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M4-5 神の教師の特性5(喜び)

今回は、神の教師の特性の5つ目です。

喜び」です。




喜びはひとつ前の神の教師の特性である優しさの帰結です。

優しさのところで出てきたように、神の教師たちは正気を取り戻しているので、自分が危害から免れていることを自覚しています。

すなわち、世界が幻想で自分は天国にずっといる神のひとり子だというのが真実であり、テレビゲーム世界の中で動き回るアバターがどれほど危険な目に遭おうが画面の前でゲームをプレイしている子供は安全なままなのと同じ仕組みで、アバターの状態によっては真の自己は微塵も影響を受けないとわかっているからこそ、自分が操縦しているアバターも含めたすべてのアバターが敵ではなく、神の子の分身として自分自身であると気づいているので、優しさで接することしかできないということです。

この「自分が操縦しているアバター」という表現で意図しているのは、次のような意味です。

すなわち、神の子としての自覚を得る前は、エゴ・身体というアバターそのものが自分でしたが、神の子としての自覚を得ると、アバターは、自分としてアイデンティティーを抱く対象ではなくなります。

はたらく細胞的に、人体世界をこの世界になぞらえて考えてみると、人間が自分だと思い込んでいる私たちの世界の現状は、全身が麻痺して動かせなかったり、ハンチントン病のように不随意運動が起こり、思い通りに制御できない人にとっての自分の身体と同じように、神の子にとって自分の意志とは無関係に展開し、制御が効かなくなっている自分の一部ということになります。

そして、自分の意志が及ばなかった身体の一部が神経が修復して思い通りに知覚し運動させられるようになった状態が、私たち人間が個別の心として神の子の自覚を取り戻して神の子にアイデンティティーをシフトした状態となります。

この場合、その人間は、動かせるようになった右手のような存在であり、いまだ麻痺したり不随意運動を起こしたままの他の身体部位を自分と同じように本来の姿に戻せるよう、その身体の持ち主である魂の命ずるがままに、病んだ部分に手当てして癒しを達成すべく奉仕することになります。

このような気づきを持って生きるなら、以前には外敵と危険に取り囲まれて怯えながら生きていた世界は、まだ目覚めていないだけで、味方であり友であり自分自身でもある兄弟たちしかいないすべき者たちと一緒にに満ちて生きる喜び溢れる場所に様変わりするはずです。



Joy
喜び



1. Joy is the inevitable result of gentleness.
 喜びは、優しさから当然導かれる成果です。

 Gentleness means that fear is now impossible, and what could come to interfere with joy?
 優しいということは、いまや恐れることが不可能になったことを意味します。そうであるなら、いったい何が喜びを妨げうるというのでしょうか。

 The open hands of gentleness are always filled.
 優しさで開かれた両手は、つねに満たされています。

 The gentle have no pain.
 優しい者はいかなる苦痛も抱くことはありません。

 They cannot suffer.
 優しい者たちは悩み苦しむことができません。

 Why would they not be joyous?
 どうして優しい者たちが、喜びに満ち溢れずにいられるでしょうか。

 They are sure they are beloved and must be safe.
 優しい者たちは、自分たちがされていて絶対に安全だと確信しています。

 Joy goes with gentleness as surely as grief attends attack.
 悲嘆が攻撃に伴うのと同じくらい、歓喜が優しさに伴うのは間違いありません。

 God's teachers trust in Him.
 神の教師たちは、神を信頼しています。

 And they are sure His Teacher goes before them, making sure no harm can come to them.
 そして、神の教師たちは、神の遣わす聖霊という大いなる教師が自分たちの前を進み、絶対にいかなる害悪も自分たちの許に訪れないようにしてくれていると確信しています。

 They hold His gifts and follow in His way, because God's Voice directs them in all things.
 神の教師たちは神の贈り物を携えて、神の道を辿ります。なぜなら、神の大いなる声は、あらゆることについて神の教師たちを導いてくれるからです。

 Joy is their song of thanks.
 喜びは、彼らの感謝の歌声です。

 And Christ looks down on them in thanks as well.
 そして、キリストも同じように感謝しながら、彼らを見守っています。

 His need of them is just as great as theirs of Him.
 神の教師たちがキリストを大いに必要としているのと同じように、キリスト神の教師たちを大いに必要としているからです。

 How joyous it is to share the purpose of salvation!
 救済という目的を分かち合うのは、なんと喜ばしいことでしょうか。


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