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M4-10 神の教師の特性10(開かれた心)

神の教師の特性の最後「開かれた心」をご紹介します。


Open-Mindedness
開かれた心


1. The centrality of open-mindedness, perhaps the last of the attributes the teacher of God acquires, is easily understood when its relation to forgiveness is recognized.
 おそらく神の教師の獲得する最後の属性となる開かれた心の中心的な機能は、開かれた心が赦しと関連することに気づいたなら、容易に理解できます。

 Open-mindedness comes with lack of judgment.
 価値判断をしないことによって、心が開かれます。

 As judgment shuts the mind against God's Teacher, so open-mindedness invites Him to come in.
 価値判断すると、神の大いなる教師たる聖霊に対して心を閉ざしてしまいます。だから、心を開くことが、聖霊に入ってきてくれるよう招待することになります。

 As condemnation judges the Son of God as evil, so open-mindedness permits him to be judged by the Voice for God on His behalf.
 非難することは、神の子を邪悪な者として価値判断して裁くことになりますが、開かれた心は、神の子が、神の代理として神を代弁する大いなる声によって裁いてもらえるようにしてくれます。

 As the projection of guilt upon him would send him to hell, so open-mindedness lets Christ's image be extended to him.
 罪悪感を神の子に投影すると、彼を地獄へ送ることになってしまいますが、開かれた心は、キリストの肖像が彼に拡張されるようにします。

 Only the open-minded can be at peace, for they alone see reason for it.
 心の開かれた者だけが、平安を得ることができます。なぜなら、心が開かれた者たちだけが平安の理由を理解できるからです。




2. How do the open-minded forgive?
 開かれた心を持つ者は、どのようにして赦すのでしょうか。

 They have let go all things that would prevent forgiveness.
 彼らは、赦しを妨げるようなあらゆる物事をすべて手放すのです。

 They have in truth abandoned the world, and let it be restored to them in newness and in joy so glorious they could never have conceived of such a change.
 彼らは本当にこの世界を捨て去り、そして、世界を新たなものとして、あまりに壮麗で、それほどの変化を想像することもできなかったほどの喜びのうちに、自分たちに戻してもらうのです。

 Nothing is now as it was formerly.
 今では何ひとつ、かつてそうであった通りではありません。

 Nothing but sparkles now which seemed so dull and lifeless before.
 今では、以前には、あんなにもぼんやりと生気に欠けて見えていたものがきらきらと輝きを放つばかりです。

 And above all are all things welcoming, for threat is gone.
 そして何にもまして、脅威が去ってしまったので、すべての物事が歓迎されます。

 No clouds remain to hide the face of Christ.
 キリストの顔を隠す雲は、もうひとつもありません。

 Now is the goal achieved.
 今、目標は達成されたのです。

 Forgiveness is the final goal of the curriculum.
 赦しこそ、カリキュラムの最終目標です。

 It paves the way for what goes far beyond all learning.
 赦しは、すべての学びを通り越した彼方まで続く道を地ならしします。

 The curriculum makes no effort to exceed its legitimate goal.
 カリキュラムは、その正当な目標を上回るために何の努力を費やすこともありません。

 Forgiveness is its single aim, at which all learning ultimately converges.
 赦しは、カリキュラムのただひとつの狙いです。その的に向かってすべての学習が究極的に収斂します。

 It is indeed enough.
 本当に赦しだけで十分なのです。




3. You may have noticed that the list of attributes of God's teachers does not include things that are the Son of God's inheritance.
 あなたはすでに、神の教師の属性のリストには、神の子が受け継いでいる属性が含まれていないことに気づいているかもしれません。

 Terms like love, sinlessness, perfection, knowledge and eternal truth do not appear in this context.
 潔白さ、完全さ、知識、そして、永遠真理といった言葉は、神の教師の属性として挙げられてはいません。

 They would be most inappropriate here.
 これらの言葉は、ここに挙げるには最もふさわしくないものなのです。

 What God has given is so far beyond our curriculum that learning but disappears in its presence.
 神が授けてくれたものは、今のところ本当に私たちのカリキュラムの射程範囲を超えているために、それを前にしては学びはただ消え去るだけです。

 Yet while its presence is obscured, the focus properly belongs on the curriculum.
 しかし、神の授けてくれたものが臨在することが覆い隠されている間は、焦点をこのカリキュラムに合わせることは適切なことです。

 It is the function of God's teachers to bring true learning to the world.
 真の学びをこの世界にもたらすことは、神の教師たちの役目です。

 Properly speaking it is unlearning that they bring, for that is "true learning" in the world.
 正しく言うならば、神の教師たちがもたらすのは、学んだことを忘れることです。というのも、学んだことを忘れることこそが、この世界における「真の学び」だからです。

 It is given to the teachers of God to bring the glad tidings of complete forgiveness to the world.
 神の教師たちには、完全な赦しという喜ばしい便りをこの世界へともたらす機会が与えられているのです。

 Blessed indeed are they, for they are the bringers of salvation.
 救いをもたらす役目を担うというのですから、彼らは本当に祝福された者たちです。




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