There Is No Spoon

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T28-4 打ち砕かれたかけらの中に潜むものは

今回は、個別の小さな自己が分離を解消して大いなる自己へと統合することについて述べるテキスト第二十八章 IV. The Greater Joining 四 より偉大な結合をご紹介します。



この節では、冒頭で、自分自身の贖罪を受け入れるには、自分が幻想に惑わされないだけでなく、ほかの誰かの病気や死のを支援しない、つまり、その人が抱く幻想に惑わされたままでいたいという願いを共有しないことが不可欠だという話から始まります。


テキストで、この世界を指して「」という言葉があてられているときは、夜見るに置き換えてイメージして、パラレルにスライドさせて考えてみるようにすると、より理解しやすくなると思います。

夜見るは、みんな毎日体験していることですから、がどんなものか誰もがよくわかります。

の中で、自分の外に世界が展開し、他者が出てきて、夢の筋書きが進行している間は、私たちは、夢の世界が夢だなんて思いもせず、現実と信じ込んでいますが、目が覚めると、確固として存在するように思えた夢の世界は幻で、夢の中での自分も他者も世界も幻で、一切合財が自分の作り出していた一人芝居にすぎなかったことに気づきます。

毎晩、こんなことを繰り返しては、夢になり切っては、そこから目を覚ますということを繰り返しているので、私たちは、夢が錯覚であり無でしかないということだけはよく実感しています。

夢の中で、どんなに素晴らしい体験をしてこの状態がそのまま永遠に続けばよいと願うような夢も、逆に、窮地に追い詰められ、なんとかしないと大変なことになると切迫感が絶頂に達するような夢も、その場面で目が覚めてしまえば、けろっとしたもので、私たちは、なんだ夢だったのかと簡単に折り合いをつけて、たいした執着も無く「現実」に舞い戻ることができます。

あれほどのめり込んで永続することを望んだり、深刻に悩んでいた世界のなのに、あっさりすぎるくらいに後腐れも無く、夢の世界や登場人物たちのことなど忘れ去ってしまいます。

これに対して、私たちは、この世界については、確固たる「現実」であって、自分は世界によって世界の中に産み落とされて、世界に小突き回されて儚い人生を送っては終えていくちっぽけな存在でしかないように感じます。

      
この世界にいる私たちというのは、夜のに出てくる登場人物に相当します。ある個別の心のエゴ・身体は、他の個別の心からすれば、他者になりますが、いずれも、エゴの仮面を被った身体という個性を持った人形たちです。

この私たち個別の心は、夜のに置き換えれば、眠りに就いてを見ている私たちには相当しません。この世界とする場合に、夜見るを見る者に相当する者、つまり、この世界というを見ている観照者大いなる自己ということになります。

夢見る者である大いなる自己が自分を小さな自己へと分裂させて、身体という人形のひとつを主人公として選んでその人形と一体化し、この世界が現実だと信じ込んで、自分は世界によって生み出され、世界によって影響を受ける存在だと受け止めます。

夜の夢を現実と信じ込んで、自分よりも夢の世界のほうが先に存在し、世界が自分を生み出したとか、夢の世界が自分に影響を及ぼしていると受け入れている状態と同じです。

夢見る者である大いなる自己が、自分を小さな自己に分裂させてひとつの人形に一体化することで、それまでひとつであったものが多数のものへと分離して展開し、他の人形たちや世界そのものが自分とは切り離された客体として生じてきます。

実際には、夢見る者が、(夢の中にいる)自分を作り出して、夢の世界がその自分のキャラクターに影響を与えているという幻を見ているだけで、幻にすぎない夢が夢見る者を作り出したのでも、夢が夢見る者に影響を及ぼしているのでもないのですから、このように信じることを受け入れないことによってしか、本当の自分自身を見出すことはできないということになります。




そして、私たちは夢を見る際には、その夢を夢見る者として、夢見る者からは離れることなく一体のままだけれど、見られている夢、つまり、主人公としての自分や登場人物としての他者や夢の世界は、その主体からは離れています。

夢から覚めるためには、夢から離れ、自らを分裂させて主人公や他者や世界になりきっていた夢見る者が再び結びついてひとつにならねばなりません。

夢は、心の中で錯覚する幻想にすぎず、存在しない無でしかありません。在るのは夢でなく心のほうです。

だから、私たちは、主人公や他者という人形に同一化したり世界そのものになっている夢を見ている心とはひとつに結びつくことはできても、夢見られている錯覚でしかない人形や世界といったその夢自体と本当には結びつくことはできません。

しかし、私たち夢見られている個別の心は、夢全体の一部にすぎない仮面を被った人形である夢の主人公・身体こそが自分だと思い込んでいます。

つまり、私たちは自分のことを夢だと思っているので、夢と心を同じものだと見てしまうのです。


そして、誰かがその人自身について抱く自己像、特定の身体を持つ、●●という名前の女性で●歳で・・・という幻想を共有すると、つまり、自分以外に自分とは分離した別の存在がいるという幻想を共有すると、それは、自分の外にいるその他者と同じように、他者から切り離された存在こそが自分だと信じることになるので、私たちも、自分の真のアイデンティティーを回復できなくなります。


夜見る夢の中で、私たちは、この世界と同じように、自分の外側に他者や世界が存在するように知覚します。

でも本当は、主体としての自分も錯覚だし、対象としての世界も他者も錯覚で、主体と客体は分離などしておらず、夢全体が観照者・夢見る者である心がでっち上げている幻にすぎません。

