T21-4 怖がらないで覗きこんじゃっていいんです!


We lack faith in “what” exists within us because we lack faith in “Who” exists within us.
私たちが自分の内面にある「もの」を信頼できないのは、私たちが自分の中にいる「大いなる存在」を信頼できずにいるせいなのです。



Marianne Williamson
マリアン・ウィリアムソン

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Everything in the universe is within you.
宇宙の中の万物はあなたの内にある。

Ask all from yourself.
すべてを自分自身に求めよ。



Jalal Al-Din Rumi
ルーミー

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テキスト第二十一章から、「内面を見ることに対する恐れ」をご紹介します。


内面にあるはずだと思っている罪を思い切って見据える

私たちは、自分は罪深いと思っているので、自分の内面をみつめて、そこにあるはずの罪に直面することを恐れています。

このことであれば、私たちは恐れることなく認めるし、エゴも諸手を挙げて賛同します。

私たちが罪を信仰することでエゴの神殿は確立し、エゴは安泰でいられるからです。





エゴが金切り声で脅し文句を喚くのは、私たちではなくエゴの安全が脅かされるから→私たちのほうは偽りの安全から真の安全が得られる

しかし、自分の内面に罪があるはずだというのは、私たちが恐れの源だと信じている信念ではあっても、真実ではありません。

私たちの心は、エゴが巣食う部分と神の分霊である個別の霊、魂の部分からなります。

エゴは、私たちに自分の内面を見てはならない、見ようものなら神罰によって盲目にされてしまうから、と脅迫しますが、これは真実ではありません。

エゴはこう信じているわけではないし、エゴに従う私たちも神罰を恐れて内面を見るのを怖がっているわけではありません。

このように罪があるから内面を見るのが恐ろしいという恐怖の背後には、別の恐怖が潜んでいて、これがエゴを真に震えがらせるものです。

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実は、罪のあるはずの内面を覗き込んでも、そこには罪などないというのが真実であり、私たちが恐れることなく内面を見てしまったら、罪を基盤に打ち立てられているエゴの防衛システム全体が崩壊し、私たちは赦しによって敵だと思っていた兄弟たちと結ばれて心をひとつにして、エゴに対するアイデンティティーを放棄することになります。

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テキスト 第二十一章 

IV. The Fear to Look Within 
四 内面を見ることに対する恐れ



1. The Holy Spirit will never teach you that you are sinful.
 聖霊があなたに、あなたは有罪だと教えることは絶対にないでしょう。

 Errors he will correct, but this makes no one fearful.
 誤りであれば、聖霊が修正してくれるでしょう。しかし、聖霊による誤りの修正は、誰も怖がらせることはありません。

 You are indeed afraid to look within and see the sin you think is there.
 あなたは、自分の心の中を覗きこんで、自分がそこにあると思いこんでいる罪を目にすることを本当に恐れています。

 This you would not be fearful to admit.
 このこと自体なら、あなたは恐れずに認めるでしょう。

 Fear in association with sin the ego deems quite appropriate, and smiles approvingly.
 エゴは、罪が恐怖心を連想させるのはきわめて当然だと思っているので、満足げにほくそ笑みます。

 It has no fear to let you feel ashamed.
 エゴは、あなたに恥ずかしい思いをさせることには何の恐れも抱いていません。

 It doubts not your belief and faith in sin.
 エゴは、あなたが罪を信じて信仰していることを疑いません。

 Its temples do not shake because of this.
 あなたが罪を信仰しているがゆえに、エゴの神殿は揺らぐことはありません。

 Your faith that sin is there but witnesses to your desire that it be there to see.
 自分の心の中に罪が存在するというあなたの信仰は、ただ自分の内面に罪が見えるものとして存在してほしいとあなたが切望していることを証明するだけです。

 This merely seems to be the source of fear.
 内面に罪が存在するはずだという信仰が、恐れの源であるかのように見えているだけなのです。

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2. Remember that the ego is not alone.
 あなたの心には、エゴだけがあるわけではないことを覚えておいてください。

 Its rule is tempered, and its unknown "enemy," Whom it cannot even see, it fears.
 エゴの支配は徹底しておらず、エゴにとって未知の「敵」、エゴには見ることさえできない大いなる存在のことをエゴは恐れています。

 Loudly the ego tells you not to look inward, for if you do your eyes will light on sin, and God will strike you blind.
 エゴは、あなたがもし心の中を見たら、あなたは罪を目の当たりにして、神があなたを罰して盲目にしてしまうから、心の中を見てはならないと怒鳴り散らします。

