T15-3 卑小さと偉大さ


私という想念の源を探求しなさい。するべきことはそれだけである。宇宙は「私」という想念が原因で存在している。「私」という想念が終焉すれば、不幸もまた終焉する。偽りの「私」という想念は、その源を探ることによってのみ終焉するのである。



ラマナ・マハルシ







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今回は、テキスト第15章から、卑小さと偉大さについての一節をご紹介します。

レッスン128「私の見るこの世界には、私の望むものは何もない」レッスン322「私に手放せるのは、一度も実在しなかったものだけだ」が参考になると思います。


自分という人間のスペックアップ、ランクアップに没頭する人はゲームやギャンブルにハマる人を笑えない

ビデオゲームの世界でアイテムやポイントをゲットすること、パチンコで勝つこと、ゲームセンターでコインを集めること、月の土地や二束三文の原野が値上がりすると騙す詐欺被害に遭うこと、等々、人為的に創作された架空の価値を信じて、それに入れ込んで身を持ち崩す人のことを他人事として聞いたら、自分はそんな話に踊らされたりしないと、鼻で笑う人も多いでしょう。

この「意識の高い」「しっかりとした」人ほど、錯覚の利益や幸福で踊らされる人を愚かだと評価しておきながら、その意識の高さゆえに、この世界での人生にはとことん真剣に感情移入して、この世界での幸福の証しとされているようなステータスやアイテムを獲得して維持することに血道を上げている自分の愚昧さ加減には気づかないということはよくあることです。

そんな人たちは、永遠に生きられるわけではないのだから、この世界の人生も仮初のはかない夢舞台でしかないことを忘れて、自分が笑って馬鹿にしている人たちと同じ愚かさで自分自身も人生ゲームにハマっているということがわかりません。

このように、本来のゲームかゲーム世界内に組み込まれたサブゲームかの別はあれ、とにかく、私たちは、この世界というゲームが大好きで、まさに我を忘れて没頭してハマりこんでいます。

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自らの偉大さを忘却し、幻の世界で自分が卑小な存在になったと信じ込んで卑小さを追い求める状態の愚かさは、このようなゲームにスライドさせてアナロジーで理解するのが一番です。

というのも、自分が現にこの世界に生きていて、今この目で確かに見て息をしている人間だという自己認識、つまり、エゴ・身体との同一化という錯覚が抜けないかぎり、いつまで経っても、どんなに輪廻転生を繰り返しても、世界の差し出す卑小な捧げ物に魅力を感じ続けてしまうからです。


自分が人間として世界内に実在するという感覚がいかに儚い無根拠なものか

「私は人間として確かにここにいる」という実感が、真に自分というキャラクターが実在する何の証拠にもならないことは、少し考えてみればすぐに理解できるはずです。

昔は、胡蝶の夢や邯鄲の夢のような夢を用いて寓意を伝えるしか術がありませんでしたが、今は、カメラ付きドローンやVRゴーグルで、実際に自分がいる場所ではない場所に圧倒的臨場感を持って自分がいると錯覚することがきわめて容易にできてしまうことが体験できる時代です。

VRゴーグルを外して、「そういえば、自分はここにいたんだった!」と気づくのとまったく同じ仕組みで、身体というアバターから離れて自分はまったく別のところにいたんだと気づくことになることは簡単に想像できます(とはいえ、肉体の死によって神の子としての真の自己に帰れるわけではなく、分霊である魂としてのアイデンティティーに縛られたままでしょうが(合掌))。


「私現象」が示すこと

「私は人間として確かにここにいる」という実感には、自分だと思っている人間が本当の自分だと示す意義はないとしても、この実感には、自分だと思っている人間をアバターとするゲームや主人公とする物語を「私」としてプレイ・体験している生命エネルギーがあることを示しているのは間違いありません。

そして、多様なバリエーションのアバターにおいて、同じように「私現象」が引き起こされているということは、多様な家電製品を働かせるひとつの電気というエネルギーがあるように、ひとつの大いなる生命があるということを示しています。


