There Is No Spoon

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特別な関係と神聖な関係

Kinoさん、毎度ご質問どうもありがとうございます。
「二つの絵」について、とても重要な点に関わるよい質問をいただくことができました。

「本稿は示唆に富んでいるものの、核を捉えることが出来ませんでした。
①私にも(多分誰にも)、特別な関係の交友は存在し、それは
自分の持ち合わせない特性を備えている方、補え合えそうな特性の方、
憎悪的行動を表現する方などが結びつきの代表格だと存じますが、
本稿では彼らとの関係は『立派な額縁』で惑わされている否認すべき対象と
おっしゃっているようにも見えます。

②特別な関係において、コースが導く学びの最終目標はどのようなものでしょうか?
自他分離の幻想につき、お互いの存在が共に自らの一部と認め合い
与えあう関係を築くことか、特別な関係そのものを手放す方向なのか。

③また、気付きの浅い今の私のような人間が、今後特別な関係と交わるにつき
心掛けるべき点をご指南頂けましたら幸いです。 」というご質問です。




まず、②から考えて見ましょう。
奇跡のコースは、ひとり山奥に引き篭もって、瞑想、座禅をして悟りを開くようなスタイルはいつか効果を生じることがあるかもしれないが、時間がかかるし、退屈だからと採用しません。

むしろ、世俗の中で他者と関係を持つ中での気付きを重視するスタイルをとります。

したがって、当然、誰かとの関わり、関係を持つということを重視します。
また、聖霊の手にかかれば、エゴが利用としていた道具でも全て、見事に贖罪のための教材に転換されてしまいます。

ですから、エゴに従って関わりを持って始まった特別な関係であっても、否認すべきなのは、エゴの防衛策としての「特別な」関係であって、「関係」自体を断つべきということではありません。

「罪を悪んで人を悪まず」的な発想です。

罪悪感を生み出す母体として利用しようと目論んでエゴが作った特別な関係ですが、聖霊は、特別な関係を浄化して、愛を学ぶ教材として活用します。

聖霊は、特別な関係を浄化して、破綻させないようにしてくれます。

聖霊が浄化してくれなければ、特別な関係は早晩、破綻してしまいます。

交際当初は有頂天になり、しばらくしたら憎しみ合うばかりになっては、別れ、別の相手を探し、また同じことを繰り返すような恋愛関係が分かりやすい例ですが、相手の必要性を自分だけが満たすことができる特別性についての自惚れの助長、自分に欠けているものを相手が満たしてくれるという幻想への幻滅、自らの非を相手に投影しての罪悪感の応酬等の一連の流れによって、エゴが十分にその関係性から吸い取ることができるだけのエネルギーを吸い取ったら、放っておいても、エゴは新たな特別な関係を欲しがりはじめ、飽きてしまった特別な関係をポイ捨てすることによって関係は破綻します。

エゴの信奉する欠乏の原理そのままに、特別な関係も有限で利用できる効用は徐々に逓減していくことになります。

知り合ったころはあれほど光り輝いて見えた相手も、交際を深めるに従って、その魅力はどんどん色褪せて嫌なところばかりが目立つようになって、そのうちいがみ合うだけになりますが、会社の同僚や結婚相手のように簡単に縁を切れない相手の場合は、こんな愛憎を繰り返す期間すら過ぎ去ると、顔にできたシミやイボのように、仕方なく付き合っていかなければならないと折り合うしかない空気のような関係になってしまい、愛情面はもちろん、憎しみによる罪悪感のやり取りによっても、エネルギーのやり取りの振幅は小さなものになってしまいます。

結婚相手を例に取るなら、永遠の愛を誓った相手が殺したいほどの憎しみの対象になったり、消えてもらった方がありがたい空気のような存在に成り下がってしまうというのは虚ろな物悲しさすら漂います。

これはどうしてなのでしょう?人間である限り、避けられない運命なのでしょうか?相手をとっかえひっかえしていく以外に望ましい関係を持って、それを生かすということはできないのでしょうか。


