T16-3 教えの報い


One of the most sacred purposes for which the scriptures were written was to make it possible for all to know Christ.
聖書が記された最も神聖な目的のひとつは、誰もがキリストを知ることができるようにするためであった。

The scriptures teach and testify of Jesus Christ.
聖書は、イエス・キリストについて教え、証しているのだ。

They teach us much that we need to know and to do to return to the presence of the Savior.
聖書は、私たちが大いなる救い主の臨在のもとへと帰還しなければならないことを知り、そのためになすべきことを大いに私たちに教えてくれている。

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L. Lionel Kendrick
エル・ライオネル・ケンドリック



The soul does not grow by addition but by subtraction.
魂は、何かを付け加えることによってではなく、余計なものを削ぎ落すことによって成長するのだ。



Meister Eckhart
マイスター・エックハルト

神のエクハ





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テキスト第十六章から教えの報いという一節をご紹介します。



口だけ番長になってませんか?

コースは 教えることは、手本となって実証することであり、教えることは学ぶことに等しいと言います。

「The course, on the other hand, emphasizes that to teach < is > to learn, so that teacher and learner are the same.
 これに対して、このコースは教えることは学ぶことと『同義』であり、それゆえ、教師と生徒は同じであると力説します。

 It also emphasizes that teaching is a constant process; it goes on every moment of the day, and continues into sleeping thoughts as well.
 コースはまた、教えることは絶え間ないプロセスであり、一日のうちのすべての瞬間に続くものであって、眠っているときの思考の中においても同じように続くものだと強調します。」(M-Intro 教師のためのマニュアル 序文

本節では、私たちがこれまで聖霊の語ることをその通りに教えることはできたかもしれないが、いまだに平安を得られずに苦しみ、自由ではなく、自分と他者は分離していると信じたままであり、口先で教えていることと実際に学んで身につけられていることが合致せず乖離しているということが冒頭で述べられます。

つまり、受け売りの知識どまりになっていると。教えていることと学べていることとのバランスが均衡していない、いわゆる口だけ番長状態だということです。



言動と実態が乖離する理由

その理由は、このコースを通して、私たちは本当の自分が誰なのかを学んでいるはずなのに、私たちは本当の自分から学ぼうとはしてこなかったからだということです。





「4. This is a course in how to know yourself.
 これは、どのようにしてあなた自身を知るかを教えるコースです。

 You have taught what you are, but have not let what you are teach you.
 あなたは本当の自分が何者なのか教えてきましたが、本当の自分からあなたに教えてもらうことは容認してきませんでした。」


私たちが教えてきたこと、つまり、これまでコースで学んできたことは真理であるがゆえに、神の子である私たちの中に存在しているはずです。

それなのに、学んだ知識が受け売りの知識どまりになっているということは、私たちが、自分が神の子であることを忘れて、神の子ではない卑小な生きもの、つまり、すべてではない無、幻であるアバター人の子と自己同一化して、真の自分から学ぶことを拒んできたということです。

そして、実在しない幻であるエゴ・身体というアバターになりきっている神の子が本当の自分から学ぶためには、①自分はアバターだという誤った自己認識を解消し、②自分は神の子だという正しい自己認識に達することが必要です。

つまり、アバターとしてのエゴに一体化している私たちからすれば、まず①現に肉眼等の五感を持つ身体として暮らして身体を自分として操縦してコントロールできている実感を持っているこの自分は偽りの自己であるという認識によってアバターへの自己同一化の束縛から離れること、そのうえでさらに、②この世界も自分だと思っているアバターも幻で、本当の自分は神の現実である天国で神とともにいる神の子だという認識によって、正しいアイデンティティーを回復すること、という二段階のハードルを越えなければならないことになります。

というのも、②がなくて①だけでは自分が誰だかわからない状態に至るだけだからです。

自分が人間だと思って生きてきた私たちからすれば、どちらも途轍もなく高いハードルに思えます。



救いの公式

本節では、私たちがエゴであると同時に真の自己でもあるというふうに、矛盾するふたつの自己であるわけではなく、ひとつの大いなる自己であるのみだということを証明するために、私たちの許に私たち自身である全宇宙が証人たちを送ってくれているので、私たちはひとりではなく、みんなと結びつくことでこのハードルを越えられるということが語られます。


「But your remembering is his, for God cannot be remembered alone.
 反対に、あなたが思い出すことはその兄弟が思い出すことになります。なぜなら、神をひとりきりで思い出すことはできないからです。

 This is what you have forgotten.
 独力では神を思い出せないということこそ、まさにあなたが忘れてしまっていることです。

 To perceive the healing of your brother as the healing of yourself is thus the way to remember God.
 このようにして、自分の兄弟が癒されることが自分自身が癒されることだと知覚することが、神を思い出す方法なのです。」(T12-2 神を思い出す方法、 2.)

