There Is No Spoon
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2014年07月
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T6-4 唯一の答え
テキスト第6章(愛のレッスン)
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T15-9 神聖な瞬間と神の魅力
テキスト第15章(神聖な瞬間)
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T17-8 平安の条件
テキスト第17章(赦しと神聖な関係)
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T19-4Di 平安への障害4−2
テキスト第19章(平安の達成)
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T19-4D 平安への障害4
テキスト第19章(平安の達成)
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T19-4C 平安への障害3
テキスト第19章(平安の達成)
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T19-4Ai 平安への障害1−2
テキスト第19章(平安の達成)
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ワークブック・エピローグ
レッスン361〜365
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レッスン361から365「この神聖な瞬間を私はあなたに捧げようと思います。あなたが舵取りしてください。というのも、私は、あなたの導きが私に平安を与えてくれると確信して、あなたに従うつもりだからです」
レッスン361〜365
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最終レッスン
レッスン361〜365
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T19-4B 平安への障害2
テキスト第19章(平安の達成)
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レッスン360「聖なる神の子である私に平安がありますように。私と一体である私の兄弟に平安がありますように。私たちを通して、全世界が平安で祝福されますように」
レッスン351〜360
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レッスン359「神の答えは、何らかの形の平安となります。あらゆる苦痛は癒され、すべての悲惨さは喜びに置き換えられます。牢獄の扉はすべて開け放たれます。そして、どんな罪も単にひとつの間違いでしかないと理解されます」
レッスン351〜360
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レッスン358「神への呼びかけが、聞き入れられなかったり、答えられないままになることは一切ありません。そして、次のことを私は確信できます。それは、神の答えこそ、私が本当に望む答えだということです」
レッスン351〜360
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レッスン357「真理は、私たちが神に求める一つひとつの呼びかけに答えてくれます。真理は、最初は奇跡をもって応え、それから、真理そのものとなるために私たちの許へと戻ってきます」
レッスン351〜360
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レッスン356「病気は罪の別名にほかならない。癒しは神の別名にほかならない。したがって、奇跡とは神に呼びかけることだ」
レッスン351〜360
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レッスン355「私が神の言葉を受け入れるとき、すべての平安と喜びが果てることはないし、私が与える奇跡のすべてが尽きることもない。それがどうして今日であってならないのだろうか」
レッスン351〜360
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T19-4A 平安への障害
テキスト第19章(平安の達成)
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レッスン354「平安の中で目的を確信して、キリストと私はふたり一緒に立っています。そして、キリストが私の中にいるように、キリストの中にはキリストの創造主が在ります」
レッスン351〜360
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レッスン353「今日、私の目、私の口、私の手、私の足には、ただひとつの目的しかない。それは、キリストに渡して、この世界を奇跡で祝福するために使ってもらうことだ」
レッスン351〜360
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レッスン352「裁きと愛とは正反対です。裁きからは、この世界のあらゆる悲しみが生じます。しかし、愛からは、神自身の平安が訪れます」
レッスン351〜360
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レッスン351「私の罪のない兄弟は、私を平安へと導く案内役だ。私の罪深い兄弟は、私を苦痛に導く案内役だ。そして、私は自分が見ることを選んだほうを見ることになる」
レッスン351〜360
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レッスン350「奇跡は、神の永遠の大いなる愛を反映します。奇跡を差し延べることは、神を思い出すことであり、神を思い出すことを通してこの世界を救うことです」
レッスン341〜350
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レッスン349「今日こそ、私が、自分の目にするすべての物事をキリストのヴィジョンで見て、すべての物事の価値を裁くことなく、代わりに、その一つひとつに愛という奇跡を与えられますように」
レッスン341〜350
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レッスン348「私には怒ったり恐れたりするいかなる理由もありません。というのも、あなたが私を包みこんでくれているからです。そして、私が知覚するすべての必要について、あなたの恵みが私を満たしてくれます」
レッスン341〜350
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レッスン347「怒りは、必ず価値判断して裁くことから生じる。価値判断こそ、奇跡を自分から遠ざけたままにしておくために、私が自分自身に対して用いようとする武器なのだ」
レッスン341〜350
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