この点に関して、特別な関係は、化学電池に喩えることができます。

電流を通す希硫酸のような電解液に亜鉛板と銅板のような2種類の金属を入れ、二つの金属を中にモーターや電球を介した導線でつなぐと、マイナス極となる亜鉛板は解けてゆき、プラス極となる銅板からは水素が発生し、電流が生じ、モーターが回り、電球が光ります。

化学反応としては、水素よりイオン化傾向の大きい亜鉛が、亜鉛イオンとなって溶解して水溶液の中に溶け出し、残された電子は亜鉛板に帯電しマイナス極となります。

マイナス極に溜まった電子は、導線を通って、プラス極である銅板へと流れ込むことになります。

この際に、電解液の硫酸によって電離した水素イオンと塩化物イオンのうち、正の電荷を帯びた水素イオンが、電子と結合して水素が発生します。

このようにして電子が消費されると、また亜鉛板の方から電子が移動してきます。
こうして、電子の流れとは反対に電流が流れて電気エネルギーが生まれることになります。

化学電池の原理は以上のようなものですが、化学エネルギーを電気エネルギーに変換する放電のみが可能な一次電池(マンガン乾電池等)と、放電時と逆方向に電流を流すことで、電気エネルギーを化学エネルギーに変換し蓄積(充電)することができる二次電池(鉛蓄電池(車のバッテリー)、ニッケル水素電池、ニッカド、リチウム・イオン等々)があります。

電池を放電していくとマイナス極の金属が溶けていくので、次第に電極の金属が無くなり、全部溶けてしまうと反応できなくなってしまいます。

一次電池では、こうなると電池交換するしかありませんが、二次電池では、充電することによって元の状態に戻すことができます。元に戻すためには、反対に電流を逆流させます。そうすると、プラス極で金属が溶けてイオンとなり、マイナス極でイオンが金属となります。

もっとも、プラス極は溶けにくい金属、マイナス極は溶けやすい金属ですので、溶けにくいプラス極の金属を溶かして、溶けやすいマイナス極の金属を元に戻すという、自然には起こらない反応を起こすことが必要になり、エネルギーを要しますが、こうすることで充電して、再び電池として機能するということになります。

さて、特別な関係においては、関係の当事者である二人は、この化学電池での亜鉛板と銅板のような働きをする触媒となります。

ある局面では、一方がマイナス極として働き、別の局面では、それが入れ替わります。

このようにして、充電と放電を繰り返しますが、二次電池と同じで、使い方や関係性によって、長いか短いかの違いはあるにせよ、いつか寿命が来ます。

特別な関係に寿命が来て、充電も放電もできなくなると、関係を構成していた触媒の二人は離れ、同じように、プラス極とマイナス極となることのできる相手を探して特別な関係に入っていくのです。


この放電と充電を繰り返す電池は、冒頭に述べた特別な関係の陽極と陰極の行ったり来たりと、それが徐々にフェードアウトしてゆく様ととてもよく似ていると感じられないでしょうか。



ワニ


これに対して、聖霊は、特別な関係を「神聖な関係」に変換してくれます。

聖霊は、ひとりの神の子が無数に分裂して、各自がばらばらだと思い込んでいるだけなので、みんな幻であり、各自が独特の必要性や欠落感を抱いているのも幻想であり、誰ひとり、特別ではないということがわかっています。

上に述べたように、特別な関係が電池に喩えられるなら、誰も特別でなく平等であるなら、プラス極にもマイナス極にもなることができないので、本当は、誰も電池の触媒になることなんて不可能だということになります。

聖霊が特別な関係を変容してくれる「神聖な関係」とは、「聖霊電力」による安定した電力供給(無限かつ永遠の供給)がすでに個別の心にはなされていて、わざわざ自分たちをすり減らせて電池に頼る必要なんて無いということに気付く機会を与えてくれる関係です。

無限の電力供給があるとしても、ひとりだけでこの供給を受けられる状態になるのは困難です。

「神が知っているのは、神とのコミュニケーションの経路が神に向けて開かれていないせいで、自らの喜びを分け与えることができず、自分の子供たちが完全なる喜びに満たされていることを知ることができないでいるということです。」(テキスト 第六章 五 聖霊のレッスン)

永遠を垣間見るこの神聖な瞬間を経験することは、私たちひとりだけではできません。
関係を持つ相手が自分自身であること知り神聖な瞬間を経験するためには神聖な関係が必要です。


「神聖な瞬間とは、あなたが完璧なコミュニケーションを受け取ると同時に与える時間だということです。しかしながら、このことは、神聖な瞬間は、あなたの心が受け取ることと与えることの両方に対して開かれる時間であるということを意味します。神聖な瞬間は、全ての心はコミュニケーションをしていると認識するということです。したがって、神聖な瞬間は、何一つ変えようとはせずに、ただあらゆるものを受け入れるのです。」(テキスト 第十五章 四 神聖な瞬間の実践 6.)