「Join me in hearing.
 私と一緒に聞いてほしい。

 For the Voice for God tells us of things we cannot understand alone, nor learn apart.
 というのも、神に代わって語る大いなる声が、私たちがひとりきりでは理解できず、別々には学べないことを私たちに教えてくれるからだ。

 It is in this that all things are protected.
 私たちが神の声を個別に学ぶことによっては理解できないという仕組みによって、すべての物事は保護されている。

 And in this the healing of the Voice for God is found.
 だから、私たちは一緒に学び理解することによって、神を代弁する大いなる声による癒しを見出すことができる。」(レッスン275「今日、神の癒しの声があらゆるものを守ってくれる」

このようにアバターになりきっている状態で、アバター単体で、自分ひとりだけで神を思い出すことはできないという仕組みで、万物は保護されているということです。



他者を赦すことを通してしか自分自身を赦せないという仕組み

この他者を抜きにして一人だけでは神を思い出せないという仕組みはとても重要です。

私たちは自分ではなく他者の中に罪を見ることを望んでいるけれど、私たちが他者に見る罪は自分の罪の投影なので、他者を赦すのは不可能だというのが真実であり、許すべきは自分の罪であり、他者を赦すことは錯覚です。

けれど、他者を赦すことが錯覚で幻想であるとしても、ありもしない自分の罪を自分から放り出して他者に投影しているがゆえに、他者を赦すことを通してしか自分自身を赦せないという仕組みなので、他者を赦すことは、すべての錯覚の中でも、世界で唯一抱くべき幻想であり、幸せな夢であるということです。つまり、私たちは、他者が無罪であると気づくことによってしか自らの潔白さを真に見出すことができなくなっているので、私たちが自分自身を赦すことができるのは、ただほかの誰かの中でだけだということです(S2-1 自分自身を赦す

つまり、上の②の達成には、他のアバターとの関わりにおいて赦しをなすことを通じて、自分と兄弟との間に分離、隙間がないという真理、愛を体験することが不可欠だということです。



とことんアンラーン

さて、ここで冒頭の実在しない幻であるエゴ・身体というアバターになりきっている神の子が本当の自分から学ぶためには、①自分はアバターだという誤った自己認識を解消し、②自分は神の子だという正しい自己認識に達することが必要という2点のポイントをあらためて確認してみましょう。

いつも述べているように、コースは学習棄却、アンラーン(unlearning)の学びです。

①は誤った自己認識を解消することなので、アンラーンであることは明らかです。

これに対して、一見すると②は学ぶことによって習得すべきもののように思えます。

けれど、本当の自分を思い出すために本当の自分が何者なのかという情報を覚え込むのは、マトリョーシカ人形をより大きな人形で包むようなことであり、さらに思い出すための障害となる膜で包むことにしかなりません。

必要なのは、赦しによって奇跡を起こして、自他分離が錯覚であると気づくことによって兄弟との間の障壁を崩すことで、愛を体験することです。

したがって、②もアンラーンだということです。



聖書からの引用箇所

2.「"By their fruits ye shall know them, and they shall know themselves. "
 彼らの果実によって、汝は彼らを知るであろう。そして、彼らも自らを知るであろう」
は、マタイによる福音書 第7章16節です。



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テキスト第十六章

III. The Reward of Teaching
三 教えの報い



1. We have already learned that everyone teaches, and teaches all the time.
 私たちはすでに、誰もがみな教え、それも、つねに教えていると学んできました。

 You may have taught well, and yet you may not have learned how to accept the comfort of your teaching.
 あなたはうまく教えてきたかもしれません。それでも、あなたはまだ、自分の教えていることがもたらす安らぎをどのようにして受け入れたらよいのか学んではいないようです。

 If you will consider what you have taught, and how alien it is to what you thought you knew, you will be compelled to realize that your Teacher came from beyond your thought system.
 もしあなたが自分が教えてきたことを顧みて、それがいかに自分がそれまで知っていると思っていたことかけ離れたものかよく考えてみれば、あなたは自分の大いなる教師である聖霊が自分の思考システムを超越するところから来ているのだと認めざるをえないはずです。

