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        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

M4-1 神の教師の特性1(信頼)

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今回は教師のためのマニュアルから第4節の一部をご紹介します。

第4節は、神の教師の特性についての一節です。

神の教師の備える次のような10の特性について説明されてゆきます。

信頼 Trust

正直さ Honesty

寛容 Tolerance

優しさ Gentleness

喜び Joy

無防備であること Defenselessness

寛大さ Generousity

我慢強さ Patience

誠実さ Faithfullness

開かれた心 Open-mindedness

今回は、冒頭部分と最初の「信頼」をご紹介します。



Section 4
What Are the Characteristics of God's Teachers?
神の教師の特質とはどのようなものだろうか。


1. The surface traits of God's teachers are not at all alike.
 神の教師たちの表面的な特徴として、どこか似通ったところがあるということはまったくありません。

 They do not look alike to the body's eyes, they come from vastly different backgrounds, their experiences of the world vary greatly, and their superficial "personalities" are quite distinct.
 肉眼には神の教師たちは似たようには見えません。教師たちはそれぞれ、非常に異なった素性や経歴を持っています。教師たちのこの世界での経験は大いに違っています。そして、彼らの表面的な「人格」はきわめて異なっています。

 Nor, at the beginning stages of their functioning as teachers of God, have they as yet acquired the deeper characteristics that will establish them as what they are.
 しかも、神の教師としての役目を果たしはじめる段階では、彼らはまだ、自分たちが本来確立することになる特性を獲得していません。

 God gives special gifts to His teachers, because they have a special role in His plan for Atonement.
 神は、神の教師たちに特別な贈り物を授けてくれます。なぜなら、彼らは、神の贖罪の計画において特別な役割を持っているからです。

 Their specialness is, of course, only temporary; set in time as a means of leading out of time.
 もちろん、神の教師たちの特別さは、生徒を時間から導き出すための手立てとして時間の中に組み込まれたものであって、仮初めのものでしかありません。

 These special gifts, born in the holy relationship toward which the teaching-learning situation is geared, become characteristic of all teachers of God who have advanced in their own learning.
 このような特別の贈り物は、その中で教えて学ぶ関係がうまく調和する聖なる関係の中で生まれ、自らの学びの中で進歩を遂げたすべての神の教師たちの持つ特性となります。

 In this respect they are all alike.
 この面においては、神の教師たちはみんな似ているということができます。




2. All differences among the Sons of God are temporary.
 神の子供たちの間の違いはすべて、仮初のものでしかありません。

 Nevertheless, in time it can be said that the advanced teachers of God have the following characteristics:
 そうだとしても、時間の中では、進歩した上級の神の教師は、次のような特性を持っているということができます。



Ⅰ Trust
Ⅰ 信頼


1. This is the foundation on which their ability to fulfill their function rests.
 信頼は、神の教師たちの持つ役割を果たすために必要な能力の基礎となるものです。

 Perception is the result of learning.
 知覚は、学習して得られる結果です。

 In fact, perception < is > learning, because cause and effect are never separated.
 事実、知覚と学習は「同義」です。なぜなら、原因と結果は決して分離していないからです。

 The teachers of God have trust in the world, because they have learned it is not governed by the laws the world made up.
 神の教師は、世界のことを信頼しています。なぜなら、彼らはすでに、世界が、世界の作り上げた法則によって支配されているのではないと学んだからです。

 It is governed by a power that is < in > them but not < of > them.
 世界は、彼らの「中に」ある力によって支配されていますが、その力は彼らには「由来」しません。

 It is this power that keeps all things safe.
 すべての物事を安全に保つのはこの力です。

 It is through this power that the teachers of God look on a forgiven world.
 この力を通じて、神の教師たちは赦された世界を見ることができるのです。




2. When this power has once been experienced, it is impossible to trust one's own petty strength again.
 この力を一度でも経験したら、自分自身のちっぽけな力など、二度と信頼することが不可能になります。

 Who would attempt to fly with the tiny wings of a sparrow when the mighty power of an eagle has been given him?
 自分に鷲の強大な力強さが与えられているのに、小さな雀の翼で飛ぼうとする者などいるでしょうか。

 And who would place his faith in the shabby offerings of the ego when the gifts of God are laid before him?
 そして、自分の前に神の贈り物が差し出されているというのに、いったい誰がエゴのみすぼらしい捧げ物を信用しようとするでしょうか。

 What is it that induces them to make the shift?
 彼らにこのような心の変化を引き起こすのは、いったい何なのでしょうか。



3. First, they must go through what might be called "a period of undoing."
 まず、彼らは「取り消しの期間」とでも言うべき時間を過ごさなければなりません。

 This need not be painful, but it usually is so experienced.
 この期間は苦しいものである必要はありませんが、通常、苦しいものとして体験されることになります。

