるものです。

 Nor is there any need for us to try to speak of what must forever lie beyond words.
 だから、私たちには、永遠に言葉にできないままのものについて、無理に言葉で語ろうとする必要は少しもありません。

 We need remember only that whoever attains the real world, beyond which learning cannot go, will go beyond it, but in a different way.
 私たちが覚えておくべきことはただひとつです。それは、誰であれ真の世界に到達する者は、それ以上先には学習によって進むことはできないので、それを超えたところには学びとは違う方法によって進むことになるということです。

 Where learning ends there God begins, for learning ends before him who is complete where he begins, and where there is no end.
 学習の終わるところから神が始まります。なぜなら、神が始まるところで神は完全であり、そこには、いかなる終わりも存在しないので、神を前にして学習は終わりを迎えるからです。

 It is not for us to dwell on what cannot be attained.
 学んで習得できないことについて、くどくど考えていても私たちの役には立ちません。

 There is too much to learn.
 私たちには、本当に学ぶべきことがたくさんあるのです。

 The readiness for knowledge still must be attained.
 知識への準備を整えることが、なおも達成されなければなりません。

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12. Love is not learned.
 愛は学ぶものではありません。

 Its meaning lies within itself.
 愛の意味は、愛そのものの中にあります。

 And learning ends when you have recognized all it is not.
 そして、学習は、あなたが愛でないものだけを見極めたときに終わります。

 That is the interference; that is what needs to be undone.
 愛でないものが妨げになっており、取り消す必要があるのはこれだからです。

 Love is not learned, because there never was a time in which you knew it not.
 愛は学ぶものではありません。なぜなら、あなたが愛を知らなかった時など今まで一度もなかったからです。

 Learning is useless in the Presence of your Creator, Whose acknowledgment of you and yours of him so far transcend all learning that everything you learned is meaningless, replaced forever by the knowledge of love and its one meaning.
 あなたの創造主の大いなる臨在を前にしては、学習など無用のものです。それというのも、創造主があなたを承認することとあなたが創造主を承認することがどんな学習をもはるかに超越するので、あなたが学んだことはどれもみな無意味となり、愛の知識とその唯一の意味によって永遠に置き換えられることになるからです。



13. Your relationship with your brother has been uprooted from the world of shadows, and its unholy purpose has been safely brought through the barriers of guilt, washed with forgiveness, and set shining and firmly rooted in the world of light.
 あなたと兄弟の関係は、根こそぎにされて影の世界を離れ、不浄であったその目的は罪悪感という障壁を無事に通り抜けて赦しに洗い清められ、光の世界の中に輝きを放ちながらしっかりと根づいています。

 From there it calls to you to follow the course it took, lifted high above the darkness and gently placed before the gates of Heaven.
 目的を浄化されたあなたの兄弟との関係は、闇から高みへと引き上げられて、天国の門の前に優しく置かれたので、その光の世界からあなたに、それが辿った道と同じ道を辿るようにと呼びかけています。

 The holy instant in which you were united is but the messenger of love, sent from beyond forgiveness to remind you of all that lies beyond it.
 その中であなたたちがひとつに結ばれた神聖な瞬間は、赦しを超えたところから、あなたにその向こうにあるものすべてを思い出させるために遣わされた愛の使者にほかなりません。

 Yet it is through forgiveness that it will be remembered.
 しかし、そのことを思い出せるようになるのは、赦しを通してなのです。



14. And when the memory of God has come to you in the holy place of forgiveness you will remember nothing else, and memory will be as useless as learning, for your only purpose will be creating.
 そして、聖なる赦しの場において、あなたに神の記憶がよみがえるとき、あなたは神の記憶以外のことは何ひとつ思い出さなくなるでしょう。そして、記憶も学習と同じように無用のものとなるでしょう。というのも、そこでは、創造することだけがあなたの唯一の目的となるからです。

 Yet this you cannot know until every perception has been cleansed and purified, and finally removed forever.
 しかし、あらゆる知覚がことごとく洗い清められたうえで、ついには永遠に取り除かれるまでは、このことをあなたが知ることはできません。

 Forgiveness removes only the untrue, lifting the shadows from the world and carrying it, safe and sure within its gentleness, to the bright world of new and clean perception.
 赦しは、真実でないものだけを取り除きます。赦しは、この世界から影を引き上げて、その優しさの中に包みこんで、安全かつ確実に、新しく清らかな知覚の輝く世界へと運んでゆきます。

 There is your purpose now.
 いまや、あなたの目的があるのは、その輝かしい世界です。

 And it is there that peace awaits you.
 そして、まさにその輝かしい世界において、平安があなたを待ち受けているのです。


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