 Therefore He could look upon it fairly, and perceive it was untrue.
 聖霊があなたの思考システムの及ばないところから来ているがゆえに、聖霊は、あなたの思考システムを正しく見て、それが偽りだと知覚できたのです。

 He must have done so from the basis of a very different thought system, and one with nothing in common with yours.
 聖霊があなたの思考システムが偽りだと知覚できたのは、聖霊があなたの思考システムとはまったく異なる思考システム、それも、あなたの思考システムとは何ひとつ共通点を持たない思考システムを基盤としているからにほかなりません。

 For certainly what He has taught, and what you have taught through Him, have nothing in common with what you taught before He came.
 というのも、聖霊が教えてきたことやあなたが聖霊を通して教えてきたことと、聖霊が訪れる前まであなたが教えていたこととの間には、共通点が一切ないことは間違いないからです。

 And the results have been to bring peace where there was pain, and suffering has disappeared to be replaced by joy.
 だから、その教えの成果として、苦痛のあったところには平安がもたらされ、すでに苦悩は消え去って喜びに置き換えられているはずです。



2. You may have taught freedom, but you have not learned how to be free.
 あなたは自由を教えてきたかもしれませんが、あなたはまだ、どのようにして自由になればいいのか学んでいません。

 I said earlier, "By their fruits ye shall know them, and they shall know themselves. "
 私は以前に、「彼らの果実によって、汝は彼らを知るであろう。そして、彼らも自らを知るであろう」と述べました。

 For it is certain that you judge yourself according to your teaching.
 なぜなら、あなたたちが自分の教えることに照らして自分自身の価値を判断するのは間違いないからです。

 The ego's teaching produces immediate results, because its decisions are immediately accepted as your choice.
 エゴの教えは即座に結果を生じます。なぜなら、あなたはエゴが決定したことを自分の選択としてすぐに受け入れるからです。

 And this acceptance means that you are willing to judge yourself accordingly.
 そして、このようにあなたがすぐさまエゴの決定を自分の選択として受け入れることは、あなたが進んでエゴの決定に従って自分自身を裁く意欲を持っていることを意味します。

 Cause and effect are very clear in the ego's thought system, because all your learning has been directed toward establishing the relationship between them.
 原因と結果は、エゴの思考システムの中では実に明確です。なぜなら、あなたが学ぶことはすべて、原因と結果の間に関係を確立することに向けられてきたからです。

 And would you not have faith in what you have so diligently taught yourself to believe?
 そして、あなたがそんなにも苦心して自分自身に信じるようにと教えこんできたことであれば、あなたはそれを信頼せずにはいられないのではないでしょうか。

 Yet remember how much care you have exerted in choosing its witnesses, and in avoiding those which spoke for the cause of truth and its effects.
 しかし、エゴの思考システムの正しさを証言する者を選び抜いたり、真理という原因とその結果について語る証人たちを避けようとして、自分がどれほど努力して注意を払ってきたか思い出すがよいでしょう。

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3. Does not the fact that you have not learned what you have taught show you that you do not perceive the Sonship as one?
 あなたが自分の教えてきたことを学んでいないという事実は、あなたが神の子全体を一なるものとして知覚していないことを物語ってはいないでしょうか。

 And does it not also show you that you do not regard yourself as one?
 そして、このことはまた、あなたが自分自身をひとつのものとみなしていないことをも証明してはいないでしょうか。

 For it is impossible to teach successfully wholly without conviction, and it is equally impossible that conviction be outside of you.
 というのは、まったく確信を欠いたままではまともに教えることなど不可能だし、同様に、確信があなたの外側にあることも不可能だからです。

 You could never have taught freedom unless you did believe in it.
 あなたが自由を信じていなかったなら、あなたは決して自由を教えることなどできなかったはずです。

 And it must be that what you taught came from yourself.
 だから、あなたが教えてきたことは、あなた自身からやってきたものに違いありません。

 Yet this Self you clearly do not know, and do not recognize It even though It functions.
 しかし、この真の自己をあなたが知らないことは明白であり、たとえ大いなる自己が機能しているにしても、あなたは大いなる自己に気づいていません。

 What functions must be there.
 機能しているものは、存在しているに違いありません。

 And it is only if you deny what It has done that you could possibly deny Its Presence.
 そして、あなたが大いなる自己の存在を否定できる場合があるとすれば、それはあなたが大いなる自己がなしたことを否認する場合だけです。