W2ST-14.私ってなに?が参考になると思います。



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テキスト 第十五章 

III. Littleness versus Magnitude
三 卑小さ対偉大さ



1. Be not content with littleness.
 取るに足らないもので満足していてはなりません。

 But be sure you understand what littleness is, and why you could never be content with it.
 卑小さに満足することなく、卑小さとは何なのか、そして、なぜあなたが卑小さでは決して満足できないのか、しっかりと理解してください。

 Littleness is the offering you give yourself.
 卑小さは、あなたが自分自身に与える捧げ物です。

 You offer this in place of magnitude, and you accept it.
 あなたは、卑小さを偉大さの代わりに差し出して、自ら卑小さを受け入れています。

 Everything in this world is little because it is a world made out of littleness, in the strange belief that littleness can content you.
 この世界にあるすべてのものは、ひとつ残らず卑小なものです。なぜなら、この世界は、卑小さが自分を満足させることができるという奇妙なことをあなたが信じこんで、卑小なもので作りあげた世界だからです。

 When you strive for anything in this world in the belief that it will bring you peace, you are belittling yourself and blinding yourself to glory.
 この世界の中にある何かが自分に平安をもたらしてくれると信じて、あなたがその何かを手に入れようとして躍起になっているとき、あなたは自分自身を卑下して、栄光を前にして自分で自分の目を塞いでいるのです。

 Littleness and glory are the choices open to your striving and your vigilance.
 あなたは自分の努力と注意を卑小さと栄光のどちらに注ぐのか自由に選べます。

 You will always choose one at the expense of the other.
 あなたは必ず、一方を犠牲にして他方を選択することになります。



2. Yet what you do not realize, each time you choose, is that your choice is your evaluation of yourself.
 しかし、あなたが気づいていないのは、自分が選択するそのつど、その選択があなたの自分自身についての評価になっていることです。

 Choose littleness and you will not have peace, for you will have judged yourself unworthy of it.
 卑小さを選ぶなら、あなたは平安を得られなくなるでしょう。なぜなら、そのとき、あなたは自分で自分を平安にふさわしくない存在だと価値判断してしまったことになるからです。

 And whatever you offer as a substitute is much too poor a gift to satisfy you.
 そして、あなたがその代わりに何を差し出そうとも、そのようなものは、あまりにも貧弱な贈り物でしかなく、あなたを満足させることはできません。

 It is essential that you accept the fact, and accept it gladly, that there is no form of littleness that can ever content you.
 卑小さはどんな形をとろうとも、絶対にあなたを満足させられないという事実をあなたが受け入れること、それも喜んで受け入れることが不可欠です。

 You are free to try as many as you wish, but all you will be doing is to delay your homecoming.
 何度でも好きなだけ卑小さで満足できるか試してみるのはあなたの自由です。しかし、あなたが試みるどんなこともすべて、ただあなたの帰郷を遅らせることにしかならないでしょう。

 For you will be content only in magnitude, which is your home.
 なぜなら、あなたはただ、自分の故郷である偉大さの中でしか満足できないからです。

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3. There is a deep responsibility you owe yourself, and one you must learn to remember all the time.
 あなたは、自分自身に対して重大な責任を負っています。だから、あなたはどんなときもこの責任を忘れずにいることを学ばなければなりません。

 The lesson may seem hard at first, but you will learn to love it when you realize that it is true and is but a tribute to your power.
 このレッスンを学ぶことは、最初は難しく思えるかもしれません。しかし、このレッスンが真実であり、それがあなたの力強さの証しにほかならないと気づいたなら、あなたはこのレッスンを学ぶことが大好きになるはずです。

 You who have sought and found littleness, remember this:
 自ら卑小さを求め、卑小さを見出してきたあなたは、次のことを覚えておかなければなりません。

 Every decision you make stems from what you think you are, and represents the value that you put upon yourself.
 すなわち、あなたの下すすべての決断は、あなたが自分を何者だと考えているかということから派生するものであり、あなたが自分自身に置く価値を表しているということです。

