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M-Intro 教師のためのマニュアル序文

今回は、教師のためのマニュアルの序文をご紹介します。



この世界の常識では、教育とは、教師が一方的に生徒に教えを授けるものであって、教師の方が優れていて、劣っている生徒を引き上げてやるという関係性として考えられています。

これに対して、マニュアルは、このような世界の常識は、本当の役割とは逆になっているといいます。

この点は、すでに「神の教師とは誰のことなのか」「生徒とは誰か」において、教えることで学ぶ教師生徒の関係について説明されているところです。

この一節では、教えることの根本的な目的は自己不信を減殺することである、つまり、自分自身を知ることが目的だといいます。

「汝自身を知れ」以来、何度も触れていますが、小さな自己としての分限を弁え、真の自己認識として、神の子としての大いなる自己を知ることが目的ということです。

みんなが一体となった大いなる自己が本当の自分なのであれば、自分が自分に教えて学ぶわけですから、誰が偉いとか劣っているとか、そんなことは問題になりようがないということになります。

ただし、奇跡の難易度の序列のなさに劣らず、このことを観念的に理解すること自体困難なものですし、実際に会得するのは容易でないことは確かです。

この自他一体を会得しようと私たちは望み、瞑想をしたり、本を読んだり、日常生活で実践したりと、いろんな努力を尽くすわけですが、容易ではありません。

そして、究極的な皮肉は、これが体得されるためには、その人がいなくならなければならないということです。

ラメッシ先生は、その肉体精神機構に目覚めが起こるかどうかは、源泉が決めることだから、そんなことを気にするのは意味がないから放棄してしまえと言います。

源泉が決めることだ、聖霊に任せればいい、全ては書かれている、等といった観点は、エゴの悪あがきを鎮めて、自己を手放す方向につなげるために有益なものなのだと思います。





Manual for Teachers
教師のためのマニュアル

Introduction
序文






1. The role of teaching and learning is actually reversed in the thinking of the world.
 この世界の考え方では、教えることと学ぶことの役割は、実際には、逆になっています。

 The reversal is characteristic.
 この教師生徒の役割の逆転は特徴的なものです。

 It seems as if the teacher and the learner are separated, the teacher giving something to the learner rather than to himself.
 この世界の常識では、まるで教師生徒は分離していて、教師教師自身に対してではなく生徒に対して何かを与えるものであると思われています。

 Further, the act of teaching is regarded as a special activity, in which one engages only a relatively small proportion of one's time.
 さらに、教えるという活動は、ある人が自分の時間の中の比較的小さな割合の時間だけを割いて、それに従事する特殊な活動としてみなされています。

 The course, on the other hand, emphasizes that to teach to learn, so that teacher and learner are the same.
 これに対して、このコースは、教えることは学ぶことであり、それゆえ、教師生徒は同じであるということを強調します。

 It also emphasizes that teaching is a constant process; it goes on every moment of the day, and continues into sleeping thoughts as well.
 コースはまた、教えることは絶え間ないプロセスであり、一日の内の一つひとつの瞬間に続くものであって、眠りの中においても同じように続くものだと強調します。





2. To teach is to demonstrate.
 教えることは、見本となって実証することです。

 There are only two thought systems, and you demonstrate that you believe one or the other is true all the time.
 思考システムというものは二つしかなく、あなたはつねに自分が信じるどちらか一方の思考システムが真実であることを実証しています。

 From your demonstration others learn, and so do you.
 あなたが示す見本によって、他の人たちは学び、あなたも学ぶことになります。

 The question is not whether you will teach, for in that there is no choice.
 問題は、あなたが教えるかどうかではありません。なぜなら、あなたには選択の余地などないからです。

 The purpose of the course might be said to provide you with a means of choosing what you want to teach on the basis of what you want to learn.
 このコースの目的は、自分の学びたいものに基づいて自分の教えたいものを選択するための手段をあなたに提供することにあるといえるでしょう。

 You cannot give to someone else, but only to yourself, and this you learn through teaching.
 あなたは、ただ自分自身にあたえられるだけで、誰かほかの人に与えるということはできません。そして、あなたは教えることを通して、このことを学ぶのです。

 Teaching is but a call to witnesses to attest to what you believe.
 教えることは、あなたの信じることを証言してくれるように、証人たちに呼びかけることにほかなりません。

 It is a method of conversion.
 教えることは、心を変化させるための方法です。

 This is not done by words alone.
 このようなことは、言葉だけでなされるものではありません。

 Any situation must be to you a chance to teach others what you are, and what they are to you.
 どんな状況も、あなたにとって、他の人たちに、あなたが何者であるのか、そして、彼らがあなたにとって何者であるのかを教えるための機会となるに違いありません。