4. This is a course in how to know yourself.
 これは、どのようにしてあなた自身を知るかを教えるコースです。

 You have taught what you are, but have not let what you are teach you.
 あなたは本当の自分が何者なのか教えてきましたが、本当の自分があなたに教えることは容認してきませんでした。

 You have been very careful to avoid the obvious, and not to see the real cause and effect relationship that is perfectly apparent.
 あなたは本当に用心深く明白さを回避することで、本当に一目瞭然な真の因果関係に目を背けてきたのです。

 Yet within you is everything you taught.
 それでも、あなたの内部には、あなたが教えてきたすべての真理があります。

 What can it be that has not learned it?
 あなたが教えてきたすべてを学んではいない部分とは、いったい何でありうるでしょうか。

 It must be this part that is really outside yourself, not by your own projection, but in truth.
 この部分こそが、あなた自身が投影することによってではなく、真の意味で、本当にあなた自身の外側にあるものに違いありません。

 And it is this part that you have taken in that is not you.
 そして、あなたが外から取りこんだのは、あなたではないこの部分なのです。

 What you accept into your mind does not really change it.
 あなたが自分の心の中に受け入れたものが、本当にあなたの心を変えてしまうようなことはありません。

 Illusions are but beliefs in what is not there.
 幻想は、単にそこにありもしないものを信じることでしかないからです。

 And the seeming conflict between truth and illusion can only be resolved by separating yourself from the illusion and not from truth.
 だから、真理と幻想の間の見かけ上の葛藤は、あなたを真理からではなく幻想から切り離すことによってのみ解消できます。

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5. Your teaching has already done this, for the Holy Spirit is part of you.
 あなたの教えることは、これをすでに成し遂げています。というのは、聖霊はあなたの一部だからです。

 Created by God, He left neither God nor His creation.
 神に創造されたがゆえに、聖霊は、神から離れていないだけでなく、神が創造したものからも離れてはいません。

 He is both God and you, as you are God and Him together.
 あなたが神であるとともに聖霊でもあるように、聖霊は神であるとともにあなたでもあります。

 For God's Answer to the separation added more to you than you tried to take away.
 というのも、分離に対する神の大いなる答えが、あなたが取り除こうとしたよりも、ずっと多くのものをあなたに加えたからです。

 He protected both your creations and you together, keeping one with you what you would exclude.
 聖霊は、あなたが排除しようとしたものをあなたとひとつに保っておくことで、あなたが創造したものとあなたとを一緒に守ってくれました。

 And they will take the place of what you took in to replace them.
 だから、あなたの創造物たちは、あなたがそれらに置き換えようとして取り入れたものに取って代わるでしょう。

 They are quite real, as part of the Self you do not know.
 あなたの創造物たちは、あなたの知らない大いなる自己の一部として、完全に実在しています。

 They communicate to you through the Holy Spirit, and their power and gratitude to you for their creation they offer gladly to your teaching of yourself, who is their home.
 あなたの創造物たちは、聖霊を通してあなたとコミュニケーションを保っています。そして、あなたの創造物たちは、自分たちの生まれ故郷であるあなたに、あなた自身について教えるために、自らの持てる力とあなたに創造してもらったことへの感謝の念とを喜んで差し延べてくれるでしょう。

 You who are host to God are also host to them.
 神を宿すあなたは、自らの創造物たちも宿しています。

 For nothing real has ever left the mind of its creator.
 なぜなら、実在するものは何ひとつその創造者の心から一度も離れたことはないからです。

 And what is not real was never there.
 そして、実在しないものが存在したことなど一度もないからです。



6. You are not two selves in conflict.
 あなたは矛盾するふたつの自己であるわけではありません。

 What is beyond God?
 神を凌ぐものなど何もないからです。

 If you who hold Him and whom He holds are the universe, all else must be outside, where nothing is.
 もし神を宿し神に抱かれるあなたこそが宇宙であるなら、あなた以外のすべては外側にあるに違いないということになりますが、その外側にあるのは無なのです。

 You have taught this, and from far off in the universe, yet not beyond yourself, the witnesses to your teaching have gathered to help you learn.
 あなたはこのことを教えてきました。そして、はるか宇宙の彼方から、それでありながらも、あなた自身を超えてはいないところから、あなたが学ぶ手助けをしようと、あなたが教えることの正しさを証言する証人たちが集まってきてくれています。

