There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T16-1 真の共感とは?

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二つの顔で、共感同情について触れましたので、参考になるように、該当箇所をご紹介します。

この共感の一節は、世界の常識からするとかなり理解が難しいものです。

大切な家族が、病気や怪我で苦しそうに唸っている場面で、その苦しみを一緒に味わってあげたいという思いは、自然にわき起こる感情であって、よいとか悪いという問題でなく、当然に共感が起こってくるように思います。

現に、病気で苦しいほうからしても、家族が自分と一緒に悩んで苦しんでくれている姿を見て、自分が愛されていると実感し、苦しみが紛れるのを感じます。

それでも、コースは、真の共感は、他者の苦悩に加わることではない、苦痛を一緒に味わうことでもないと言い放ちます。

これには強い違和感を感じない人の方が少ないのではないでしょうか?


仕組み的には、二つの顔でお話ししたように、本当は自他が一体で、豊饒な状態が真実であるなら、誰かが欠乏や必要によって苦悩している場合、その悩みに共感することは、本当は存在しない欠乏があるというその人の抱く幻想を一緒になって信じ込むことであり、欠乏の幻想によって弱まっているその人をさらに弱体化する攻撃にしかならないということです。

そして、苦痛を分かち合おうとして、その人の苦しみを味わおうとすることで、その人の痛みや苦しみが癒される効果はないといいます。

この点について、たしかに、苦しいときに、身近な人に苦しいねと言ってもらえると、苦しさが紛れるような気はします。

しかし、真の癒しは贖罪と同義で、それは、マイナスを対極で打ち消して埋め合わせるというものではなく、そもそもマイナスがあるという状態や思いが幻想であることにとことん気付いて、そのマイナスに見える状態の向こう側の真理を見越すという赦しによるということでした。


苦しんでいる誰かのその苦しみを分かち合おうとして、一緒に苦しみを味わうということは、その苦しみが存在することが真実であることを前提にすることです。

そして、観念分かち合い共有することは、その観念を補強し、増強することになります。

この分かち合いの力は、プラスにもマイナスにも作用します。

苦しみの幻想というマイナス観念を共有すれば、結果的には、その苦しみは固定され、増強されることになってしまいます。

つまり、誰かが苦しんでいるときに、それに共感することは、苦しみを癒すどころか強めることになってしまうということです。

「4. Healing only strengthens.
 癒しは、ただ強めるだけです。

 Magic always tries to weaken.
 魔術は、必ず弱めようとします。

 Healing perceives nothing in the healer that everyone else does not share with him.
 癒しが起こる際には、治療者自身の中には、他の誰もが治療者と分かち合っていないものが知覚されることはありません。

 Magic always sees something 'special' in the healer, which he believes he can offer as a gift to someone who does not have it.
 魔術は、つねに治療者が何か「特別」なものを持っているとみなします。その治療者は、その「特別」なものを彼からの贈り物として、それを持っていない者に授けることができると信じます。

 He may believe that the gift comes from God to him, but it is quite evident that he does not understand God if he thinks he has something that others lack.
 治療者は、その贈り物が神から自分に賦与されていると信じるかもしれません。しかし、もし彼が自分は他の者たちに欠如している何かを持っていると思うとすれば、彼が神を理解していないことは真に歴然としています。」(テキスト第七章 V. Healing and the Changelessness of Mind 五 癒しと心の不変性)


テキストでは、他者の苦悩への共感は、癒しを知る聖霊の役割であり、私たちの役割ではないので、役割の混同をせずに、聖霊に任せてしまいなさいと言います。

私たちの役割は、聖霊に委ねたなら、聖霊の邪魔をしないこと、ある関係から自分にとって価値のあるものが生まれることを望まないようにするということです。自己流のやり方でその関係を傷つけようとしたり、癒そうとしてはならないということです。

そして、私たちが聖霊に委ねきり、聖霊が自分を通して働くようにさせるなら、私たちは力強いものに共感することになり、弱さではなくて、強さを得ることになるといいます。

聖霊は、苦しんでいるその他者は、私たちと切り離された隔絶した存在などではなく、一体である本来の神の子の姿として眺め、その姿には何の欠乏もないという真理を見通すことで癒します。