 No more than that, but also never less.
 それ以上でもそれ以下でもありません。





3. The curriculum you set up is therefore determined exclusively by what you think you are, and what you believe the relationship of others is to you.
 したがって、あなたの組むカリキュラムは、もっぱら、あなたが自分のことを何者であると思っているのか、そして、他の人たちが自分にとってどんな関係にあるとあなたが信じているのかということによって決まります。

 In the formal teaching situation, these questions may be totally unrelated to what you think you are teaching.
 表向きに教える状況にあるときには、これらの質問は、自分が教えているとあなたが思っていることとはまったく関連しないかもしれません。

 Yet it is impossible not to use the content of any situation on behalf of what you really teach, and therefore really learn.
 しかし、あなたが真に教え、したがって、真に学ぶためには、どんな状況でも、その内容を用いないということは不可能なことです。

 To this the verbal content of your teaching is quite irrelevant.
 このためには、あなたの教えることの言葉の中身は、まったく重要ではありません。

 It may coincide with it, or it may not.
 言葉と中身は一致するかもしれないし、しないかもしれません。

 It is the teaching underlying what you say that teaches you.
 あなたに教えることになるのは、あなたが言う言葉に潜んでいる教えそれ自体なのです。

 Teaching but reinforces what you believe about yourself.
 教えることは、ただあなたが自分自身について信じていることを増強するだけです。

 Its fundamental purpose is to diminish self-doubt.
 教えることの根本的な目的は、自己不信を減殺することです。

 This does not mean that the self you are trying to protect is real.
 このことは、あなたの守ろうとしている自己が本物であることを意味するものではありません。

 But it does mean that the self you think is real is what you teach.
 しかし、それは、自分が本物だと信じる自己を、あなたが教えることを意味するのは確かです。




4. This is inevitable.
 自分が本物と信じる自己を教えるのは、避けようのないことです。
 
 There is no escape from it.
 そのことから逃れる術はありません。

 How could it be otherwise?
 それ以外にはどうしようもないのです。

 Everyone who follows the world's curriculum, and everyone here does follow it until he changes his mind, teaches solely to convince himself that he is what he is not.
 自分の心を変えないかぎりは、この世界にいる誰もがこの世界のカリキュラムに従うのは確かなことですが、この世界のカリキュラムに従う者は誰でも、本来の自分ではないものが自分なのだとただ自分自身を確信させるためだけに教えているのです。

 Herein is the purpose of the world.
 ここにこそ、この世界の目的があります。

 What else, then, would its curriculum be?
 そうだとすれば、世界のカリキュラムがこんなもの以外の何になりうるというのでしょうか。

 Into this hopeless and closed learning situation, which teaches nothing but despair and death, God sends His teachers.
 失望と死以外には何も教えてくれないような、この絶望的で閉鎖的な学習環境の中に、神は神の教師たちを遣わすのです。

 And as they teach His lessons of joy and hope, their learning finally becomes complete.
 そして、神の教師たちが喜びと希望という神のレッスンを教えるにつれ、その教師たちの学びはついに完了することになります。





5. Except for God's teachers there would be little hope of salvation, for the world of sin would seem forever real.
 神の教師たちを抜きにしては、救済の望みはほとんどなかったことでしょう。というのも、有罪の世界は永遠に本物であるように見えただろうからです。

 The self-deceiving must deceive, for they must teach deception.
 自らを欺こうとする者は、騙すに違いありません。というのも、彼らは欺瞞を教えざるをえないからです。

 And what else is hell?
 そして、これが地獄以外に何と呼べるでしょうか。

 This is a manual for the teachers of God.
 これは、神の教師たちのためのマニュアルです。

 They are not perfect, or they would not be here.
 神の教師たちは完全な存在なわけではありません。完全であったなら、彼らはこの世界にはいなかったはずです。

 Yet it is their mission to become perfect here, and so they teach perfection over and over, in many, many ways, until they have learned it.
 しかし、神の教師たちの使命は、この世界において完全になることです。だから、神の教師たちは、完全さを何度も何度も、いろんな方法で教え、自分たちが完全さを学び終えるまで、それを教えるのです。

 And then they are seen no more, although their thoughts remain a source of strength and truth forever.
 完全さを習得し終えたとき、神の教師たちの姿はもう見えなくなります。けれども、彼らの思いは、永遠に力と真理の源であり続けます。

 Who are they?
 神の教師たちとはいったい誰のことでしょうか。

 How are they chosen?
 彼らはどのようにして選ばれるのでしょうか。

 What do they do?
 彼らは何をするのでしょうか。

 How can they work out their own salvation and the salvation of the world?
 彼らは、どのようにして自らの救済とこの世界の救済をなし遂げることができるのでしょうか。

 This manual attempts to answer these questions.
 このマニュアルは、これらの疑問に答えようとするものです。



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