T21-1 忘れられた歌


ベルクソンの洞察は示唆するところが大きい。私が夢中で試験問題を解いている時、油絵を描くことに没頭している時、電車に乗り遅れまいと必死に走っている時、私は純粋持続のうちにあり、私は自由なのだ。いや、このときじつは「私」も登場してこない。「われを忘れている」のである。

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中島義道時間論





君たちの時間は限られている。その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。ドグマにとらわれてはいけない。それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。他人の意見の雑音で、自分の内なる声をき消してはいけない。最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。だからそれ以外のことは全て二の次でいい。



Steven Paul Jobs
スティーブ・ジョブズ




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今回はテキスト第二十一章から『忘れられた歌」という一節をご紹介します。






正義の女神の目隠し

本節では、冒頭で、私たちの世界の見方は、盲目状態で手探りで世界を知覚しようとしているのとまったく同じだということが述べられます。

ローマ神話の正義の女神ユースティティア(Jūstitia ギリシャ神話のテミスと混同されることが多いけれど、ギリシャ神話ではディケーが正義の女神に相当するそうです)は、片手に天秤を掲げ、もう一方の手に剣を提げ持ち、顔には目隠しをしています。

天秤は正邪を測る正義を、剣は天秤によって下した判断を強制する力を、目隠しは姿の美醜や貧富、先入観、偏見によって公正な判断を曇らされない公正無私の法の下の平等を意味するとされます。

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目隠しのお話は、なるほどと思ってしまいますが、後付けで生まれた説明のようです。
もともとはなかった目隠しは16世紀に、不正な裁判をする裁判官を目隠しをされた正義の女神と皮肉った風刺画が描かれたものが、のちに見た目に惑わされて不公平な裁きをしてはならないという意味を持ちはじめて、現在の3点セットになった実情があるようです。


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コースの観点から目隠しの意義を再解釈

コースの観点で、この正義の女神像の目隠しを捉え直すと、目隠しは、裁きを必要とするエゴの盲目性を示すイメージとして逆に応用できるように思います。


罪を目的とするなら、ヴィジョンにエゴ・身体で目隠しをして、価値判断による裁きの道具として五感による知覚という天秤と他者非難という投影・分離という剣を使うことになります。

神聖さを目的にするなら、エゴという目隠しを外してヴィジョンを用い、天秤と剣を聖霊に委ねることになります。

エゴの裁きも聖霊のヴィジョンも知覚の手段ですが、裁きは、目隠しをして、ありのままの事実を見ずに、事実についての評価、価値判断を介在させて自分独自の見方をすることです。

これに対して、ヴィジョンは、評価のワンクッションを介在させずに、ありのままの事実を知覚することです。

裁きは、目隠しをして本質を見ないようにすることです。

ヴィジョンはこの目隠しを外して、五感による知覚という、ぐらつく秤に曇らされることのないありのままの現実を見るものです。

エゴによって目隠し状態になって物事の真価がわからなくなるために、裁きの天秤と剣に頼る必要があることになりますが、目隠しを外してヴィジョンで真実を見抜くことができるなら、天秤は罪は実在しないと見極める正しい知覚となり、剣は幻を無として断ち切ってその実体通り看過する力、つまり赦しの道具となります。





肉眼での視覚は闇の中で見るVRゴーグルのような道具

肉眼での視覚は、神の法をこの世界の法則で縛って、光の拡張を暗雲のスクリーンで遮って、闇を生み出し、その闇の中で盲目状態で心に像を結ばせるためのものです。

視覚のデジタル・デバイスで、現実世界との二重写しの拡張現実のAR・MR(Mixed Reality複合現実)グラスと現実世界を遮断して仮想現実を見るだけのVRゴーグルがあります。

肉眼は、光の拡張を堰き止めた闇の中の盲目状態で見るものなので、肉眼はAR・MRグラスではなく、デバイスの奥を見通すことのできないVRゴーグルと言うべきデバイスです。


このようなVRゴーグルを装着した盲目状態で、私たちはVRゴーグルにエゴが映し出す映像や音声を知覚して、暗中模索して、自分の気づかなかった石に躓いて転んだり、閉じていると思っていたドアが開いていて通り抜けられることに気づいて、それまでの間違っていた推論を修正して世界についての認識を再構成しているわけです。

つまり、私たちは、ゴーグルを外せば、VRゴーグルの映像で見えているゾンビの襲来を受けて大騒ぎの世界から脱出できるのに、ひとりでキャーキャー大騒ぎしている人と同じような状態にあるわけです。


