レッスン128「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」


Wisdom is learning what to overlook.
英知とは、何を無視すべきかを学ぶことだ。



William James
ウィリアム・ジェイムズ





寓話

昔むかし、ある国の宮殿に年老いた王様が住んでいました。宮殿の大広間の金のテーブルの真ん中には、大きな素晴らしい宝石が輝いていました。王様は毎日毎日、その宝石を磨き、宝石はどんどん輝きを増してゆきました。
ある日のこと、泥棒が押し入って、その宝石を盗みました。泥棒は宮殿を抜け出して、森の中に隠れました。嬉しさにいっぱいになって、彼がじっとその宝石を見つめていると、びっくりしたことに、王様の姿が宝石の中に浮かんできました。
「実は、お前にありがとうと言いに来たのじゃ」と王様は言いました。
「お前がこの宝石を盗んでくれたお陰で、私はこの世への執着が断ち切れたのじゃ。この宝石を私が手に入れたとき、自由が手に入るかと私は思ったのだ。ところが、間もなく、私が真心を込めてこの宝石を人に譲ったときにはじめて私は自由になるということがわかったのじゃ」
「私は毎日、この宝石を磨いてきたのじゃ。そして今日、やっと、この宝石はお前が盗み出すほどに、美しくなったのじゃ。お前にこの宝石を譲って、私はやっと自由になれたのじゃ」
「お前が持っている宝石は理解(Understanding)というものじゃ。隠しておいても、自分はすばらしい宝石を持っていると人にほのめかしても、身につけて見せびらかしても、その宝石の美しさは増さないのだ。他の人々がその宝石に対して持つ認識(Consciousness)こそ、美しさとなって輝くのじゃ。宝石に輝きを与えるものに栄光あれ」

タデウス・ゴラス

タデウス・ゴラス(「なまけ者のさとり方」111ページ)





The devil's voice is sweet to hear.
悪魔の声は耳に心地よいものだ。

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Stephen King
スティーブン・キング




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レッスン128です。

「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」が今日のテーマです。


エゴとしての私たちには、世界に執着も嫌悪もせずにいるなんて無理

このように言いきるのは簡単なことではありません。

そもそも、私たちにはこの世界こそが現実であるとしか思えないし、不幸や苦痛もたくさんあるかもしれないけれど、その反対の幸福や快楽もたくさんあって、自分はまだまだそれらのすべてを味わい尽くせてなどいない!望むものは山ほどあるというのに、そんな仙人みたいなこと言ってられない!という感覚こそが人間としては健全なのかもしれません。

逆に、辛酸を嘗め尽くしたという思いから、厭世的にこの言葉に共感を覚えるという人もいるでしょう。




ただし、そんな人も自分の思うような好条件で再スタートできるならリセットしてやり直したい、この世界から離れたいとは思わないというのが多くの場合の実情でしょう。

それほどまでに、私たちの心はこの世界に引きつけられ、束縛されています。

エゴに従うかぎり、これは当然です。

この世界の愛憎劇によって分離の幻想を維持すること自体が目的なわけですから。


エゴの観点から聖霊の観点にシフトしないかぎり束縛から脱することはできない

ですので、そもそも、酸いも甘いも噛み分けてこの世界の経験を味わい尽くさなければ、この「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」という境地に辿り着けないという仕組みではないということです。

実際のところ、(究極的には存在しない)輪廻転生によって(これまた究極的には存在しない)私たちの魂はすでにその程度の経験を存分にしているはずです。

ですので、エゴの観点から聖霊の観点にシフトして眺めるということのないかぎりは、この世界への執着(その裏返しの嫌悪も含めて)から逃れることはできません。


価値観という鎖

そして、この世界に私たちを縛りつける鎖は、価値観だということです。


ゲームセンターや遊園地で、そこでだけ通用するコインや模擬通貨が使われることがあります。


外の世界にそのコインや模擬紙幣を持ち出しても、まったく何の価値もありませんが(パチンコ店のような換金システムは考えないことにして)、そのゲームセンター等の中にいるかぎりは、その中で享受できる利益の尺度となるために、それが価値あるものだと勘違いすることもあるでしょう。

ネットゲームなどになるとさらにのめりこみの度が増します。

自分のアバターとなるキャラクターの属性がとても自分にとって大切なことのように感じてしまいます。

自分のキャラの容姿や職業や服装、筋力、経験値、財力、武器、誰と仲間になるか等々。

スライドするとこの世界で私たちが価値を置いていることとまったく同じことだということがわかります。

この世界でも、特定の業界に身を置いている場合に価値があることが、世間的にはまったく無価値であることが職を離れてはじめて実感するということもあるものです。


3.「All things you seek to make your value greater in your sight limit you further, hide your worth from you, and add another bar across the door that leads to true awareness of your Self.
 あなたが自分の了見で自分の値打ちをより大きなものにしようとして追い求めることはすべて、あなたをよりいっそう制限し、あなたの真価をあなたから隠し、自らの大いなる自己の真の自覚へと続く扉にさらに別の閂を加えることにしかなりません。」