聖霊が特別な関係を神聖な関係に変換するのは、「神聖な瞬間」という道具によってです。

私たち特別な関係の当事者の一人が、罪悪感や恐怖や嫉妬といった脅威を感じた瞬間、それを聖霊に差し出し、この瞬間を神聖な瞬間に取り換えてもらうことによって、特別な関係は神聖な関係へと変容します。

そうすれば、その関係の中で、相手は、それまで見せていた、その相手がいなくなったら人生真っ暗というほどの愛着(プラス極としての姿)や地の果てまでも追い詰めて苦しめてやりたいという憎しみ(マイナス極としての姿)は消え去り、相手は、他者がみんな自分自身であることをもっともよく表す鏡となります。

そして、自分だけの中をひたすら探しても、電池の代わりになる「聖霊電力」からの供給のコンセントはなかなか見つかりませんが、神聖な関係における相手という鏡の中にいる聖霊が「聖霊電力」からの無限供給を届けてくれる経路となってくれます。

そして、神聖な関係の中で、私たちには、打ち砕かれてバラバラになった神の子の全ての断片に、癒しと結び付きによる安らぎを差し延べる役目を果たすようにと、そのチャンスを差し延べられることになります。



では、質問①「私にも(多分誰にも)、特別な関係の交友は存在し、それは 自分の持ち合わせない特性を備えている方、補え合えそうな特性の方、 憎悪的行動を表現する方などが結びつきの代表格だと存じますが、 本稿では彼らとの関係は『立派な額縁』で惑わされている否認すべき対象とおっしゃっているようにも見えます 」です。

上の検討ですでに答えが出ていると思いますが、自分が持ち合わせていない特性を補い合えそうな誰かで埋め合わせるための関係ということ自体が、エゴの欠乏の原理を表現するもので、これこそが「立派な額縁」による惑わしとして否認すべき特別な関係です。

その意味がその関係そのものを解消すべきということではないことは上に述べたとおりです。


さて、最後の③今後特別な関係に関わるに際して留意すべき点は?という質問については、特別な関係を絶とうとするのではなく、むしろ積極的に関わりを持ってよいと捉えられると思います。

一人で沈思黙考している際には、聖なる書物に触れ、自分が神聖な存在になったように感じていても、誰かと関わって日常に引き戻されたとたん、それまで引っ込んでいたエゴが顔を出して出しゃばってくるのがわかるはずです。

そして、それは、甘えのある親や兄弟や配偶者や子供といった家族や恋人や親友といった本当に親密な関係のほうが、自分を着飾って取り繕う必要がないだけに、エゴが出しゃばりやすいです。

ここにこそ、特別な関係を聖霊が活用できるチャンスがあります。

前に述べたように汝自身を知れ、奇跡のコースのカリキュラムの目標は、「汝自身を知れ」というものであり、それは、エゴに従う場合の小さな自己と聖霊に従う場合の大いなる自己をそれぞれ知るということでした。

そして、どうやって自分自身を知るかといえば、誰かとの出会いを神聖な出会いとして、その関係性の中での相手のリアクションによって、自分がエゴに従っているのか、聖霊に従っているのか鏡として知覚することによってということでした。

エゴが弱まっていない段階では、恋愛関係のような特別な関係こそ自分のエゴを映し出す見事な鏡の役目を果たしてくれます。
この場面では、自分がプラス極としてマイナス極の相手をすり減らしている、別の場面では、自分がマイナスとなっているとかいうことを体験して、小さな自己を知る機会として活用できます。