VRからMR・ARにシフト

なすべきことはVRゴーグルを外すことですが、これができないからこそ私たちは、この世界が紛いのない現実世界だと認識するほどどっぷりと世界に浸りきっています。

自分で価値判断することは、VRゴーグルに映し出されるエゴの指示に従うことであり、間違った道に迷い込むだけです。

これに対して、ヴィジョンで見ることは、価値判断をせず肉眼を用いることをやめて、聖霊の視覚を共有させてもらうよう聖霊に頼むことであり、幻想世界の中にいながらではあっても、VRの完全仮想映像から、天国を反映させて天国と二重写しにしたAR、MR映像とも言うべき真の世界という拡張現実の映像へとシフトすることです。

このような比喩は、肉眼との対比のレベルに降りることになるために、ヴィジョンを矮小化して捉えてしまうきらいがありますが、本節では、後半で、神の子のヴィジョンの壮大さを窺わせる美しい描写がなされます。じっくり読んでイメージをつかんでいただければと思います。





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テキスト第二十一章

I. The Forgotten Song
一 忘れられた歌



1. Never forget the world the sightless "see" must be imagined, for what it really looks like is unknown to them.
 盲目の者たちに「見えている」世界が想像上のものに違いないことを、決して忘れてはなりません。というのは、彼らには、世界が本当はどんなふうに見えるのかわからないからです。

 They must infer what could be seen from evidence forever indirect; and reconstruct their inferences as they stumble and fall because of what they did not recognize, or walk unharmed through open doorways that they thought were closed.
 彼らは、絶えず間接的な証拠から、何が見えるのか推測しなければなりません。そして、彼らは、自分が気づいていなかったものに躓いて転んだり、閉まっていると思いこんでいた扉が実は開いていて、無事に通り抜けたりするたびに、自分の推論した結果を再構成しなければなりません。

 And so it is with you.
 これと同じことが、あなたにもあてはまります。

 You do not see.
 つまり、あなたは見てはいないのです。

 Your cues for inference are wrong, and so you stumble and fall down upon the stones you did not recognize, but fail to be aware you can go through the doors you thought were closed, but which stand open before unseeing eyes, waiting to welcome you.
 あなたが推論に使っている手がかりは間違っています。だから、あなたは、自分の気づかなかった石ころに躓いて転ぶこともあれば、自分が閉まっていると思いこんでいた扉が、実は見えない目の前であなたを歓迎するのを待ち受けて開け放たれていて、自分には通り抜けられることに気づき損ねたりもするのです。



2. How foolish is it to attempt to judge what could be seen instead.
 ちゃんと見ることができるのに、それを見ようとせずに推測して判断しようとするというのは、なんと馬鹿げたことでしょう。

 It is not necessary to imagine what the world must look like.
 世界がどのように見えるに違いないか、想像を巡らす必要などありません。

 It must be seen before you recognize it for what it is.
 あなたがありのままに世界を認識するつもりなら、まず世界に目を向ければなりません。

 You can be shown which doors are open, and you can see where safety lies; and which way leads to darkness, which to light.
 あなたは、どの扉が開いているか示してもらうことができるので、あなたはどこに安全があるのか、どの道が闇に通じていて、どの道が光に通じているのか見ることができます。

 Judgment will always give you false directions, but vision shows you where to go.
 価値判断は、必ずあなたに間違った道案内をしてしまいますが、ヴィジョンはどこに行くべきか、あなたに示してくれます。

 Why should you guess?
 そのあなたがどうして推測しなければならないのでしょうか。

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3. There is no need to learn through pain.
 苦痛を通して学ぶ必要など一切ありません。

 And gentle lessons are acquired joyously, and are remembered gladly.
 そして、配慮の行き届いた親切なレッスンは楽しく習得できるし、喜んで覚えることができます。

 What gives you happiness you want to learn and not forget.
 自分を幸せにしてくれることであれば、あなたはそれを学ぶことを望み忘れまいとするはずです。

 It is not this you would deny.
 あなたが否定したくなるのは、このことではありません。

 Your question is whether the means by which this course is learned will bring to you the joy it promises.
 あなたが疑念を抱いているのは、このコースの教えを学ぶための手段が、本当にコースが約束する通りの喜びを自分にもたらしてくれるのかどうかということです。

 If you believed it would, the learning of it would be no problem.
 もしあなたがこのコースを学ぶための手段が約束どおりの喜びをもたらしてくれると信じていたら、このコースを学ぶことに何の問題もなかったはずです。