このような聖霊の導きが私たちを通して発する言葉や起こる振る舞いが、形上はエゴが利用する共感に基づくものと同じに見えたとしても、それはそれでよいということになるでしょう。

理屈は何となくわかるけれども、実感としてはわからないというのは人情として当然です。

ただし、現に大病を患っている家族をお持ちの方にとっては、深刻かつ重要なことです。

自分たちが大切な家族を労り、癒してあげたいとの一心で苦しみを一緒に味わおうとしていたことが、かえってその家族の苦しい状況を強めているかもしれないというのです。

コースの言うことを少しでも信頼できると感じられるなら、少なくとも、ご自分だけは、苦しみを分かち合おうとすることはやめて、健やかな本来の姿を見ている聖霊に委ねようと選択してみてください。

ご自分が無理にそのように信じ込もうとする必要はありません。

それでは、プラス思考のイメージトレーニングなどと一緒です。

聖霊に全託したからといって、大切な家族に接する際のあなたの態度が冷淡になったりするはずはないし、あなたが一緒に悩まないせいで病状が深刻化するということはないはずです。

本当に、自分には、癒しがどのようなものか見当もつかないけれど、それを知るという聖霊にお任せして邪魔はしませんと決断するということです。









テキスト

Chapter 16 THE FORGIVENESS OF ILLUSIONS
第十六章 幻想を赦す

I. True Empathy
一 真の共感






1. To empathize does not mean to join in suffering, for that is what you must refuse to understand.
 共感することは、他者の苦悩に加わることを意味しません。なぜなら、苦悩を共にしようとすることこそ、あなたが理解することを拒絶しなければならないものだからです。

 That is the ego's interpretation of empathy, and is always used to form a special relationship in which the suffering is shared.
 それこそ、エゴによる共感の解釈であり、その中で苦悩を分かち合うことになる特別な関係を結ぶために必ず用いられる常套手段です。

 The capacity to empathize is very useful to the Holy Spirit, provided you let Him use it in His way.
 共感する能力は、もしあなたが共感を聖霊の用い方で聖霊に使ってもらうなら、とても聖霊の役に立ちます。

 He does not understand suffering, and would have you teach it is not understandable.
 聖霊は苦悩を理解しません。そして、聖霊はあなたに苦悩は理解不能なものだと教えさせようとします。

 When He relates through you, He does not relate through your ego to another ego.
 聖霊は、あなたを通して関係を持つときでも、あなたのエゴを通してほかのエゴに関わることはしません。

 He does not join in pain, understanding that healing pain is not accomplished by delusional attempts to enter into it, and lighten it by sharing the delusion.
 聖霊は、苦痛を一緒に味わおうともしません。なぜなら、聖霊には、苦痛の中に入り込むことを妄想によって試み、そんな妄想を分かち合うことによって苦痛を和らげようとしても、苦痛の癒しは成就しないとよくわかっているからです。



2. The clearest proof that empathy as the ego uses it is destructive lies in the fact that it is applied only to certain types of problems and in certain people.
 エゴによる共感の利用法が破壊的である最も明白な証拠は、それがある特定の種類の問題にのみ、それもある特定の人々の中の問題にのみ適用されるという事実にあります。

 These it selects out, and joins with.
 エゴはこのような特定の人々が持つ特定の種類の問題を選りすぐっては結びつこうとします。

 And it never joins except to strengthen itself.
 そして、エゴはエゴ自体を強めるためでなければ絶対に結合しようとはしません。

 Make no mistake about this maneuver; the ego always empathizes to weaken, and to weaken is always to attack.
 このようなエゴの謀略について誤解しないでください。エゴは必ず相手を弱体化するために共感するのであって、相手を弱体化することは、つねに攻撃となります。

 You do not know what empathizing means.
 あなたは、共感が何を意味するのかわかっていません。

 Yet of this you may be sure; if you will merely sit quietly by and let the Holy Spirit relate through you, you will empathize with strength, and will gain in strength and not in weakness.
 しかし、あなたはこれだけは確信できます。すなわち、もしあなたがただ静かに傍観し、聖霊があなたを通して関わるようにさせるなら、あなたは力強いものに共感することになり、あなたは弱さではなくて、強さを得ることになるということです。