もっとも、せっかくの鏡も、物わかりのいい、人格者の仮面を被って、素を出さない「いいひと仮面」が顔に張りついてしまっていては、役目を十分には発揮できません。

ですから、素のままの自分をさらけ出して、相手が返してくれる反応を糧にエゴに従っている自分に気付いては、聖霊を選択し直すということを繰り返す機会として活かすことで、小さな自己を知ることが大切なように思います。








「4. Because of guilt, all special relationships have elements of fear in them.
 罪悪感のために、すべての特別な関係は、その中に恐れの要素を持っています。

 This is why they shift and change so frequently.
 このため、特別な関係は実に頻繁に、入れ替わったり、変容したりするのです。

 They are not based on changeless love alone.
 特別な関係は不変なる愛だけに基づいているのではないのです。

 And love, where fear has entered, cannot be depended on because it is not perfect.
 そして、恐怖心が入り込んだ愛は、もはや完璧な愛ではないので、頼りになりません。

 In His function as interpreter of what you made, the Holy Spirit uses special relationships, which you have chosen to support the ego, as learning experiences that point to truth.
 あなたが作ったものを翻訳する役割を持つ者として、聖霊は、あなたがエゴを支持するために選択した特別な関係を、真理を目指すための学習体験として使います。

 Under His teaching, every relationship becomes a lesson in love.
 聖霊の教えの下では、いかなる関係もひとつ残らず愛のレッスンとなるのです。

5. The Holy Spirit knows no one is special.
 聖霊は誰ひとりとして特別ではないと知っています。

 Yet He also perceives that you have made special relationships, which He would purify and not let you destroy.
 しかし、聖霊は同時にあなたが特別な関係を作ってきたことも知覚しています。その特別な関係を聖霊は浄化して、あなたに特別な関係を破滅させないようにします。

 However unholy the reason you made them may be, He can translate them into holiness by removing as much fear as you will let Him.
 あなたが特別な関係を作った理由がどんなに不浄なものであったとしても、あなたが聖霊に委ねる範囲内での全ての恐れを取り除くことによって、聖霊は特別な関係を神聖な関係に変換することができます。

 You can place any relationship under His care and be sure that it will not result in pain, if you offer Him your willingness to have it serve no need but His.
 あなたは、いかなる関係であろうとも聖霊の庇護の下に委ねることができます。そして、もしあなたがただ聖霊が必要とすることだけに役に立つようにと、自分の関係を聖霊に喜んで差し出すなら、あなたはその関係が苦痛に終わることはないと安心してよいのです。

 All the guilt in it arises from your use of it.
 特別な関係に内在する罪悪感は全て、あなたがその関係を利用することから生じます。

 All the love from His.
 聖霊がその関係を利用すれば、愛だけが生じます。

 Do not, then, be afraid to let go your imagined needs, which would destroy the relationship.
 そうであれば、その関係を台無しにしてしまうだけのあなたの想像上の必要性を手放すことなど恐れることはありません。

 Your only need is His.
 あなたに唯一必要なのは聖霊が必要とするものだけなのです。

6. Any relationship you would substitute for another has not been offered to the Holy Spirit for His use.
 どんな関係であれ、あなたがある関係を別の関係で代用しようとすることは、聖霊に利用してもらうために聖霊に関係を差し出したことにはなりません。

 There is no substitute for love.
 愛の代用品など何ひとつ無いのです。

 If you would attempt to substitute one aspect of love for another, you have placed less value on one and more on the other.
 もしあなたが愛のある一面を別の面の代用にしてみようとするなら、あなたは一方に置く価値を減少させて、他方により重い価値を置いたことになってしまいます。

 You have not only separated them, but you have also judged against both.
 あなたは、両者を分離しただけではなく、両者に不当に評価する裁きを下してしまったともいえます。

 Yet you have judged against yourself first, or you would never have imagined that you needed your brothers as they were not.
 しかし、それ以前にあなたはまず自分自身に対して不当に裁きを下したのです。さもなければ、あなたは兄弟たちを本来の姿ではない姿として思い描くことなど決してなかったはずです。