 You are not a happy learner yet because you still remain uncertain that vision gives you more than judgment does, and you have learned that both you cannot have.
 今はまだ、あなたは喜んで学んでいるとはいえません。なぜなら、あなたはいまだに、本当に価値判断よりもヴィジョンのほうがより多くを自分に与えてくれるのか確信できないままなのに、価値判断とヴィジョンの両方を同時に持つことは自分にはできないと先に学んでしまったからです。



4. The blind become accustomed to their world by their adjustments to it.
 盲目の者たちは、自分の作り出した世界に自分を適合させることによって、自分の世界に慣れてゆきます。

 They think they know their way about in it.
 彼らは、自分は自分の世界の勝手を知っており、ひとりで身を処しうるものと思っています。

 They learned it, not through joyous lessons, but through the stern necessity of limits they believed they could not overcome.
 彼らは、それを喜びに満ちたレッスンを通して学んだわけではなく、ただ自分には克服できないと信じこんでいる制限による情け容赦のない必要性に迫られて学んできたのです。

 And still believing this, they hold those lessons dear, and cling to them because they cannot see.
 そして、彼らはいまだにそんな制限があるものと信じているので、自分たちの学んだ教訓を大切にして、それにしがみついています。なぜなら、彼らには何も見えないからです。

 They do not understand the lessons keep them blind.
 彼らは、自分の学んだレッスンが自分を盲目の状態に保っているということがわかりません。

 This they do not believe.
 このことを彼らは信じようとはしません。

 And so they keep the world they learned to "see" in their imagination, believing that their choice is that or nothing.
 だから彼らは、自分が「見る」ことを学んだ世界を自分の想像の中に保ち続け、自分にはこれ以外の選択肢は何もないと信じているのです。

 They hate the world they learned through pain.
 彼らは苦痛を通して学んだ世界のことを憎んでいます。

 And everything they think is in it serves to remind them that they are incomplete and bitterly deprived.
 そして、彼らがその世界の中にあると思っているものの一つひとつが、彼らに自分たちがいかに不完全で、どんなにひどく剥奪されて欠乏しているかを思い起こさせます。

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5. Thus they define their life and where they live, adjusting to it as they think they must, afraid to lose the little that they have.
 このようにして、彼らは、自分の持ち合わせているわずかなものまで失ってしまうことを恐れて、自分がそうしなければならないと思うだけ自分を世界に適合させながら、自分の暮らす場所で自分の人生に限界を定めてしまいます。

 And so it is with all who see the body as all they have and all their brothers have.
 そして、自分が持っているのは身体だけであり、自分の兄弟たちが持っているのも身体だけだと思っている者たちの誰にでも、このことがあてはまります。

 They try to reach each other, and they fail, and fail again.
 彼らは、互いにつながり合おうと試みては失敗し、さらに失敗を繰り返します。

 And they adjust to loneliness, believing that to keep the body is to save the little that they have.
 そうして、彼らは身体を保つことで、わずかながらに自分たちが所有するものを維持できると信じて、孤独に順応してしまいます。

 Listen, and try to think if you remember what we will speak of now.
 耳を澄まして、私たちがこれから語ることを自分が思い出せるかどうか考えてみてください。



6. Listen,--perhaps you catch a hint of an ancient state not quite forgotten; dim, perhaps, and yet not altogether unfamiliar, like a song whose name is long forgotten, and the circumstances in which you heard completely unremembered.
 耳を澄ましなさい。おそらくあなたには、完全に忘れ去ってはいない太古の状態を思い起こさせるかすかな手がかりを捉えることができるはずです。それは、ぼんやりとしたものかもしれませんが、それでもまったく馴染みのないものではありません。それはまるで、題名はずっと昔に忘れてしまって、どんな状況で耳にしたのかもまったく思い出せない歌のようです。

 Not the whole song has stayed with you, but just a little wisp of melody, attached not to a person or a place or anything particular.
 あなたはその歌の全部を覚えてはおらず、誰とどこで耳にしたかといった特定の事柄と結びついてすらいないほんのわずかなメロディーの断片しか思い出せません。

 But you remember, from just this little part, how lovely was the song, how wonderful the setting where you heard it, and how you loved those who were there and listened with you.
 しかし、そのほんのわずかな部分から、その歌がどんなに美しいものだったか、自分がその歌を耳にしたときの情景がいかに素晴らしいものだったか、そこで自分と一緒にその歌を聴いていた人たちを自分がどれほど深く愛していたか、あなたは思い出します。

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7. The notes are nothing.
 その歌の音色は重要ではありません。