この文章は、この世界に生きるアバターとしての私たちが一生懸命自分の値打ちを上げようとすることは実は自分をよりいっそう制限する自滅行為だということを述べています。


さて、聖霊の観点で見るかぎり、この世界に自分の望むものは何もないというのは本当のことだということは理解できないわけではなくなります。

ひとりの神の子が分離の幻想を抱いて、無数に分裂した自己を作り出して、この世界という夢の世界に自分を閉じこめているというのです。

もちろん、登場人物が多くなり、広大な舞台の上で演じられる劇が複雑性を持つために、世界には深みが生まれ、哀愁も漂い、壮大な叙事詩のような味わいをも備え、エゴの観点からすれば、とても魅力的な世界ではあります。

しかし、単純に言ってしまえば、この世界に執着することは、本当は何の価値もないゲームセンターのコインを手放すのが嫌だと言って駄々をこねているのと同じことです。


分離意識から統合意識へのレベルの切り替え

何が言いたいかというと、たしかにある程度の経験をして空疎さを味わって世界の幻想性を垣間見ることは大切なことだけれども、飽きるほど欲望や経験を追求することによってこの世界に自分の望みを見い出さない境地に至るということはほとんど期待できないのではないかということです。



Albert Einstein
アルベルト・アインシュタイン




アインシュタインの言うとおり、「この世の重要な問題はすべて、それを作りだしたときと同じ意識レベルで解決することはできない」のです。

この世界という問題は、分離意識を抱くことで作り出されたのだから、分離意識を基盤とするテーブルの上でプレイしているかぎり、解決は不可能であり、テーブルをひっくり返して、分離前のひとつの意識、大いなる自己に戻るという根源的なパラダイムシフトが必須だということです。


夢見る当人からすれば、いかに甘美な夢であろうと夢から現実に帰れなくなることは望まない

「The world I see holds nothing that I want.
 私の見るこの世界には、私の望むものは何もない。」

今のところ、この文章の前半の「私」と後半の「私」は同じエゴとしての私ですが、後半の「私」が真の私である大いなる自己にならなければなりません。


つまり、エゴとしての私が「私」であるかぎり、この世界に私の望むものは何もないという状態に至ることは永遠にないということです。

私たちになりきる夢を見ていた神の子が目を覚ませば、夢の中の幻になど価値を置くはずがないのはいうまでもありません。
私たちの夜見る夢にスライドさせてみればこれは当然のことです。
今晩見ることになる夢がどんなに甘美でそこに永遠にとどまりたいと望むようなすばらしいものであったとしても、夢の世界から自分が帰ってこられなくなるような事態を私たちは絶対に望みません。


私たちのほうこそ、神の子の目覚めを妨げている邪魔者

私たちエゴがこの世を享受して神の現実に帰りたくないと望んでいるのは、私たちが神の子が夢見る主人公でしかなく、夢が覚めてしまっては困るのが私たち幻の存在のほうだからです。

神の子が目を覚ます邪魔になっているのは私たちのほうであり、夢の世界に望むものを見出してしまう私たちが神の子を閉じ込めている元凶なわけです。

私たちは、悟りを開いて覚醒してアセンションする気満々ですが、アバターである私たちが覚醒して神の子に変身するわけではありません。


アヴァターラ

いわゆる悟り状態は、私たちの自我から影の部分であるエゴというフィルターが抜け神の筆先となって神が自らの思いを幻想世界に伝えるための神の分身となることです。

このサイトではアバターという用語を神の子が分離幻想を抱いて迷妄の世界をさまよう着ぐるみとしての私たち人間を指すものとして用いていますが、本来、アバターという言葉の由来は、神が自由に使える道具となることを、ヒンドゥー教の神話で、「この世に現れた神仏の化身」や「思想などの体現者」などを意味する言葉である、サンスクリット語のアヴァターラら来ています。

ですので、この世に生きる私たちの究極の使命は、聖霊の権化となり神のアバターとして、神の意志を果たすための道具となることだといえるでしょう。

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これは人の子である私たちが、エゴとして神の子を人質にとったままでいるのをやめて、聖霊に従って神を宿す主人となることです。

「7. Would you be hostage to the ego or host to God?
 あなたは、エゴの人質になりたいのでしょうか、それとも神を宿したいのでしょうか。

 You will accept only whom you invite.
 あなたが受け入れるのは、自分の招く客だけです。

 You are free to determine who shall be your guest, and how long he shall remain with you.
 あなたは、誰を自分の客とするか、そして、その客がどれくらいの間あなたの許に留まるか、自由に決めることができます。