 Unless you had seen yourself as without love, you could not have judged them so like you in lack.
 あなたが自分自身を愛のない者であると見ることがなかったならば、あなたは兄弟たちのことを自分と同じように愛に欠けている者だと判断することはできなかったことでしょう。」(テキスト第十五章 V. The Holy Instant and Special Relationships 五 神聖な瞬間と特別な関係)

「7. Most curious of all is the concept of the self which the ego fosters in the special relationship.
 とりわけ奇妙なのは、特別な関係の中でエゴが助長する自己についての概念です。

 This 'self' seeks the relationship to make itself complete.
 この「自己」は、自身を完成させるために関係を探し求めます。

 Yet when it finds the special relationship in which it thinks it can accomplish this it gives itself away, and tries to 'trade' itself for the self of another.
 ところが、その関係によって自身の完成を成就できるとその自己が思うような特別な関係を見つけると、その自己は自らを投げ出して、自分自身を相手の自己と「交換」しようとします。

 This is not union, for there is no increase and no extension.
 これは結びつくことではありません。なぜなら、そこには増加もなければ拡張もないからです。

 Each partner tries to sacrifice the self he does not want for one he thinks he would prefer.
 パートナーはお互いに、自分がより好ましいと思う自己を手に入れるために、自分の望まない自己を、その代わりに犠牲にしようとします。

 And he feels guilty for the 'sin' of taking, and of giving nothing of value in return.
 そして、彼は、望みのものを手に入れるために奪うという「罪」と、その見返りに何の価値もないものを与えるという「罪」についての罪悪感を抱いてしまいます。

 How much value can he place upon a self that he would give away to get a 'better' one?
 彼が「より良い」自己を得るためであれば、投げ出してしまうような自己に、彼がどれほどの価値を置くことができるというのでしょうか。


8. The 'better' self the ego seeks is always one that is more special.
 エゴが追い求める「より良い」自己とは、必ずより特別な自己のことです。

 And whoever seems to possess a special self is 'loved' for what can be taken from him.
 そして、特別な自己を持っているように見える人は、誰であれ、その人から奪うことができる何かのゆえに「愛され」るのです。

 Where both partners see this special self in each other, the ego sees 'a union made in Heaven'.
 二人のパートナーが、こんな特別な自己を相手の中に見出すとき、エゴはこれこそ「天国で結ばれた縁組」であると見なします。

 For neither one will recognise that he has asked for hell, and so he will not interfere with the ego's illusion of Heaven, which it offered him to interfere with Heaven.
 というのは、どちらのパートナーも、自分が好んで相手から地獄を求めているのだとは気付きもしないので、その人はエゴが本当の天国を妨害するために差し出す天国の幻想に干渉しようとはしないからです。

 Yet if all illusions are of fear, and they can be of nothing else, the illusion of Heaven is nothing more than an 'attractive' form of fear, in which the guilt is buried deep and rises in the form of 'love'.
 しかし、もし幻想が全て恐怖心から生じ、恐怖心以外からは生じないとすれば、幻想の天国は「魅力的」な姿を取った恐れの現われの一つにすぎないのであり、その中には罪悪感が深く埋め込まれ、「愛」の姿を取って立ち現われてくるのです。」(テキスト 第十六章 V. The Choice for Completion 五 完成への選択)


「1. The holy relationship is the expression of the holy instant in living in this world.
 神聖な関係は、この幻想世界での生活の中に神聖な瞬間が形をとって現われたものです。

 Like everything about salvation, the holy instant is a practical device, witnessed to by its results.
 救いに関するすべてのことと同様、神聖な瞬間は実用的な道具であり、その瞬間がもたらす成果によってその有用性が証明されます。

 The holy instant never fails.
 神聖な瞬間が成果を出せないということは絶対にありません。

 The experience of it is always felt.
 神聖な瞬間の体験は必ず実感として分かるものです。

 Yet without expression it is not remembered.
 しかし、そんな体験も表現が伴わないと忘れられてしまいます。


 The holy relationship is a constant reminder of the experience in which the relationship became what it is.
 神聖な関係は、関係性が本来あるがままの姿となる体験をつねに思い出させてくれるものです。