 This you believe, and so you do not look.
 あなたはそれを信じているので、心の中を見ようとはしません。

 Yet this is not the ego's hidden fear, nor yours who serve it.
 しかし、あなたが内面を見たら罪に直面して神罰によって盲目にされてしまうということがエゴが密かに恐れていることではないし、エゴに仕える身のあなたが恐れていることでもありません。

 Loudly indeed the ego claims it is; too loudly and too often.
 それでも、エゴは、本当に耳を塞ぎたくなるほどの大声で何回も繰り返して、そうだと言い張ります。

 For underneath this constant shout and frantic proclamation, the ego is not certain it is so.
 というのも、表向きは、このように絶え間なく大声で死に物狂いになって言い立てているものの、エゴは実のところ、あなたが内面を見ても罪に直面して神罰によって盲目にされると確信しているわけではないからです。

 Beneath your fear to look within because of sin is yet another fear, and one which makes the ego tremble.
 あなたは罪があるという理由で自分の内面を見ることを恐れていますが、その恐怖の背後には、別の恐怖が潜んでおり、これこそがエゴを震えあがらせるのです。



3. What if you looked within and saw no sin?
 もしあなたが心の中を覗いて、そこにまったく罪が見えなかったら、どうなるでしょうか。

 This "fearful" question is one the ego never asks.
 この「恐ろしい」質問は、エゴが絶対に尋ねようとはしない質問です。

 And you who ask it now are threatening the ego's whole defensive system too seriously for it to bother to pretend it is your friend.
 そして、そんな質問をするようになったあなたはいまや、エゴの防衛システム全体にとって深刻な脅威となりすぎているので、エゴは自分をあなたの味方に見せかける振りさえしなくなります。

 Those who have joined their brothers have detached themselves from their belief that their identity lies in the ego.
 自分の兄弟たちと心をひとつに結び合わせた者たちは、自分はエゴと同一だという信念から、自分自身を切り離しています。

 A holy relationship is one in which you join with what is part of you in truth.
 神聖な関係とは、その中であなたが真の意味であなたを構成するものとひとつに結ばれる関係です。

 And your belief in sin has been already shaken, nor are you now entirely unwilling to look within and see it not.
 そして、あなたの罪に対する信念はすでにぐらついています。しかも、今では、あなたは、内側を覗いてそこに罪を見ないことを全面的に嫌がっているわけではありません。

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4. Your liberation still is only partial; still limited and incomplete, yet born within you.
 あなたの解放はまだ部分的で、まだ制限されていて不完全なものでしかありませんが、それでも、あなたの中に解放が生まれたのは確かです。

 Not wholly mad, you have been willing to look on much of your insanity and recognize its madness.
 完全に狂気に陥ってはいないので、あなたは、進んで自分の狂気の大部分を見てきたし、それが狂気だと認めてもいます。

 Your faith is moving inward, past insanity and on to reason.
 あなたの信頼は内へと向かい、狂気を通り越して理性へと進んでいます。

 And what your reason tells you now the ego would not hear.
 ところが今度は、あなたの理性の告げることに、エゴが耳を貸そうとしません。

 The Holy Spirit's purpose was accepted by the part of your mind the ego knows not of.
 聖霊の目的は、あなたの心の中のエゴが知らない部分によって受け入れられました。

 No more did you.
 あなたもその部分を知りませんでした。

 And yet this part, with which you now identify, is not afraid to look upon itself.
 それでも、このあなたの心の部分、今あなたが自分だと自覚した部分は、自分自身を見つめることを恐れてはいません。

 It knows no sin.
 その部分は罪のことなど何も知りません。

 How, otherwise, could it have been willing to see the Holy Spirit's purpose as its own?
 そうでなければ、その部分には、聖霊の目的を自らの目的とみなす意欲を持つことなどできなかったはずだからです。



5. This part has seen your brother, and recognized him perfectly since time began.
 この心の部分は、あなたの兄弟をずっと見てきたのであり、時間が始まって以来、完璧に彼のことを認識してきました。

 And it desired nothing but to join with him and to be free again, as once it was.
 そして、その部分は、かつてそうであったように、兄弟とひとつに結びついて再び自由になることだけを切望していました。

 It has been waiting for the birth of freedom; the acceptance of release to come to you.
 その部分は、自由が誕生すること、すなわち、あなたが解放を受け入れるときが来るのをずっと待ち望んできたのです。

 And now you recognize that it was not the ego that joined the Holy Spirit's purpose, and so there must be something else.
 そして、今、あなたはようやく、聖霊の目的に結びついたのはエゴではなかったのだから、自分の中にエゴ以外の何かが存在するに違いないと認識しているのです。