 It seems as if things are being taken away, and it is rarely understood initially that their lack of value is merely being recognized.
 この期間は、いろいろな物事が取り去られていくように思えますが、初めのころは、それが、単にそれらの物事に価値がないことに気づいたせいだと理解されることはほとんどありません。

 How can lack of value be perceived unless the perceiver is in a position where he must see things in a different light?
 物事を違った観点から見ざるをえない立場に置かれないかぎり、価値のないことは知覚できないのです。

 He is not yet at a point at which he can make the shift entirely internally.
 彼はまだ、内面的な転換を完全になしうる地点には達していないのです。

 And so the plan will sometimes call for changes in what seem to be external circumstances.
 だから、ときには、計画は、外面的な境遇のように見えるものの変化を必要とすることもあります。

 These changes are always helpful.
 このような変化は必ず役に立つものです。

 When the teacher of God has learned that much, he goes on to the second stage.
 神の教師が十分に学んだとき、彼は次の段階へと進むことになります。




4. Next, the teacher of God must go through "a period of sorting out."
 次に、神の教師は、「選別の期間」を通過しなければなりません。

 This is always somewhat difficult because, having learned that the changes in his life are always helpful, he must now decide all things on the basis of whether they increase the helpfulness or hamper it.
 選別の期間は、通常、いくぶん面倒なものになります。なぜなら、自分の人生における変化はつねに有益であることを学んだので、彼は、今や、すべての物事を、それらが有用性を増すのかあるいは有用性を妨げるのかという基準に基づいて決定しなければならなくなるからです。

 He will find that many, if not most of the things he valued before will merely hinder his ability to transfer what he has learned to new situations as they arise.
 彼には、自分が以前には価値を置いていた物事のほとんどとは言わないにしても、それらの多くが、単に新しい状況が起こるたびに自分が学んだことをその新たな状況に適用する自分の能力の障害にしかならないことに気づくはずです。

 Because he has valued what is really valueless, he will not generalize the lesson for fear of loss and sacrifice.
 彼は本当は価値のないものに価値を置いてきたので、彼には、失うことや犠牲を払うことに対する恐れのために、レッスンから一般的な教訓を導き出すことができないでいます。

 It takes great learning to understand that all things, events, encounters and circumstances are helpful.
 様々な出来事や出会いや境遇といったすべての物事が役立つものだということを理解するには、かなりの学習を必要とします。

 It is only to the extent to which they are helpful that any degree of reality should be accorded them in this world of illusion.
 この幻想の世界の中にあっては、あらゆる物事は、どの程度であれ、現実と調和しうるその限度においてだけ役に立ちます。

 The word "value" can apply to nothing else.
 「価値」という言葉は、これ以外に適用されようがありません。





5. The third stage through which the teacher of God must go can be called "a period of relinquishment."
 第3の段階で、神の教師が通り抜けなければならない期間は、「手放しの期間」とでも呼ぶべきものです。

 If this is interpreted as giving up the desirable, it will engender enormous conflict.
 もしこの「手放しの期間」のことを望ましいものを諦めることとして解釈したなら、それは甚大な葛藤を生みだすことになってしまうでしょう。

 Few teachers of God escape this distress entirely.
 このような苦悩から完全に免れることのできる神の教師はほとんどいません。

 There is, however, no point in sorting out the valuable from the valueless unless the next obvious step is taken.
 とはいえ、次の明らかな一歩が踏み出されるまでは、無価値なものから価値あるものを選別することは何の意味も持ちません。

 Therefore, the period of overlap is apt to be one in which the teacher of God feels called upon to sacrifice his own best interests on behalf of truth.
 それゆえ、神の教師が、自分の最大の利益を真理のために犠牲に捧げることを求められるように感じる、望みが重複するように思える期間が存在するようになりがちです。

 He has not realized as yet how wholly impossible such a demand would be.
 神の教師はまだ、そんな要求がどれほど完全にありえないことか理解していません。

 He can learn this only as he actually does give up the valueless.
 彼はこのことを、実際に価値のないものを放棄した段階になってはじめて学ぶことができます。

 Through this, he learns that where he anticipated grief, he finds a happy lightheartedness instead; where he thought something was asked of him, he finds a gift bestowed on him.
 この学びを経て、神の教師には、嘆き悲しむことを予期していたのに、その代わりに幸福で心が軽くなることや、自分に何か求められるように思っていたのに、自分に贈り物が授けられていることに気づくことになります。




6. Now comes "a period of settling down."
 このあとで、「安定の期間」がやってきます。

 This is a quiet time, in which the teacher of God rests a while in reasonable peace.
 この期間は平穏な時間です。この時間の中で、神の教師は応分な平安のうちに安らぐことができます。