 Believe the little can content you, and by limiting yourself you will not be satisfied.
 つまらないものでも自分は満足できると信じてみなさい。そうすれば、あなたは自分自身を制限することになり、あなたは満たされなくなってしまうでしょう。

 For your function is not little, and it is only by finding your function and fulfilling it that you can escape from littleness.
 というのも、あなたの役割は取るに足らないものではないし、ただ自分の役割を見出して、その役割を果たすことによってのみ、あなたは卑小さから逃れられるからです。



4. There is no doubt about what your function is, for the Holy Spirit knows what it is.
 あなたが担う役割がどんなものなのかについては、疑問の余地はありません。なぜなら、聖霊がそれが何なのか知っているからです。

 There is no doubt about its magnitude, for it reaches you through Him from Magnitude.
 あなたの担う役割が偉大なものであることにも、疑問の余地はありません。なぜなら、その役割は偉大なる存在から聖霊を通してあなたに与えられるものだからです。

 You do not have to strive for it, because you have it.
 あなたは偉大さを手に入れるために奮闘する必要などありません。なぜなら、あなたはもとより偉大さを持っているからです。

 All striving must be directed against littleness, for it does require vigilance to protect your magnitude in this world.
 あなたは、卑小さとは反対の方向に全精力を傾けなければなりません。というのは、この世界であなたの偉大さを守るためには、つねに警戒を怠らないようにする必要があるからです。

 To hold your magnitude in perfect awareness in a world of littleness is a task the little cannot undertake.
 卑小さでできた世界の中にいながら自らの偉大さを完全に自覚し続けることは、卑小な者の手には負えない課題です。

 Yet it is asked of you, in tribute to your magnitude and not your littleness.
 しかし、あなたにこの自覚を維持することが求められているのは、あなたが卑小な存在ではなく本当は偉大な存在だからです。

 Nor is it asked of you alone.
 それに、これはあなたひとりだけに求められているわけではありません。

 The power of God will support every effort you make on behalf of His dear Son.
 あなたが神の愛し子のためになす努力の一つひとつを、神の力が支援してくれるでしょう。

 Search for the little, and you deny yourself His power.
 卑小なものを探そうとするなら、あなたは神の力を自分自身に拒絶することになってしまいます。

 God is not willing that His Son be content with less than everything.
 神は、わが子がすべてに満たないもので満足することなど意図していません。

 For He is not content without His Son, and His Son cannot be content with less than his Father has given him.
 なぜなら、神はわが子と一緒にしか満たされることはなく、その神の子は父が彼に与えてくれたものに及ばないもので満足できるはずがないからです。

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5. I asked you earlier, "Would you be hostage to the ego or host to God? "
 私は以前あなたに、「あなたはエゴの虜になりたいのか、それとも神を宿したいのか」と尋ねました。

 Let this question be asked you by the Holy Spirit every time you make a decision.
 あなたが何らかの決断を下す際にはそのつど、聖霊にこの質問をしてもらうとよいでしょう。

 For every decision you make does answer this, and invites sorrow or joy accordingly.
 なぜなら、あなたは何かについて決断するたびにこの質問に答えることになり、その答え次第で悲しみを招くことにも喜びを招くことにもなるからです。

 When God gave Himself to you in your creation, He established you as host to Him forever.
 神があなたを創造するに際して神自身をあなたに与えてくれたとき、神はあなたを永遠に神を宿す者となるように定めたのです。

 He has not left you, and you have not left Him.
 神があなたを置き去りにして去ってしまったことはありません。そして、あなたも神の下から離れたことはありません。

 All your attempts to deny His magnitude, and make His Son hostage to the ego, cannot make little whom God has joined with Him.
 あなたが神の偉大さを否認したり、神の子をエゴの虜にしようとして、いかなる試みをしようとも、そんなことで、神が神自身とひとつに結び合わせた者を卑小な存在に変えることなどできません。

 Every decision you make is for Heaven or for hell, and brings you the awareness of what you decided for.
 あなたが下す一つひとつの決断は、天国か地獄のいずれかを選ぶものであり、あなたに自分で選んだほうの自覚をもたらします。