 And as the unholy relationship is a continuing hymn of hate in praise of its maker, so is the holy relationship a happy song of praise to the Redeemer of relationships.
そして、神聖でない関係がその作り主を崇めて止め処なく歌い続ける憎悪の讃歌だとすれば、神聖な関係はそんな関係の救い主を褒め称える幸せな歌だということができます。

2. The holy relationship, a major step toward the perception of the real world, is learned.
 真の世界を知覚するための重要な一歩である神聖な瞬間は、学ばれるものです。

It is the old, unholy relationship, transformed and seen anew.
 神聖な関係は、古い神聖でない関係を変容させて、新たに見ることです。

The holy relationship is a phenomenal teaching accomplishment.
 神聖な関係は、知覚することのできる教育の成果です。

 In all its aspects, as it begins, develops and becomes accomplished, it represents the reversal of the unholy relationship.
 そのすべての側面、すなわち、その関係が始まり、発展し、完成するすべての過程において、神聖な関係は、神聖でない関係とは逆の状態として現れます。

 Be comforted in this; the only difficult phase is the beginning.
 難しい段階は最初だけなので、この過程に安心してください。

 For here, the goal of the relationship is abruptly shifted to the exact opposite of what it was.
 なぜなら、最初の段階において、関係を持つ目標が、突然それまでの目標とは完全に正反対の方向に向け変えられるからです。

 This is the first result of offering the relationship to the Holy Spirit, to use for His purposes.
 これが、聖霊の目的のために使ってもらうために関係を聖霊に差し出すことによって起こる最初の成果です。


3. This invitation is accepted immediately, and the Holy Spirit wastes no time in introducing the practical results of asking Him to enter.
 この招待はすぐさま受け入れられます。そして、聖霊に入ってきて欲しいとの頼みに対して、聖霊は一時も無駄にすることなく、関係性に実用的な成果を導入してくれます。

 At once His goal replaces yours.
 すぐに聖霊の目標があなたの目標に取って代わります。

 This is accomplished very rapidly, but it makes the relationship seem disturbed, disjunctive and even quite distressing.
 この目標の交換はきわめて迅速に達成されますが、この急激な変化によって、その関係はかき乱れ、亀裂が入り、実に悲惨なものにさえ見えるものになります。

 The reason is quite clear.
 その理由はきわめて明確です。

 For the relationship as it is, is out of line with its own goal, and clearly unsuited to the purpose that has been accepted for it.
 というのは、その関係は、そのままでは元の目標から外れているのは確かだし、また、その関係のために新たに受け入れられた目的にも適合していないことは明らかだからです。

 In its unholy condition, your goal was all that seemed to give it meaning.
 その関係が神聖でない状態にあったときには、あなたの目標だけがその関係に意味を与えるすべてであるように思えたものでした。

 Now it seems to make no sense.
 それが今となっては、何の意味もなさないように思えます。

 Many relationships have been broken off at this point, and the pursuit of the old goal re-established in another relationship.
 多くの関係は、この段階で破綻してきました。そして、別の関係の中に再構築された古い目標が追求されることになってきたのです。

 For once the unholy relationship has accepted the goal of holiness, it can never again be what it was.
 というのも、いったん神聖でない関係が神聖な目標を受け入れると、その関係は二度とかつてそうであった関係にあと戻りすることは決してできないからです。

4. The temptation of the ego becomes extremely intense with this shift in goals.
 こうして目標が置き換わるにつれ、エゴの誘惑は極端に強烈さを増します。

 For the relationship has not as yet been changed sufficiently to make its former goal completely without attraction, and its structure is 'threatened' by the recognition of its inappropriateness for meeting its new purpose.
 なぜなら、その関係は今なお、以前の目標に何の魅力も感じなくなるほど十分には変化してはいないし、その半面で、その関係性を成り立たせている基本構造が新しい目的を達成するためには不適合であるという認識によって、その関係の基本構造が「脅かされ」ているからです。

 The conflict between the goal and the structure of the relationship is so apparent that they cannot coexist.
 その関係の目標とその関係の基本構造との間の矛盾は明白であって、両者を両立させることはできません。

 Yet now the goal will not be changed.
 しかし、この期に及んで目標を変えるということは不可能です。

 Set firmly in the unholy relationship, there is no course except to change the relationship to fit the goal.
 新たな目標は神聖でない関係に、しっかりと組み込まれているので、目的に適合するようにその関係を変えるしか道はないのです。