 Their gratitude has joined with yours and God's to strengthen your faith in what you taught.
 この証人たちの感謝の念はあなたと神の感謝の念とひとつに結びついて、自分が教えたことに対するあなたの信頼を強めてくれます。

 For what you taught is true.
 なぜなら、あなたが教えたことは真実だからです。

 Alone, you stand outside your teaching and apart from it.
 ひとりきりでは、あなたは自分の教えの外側に立って、教えから離れてしまいます。

 But with them you must learn that you but taught yourself, and learned from the conviction you shared with them.
 しかし、みんなと一緒なら、あなたにも、自分はただ自分自身に教えて、自分がみんなと共有していた確信から学んだだけだとわかってくるはずです。

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7. This year you will begin to learn, and make learning commensurate with teaching.
 今年こそ、あなたは学びはじめ、教えていることに釣り合いが取れるまで学ぶようになるでしょう。

 You have chosen this by your own willingness to teach.
 あなたは、教えたいという自発的な意欲によって、学びを教えに見合うものにする選択をしたのです。

 Though you seemed to suffer for it, the joy of teaching will yet be yours.
 この選択のために、あなたは苦悩するように思ったこともありましたが、教える喜びはこれからずっとあなたのものとなるでしょう。

 For the joy of teaching is in the learner, who offers it to the teacher in gratitude, and shares it with him.
 というのは、その教える喜びは学ぶ者の中にあり、彼は感謝をこめて喜びを教師に捧げて、教師とともに喜びを分かち合うことになるからです。

 As you learn, your gratitude to your Self, Who teaches you what He is, will grow and help you honor Him.
 あなたが学ぶにつれて、本当の自分についてあなたに教えてくれるあなたの大いなる自己に対するあなたの感謝の念は深まってゆき、あなたが大いなる自己を尊重できるように助けてくれるでしょう。

 And you will learn His power and strength and purity, and love Him as His Father does.
 そして、あなたは、大いなる自己の持つ力やその強さや清らかさを学び、彼の父が愛するように、大いなる自己を愛するようになるでしょう。

 His Kingdom has no limits and no end, and there is nothing in Him that is not perfect and eternal.
 この大いなる自己の王国は、いかなる限界もなく、果てることもありません。そして、大いなる自己の中には完全でないものや永遠でないものは何ひとつありません。

 All this is you, and nothing outside of this is you.
 このすべてが、あなたなのです。これ以外のものは何ひとつあなたではありません。



8. To your most holy Self all praise is due for what you are, and for what He is Who created you as you are.
 あなたの本質と、あなたをあるがままに創造した神の本質ゆえに、あなたの至聖なる大いなる自己にはあらゆる称賛が捧げられるべきです。

 Sooner or later must everyone bridge the gap he imagines exists between his selves.
 遅かれ早かれ、誰もがみな、ふたつの自己の間に存在すると想像している隔たりに橋を架けなければなりません。

 Each one builds this bridge, which carries him across the gap as soon as he is willing to expend some little effort on behalf of bridging it.
 一人ひとりがこの橋を築きます。この橋は、ほんの少しでも彼が橋を架ける努力しようという気になり次第、その隔たりを越えて彼を運んで渡らせてくれます。

 His little efforts are powerfully supplemented by the strength of Heaven, and by the united will of all who make Heaven what it is, being joined within it.
 彼のささやかな努力は、天国の力強さによって、そしてまた、天国の中でひとつに結びついて、天国を天国たらしめている者たちみんなの統合された意志によって、力強く補ってもらえます。

 And so the one who would cross over is literally transported there.
 したがって、隔たりを渡ろうとする者は、文字どおり天国まで運ばれます。

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9. Your bridge is builded stronger than you think, and your foot is planted firmly on it.
 あなたの橋はあなたが思っているよりも堅固に築かれていて、あなたの足は根を張ったようにしっかりとその橋を踏み締めています。

 Have no fear that the attraction of those who stand on the other side and wait for you will not draw you safely across.
 その橋の向こう側に立ってあなたを待ってくれている者たちに、自分を導いて無事に橋を渡らせる力があるのだろうかと不安に思う必要はありません。

 For you will come where you would be, and where your Self awaits you.
 なぜなら、あなたは自分がいたいと望むところに行くのであり、そこでは、あなたの真の自己があなたを待ち受けているからです。


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