FC2ブログ

There Is No Spoon

ARTICLE PAGE

レッスン46「神は大いなる愛だ。神の愛の中で私は赦す」

レッスン46です。

今日のテーマは「は大いなるだ。の中で私は赦す」です。




赦しって何?が参考になると思います。

赦しとは、罪が実在しない虚構であることを認識して、その認識通り、罪を看過して手放すことです。

この幻想世界が存続しているのは、の子が自分を有罪とみなして赦していないからです。

からの分離という犯しようのない罪を犯したという罪悪感と罰への恐怖はとてつもなく大きなもので、この罪悪感と恐怖を受け止めきれないの子には、本当の自分ではないスケープゴートとして私たちという幻想の個別の自己を作り出して、罪をなすりつけて投影することしかできませんでした。

このきわめて広大な解離性同一障害によって生み出された神の子の副人格である私たちという人間の仮面を被って、神の子は宇宙規模の壮大な隠れんぼに没頭しています。

憎々しく見える仮面を目に映る醜い姿の通りに知覚して、悪いのは自分ではなく他者なのだという、人格分裂のはじまりと同様の誤りを繰り返して、各自が非難し合うことで、神の子は自分自身を赦すことが困難になるループにはまっています。

けれど、そもそもの神からの分離という「罪」そのものが犯すことが不可能なことだし、神の子が大罪を犯したと罪の意識を抱いて「罪悪感」を持って、神から報復として処罰されるとびくついている「恐れ」も無用な心配であって、この過去の罪、現在の罪悪感、未来の恐怖から逃れようとして神の子が狂気の妄想に陥って創造力を誤って用いて投影して、本当に起こったことと信じている無数の人格分裂も錯覚にすぎないというのが真理です。

つまり、分離から派生するすべての出来事は、錯覚にすぎず、現実の出来事ではないということであり、したがって、実際に無数に砕け散った鏡のガラス片を一つひとつつなぎ合わせて元通りに復元しないかぎり、元に戻れないわけではないということです。

を締め出したことで凍てついて湖面がひび割れている状態も、温まって氷が溶けさえすれば、以前の通り、穏やかにひとつにつながった水面が巨大な鏡に戻るのであり、必要なのは、締め出されていたに戻ってきてもらうことだけです。


今日のレッスンでは、
「God is the Love in which I forgive you, [name].
神は大いなるです。神のの中で、●●(名前)さん、私はあなたを赦します。」
というように、他者を赦す形の練習をします。

私たちは自分ではなく他者の中に罪を見ることを望んでいるけれど、私たちが他者に見る罪は自分の罪の投影であるので、他者を赦すのは不可能だというのが真実ではあります。

しかし、私たちは他者に自分の罪を着せて彼を有罪と呼んできたので、いまや私たちには、彼の中にしか自らの潔白さを見出せないので、私たちが自分自身を赦すことができるのは、ただほかの誰かの中でだけだということです(S2-1 自分自身を赦す)。




Workbook Lesson 46

God is the Love in which I forgive
は大いなるだ。の中で私は赦す。





God is the Love in which I forgive.
は大いなるだ。の中で私は赦す。



1. God does not forgive because He has never condemned.
 が赦すことはありません。なぜなら、は一度も非難したことなどないからです。

 And there must be condemnation before forgiveness is necessary.
 そもそも赦しが必要となるには、その前に、非難が存在しなければなりません。

 Forgiveness is the great need of this world, but that is because it is a world of illusions.
 赦しは、この世界が大いに必要としているものではありますが、そのわけは、この世界が幻想の世界だからです。

 Those who forgive are thus releasing themselves from illusions, while those who withhold forgiveness are binding themselves to them.
 したがって、赦す者たちは、自分たちを幻想から解放しているのであり、他方で、赦そうとしない者たちは、自分たちを幻想に縛りつけているのです。

 As you condemn only yourself, so do you forgive only yourself.
 あなたが咎めるのは自分自身だけなので、あなたが赦すのも自分自身だけです。



2. Yet although God does not forgive, His Love is nevertheless the basis of forgiveness.
 しかし、神が赦すわけではないにしても、それでもなお、神の大いなる赦しの基盤です。

 Fear condemns and love forgives.
 恐れは咎め、は赦すからです。

 Forgiveness thus undoes what fear has produced, returning the mind to the awareness of God.
 したがって、赦しは、恐れが生み出したものを取り消して、神を自覚できる状態に心を戻します。