6. The Holy Spirit can hold your magnitude, clean of all littleness, clearly and in perfect safety in your mind, untouched by every little gift the world of littleness would offer you.
 聖霊はあなたの偉大さを、いかなる卑小さにも穢されないように、明確かつ完璧に安全な状態で、あなたの心の中に保つことができます。だから、あなたの偉大さは、卑小さでできた世界があなたにどんな卑小な贈り物を差し出そうとも、そんなものには影響されません。

 But for this, you cannot side against Him in what He wills for you.
 しかし、このためには、聖霊があなたのために意図することについて、あなたが聖霊に反対の立場を取っているわけにはいきません。

 Decide for God through Him.
 聖霊を通して、神を選ぶと決断してください。

 For littleness, and the belief that you can be content with littleness, are decisions you make about yourself.
 なぜなら、卑小であることも、卑小なもので自分が満足できると信じることも、あなたが自分自身について決断することだからです。

 The power and the glory that lie in you from God are for all who, like you, perceive themselves as little, and believe that littleness can be blown up into a sense of magnitude that can content them.
 あなたの中にある神に授けられた力と栄光は、あなたと同じように、自分自身のことを卑小な者として知覚しながらも、卑小さを膨張させて偉大になった気になることで自分を満足させられると信じてしまうような者たち全員のためにあります。

 Neither give littleness, nor accept it.
 卑小さを与えても受け入れてもなりません。

 All honor is due the host of God.
 神を宿す者にふさわしいのは永栄だけだからです。

 Your littleness deceives you, but your magnitude is of Him Who dwells in you, and in Whom you dwell.
 あなたの卑小さはあなたを欺きますが、あなたの偉大さはあなたの中に宿る神からのものであり、神の中にあなたは留まっているのです。

 Touch no one, then, with littleness in the Name of Christ, eternal Host unto His Father.
 ゆえに、大いなる父の永遠のもてなし役である主キリストの名において、誰とも卑小さな存在同士として関わってはなりません。

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7. In this season (Christmas) which celebrates the birth of holiness into this world, join with me who decided for holiness for you.
 聖なる存在がこの世界に誕生したことを祝うこの季節(クリスマス)に、あなたのために神聖さを選ぶと決断したこの私と心をひとつにしてください。

 It is our task together to restore the awareness of magnitude to the host whom God appointed for Himself.
 私たちが一緒に取り組むのは、神が自ら任命した神の宿し主に、自分が偉大な存在だという自覚を取り戻させる任務です。

 It is beyond all your littleness to give the gift of God, but not beyond you.
 神からの贈り物を与えることは、あなたの卑小な自己像にはまったく手に負えないことですが、あなたの手に余ることではありません。

 For God would give Himself through you.
 なぜなら、神はあなたを通して神自身を与えるつもりだからです。

 He reaches from you to everyone and beyond everyone to His Son's creations, but without leaving you.
 神は、あなたからすべての者たちへと手を伸ばし、彼らを超えて神の子の創造したものたちに触れてくれますが、あなたから離れることはありません。

 Far beyond your little world but still in you, He extends forever.
 あなたの卑小な世界をはるかに超えて、とはいえ、依然としてあなたの心の中において、神は永遠に拡張してゆきます。

 Yet He brings all His extensions to you, as host to Him.
 しかも、神は自ら拡張したものすべてを、神を宿すあなたの許へともたらしてくれるのです。



8. Is it a sacrifice to leave littleness behind, and wander not in vain?
 卑小さをあとにして虚しくさまようのをやめることが、犠牲を払うことになるでしょうか。

 It is not sacrifice to wake to glory.
 栄光に目覚めることは犠牲を払うことではありません。

 But it is sacrifice to accept anything less than glory.
 むしろ、何であれ栄光に劣るものを受け入れることは犠牲を払うことです。

 Learn that you must be worthy of the Prince of Peace, born in you in honor of Him Whose host you are.
 自分が平安の王子たるにふさわしいと学びなさい。平安の王子は、あなたが宿している大いなる神を讃えて、あなたの内に誕生したのです。

