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真の探求者

今回は、アシュターヴァクラ・ギーターから「真の探求者」についての一節をご紹介します。

まず、テキストから真理探求についての箇所を抜粋します。



今回は、アシュターヴァクラ・ギーターから「真の探求者」についての一節をご紹介します。

まず、テキストから真理探求についての箇所を抜粋します。

「2. The search for truth is but the honest searching out of everything that interferes with truth.
真理探求というのは、単に真理の邪魔になるものをくまなく率直に探し出すことに他なりません。

 Truth is.
 真理は実在します。

 It can neither be lost nor sought nor found.
 真理は失われることもなければ、探し求められることもなく、発見されることもあり得ません。

 It is there, wherever you are, being within you.
 真理は、あなたの中にあるものなので、あなたがいるところならば、どこにでもあります。

 Yet it can be recognised or unrecognised, real or false to you.
 ただし、真理は気付かれることもあれば気付かれないこともあるし、あなたにとって本物にも偽物にもなり得ます。

 If you hide it, it becomes unreal to you because you hid it and surrounded it with fear.
 もしあなたが真理を隠したら、真理はあなたにとっては本物ではなくなります。なぜなら、あなたが真理を隠して恐怖心で包み込んでしまったからです。

 Under each cornerstone of fear on which you have erected your insane system of belief, the truth lies hidden.
 あなたが狂気信念体系をその上に構築している一つひとつの礎石の下には真理が隠されています。

 Yet you cannot know this, for by hiding truth in fear, you see no reason to believe that the more you look at fear the less you see it, and the clearer what it conceals becomes.
 しかし、あなたには、このことが分かりません。なぜなら、恐怖心の中に真理を隠すことによって、あなたが恐れをよく見れば見るほど、あなたには恐れが見えなくなり、恐れが隠しているものが徐々に明瞭になってくるということを信じる理由があなたには見出せないからです。


3. It is not possible to convince the unknowing that they know.
 知らないと思い込んでいる者に、実は知っているのだと納得させるのは不可能なことです。

 From their point of view it is not true.
 知らないと思い込んでいる当の本人から見れば、自分が知っているということは真実ではないからです。

 Yet it is true because God knows it.
 しかし、神が知っているがゆえに、知らないと思っていても実は知っているというのが真実なのです。

 These are clearly opposite viewpoints on what the 'unknowing' are.
 この二つの見方は、「知らない」とはどういうことなのかに関する明らかに正反対の観点です。

 To God, unknowing is impossible.
 神にとっては、知らないということは不可能なことです。

 It is therefore not a point of view at all, but merely a belief in something that does not exist.
 したがって、知らないということは全くのところ、ものの見方などではなく、単に存在もしない何かを信じているだけということになります。

 It is only this belief that the unknowing have, and by it they are wrong about themselves.
 知らないと思っている者が抱いているのは、単に存在もしないものがあるとの信念にすぎず、その信念によって彼らは自分自身について思い違いすることになります。

 They have defined themselves as they were not created.
 知らないと思う者たちは、自分たちのことを創造された通りではない姿として、勝手に定義してしまっています。

 Their creation was not a point of view, but rather a certainty.
しかし、彼らが創造されたことは見解などではなく確固たる事実です。

 Uncertainty brought to certainty does not retain any conviction of reality.
 確かなことに不確かさを持ち込んだら、本当のことについて何らの確信も保てなくなってしまうのです。」(第十四章 VII. Sharing Perception with the Holy Spirit 七 聖霊と知覚を分かち合う)



アシュターヴァクラ・ギーターです。探求を成し遂げた者として描写されています。
「4 真の探求



智慧ある人は真我を知って

人生というゲームを楽しむ


だが、愚か者は

重荷を背負うロバのように

この世を生きる




真の探求者は

インドラや神々にさえ手の届かない

崇高な境地にあっても

得意がることはない




彼はものごとの本性を知っている


彼のハートは

正邪の区別に汚されない

空が煙に汚されることのないように




彼のハートは純粋

彼は全世界がただ真我であることを知っている


だから、彼が望みどおりにすることを

誰が止められよう?




ブラフマー神から草の葉にいたる

四種類の生きものの中でも

ただ賢者だけが

欲望と嫌悪を負捨て去る力を持っている




なんと彼は稀有な存在だろう!


自分が真我であることを知り

ものごとが起こるにまかせて行為する

そしてけっして恐れを知らない


彼は自分が

二のない、一なるもの

創造物の主である真我だと知っているのだ」
アシュターヴァクラ・ギーター 真我の輝き 翻訳 福間巖 ナチュラルスピリット61ページ~63ページ)






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