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3. Your part is only to remember this; you do not want anything you value to come of a relationship.
 あなたの役割はただ次のことを覚えておくことだけです。それは、何であれ、ある関係から自分が価値を置くものが生まれることを望まないようにするということです。

 You choose neither to hurt it nor to heal it in your own way.
 あなたは、その関係を傷つけることも、自己流のやり方でその関係を癒すことも選んではなりません。

 You do not know what healing is.
 あなたは癒しが何なのか知らないのです。

 All you have learned of empathy is from the past.
 あなたが共感について学んできたことはすべて、過去から来るものです。

 And there is nothing from the past that you would share, for there is nothing from the past that you would keep.
 しかし、過去から来るもので、あなたが共有できるものは何ひとつありません。なぜなら、過去から来るものであなたが保ち続けられるものは何もないからです。

 Do not use empathy to make the past real, and so perpetuate it.
 過去のことを現実にして永続させるために、共感を用いてはなりません。

 Step gently aside, and let healing be done for you.
 穏やかに身を引いて、あなたのために癒しがなされるようにしてもらいなさい。

 Keep but one thought in mind and do not lose sight of it, however tempted you may be to judge any situation, and to determine your response by judging it.
 たとえどんな状況においても、まず自分で状況を判断したうえで、その状況判断に基づいて自分の反応を決めたいという誘惑に駆られても、ただひとつの思いだけを心に保ち、その思いを見失わないようにしなければなりません。

 Focus your mind only on this:
 あなたの心を、ただ次のことにだけ集中させてください。


I am not alone, and I would not intrude the past upon my Guest.
私はひとりきりではない。そして、私は自分の賓客に過去を押しつける気はない。

I have invited Him, and He is here.
私が彼を招いたので、聖霊はここにいてくれる。

I need do nothing except not to interfere.
私に必要なのは、ただ聖霊の邪魔をしないことだけだ。




4. True empathy is of Him Who knows what it is.
 真の共感は、それが何であるか知っている聖霊から訪れます。

 You will learn His interpretation of it if you let Him use your capacity for strength, and not for weakness.
 もしあなたが聖霊に自分の弱さではなく強さを受け入れる能力を使ってもらうなら、あなたは共感についての聖霊の解釈を学ぶことになります。

 He will not desert you, but be sure that you desert not Him.
 聖霊があなたを見放すようなことはありません。けれど、あなたのほうで聖霊を見限ることがないよう注意しなければなりません。

 Humility is strength in this sense only; that to recognize and accept the fact that you do not know is to recognize and accept the fact that He does know.
 謙虚さが強みになるのは次の意味においてだけです。それは、自分が知らないという事実を認識して受け入れることは、聖霊が確かに知っているという事実を認識して受け入れることを意味するということです。

 You are not sure that He will do His part, because you have never yet done yours completely.
 あなたは、いまだかつて自分の役割を完全に果たしたことがないので、あなたは聖霊が確かに聖霊の役割を果たしてくれることが確信できません。

 You cannot know how to respond to what you do not understand.
 あなたは、自分が理解していないことに対して、どのように反応したらよいのか知ることができないのです。

 Be tempted not in this, and yield not to the ego's triumphant use of empathy for its glory.
 しかし、自分には知ることができるはずだと思う誘惑に負けて、エゴが自らの栄光のために勝ち誇って共感を利用することに屈してはなりません。

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5. The triumph of weakness is not what you would offer to a brother.
 あなたが兄弟に差し伸べたいのは、弱さの勝利などではないはずです。

 And yet you recognize no triumph but this.
 それなのに、あなたは弱さの勝利以外の勝利を認めようとしません。

 This is not knowledge, and the form of empathy which would bring this about is so distorted that it would imprison what it would release.
 弱さの勝利など知識ではありません。そして、弱さの勝利をもたらすような共感の形態はあまりに歪んでいるので、共感することで解放しようとするものを逆に幽閉してしまうことになります。

 The unredeemed cannot redeem, yet they have a Redeemer.
 救われていない者には、救うことなどできはしません。とはいえ、彼らにはひとりの大いなる救い主がいます。

 Attempt to teach Him not.
 その大いなる救い主に教えを垂れようと試みてはなりません。

 You are the learner; He the Teacher.
 あなたは教えてもらう生徒であり、聖霊こそが大いなる教師だからです。

 Do not confuse your role with His, for this will never bring peace to anyone.
 自分の役割と聖霊の役割を混同してはなりません。というのも、自分と聖霊の役割を混同していたのでは、決して誰の許にも平安はもたらされないからです。