 For this reason, forgiveness can truly be called salvation.
 この理由から、赦しのことを真に救済と呼ぶことができるのです。

 It is the means by which illusions disappear.
 赦しは、幻想を消し去るための手段です。



3. Today's exercises require at least three full five-minute practice periods, and as many shorter ones as possible.
 今日の練習には、実習時間を少なくとも3回、まる5分間とるようにして、短いほうの練習はできるだけたくさん行うようにしてください。

 Begin the longer practice periods by repeating today's idea to yourself, as usual.
 長いほうの練習は、いつものように、「神は大いなる愛だ。神の愛の中で私は赦す」と、今日の考えを自分に繰り返し言い聞かせながら始めてください。

 Close your eyes as you do so, and spend a minute or two in searching your mind for those whom you have not forgiven.
 実習に際しては、目を閉じて1分か2分ほど自分の心を検索して、あなたがいまだに許していない人物を探してください。

 It does not matter "how much" you have not forgiven them.
 「どれくらい」あなたがその相手を許していないかは重要ではありません。

 You have forgiven them entirely or not at all.
 あなたはその相手を完全に赦しているか、まったく赦していないかのどちらかだからです。



4. If you are doing the exercises well you should have no difficulty in finding a number of people you have not forgiven.
 もしあなたが練習をうまく行なっているなら、あなたは何の苦もなく自分がまだ許していない人たちを何人でも見つけ出せるはずです。

 It is a safe rule that anyone you do not like is a suitable subject.
 あなたが好きではない人であれば誰でも、練習の対象にふさわしいと言って間違いありません。

 Mention each one by name, and say:
 一人ひとりの名前を言ってから、次のように言ってください。


God is the Love in which I forgive you, [name].
神は大いなる愛です。神の愛の中で、●●(名前)さん、私はあなたのことを赦します。



5. The purpose of the first phase of today's practice periods is to put you in a position to forgive yourself.
 今日の実習のこの最初の段階の目的は、自分自身を赦す立場にあなたを置くことにあります。

 After you have applied the idea to all those who have come to mind, tell yourself:
 心に浮かんだすべての人たちにこの考えを適用し終えたら、そのあとで、自分に次のように言ってください。


God is the Love in which I forgive myself.
神は大いなる愛だ。神の愛の中で、私は自分自身を赦す。


 Then devote the remainder of the practice period to adding related ideas such as:
 それから、残りの実習時間を、レッスンに関連する考えを次のように付け加えることに当てることにします。


God is the Love with which I love myself.
神は大いなる愛だ。神の愛の中で私は自分自身を愛する。

God is the Love in which I am blessed.
神は大いなる愛だ。神の愛の中で私は祝福されている。



6. The form of the application may vary considerably, but the central idea should not be lost sight of.
 適用する形を大幅に変えてもかまいませんが、中核となる想念を見失わないように注意してください。

 You might say, for example:
 たとえば、次のように言ってもよいでしょう。


I cannot be guilty because I am a Son of God.
私は神の子なのだから、私が有罪なはずはない。

I have already been forgiven.
私はすでに赦されている。

No fear is possible in a mind beloved of God.
神に愛されている心の中には、一切の恐れは存在できない。

There is no need to attack because love has forgiven me.
愛がすでに私を赦してくれているのだから、攻撃する必要などない。


 The practice period should end, however, with a repetition of today's idea as originally stated.
 それでも最後には、「神は大いなる愛だ。神の愛の中で私は赦す」と、今日の考えを原形のままもう一度繰り返してから、実習を締めくくるようにしてください。



7. The shorter practice periods may consist either of a repetition of the idea for today in the original or in a related form, as you prefer.
 短いほうの実習は、今日の考えを原形のままでも、関連した形でもよいので、自分の好きな形を用いて繰り返してください。

 Be sure, however, to make more specific applications if they are needed.
 しかしながら、もしそれが必要な場合には、より具体的に適用するようにしてください。

 They will be needed at any time during the day when you become aware of any kind of negative reaction to anyone, present or not.
 1日を通して、誰かに対して、その人が目の前にいてもいなくても、あなたが誰かに対して何らかのネガティブな反応を自覚したときは、このような具体的な適用が必要になるでしょう。

 In that event, tell him silently:
 その際には、心の中でその人に次のように言ってください。


God is the Love in which I forgive you.
神は大いなる愛です。神の愛の中で、私はあなたのことを赦します。


名称未設定



次

関連記事
攻撃赦し祝福許し幻想救済非難恐れ

Comments 0

Leave a reply