 Yet you have kept them with you, not for themselves, but as a soft reminder of what would make you weep if you remembered how dear it was to you.
 しかし、あなたがその歌を覚えていたのは、メロディーそれ自体ではなくて、そのメロディーが、涙を流さずにはいられないほど自分にとって大切だったものを静かに呼び覚ましてくれるからです。

 You could remember, yet you are afraid, believing you would lose the world you learned since then.
 あなたは思い出すことができます。しかし、あなたは自分が思い出すと、その時以来、自分が学んできた世界を失うことになると信じているせいで、思い出すのを怖がっています。

 And yet you know that nothing in the world you learned is half so dear as this.
 それでも、あなたは、自分が学んできたこの世界の中にあるどんなものも、自分が思い出すことの大切さには遠く及ばないとわかっています。

 Listen, and see if you remember an ancient song you knew so long ago and held more dear than any melody you taught yourself to cherish since.
 耳を澄まして、ずっと以前にあなたが知っていた太古の歌を思い出せるかどうか確かめてみてください。それは、それ以来自分で自分に大切にするようにと教えこんできたどんなメロディーよりもずっと大切にしていた歌です。



8. Beyond the body, beyond the sun and stars, past everything you see and yet somehow familiar, is an arc of golden light that stretches as you look into a great and shining circle.
 身体を越え、太陽や星々も越えて、あなたに見えるすべてのものを超越していながらも、どういうわけか見覚えがあるところに、金色の光の弧があります。その金色の光の弧は、あなたがその中を見つめるにつれて、大きく輝く光の輪へと拡張してゆきます。

 And all the circle fills with light before your eyes.
 そして、あなたの目の前で、その輪の全体が光で満たされます。

 The edges of the circle disappear, and what is in it is no longer contained at all.
 その光の輪の縁は消え去り、その輪の中にあるものは、もはやまったく封じこめられることはなくなります。

 The light expands and covers everything, extending to infinity forever shining and with no break or limit anywhere.
 その光は拡張し、ありとあらゆるものを覆い尽くし、一切途絶えることなく、どこかで制限されることもなく、永遠に輝きながら、無限へと広がってゆきます。

 Within it everything is joined in perfect continuity.
 その光の中では、すべてが完璧に途切れることなく結ばれています。

 Nor is it possible to imagine that anything could be outside, for there is nowhere that this light is not.
 この光が存在しないところはどこにもないので、この光の外側に何かが存在すると想像することも不可能です。

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9. This is the vision of the Son of God, whom you know well.
 これこそ、神の子のヴィジョンです。あなたはその神の子のことをよく知っているのです。

 Here is the sight of him who knows his Father.
 ここにこそ、自らの大いなる父を知る者が眺める光景があります。

 Here is the memory of what you are; a part of this, with all of it within, and joined to all as surely as all is joined in you.
 ここにこそ、本当のあなたについての記憶があります。すべてがあなたの中でひとつに結ばれているのが確実であるのと同じくらい確実に、その一部にはそのすべてが含まれており、すべてに結びついています。

 Accept the vision that can show you this, and not the body.
 身体ではなく、あなたにこの光景を見せることのできるヴィジョンを受け入れてください。

 You know the ancient song, and know it well.
 あなたは太古の歌を知っています。それも、申し分なく知っています。

 Nothing will ever be as dear to you as is this ancient hymn of love the Son of God sings to his Father still.
 神の子が今なお大いなる父に向けて歌う、この太古の愛の讃美歌ほど、あなたにとって親愛なるものは、これからもほかに何ひとつないでしょう。



10. And now the blind can see, for that same song they sing in honor of their Creator gives praise to them as well.
 そして、今こそ、盲目の者たちは見ることができるようになります。というのも、彼らが、自分たちの大いなる創造主を賛美して歌うその同じ歌が、同じように、彼らにも称賛を与えることになるからです。

 The blindness that they made will not withstand the memory of this song.
 彼らが作り出した盲目も、この歌の記憶には抵抗しきれません。

 And they will look upon the vision of the Son of God, remembering who he is they sing of.
 そして、彼らは、神の子のヴィジョンを見つめて、自分たちが誰のことを歌っているのか思い出すでしょう。

 What is a miracle but this remembering?
 奇跡とは、この記憶の想起にほかなりません。

 And who is there in whom this memory lies not?
 そして、自らの内にこの記憶を留めていない者など誰ひとりいません。

 The light in one awakens it in all.
 ひとりの中の光が、みんなの中にある光を目覚めさせます。

 And when you see it in your brother, you are remembering for everyone.
 だから、あなたが自分の兄弟の中にその光を見るなら、そのときあなたは、みんなのために思い出しているのです。


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