 Now he consolidates his learning.
 ここで彼は、自らの学びを統合して強固なものとします。

 Now he begins to see the transfer value of what he has learned.
 ここで彼は、自分の学んできたことの価値が入れ替わるのを経験しはじめます。

 Its potential is literally staggering, and the teacher of God is now at the point in his progress at which he sees in it his whole way out.
 その価値の転移の秘める潜在性は、文字どおり驚嘆すべきものです。そして、神の教師は、今や、自分が完全に抜け出せる道を見渡すことのできる地点にまで進んでいます。

 "Give up what you do not want, and keep what you do."
 「自分の望まないものを手放して、自分の望むものを保つ」

 How simple is the obvious!
 こんなことはなんと明白でシンプルなことでしょうか。

 And how easy to do!
 そして、なんと行うことが容易なことでしょうか。

 The teacher of God needs this period of respite.
 神の教師には、この休息の期間が必要です。

 He has not yet come as far as he thinks.
 彼はまだ、自分で思うほど遠くまでは来てはいません。

 Yet when he is ready to go on, he goes with mighty companions beside him.
 しかし、彼にさらなる旅路を続ける準備が整ったとき、彼は自分の傍らに力強い同伴者たちを伴って行くことになります。

 Now he rests a while, and gathers them before going on.
 今は、彼はしばし休息し、出発する前に、一緒に行く仲間たちを集めているのです。

 He will not go on from here alone.
 彼は、ここからはひときりで行くわけではないのです。




7. The next stage is indeed "a period of unsettling."
 次の段階は、まさしく「混乱の期間」です。

 Now must the teacher of God understand that he did not really know what was valuable and what was valueless.
 ここで、神の教師は、自分が本当に何に価値があって何が無価値なのかわかっていなかったと理解しなければなりません。

 All that he really learned so far was that he did not want the valueless, and that he did want the valuable.
 今まで彼が実際に学んだことは、自分が価値のないものは望まず、価値あるものを望んでいたということだけでした。

 Yet his own sorting out was meaningless in teaching him the difference.
 しかし、自分自身で選別しようとすることは、自分に価値あるものと無価値なものとの違いを教えるうえで無意味なものでした。

 The idea of sacrifice, so central to his own thought system, had made it impossible for him to judge.
 犠牲という概念が、あまりにも彼の思考システムの中枢に巣食っているために、彼にとって価値判断するということは不可能なことになってしまっていたのです。

 He thought he learned willingness, but now he sees that he does not know what the willingness is for.
 神の教師は、自分が意欲を学んだと思っていました。しかし、今や彼は、自分が何のために意欲すべきなのかわかっていないと理解します。

 And now he must attain a state that may remain impossible to reach for a long, long time.
 そして、今や彼は、本当に長い間到達することが不可能であり続けてきた境地に到達しなければなりません。

 He must learn to lay all judgment aside, and ask only what he really wants in every circumstance.
 彼は、すべての価値判断を脇に置いて、ただ自分があらゆる境遇において真に望むものだけを求めるということを学ばなければなりません。

 Were not each step in this direction so heavily reinforced, it would be hard indeed!
 この方角への一つひとつの歩みを本当にしっかりと補強しなければ、その歩みは実に困難なものになることでしょう。





8. And finally, there is "a period of achievement."
 そしてついに、「到達の期間」が訪れます。

 It is here that learning is consolidated.
 ここにおいて、学びが統合されて強固なものとなります。

 Now what was seen as merely shadows before become solid gains, to be counted on in all "emergencies" as well as tranquil times.
 ここで、以前には単に影のようにしか見えなかったものが、平穏なときと同じようにあらゆる「非常事態」においても頼りにできる確固たる成果となります。

 Indeed, the tranquility is their result; the outcome of honest learning, consistency of thought and full transfer.
 本当に、平穏さこそが確立した学びの成果だといえます。それは、実直な学び、思考の一貫性、そして、完全な転移の成果です。

 This is the stage of real peace, for here is Heaven's state fully reflected.
 この期間は、真の平安の段階です。というのも、ここでは天国の状態が完全に反映されているからです。

 From here, the way to Heaven is open and easy.
 ここからは、天国への道が開け、容易に歩むことができます。

 In fact, it is here.
 事実、天国はここにあるのです。

 Who would "go" anywhere, if peace of mind is already complete?
 もし心の平安がすでに完成しているなら、誰がどこかに「行こう」とするでしょうか。

 And who would seek to change tranquility for something more desirable?
 そして、誰が平穏をより望ましい何かに変えようとするでしょうか。

 What could be more desirable than this?
 心の平安よりも望ましいものなどあるでしょうか。



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