 Yet this is not real freedom, for it still depends on how you see it.
 しかし、このことは真の自由ではありません。というのは、その決定は依然として、あなたが客として招く存在をどう見るのかに左右されるからです。

 The Holy Spirit is there, although he cannot help you without your invitation.
 聖霊はあなたからの招待がなければ、あなたを助けることができませんが、それでも、聖霊は確かにあなたの許にいます。

 And the ego is nothing, whether you invite it in or not.
 そして、あなたがエゴを招き入れようが入れまいが、エゴは無のままです。

 Real freedom depends on welcoming reality, and of your guests only the Holy Spirit is real.
 真の自由は、現実を喜んで受け入れることにかかっています。そして、あなたの招待しようとする客たちの中で実在するのは、ただ聖霊だけです。

 Know, then, Who abides with you merely by recognizing what is there already, and do not be satisfied with imaginary comforters, for the Comforter of God is in you.
 それゆえ、単純に、すでにそこにあるものを認識することによって、あなたの傍に誰が留まっているのかを知りなさい。そして、想像上の慰め役たちなどで満足しないでください。なぜなら、あなたの中には聖霊という神からの大いなる慰め主がいるからです。」(T11-2 癒しへの招待


分身は暴走せずに本人の意のままになるのが役目

分身は分身らしく、本人の遠隔現前(テレプレゼンス)のための人形として本人の意のままに操縦されなければなりません。

この意味で、私たち人間は、本来の神のアバターとなるべきロボットがエゴというウイルス感染を起こして独自の意志を持つかのような誤動作をして暴走したような存在、寄生バチに取り憑かれて自分の意志だと確信しながら狂気の暴食をひたすら続ける芋虫のような可哀想な存在といえるかもしれません。






奇跡のコースという治療薬によって、寄生バチの幼虫が沈静化して悪さをしなくなれば、出奔後に愛に満ちた父の許へと帰還した放蕩息子のように、幼虫は本来のプロセス通り成長して、蛹となり、羽化して神の子という美しい蝶として羽ばたくことができます(M2 生徒とは誰か)。



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Lesson 128

The world I see holds nothing that I want.
私の見るこの世界には、私の望むものは何もない。





1. The world you see holds nothing that you need to offer you; nothing that you can use in any way, nor anything at all that serves to give you joy.
 あなたの見る世界は、あなたが必要とするものを何もあなたに与えてはくれません。少しでもあなたの役に立つものもないし、あなたを喜ばせられるようなものも何ひとつありません。

 Believe this thought, and you are saved from years of misery, from countless disappointments, and from hopes that turn to bitter ashes of despair.
 こう考えることが正しいと信じてください。そうすれば、あなたは悲惨な歳月から救われ、数えきれない絶望から、そして、苦々しい絶望の灰へと変わってしまう希望の数々からも救われます。

 No one but must accept this thought as true, if he would leave the world behind and soar beyond its petty scope and little ways.
 もし世界をあとにして、世界という身動きの取れないほど狭隘な領域を越えて飛翔したいなら、誰でも、この世界に自分の望むものは何もないという考えが真実だと受け入れなければなりません。



2. Each thing you value here is but a chain that binds you to the world, and it will serve no other end but this.
 あなたがこの世界で価値を置いているすべてのものは、あなたをこの世界に縛りつける鎖でしかなく、それ以外の目的に役立つことはありません。

 For everything must serve the purpose you have given it, until you see a different purpose there.
 というのは、すべてのものは、あなたがそれに違った目的を見出さないかぎり、あなたがそれに与えた目的に奉仕することしかできないからです。

 The only purpose worthy of your mind this world contains is that you pass it by, without delaying to perceive some hope where there is none.
 この世界に封じ込められているあなたの心が抱くにふさわしい唯一の目的は、あなたが、希望のない場所に希望を見出そうとして遅れを取ることなく、この世界を通り過ぎることだけです。

 Be you deceived no more.
 もうこれ以上騙されていてはなりません。

 The world you see holds nothing that you want.
 あなたの見ている世界には、あなたの望むものは何もないのです。



3. Escape today the chains you place upon your mind when you perceive salvation here.
 あなたがこの世界に救いを知覚するときに自分の心を縛りつける鎖から、今日こそ逃れてください。

 For what you value you make part of you as you perceive yourself.
 というのも、あなたは自分が価値を置くものを自分の一部として知覚するからです。

 All things you seek to make your value greater in your sight limit you further, hide your worth from you, and add another bar across the door that leads to true awareness of your Self.
 あなたが自分の了見で自分の値打ちをより大きなものにしようとして追い求めることはすべて、あなたをよりいっそう制限し、あなたの真価をあなたから隠し、自らの大いなる自己の真の自覚へと続く扉にさらに別の閂を加えることにしかなりません。