 Think not that this is madness.
 これを狂気の沙汰だと思ってはなりません。

 For this your reason tells you, and it follows perfectly from what you have already learned.
 なぜなら、これはあなたの理性が教えてくれることだし、これはあなたがすでに学んできたことから完璧に導かれる帰結だからです。

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6. There is no inconsistency in what the Holy Spirit teaches.
 聖霊の教えることには何の矛盾もありません。

 This is the reasoning of the sane.
 これが正気であることの論拠です。

 You have perceived the ego's madness, and not been made afraid because you did not choose to share in it.
 あなたはエゴの狂気を知覚してはいますが、エゴの狂気を分かち合うことを選ばなかったので、狂気に脅かされてはいません。

 At times it still deceives you.
 今でもたまに、あなたはエゴの狂気に騙されてしまうこともあります。

 Yet in your saner moments, its ranting strikes no terror in your heart.
 しかし、あなたが正気でいるときには、エゴの怒鳴り立てるような攻撃も、あなたの胸を恐怖で締めあげることはありません。

 For you have realized that all the gifts it would withdraw from you, in rage at your "presumptuous" wish to look within, you do not want.
 なぜなら、自分の内面を見てみたいというあなたの「僭越」な願いに激怒して、エゴがあなたに与えていたすべての贈り物を回収しようとしても、あなたはすでにそれらは自分の欲しいものではないとわかっているからです。

 A few remaining trinkets still seem to shine and catch your eye.
 わずかに残っている無価値な飾り物が、なおも、輝きを放ってあなたの目を引きつけるように見えてはいます。

 Yet you would not "sell" Heaven to have them.
 とはいえ、あなたは、そんなつまらないものを手に入れるために天国を「売り渡す」ような真似はしないでしょう。



7. And now the ego is afraid.
 今度は、エゴのほうが恐れる番です。

 Yet what it hears in terror, the other part hears as the sweetest music; the song it longed to hear since first the ego came into your mind.
 しかし、エゴが恐怖に怯えながら聞いていることは、もう一方の部分には、この上なく心地よい音楽として聞こえています。それは、あなたの心にエゴが最初に入りこんだときから、その部分がずっと聞きたいと思い焦がれてきたその歌だとわかります。

 The ego's weakness is its strength.
 エゴの弱みは、もう一方の部分の強みです。

 The song of freedom, which sings the praises of another world, brings to it hope of peace.
 別の世界を賛美するその自由の歌は、このもう一方の部分に平安の希望をもたらします。

 For it remembers Heaven, and now it sees that Heaven has come to earth at last, from which the ego's rule has kept it out so long.
 というのも、その部分は天国を覚えていて、エゴの支配によって本当に長い間、天国を締め出していた地上に、今、ようやく天国が訪れたとわかるからです。

 Heaven has come because it found a home in your relationship on earth.
 地上でのあなたの関係の中に自らの安らぎの場を見つけたがゆえに、天国が訪れたのです。

 And earth can hold no longer what has been given Heaven as its own.
 そして、天に属するものとして引き渡されたものを、もはやそれ以上、地が引き止めておくことはできません。

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8. Look gently on your brother, and remember the ego's weakness is revealed in both your sight.
 あなたの兄弟を穏やかな気持ちで見つめてください。そして、あなたたちふたりが一緒に目を向ければ、エゴの弱さが露呈することを覚えておいてください。

 What it would keep apart has met and joined, and looks upon the ego unafraid.
 エゴが引き離しておこうとした者たちが出会ってひとつに結ばれて、恐れることなくエゴを見つめているわけだからです。

 Little child, innocent of sin, follow in gladness the way to certainty.
 罪なき潔白なる幼子よ、喜んで確信へと続く道を歩みなさい。

 Be not held back by fear's insane insistence that sureness lies in doubt.
 疑念にさらされてこそ確信が得られるなどという、恐れによる狂気の強弁によって煙に巻かれないようにしなさい。

 This has no meaning.
 そんな主張には何の意味もありません。

 What matters it to you how loudly it is proclaimed?
 どんなに声高に宣言されようとも、狂気の主張があなたにとって何の意味を持つというのでしょうか。

 The senseless is not made meaningful by repetition and by clamor.
 無意味なことは、何度繰り返しても、どんなに大きな声で叫んでも、意味あるものにはなりません。

 The quiet way is open.
 静かな道が開けています。

 Follow it happily, and question not what must be so.
 その道を喜びながら進んで行きなさい。そして、必ずそうなるに違いないことを疑わないことです。


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