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M4-9 神の教師の特性9(誠実さ)

神の教師の特性の続きです。

今回は「誠実さ」です。




「It is to Them that faithfulness in the true sense is always directed.
 真の意味で誠実さがつねに向けられているのは、神と神の子に対してです。

 Toward Them it looks, seeking until it finds.
 誠実さは、神と神の子のほうに目を向けて、自分が見つけるまで探し続けます。」



「Faithfulness is the teacher of God's trust in the Word of God to set all things right; not some, but all.
 誠実さとは、神の大いなる言葉はすべての物事を正すのであり、いくらかの物事だけでなくすべてを正すのだと神の教師信頼することです。」

誠実さとは、本当の自分が何者であるか確信することです。

レッスン139「私は、自分自身のために贖罪を受け入れることにする」が参考になると思います。

1.「Readiness, as the text notes, is not mastery.
 テキストで述べるように、準備が整うことと習熟することは同義ではないからです。」
のテキストの箇所を引用しておきます。

「7. I have already briefly spoken about readiness, but some additional points might be helpful here.
 私はすでに、準備ができているとはどういうことか手短かに述べましたが、それにいくつかの要点を補足すれば、ここでの理解に役立つことと思います。

 Readiness is only the prerequisite for accomplishment.
 準備ができていることは、何かを成し遂げるための前提条件にすぎません。

 The two should not be confused.
 この準備と成就のふたつを混同してはなりません。

 As soon as a state of readiness occurs, there is usually some degree of desire to accomplish, but it is by no means necessarily undivided.
 準備ができ次第、たいていの場合、ある程度は成し遂げたいと望む気持ちを抱くものです。しかし、このことは必ずしも、準備と成就が区別できないことを意味するわけではありません。

 The state does not imply more than a potential for a change of mind.
 準備のできた状態は、心が変化する可能性があることを意味するにとどまります。

 Confidence cannot develop fully until mastery has been accomplished.
 何事も、習得しようとすることに習熟してそれを会得するまでは、十分な確信を持てるものではありません。

 We have already attempted to correct the fundamental error that fear can be mastered, and have emphasized that the only real mastery is through love.
 私たちはすでに、恐れを力で支配しうるという根本的な誤りを正す試みをしました。そして、愛を通じてしか真の統御は会得できないことも強調しておきました。

 Readiness is only the beginning of confidence.
 準備ができたことは、確信を得るためのほんの皮切りにすぎません。

 You may think this implies that an enormous amount of time is necessary between readiness and mastery, but let me remind you that time and space are under my control.
 このように言うと、あなたは、準備ができたときから真の統御を会得するまでには、途轍もなく長い時間が必要だと仄めかしているように思うかもしれません。しかし、あなたに思い出してほしいことがあります。それは、時間と空間はこの私のコントロールの下にあるということです。」(T2-7 原因と結果


Faithfulness
誠実さ



1. The extent of the teacher of God's faithfulness is the measure of his advancement in the curriculum.
 神の教師がどの程度誠実かということが、カリキュラムにおける彼の進歩の度合いを測る目安です。

 Does he still select some aspects of his life to bring to his learning, while keeping others apart?
 彼はいまだに、自分の生活のいくらかの局面だけを選別して自分の学習に充てはしても、ほかの局面は学習とは無縁のままにしようとしているでしょうか。

 If so, his advancement is limited, and his trust not yet firmly established.
 もしそうであるなら、彼の進歩は限られたものとなり、彼の信頼はまだしっかり確立されているとはいえません。

 Faithfulness is the teacher of God's trust in the Word of God to set all things right; not some, but all.
 誠実さとは、神の大いなる言葉はすべての物事を正すのであり、いくらかの物事だけでなくすべてを正すのだと神の教師信頼することです。

 Generally, his faithfulness begins by resting on just some problems, remaining carefully limited for a time.
 通常、神の教師誠実さは、特定の問題についてだけ向けられることから始まり、しばらくの間は慎重に限定されたものであり続けます。

 To give up all problems to one Answer is to reverse the thinking of the world entirely.
 しかし、すべての問題をひとつの大いなる答えに明け渡すことは、この世界の常識を完全に逆転させることです。

 And that alone is faithfulness.
 そして、そうすることだけが誠実であることなのです。

 Nothing but that really deserves the name.
 あらゆる問題をひとつの大いなる答えに委ねること以外は、本当に、誠実さの名で呼ぶに値しません。

 Yet each degree, however small, is worth achieving.
 しかし、問題をひとつの大いなる答えに託す程度がいかに小さくても、その明け渡しの一つひとつには、成し遂げるだけの価値があります。

 Readiness, as the text notes, is not mastery.
 テキストで述べるように、準備が整うことと習熟することは同義ではないからです。



2. True faithfulness, however, does not deviate.
 しかしながら、真の誠実さは常軌を逸することがありません。

 Being consistent, it is wholly honest.
 首尾一貫しているので、真に誠実な者は完全に正直です。

 Being unswerving, it is full of trust.
 揺らぐことがないので、真に誠実な者は信頼に満ちています。

 Being based on fearlessness, it is gentle.
 恐れがないことに基盤を置いているので、真に誠実な者は優しいのです。

 Being certain, it is joyous.
 確信を持っているので、真に誠実な者は喜びに満ちています。

 And being confident, it is tolerant.
 自信に満ちているので、真に誠実な者は寛容です。

 Faithfulness, then, combines in itself the other attributes of God's teachers.
 つまり、誠実さは、それ自体のうちに、神の教師たちの持つ他の諸々の属性を兼ね備えているのです。

 It implies acceptance of the Word of God and His definition of His Son.
 誠実さは、神の大いなる言葉神の子についての神の定義を受け入れることを意味します。

 It is to Them that faithfulness in the true sense is always directed.
 真の意味で誠実さがつねに向けられているのは、神と神の子に対してです。

 Toward Them it looks, seeking until it finds.
 誠実さは、神と神の子のほうに目を向けて、自分が見つけるまで探し続けます。

 Defenselessness attends it naturally, and joy is its condition.
 神と神の子に誠実であることには当然、無防備であることを伴うし、神と神の子に誠実であることは喜びです。

 And having found, it rests in quiet certainty on that alone to which all faithfulness is due.
 そして、神と神の子を見つけたなら、誠実な者は、すべての誠実さを捧げるにふさわしい神と神の子の下にのみ、静かな確信をもって安らぐのです。


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