 You know not what love means because you have sought to purchase it with little gifts, thus valuing it too little to understand its magnitude.
 あなたは愛が何を意味するのかわかっていません。なぜなら、あなたはこれまで粗末な贈り物で愛を買い取ろうと努めてきたので、そのせいで、あなたはあまりに愛を過小評価しすぎていて、愛の偉大さを理解できなくなっているからです。

 Love is not little and love dwells in you, for you are host to Him.
 愛は卑小なものではないし、愛はあなたの中に留まっています。というのも、あなたは愛である神を宿しているからです。

 Before the greatness that lives in you, your poor appreciation of yourself and all the little offerings you give slip into nothingness.
 あなたの中に生きる偉大な存在を前にすれば、あなたの自分自身についてのみすぼらしい評価や、あなたが差し出すお粗末な捧げものなど全部、気がつけば無の中へと消え去ってしまっているはずです。

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9. Holy child of God, when will you learn that only holiness can content you and give you peace?
 聖なる神の子よ、あなたはいつになったら、ただ聖なるものだけがあなたを満足させてあなたの心に平安をもたらせると学んでくれるのでしょうか。

 Remember that you learn not for yourself alone, no more than I did.
 私がそうであったように、あなたも自分ひとりだけのために学んでいるわけではないことを肝に銘じなさい。

 It is because I learned for you that you can learn of me.
 あなたが私から学ぶことができるのは、私があなたのために学んだからこそです。

 I would but teach you what is yours, so that together we can replace the shabby littleness that binds the host of God to guilt and weakness with the glad awareness of the glory that is in him.
 私はあなたに、何があなたのものなのか教えようとしているだけです。というのも、あなたが何が自分のものなのか学べば、私たちで一緒に、神を宿す者を罪悪感と弱さに縛りつけている侘しい卑小さを、彼の中にある栄光についての喜びに満ちた自覚へと置き換えられるようになるからです。

 My birth in you is your awakening to grandeur.
 私があなたの中に誕生することで、あなたは壮大さに目覚めます。

 Welcome me not into a manger, but into the altar to holiness, where holiness abides in perfect peace.
 私を馬小屋の飼い葉桶にではなく、聖なる存在を祀る祭壇へと迎え入れてください。そこには、完璧な平安のうちに聖なる存在が留まっているからです。

 My Kingdom is not of this world because it is in you.
 私の王国は、この世界に属するものではありません。なぜなら、私の王国は、あなたの中にあるからです。

 And you are of your Father.
 そして、あなたは、あなたの大いなる父に属する存在なのです。

 Let us join in honoring you, who must remain forever beyond littleness.
 さあ、永久に卑小さなど超越して存続することが確かなあなたを私たちで一緒に讃えましょう。



10. Decide with me, who has decided to abide with you.
 すでにあなたと一緒に留まることを決断しているこの私とともに決心してください。

 I will as my Father wills, knowing His Will is constant and at peace forever with itself.
 私は大いなる父が望む通りに意図します。それは、神の大いなる意志は変わることなく、いつまでもそれ自体と調和しているとわかっているからです。

 You will be content with nothing but His Will.
 あなたは、神の大いなる意志以外の何ものにも満足しないでしょう。

 Accept no less, remembering that everything I learned is yours.
 私が学んだことはすべてあなたのものだということを忘れずに、神の大いなる意志に及ばないものなど受け入れないでください。

 What my Father loves I love as He does, and I can no more accept it as what it is not, than He can.
 大いなる父が愛するものを、私も父が愛するように愛しています。しかし、大いなる父には自らが愛するものを本来とは違うものとして受け入れることができないように、私も、それをそれ以外のものとして受け入れることはできません。

