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M9 生活環境の変化は必要か

今回は、マニュアル第9節の神の教師の生活環境の変化の必要性についての一節をご紹介します。




Section 9

Are Changes Required in the Life Situation of God's Teachers?
神の教師たちの生活状況に変化は求められるか




1. Changes are required in the < minds > of God's teachers.
 変化が求められるのは、神の教師たちの「」の中でのことです。

 This may or may not involve changes in the external situation.
 神の教師たちのの中の変化は、外部の状況の変化を伴うこともあれば、伴わないこともあります。

 Remember that no one is where he is by accident, and chance plays no part in God's plan.
 誰ひとりとして、偶然その場に居合わせることはないこと、そして、神の計画においては、偶然が果たす役回りなど何もないことを覚えておいてください。

 It is most unlikely that changes in attitudes would not be the first step in the newly made teacher of God's training.
 新たに神の教師となった者にとって、その訓練における第一歩はたいてい、構えを変化させることになるはずです。

 There is, however, no set pattern, since training is always highly individualized.
 とはいえ、決まりきった様式があるわけではありません。なぜなら、訓練は必ず、高度に個性に応じて行われるからです。

 There are those who are called upon to change their life situation almost immediately, but these are generally special cases.
 自分たちの人生の境遇をほとんど直ちに変えてしまうような召命を受ける者も中にはいます。しかし、それらは概して特別なケースです。

 By far the majority are given a slowly evolving training program, in which as many previous mistakes as possible are corrected.
 はるかに多くの者たちは、ゆっくりと進歩できるような訓練プログラムを与えられています。このプログラムの中では、できるだけ多く以前の誤りが修正されていくことになります。

 Relationships in particular must be properly perceived, and all dark cornerstones of unforgiveness removed.
 特定の関係を正しく知覚して、そのうえで、赦しを不可能にしている闇の礎石のすべてを取り除く必要があります。

 Otherwise the old thought system still has a basis for return.
 さもなければ、以前の思考システムが依然として息を吹き返してしまう基盤となってしまいます。





2. As the teacher of God advances in his training, he learns one lesson with increasing thoroughness.
 訓練が進むにつれて、神の教師は、ひとつのレッスンをますます徹底的に学ぶことになります。

 He does not make his own decisions; he asks his Teacher for His answer, and it is this he follows as his guide for action.
 彼は、自分自身で決断を下すのではなく、自らの大いなる教師である聖霊にその答えを求め、自らの行動の指針として聖霊の答えに従うようになります。

 This becomes easier and easier, as the teacher of God learns to give up his own judgment.
 聖霊に答えを求めてその答えに従うことは、神の教師が自分自身で価値判断することを放棄するにつれて、どんどん容易になっていきます。

 The giving up of judgment, the obvious prerequisite for hearing God's Voice, is usually a fairly slow process, not because it is difficult, but because it is apt to be perceived as personally insulting.
 価値判断を放棄することは、神の声を聴くための明らかな前提条件ですが、通常は習得するのにかなり時間を要するプロセスです。それは価値判断を放棄することが困難だからではなく、個人的に侮辱されているように受け止められてしまいがちだからです。

 The world's training is directed toward achieving a goal in direct opposition to that of our curriculum.
 この世界での訓練は、私たちのカリキュラムの訓練とはまさしく正反対の目標を達成することを目指しています。

 The world trains for reliance on one's judgment as the criterion for maturity and strength.
 この世界は、その人の成熟度や能力を測る尺度として、個人の価値判断の力を当てにするように訓練します。

 Our curriculum trains for the relinquishment of judgment as the necessary condition of salvation.
 これに対して、私たちのカリキュラムは、救済のための必要条件として、価値判断を放棄できるように訓練するのです。




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