 Until this happy solution is seen and accepted as the only way out of the conflict, the relationship may seem to be severely strained.
 こうした喜ばしい解決法が、その矛盾から抜け出す唯一の方法であると理解して受け入れないかぎり、その関係のことが深刻なストレスとして感じられるかもしれません。


5. It would not be kinder to shift the goal more slowly, for the contrast would be obscured, and the ego given time to reinterpret each slow step according to its liking.
 もっとゆっくりと目標を移行しようとするのは、必ずしも楽とはいえません。というのは、二つの目標の対比が曖昧になってしまうし、歩みが遅いとエゴに歩みの一つひとつをエゴの好きなように解釈し直す余裕を与えてしまうからです。

 Only a radical shift in purpose could induce a complete change of mind about what the whole relationship is for.
 目的を急激に移行することだけが、すべての関係が何のためにあるのかということについて、心の完全な変化を引き起こすことができるのです。

 As this change develops and is finally accomplished, it grows increasingly beneficent and joyous.
 こうした変化は、それが進展し最終的に達成されるにつれ、徐々に有益で喜ばしいものに思えてきます。

 But at the beginning, the situation is experienced as very precarious.
 しかし、最初の段階では、その状態はかなり不安定なものとして感じられます。

 A relationship, undertaken by two individuals for their unholy purposes, suddenly has holiness for its goal.
 二人の個人が自分たちの神聖でない目的のために関わりはじめた関係が、突如、その目標として神聖さを持つことになるのです。

 As these two contemplate their relationship from the point of view of this new purpose, they are inevitably appalled.
 その二人がこの新たな目的の観点から自分たちの関係をじっくり考えてみるとき、彼らは愕然とするに違いありません。

 Their perception of the relationship may even become quite disorganised.
 彼らの関係に関する彼らの知覚は、きわめて混乱したものにすらなるかもしれません。

 And yet, the former organisation of their perception no longer serves the purpose they have agreed to meet.
 しかも、以前の彼らの知覚の配置は、もはや二人で達成しようと合意した新たな目的には役立ちません。


5. It is no dream to love your brother as yourself.
 兄弟を自分自身として愛するということは夢ではありません。

 Nor is your holy relationship a dream.
 それに、あなたの神聖な関係も夢ではありません。

 All that remains of dreams within it is that it is still a special relationship.
 神聖な関係の中の夢の名残りは、神聖な関係が依然として特別な関係であるということだけです。

 Yet it is very useful to the Holy Spirit, Who has a special function here.
 しかし、特別な関係であることも、神聖な関係の中で特別な役割を担う聖霊にとっては、とても役に立ちます。

 It will become the happy dream through which He can spread joy to thousands on thousands who believe that love is fear, not happiness.
 特別な関係も、幸せな夢となります。この幸せな夢を通じて、聖霊は、愛とは幸せではなく恐れであると信じている無数の人々に、喜びを広めることができます。

 Let Him fulfil the function that He gave to your relationship by accepting it for you, and nothing will be wanting that would make of it what He would have it be.
 聖霊があなたの関係に与えた役割を自分のものとして受け入れることによって、聖霊にその役割を果たしてもらいなさい。そうすれば、聖霊が、あなたの関係を思い通りのものにするために必要なものは何ひとつとして不足するということはないでしょう。


6. When you feel the holiness of your relationship is threatened by anything, stop instantly and offer the Holy Spirit your willingness, in spite of fear, to let Him exchange this instant for the holy one that you would rather have.
 あなたが自分の関係の神聖さが何かに脅かされていると感じるとき、即座に立ち止まって、そして、恐れがあっても、その一瞬を、それよりもあなたの望む神聖な瞬間に交換してほしいという意欲を聖霊に差し出すことです。

 He will never fail in this.
 聖霊は、決してこの交換に失敗することはありません。

 But forget not that your relationship is one, and so it must be that whatever threatens the peace of one is an equal threat to the other.
 しかし、あなたの関係は一つだということを忘れないでください。したがって、一方の平和を脅かすものは何でも、同時に、他方にとっても脅威であるに違いないのです。