 And no more can you.
 そして、それができないのは、あなたも同じです。

 When you have learned to accept what you are, you will make no more gifts to offer to yourself, for you will know you are complete, in need of nothing, and unable to accept anything for yourself.
 あなたが本来の自分を受け入れられるようになったら、もはやあなたは自分自身に捧げるための贈り物を作り出したりしなくなるでしょう。というのも、あなたは自分が完全であり、何ひとつ必要なものはなく、自分ひとりだけでは何も受け取ることはできないと知るようになるからです。

 But you will gladly give, having received.
 しかし、すでに受け取っているがゆえに、あなたは喜んで与えるようになるでしょう。

 The host of God needs not seek to find anything.
 神を宿す者は、どんなものであれ、それを見つけるために探し求める必要はないからです。

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11. If you are wholly willing to leave salvation to the plan of God and unwilling to attempt to grasp for peace yourself, salvation will be given you.
 もしあなたが全面的に快く救いを神の計画に委ねる気になって、自分の力だけで平安を掴み取ってやろうという気をなくしたとき、救済はあなたに与えられるでしょう。

 Yet think not you can substitute your plan for His.
 しかし、間違っても、自分には神の計画に代えて自分の計画を使うことができるなどと考えてはなりません。

 Rather, join with me in His, that we may release all those who would be bound, proclaiming together that the Son of God is host to Him.
 そうではなく、私と一緒に神の計画に加わってください。そうすれば、私たちは一緒に、神の子は神を宿しているとはっきり宣言しながら、束縛されたままでいようとするすべての者たちを解放することができます。

 Thus will we let no one forget what you would remember.
 こうすることで、私たちは、あなたが思い出すことになるものを誰にも忘れさせないようにできます。

 And thus will you remember it.
 このようにして、あなたはそれを思い出すでしょう。



12. Call forth in everyone only the remembrance of God, and of the Heaven that is in him.
 すべての人の中に、神の記憶と彼らの中にある天国の記憶だけを呼び起こしなさい。

 For where you would have your brother be, there will you think you are.
 というのも、あなたは、自分の兄弟をいさせようと思うところに、自分もいると思うようになるからです。

 Hear not his appeal to hell and littleness, but only his call for Heaven and greatness.
 兄弟がどれほど地獄や卑小さを求めて訴えてきても、耳を貸してはなりません。ただ、兄弟の天国や偉大なるものへの呼び声にだけ耳を傾けてください。

 Forget not that his call is yours, and answer him with me.
 兄弟の求めはあなたの求めだということを忘れないで、彼の訴えに私と一緒に答えてください。

 God's power is forever on the side of His host, for it protects only the peace in which He dwells.
 永久に、神の力は神を宿す者の味方です。というのも、神の力は神が住む平安のみを守るからです。

 Lay not littleness before His holy altar, which rises above the stars and reaches even to Heaven, because of what is given it.
 神の神聖な祭壇の前に、卑小なものを供えてはなりません。その祭壇はそこに捧げられるものによって、星空をはるかに超えてそびえ立ち、天国にまでも届くものだからです。


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Kino
2013/12/24 (Tue) 13:24

07

kenさん、メリークリスマス。今日のためのテキストがあったんですね、ご紹介有難うございます。今年、このブログと出会えたのは大きかったです。ワークブックも今日でちょうど半分までになります。引き続き最後まで取り組んでいきます!

元格闘家・須藤元気さんのユニット、WORLD ORDERってご存知ですか?
http://www.youtube.com/watch?v=4ua64HbsBUo
シンプルなメッセージ性とトリッキーな視覚表現が相まって一気に惹きつけられました。返礼になるか分かりませんがご紹介まで。

ではでは、来年もどうぞ宜しくお願い致します!

  • To 松山 健 Matsuyama Kenさん
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ken
2013/12/24 (Tue) 17:24

Re: 07

Kinoさん、メリークリスマス!

いつもコメントいただき、ありがとうございます。

最近、幻想世界が多忙を極め、毎日のワークブックを投稿するので手一杯という状況ですが、心の平安は保ちたいものですね。

WORLD ORDER、いいですよね。好きです。画像のご紹介、どうもありがとうございました。

また、来年も、コメントよろしくお願いします!

  • To 松山 健 Matsuyama Kenさん
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