 Offer your empathy to Him for it is His perception and His strength that you would share.
 あなたの共感する能力を聖霊に差し出しなさい。なぜなら、あなたが共有することを意図しているのは、聖霊の知覚と聖霊の力だからです。

 And let Him offer you His strength and His perception, to be shared through you.
 そして、あなたを通して共有されるように、聖霊に、聖霊の力と聖霊の知覚とをあなたに差し延べてもらってください。




6. The meaning of love is lost in any relationship that looks to weakness, and hopes to find love there.
 弱さを当てにして、弱さの中に愛を見出そうと望むようないかなる関係においても、愛の意味は失われてしまいます。

 The power of love, which is its meaning, lies in the strength of God that hovers over it and blesses it silently by enveloping it in healing wings.
 愛の力、それは関係を持つことの意味そのものです。この愛の力は、関係の上を舞い、癒しの翼で関係を包み込み、静かに関係を祝福する神の力強さの中にあります。

 Let this be, and do not try to substitute your "miracle" for this.
 この愛の力をそのままあらしめてください。そして、愛の力に代えて、自分の「奇跡」を用いようとなどしないでください。

 I have said that if a brother asks a foolish thing of you to do it.
 私は前に、もしあなたが兄弟から愚かしいことをしてほしいと頼まれたなら、それをやってあげるようにと述べたことがあります。

 But be certain that this does not mean to do a foolish thing that would hurt either him or you, for what would hurt one will hurt the other.
 しかし、それは相手や自分が傷つくような愚行をせよという意味ではないことは覚えておいてください。なぜなら、一方を傷つけるようなことは他方をも傷つけることになるからです。

 Foolish requests are foolish merely because they conflict, since they always contain some element of specialness.
 愚かしい願いがどれも馬鹿げているのは、ただ単に、そのような愚かしい願いには必ず何らかの特別性についての要素が含まれているために願いが矛盾してしまうからです。

 Only the Holy Spirit recognizes foolish needs as well as real ones.
 ただ聖霊だけが、愚かしい欲求と同じように、真に必要なことも認識しています。

 And He will teach you how to meet both without losing either.
 だから、聖霊は、いかにしてどちらも失うことなく両方を満たせばよいかをあなたに教えてくれます。

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7. You will attempt to do this only in secrecy.
 しかし、あなたは、秘密裡にのみ、これをやろうと試みてしまいます。

 And you will think that by meeting the needs of one you do not jeopardize another, because you keep them separate and secret from each other.
 そして、あなたは、一方の要求を満たすことは必ずしも他方を危険にさらすことにはならないと考えるようになります。なぜなら、あなたは二つを別々にして、両者を互いに相手から秘密にしたまま保っているからです。

 That is not the way, for it leads not to life and truth.
 しかし、そんなやり方は道とはなりません。なぜなら、そんなやり方は、生命と真理へと導いてはくれないからです。

 No needs will long be left unmet if you leave them all to Him Whose function is to meet them.
 もしあなたが、必要なことを満たすことを役目とする聖霊にすべて任せるなら、どんな必要性も満たされないままになることはありません。

 That is His function, and not yours.
 必要なことを満たすのは聖霊の役目であり、あなたの役目ではありません。

 He will not meet them secretly, for He would share everything you give through Him.
 聖霊が必要性を秘密裡に満たそうとすることはありません。というのは、あなたが聖霊を通して与えるものを聖霊は余すところなく共有しようとするからです。

 That is why He gives it.
 それゆえ、聖霊はすべてのものを与えるのです。

 What you give through Him is for the whole Sonship, not for part of it.
 あなたが聖霊を通して与えるものは、神の子全体のためのものであり、神の子の一部のためのものではありません。

 Leave Him His function, for He will fulfill it if you but ask Him to enter your relationships, and bless them for you.
 聖霊の役目は聖霊に任せておきなさい。というのは、ただあなたが聖霊に自分の関係に入ってきて、あなたのために関係を祝福してほしいと頼みさえすれば、聖霊は自らの役割を果たしてくれるからです。


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