
T15-11 犠牲の終わりとしてのクリスマス
今回は、「犠牲の終わりとしてのクリスマス」という一節をご紹介します。「 Let us join in celebrating peace by demanding no sacrifice of anyone, for so you offer me the love I offer you. 誰からも一切の犠牲を要求することなく、私たちで一緒に平安を祝いましょう。なぜなら、そうすることで、あなたは私が差し延べる愛を私に差し延べてくれることになるからです。 What can be more joyous than to perceive we are d...

レッスン343「私は、神の慈悲と平安を見出すために犠牲を払うことを求められてはいない。」
レッスン343です。今日のレッスンは「私は、神の慈悲と平安を見出すために犠牲を払うことを求められてはいない。」です。まず、奇跡ってなに?をご覧ください。...

レッスン323「私は喜んで、恐れを『犠牲』にする。」
レッスン323です。今日のレッスンは「私は喜んで、恐れを『犠牲』にする。」です。まず、創造ってなに?をご覧ください。...

レッスン322「私に手放せるのは、一度も実在しなかったものだけだ。」
レッスン322です。今日のレッスンは「私に手放せるのは、一度も実在しなかったものだけだ。」です。まず、創造ってなに?をご覧ください。...

レッスン187「私はこの世界を祝福する。なぜなら、私は自分自身を祝福するからだ。」
レッスン187です。今日のテーマは「私はこの世界を祝福する。なぜなら、私は自分自身を祝福するからだ。」です。...

T30-7 自分で書いてるつもりの人生の脚本を捨てられる?
テキスト第三十章から「新たなる解釈」という一節をご紹介します。私たちは、自分で恐怖の台本を書いておいて、その台本どおりの出来事が舞台上で起こるたびに恐怖に怯えるということを繰り返しています。そして、舞台上の出来事に、あるときはこの意味、あるときは別の意味を見いだし、舞台の景色や出来事も、自分を含めた登場人物もころころと転変して移り変わってゆきます。これは、分離の幻想を抱き、みんなが各自に違った目的...

レッスン155「私は一歩引き下がって、聖霊に先導してもらうことにする。」
レッスン155です。今日のテーマは「私は一歩引き下がって、聖霊に先導してもらうことにする。」です。...

レッスン102「私は、私の幸せを望む神の意志を分かち合っている」
レッスン102です。今日のテーマは「私は、私の幸せを望む神の意志を分かち合っている」です。私たちは、何かを手に入れるためにはその代償として、苦痛を犠牲として捧げなければならないと信じています。この発想は、二元性の幻想世界での贖罪の考え方です。分離した他者が無数に存在し、無尽蔵ではない限りある資源の中で、自分の望みを果たそうとするなら、他者は限られた資源を奪い合う敵となります。二極のうちの一極として...

M16 一日の過ごし方
今回は、教師のためのマニュアルの第16節の「神の教師は1日をどのように過ごすべきか」をご紹介します。魔術にはどう対処すべきかが参考になると思います。...

M13 犠牲の真の意味とは?
今回は、マニュアル第13節の「犠牲の真の意味とは?」をご紹介します。犠牲については、以前に、必要のない「犠牲」とは?でお話ししていますので、読んでみてください。...

M4-1 神の教師の特性1(信頼)
今回は教師のためのマニュアルから第4節の一部をご紹介します。第4節は、神の教師の特性についての一節です。神の教師の備える次のような10の特性について説明されてゆきます。信頼 Trust正直さ Honesty寛容 Tolerance優しさ Gentleness喜び Joy無防備であること Defenselessness寛大さ Generousity我慢強さ Patience誠実さ Faithfullness開かれた心 Open-mindedness今回は、冒頭部分と最初の「信頼」をご紹介します。...

必要のない「犠牲」とは?
奇跡のコースでは、犠牲という概念を認めません。 ですが、愛に基づく犠牲的行為を目にすると、私たちは胸を打たれます。幸福の王子(2006/11/29)オスカー・ワイルド商品詳細を見る 幼いころに、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」を読んで、感動した子供時代の思い出のある方も多いと思います。王子や燕は、身を捧げる自分の尊さに酔いしれてなどいませんでしたし、自分の体から外して捧げた宝石を失うという意識もありません...
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