4. Let nothing that relates to body thoughts delay your progress to salvation, nor permit temptation to believe the world holds anything you want to hold you back.
 何であれ、身体に関連する思いに救済に向かうあなたの歩みを遅れさせないようにしてください。そして、この世界には自分が留まりたいと望むだけの何かがあると信じたいという誘惑に負けないでください。

 Nothing is here to cherish.
 この世界には大切にすべきものなど何もありません。

 Nothing here is worth one instant of delay and pain; one moment of uncertainty and doubt.
 ここにあるもので、一瞬でも遅れたり苦しんだりする値打ちのあるものはないし、一刻たりとも不安や疑いを抱くに値するものはありません。

 The worthless offer nothing.
 価値のないものは何も与えてはくれません。

 Certainty of worth can not be found in worthlessness.
 無価値さの中に価値の確信を見出すことはできません。



5. Today we practice letting go all thought of values we have given to the world.
 今日、私たちは、自分がこの世界に与えてきた価値についての思考のすべてを手放す練習をします。

 We leave it free of purposes we gave its aspects and its phases and its dreams.
 私たちは、自分が世界の多様な光景や移り変わる局面や世界の夢の数々に与えていたさまざまな目的からこの世界を解放します。

 We hold it purposeless within our minds, and loosen it from all we wish it were.
 私たちは、自分の心の中で、この世界を目的のないものと捉え、この世界にこうあってほしいという自分のすべての願望から解放します。

 Thus do we lift the chains that bar the door to freedom from the world, and go beyond all little values and diminished goals.
 こうして、私たちは、この世界から解放されるための扉を閉ざしていた鎖を取り除き、すべての取るに足らない価値や価値を失った目標を越えて進みます。



6. Pause and be still a little while, and see how far you rise above the world, when you release your mind from chains and let it seek the level where it finds itself at home.
 一休みしてしばらくの間じっとして、あなたが自分の心を鎖から解放し、心がくつろいでいられる高さを探させるようにするときに、自分がこの世界を超越してどれほどの高みにまで飛翔するか見てください。

 It will be grateful to be free a while.
 あなたの心はしばらくの間自由になれたことに感謝するでしょう。

 It knows where it belongs.
 あなたの心は自分の本来の居場所を知っています。

 But free its wings, and it will fly in sureness and in joy to join its holy purpose.
 ただあなたの心の翼を自由にしてください。そうすれば、あなたの心は、確信と喜びの中で、自分の神聖な目的に加わるために飛び立つでしょう。

 Let it rest in its Creator, there to be restored to sanity, to freedom and to love.
 あなたの心をその創造主の中で休ませてあげなさい。そこで、あなたの心は正気を回復し、自由と愛を取り戻すでしょう。



7. Give it ten minutes rest three times today.
 今日は、3回、それぞれ10分かけて安らぐ時間をとってください。

 And when your eyes are opened afterwards, you will not value anything you see as much as when you looked at it before.
 そして、そのあとであなたが目を開けたとき、あなたは自分の目にする何ものにも、以前に自分が見ていたときほどには高い価値を置かなくなっているでしょう。

 Your whole perspective on the world will shift by just a little, every time you let your mind escape its chains.
 あなたが自分の心から鎖を外すたびに、この世界に対するあなたの見方全体が少しずつ変わってゆきます。

 The world is not where it belongs.
 この世界は、あなたの心が本来あるべき場所ではないからです。

 And you belong where it would be, and where it goes to rest when you release it from the world.
 だから、あなたが自分の心をこの世界から解放したとき、あなたは、自分の心があるべき場所であり、自分の心が安息するために向かう場所に属することになります。

 Your Guide is sure.
 あなたの大いなるガイドが確実に導いてくれます。

 Open your mind to Him.
 あなたの心を聖霊に開いてください。

 Be still and rest.
 心を静めて、安らいでください。



8. Protect your mind throughout the day as well.
 同じように安静な状態で、1日を通してあなたの心を保護するようにしてください。

 And when you think you see some value in an aspect or an image of the world, refuse to lay this chain upon your mind, but tell yourself with quiet certainty:
 そして、この世界の呈する様相や姿かたちに自分が少しでも価値を感じるようにあなたが思うとき、それらの鎖で自分の心が束縛されるのを拒絶して、ただ自分自身に静かな確信とともに次のように告げてください。


This will not tempt me to delay myself.
これが私を遅らせるよう誘惑するようなことはない。

The world I see holds nothing that I want.
私の見る世界には、私の望むものは何もないのだから。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。





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 ken
2015/12/17 (Thu) 15:45

Re: 1

Tさま

どうもありがとうございました。英文と訳文が力を合わせて相補的に理解を助けてくれるというのはその通りだと思います。
少しでもお役に立てているとすれば、とても嬉しいです。
これからもよろしくお願いします!

  • To 松山 健 Matsuyama Kenさん
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