 The power of joining its blessing lies in the fact that it is now impossible for you or your brother to experience fear alone, or to attempt to deal with it alone.
 一人だけで恐怖を経験したり、一人だけで恐怖に対処しようとしたりすることが、今やあなたにも兄弟にも不可能であるという事実の中にこそ、関係性の祝福を結び合わせる力を見出すことができます。

 Never believe that this is necessary, or even possible.
 決して、一人だけで恐怖を経験したり対処する必要があるとか、あるいは、そんなことが可能であるとすら信じないでください。

 Yet just as this is impossible, so is it equally impossible that the holy instant come to either of you without the other.
 しかし、ちょうど恐怖を一人で経験し対処することが不可能であるのと同じように、相手がいなくても、あなたたちのどちらか一人にだけ神聖な瞬間が起こるということも不可能なのです。

 And it will come to both at the request of either.
 だから、神聖な瞬間は、どちらかが頼めば二人のために起こるのです。

7. Whoever is saner at the time the threat is perceived should remember how deep is his indebtedness to the other and how much gratitude is due him, and be glad that he can pay his debt by bringing happiness to both.
 脅威を感じた時点で、まだ相手よりも正気を保っている者がどちらであれ、その者は、自分が相手にどれほど深く恩義を負っているかとか、自分が相手にどれほど感謝して当然かということを、まず思い出し、自分と相手に幸せをもたらすことによって、自分の借りを返すことができることを喜ぶべきです。

 Let him remember this, and say:
 相手に次のことを思い出してもらって、言いなさい。

I desire this holy instant for myself, that I may share it with my brother, whom I love.
私は、この神聖な瞬間のことを自分の愛する兄弟と分かち合うことができるようにと、自分のために切望します。

It is not possible that I can have it without him, or he without me.
兄弟なくして私が神聖な瞬間を経験することはできないし、兄弟も、私なくして神聖な瞬間を経験することはできません。

Yet it is wholly possible for us to share it now.
しかし、私たち二人でなら、今、神聖な瞬間を分かち合うことが必ずできます。

And so I choose this instant as the one to offer to the Holy Spirit, that His blessing may descend on us, and keep us both in peace.
だから、私は、この一瞬のことを、聖霊の祝福が私たちに降り注ぎ、私たち二人が平安を保つことができるように、聖霊に捧げる一瞬として選びます。」(テキスト 第十七章 V. The Healed Relationship 五 癒された関係)


「13. You have been called, together with your brother, to the most holy function this world contains.
 あなたは兄弟と共に、この世界における最も神聖な役割を果すようにと呼ばれたのです。

 It is the only one that has no limits, and reaches out to every broken fragment of the Sonship with healing and uniting comfort.
 この召命こそ、唯一の限りない役割であり、神の子の打ち砕かれてバラバラになった全ての断片に、癒しと結びつきによる安らぎを差し延べることです。

 This is offered you, in your holy relationship.
 あなたの神聖な関係の中で、この役目があなたに差し出されています。

 Accept it here, and you will give as you have accepted.
 ここで、その役目を受け入れてください。そうすれば、あなたは自ら受け入れたように、与えるようになることでしょう。

 The peace of God is given you with the glowing purpose in which you join with your brother.
 神の平安は、あなたが兄弟と心を一つにすることになる燦然と輝く目的と共にあなたに与えられています。

 The holy light that brought you and him together must extend, as you accepted it.
 あなたと兄弟を結び合わせてくれた聖なる光は、あなたがその光を受け入れるにつれて、輝きを拡張してゆくに違いありません。」(テキスト 第十八章 一 現実の代用)
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Comments 1

Kino

ken様有難うございます。
電池の喩えを加筆して頂き理解が深まりました。
マトリックスの項でのPCの喩えもそうでしたが、
観念的事象を的確に表す比喩的事象の存在と
その引用力に関心が増すばかりです。
電池の仕組みや、ワニの歯垢をついばむ鳥の写真も、
学生の頃の記憶を楽しませて頂きました。
身近な関係から少しずつ試してみようと思います。
いつもアドバイス有難うございます!

2013-06-13 (Thu) 16:19 | EDIT | REPLY |   

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