それなのに、夢の中の一登場人物としての●●という名前の特定の人物が自分であるとアイデンティティーを抱くことや、夢の中の他の登場人物が自分は●●だという自己像を抱いている状態を本当だと信じることは、夢見る者が錯覚を、夢の中の幻たちと一緒になって共有することであり、その主役の自分が存在し、他者も自分とは別に存在する、世界も自分とは別に確固として存在すると信じることであり、自分が夢を見ているということを忘れて幻の中に迷い込むことにしかなりません。

夜の夢の中では、夢の中の自分も他者も含めた登場人物は、全員、本当の自分を忘れてそのキャラクターになりきっているだけで、その登場人物の身体も個性もいずれも幻で、真の姿は、夢を見ている私たちであるにすぎません。


夢を見る者と夢自体は一体なので、夢の中でアイデンティティーを抱くことは無意味なことです。

夢の中で私たちは、特定のキャラクターを主人公として、他のキャラクターを脇役となる他者として登場させます。

いったん割り当てられた配役はその夢の中では継続し、他者のキャラクターはその夢の中では、自分ではなく、夢見られる客体として、夢見る自分が操ってはいるものの、夢の中では夢見る者は主役のキャラクターと一体化しているので、その他者の内心は見えません。

このように、登場人物たち各自が自分勝手に意志を持って動いているように思えるのはなぜでしょう。

それは、夢を見る者が自分が夢を見ているということを忘れ、本当の自分が誰かを忘れて、夢の世界の中の一つのキャラクターに一体化し、そのキャラクター以外の他者や夢の世界は自分とは分離した別の存在だと信じ込むからです。


分離の感覚が、夢だということを意識させないように作用するということです。

これはそのままスライドさせて、この世界にあてはめることができます。

ラメッシ先生は、意識が、ある肉体精神機構の中で個人的行為者という感覚を持たされるように働くメカニズムを称して「聖なる催眠」と言います。

この分離幻想による聖なる催眠にかかると、意識は、本来の自分の全体性を忘れて、個別の分離した自己概念へと縮小して、夢が夢であることを忘れてしまいます。


この催眠の道具として、人形と仮面が使われます。

身体という人形が夢の中で動き回るキャラクターとなります。

そして、その人形の頭にエゴという仮面が貼りつくことで、分離の幻想の聖なる催眠は確定的なものとなります。

身体と一体化した分離した個別の心は、エゴのスライドを通して夢の世界を枠づけられたスクリーンの中へと投影し、それを知覚し、自分が独立した自立的な存在として行為をすると解釈し、自由意志の感覚を抱きます。

意識という時間と空間、世界を切り取る枠、映画のスクリーンのようなものによって、スクリーンに映らないものの存在を「意識」できなくなるので、自己概念の中へとアイデンティティーが収縮します。

夜の夢の中で私たちが夢の中のキャラクターのひとつになり切って、他の登場人物を生み出してドラマを演じさせるのと同じように、神の子は、この世界を夢見て、小さな自己へと自分を分裂させて、一つひとつのエゴ・身体となり、他者の仮面を被った自分との愛憎劇を繰り広げているのです。



このように、夢の中であれこの世界であれ、本当は自分が作り出して操っている他のキャラクターや世界が、自分と切り離されて、自分とは無関係に動いているように思える仕組みは分離による「意識」によるものです。

「2. Consciousness, the level of perception, was the first split introduced into the mind after the separation, making the mind a perceiver rather than a creator.
 意識、すなわち、知覚のレベルは、分離以後に心の中に取り込まれた最初の分裂です。この意識が、心を創造するものではなく、知覚するものにしてしまったのです。

 Consciousness is correctly identified as the domain of the ego.
 意識は、正確には、エゴの領域に分類されるものです。

 The ego is a wrong-minded attempt to perceive yourself as you wish to be, rather than as you are.
 そのエゴとは、正しくない状態の心が、あなた自身をありのままにではなく、むしろあなたがそうありたいと願うとおりに知覚する試みといえます。

 Yet you can know yourself only as you are, because that is all you can be sure of.
 しかし、あなたはただありのままの自分自身を知ることしかできません。なぜなら、あなたが確信できるのは、ありのままの自分だけだからです。

 Everything else is open to question.
 ありのままのあなたを知ること以外には、すべて疑問が入り込む余地があるのです。」(テキスト 第三章 IV. Error and the Ego 四 誤りとエゴ)



「In sleep you are alone, and your awareness is narrowed to yourself.
 眠りの中においては、あなたはひとりきりです。そして、あなたの意識は自分自身だけに狭められてしまっています。

 And that is why the nightmares come.
 そして、あなたの意識が自分自身に狭められていることこそが悪夢の生じる理由です。

 You dream of isolation because your eyes are closed.
 あなたは分離によって孤立している夢を見ています。それは、あなたの目が閉じられているせいです。

 You do not see your brothers, and in the darkness you cannot look upon the light you gave to them.
 あなたには自分の兄弟たちが見えません。そして、闇の中にいたのでは、あなたには自分が兄弟たちに与えた光を見ることもできません。」(テキスト 第十三章
VI. Finding the Present 六 現在を見出す 12.)









さて、「明晰夢」(lucid dream)という概念があります。
夢の中で夢を見ているという自覚を保ったままの夢見の状態のことですが、明晰夢の中では、何でも思いどおりです(これは明晰夢でなくても、小説家が物語を思い描く場合も同様です)。

空を自由に飛ぶこともできれば、神であろうと悪魔であろうと、王様であろうとネズミであろうと幽霊であろうと誰にでも、何にでも変身できます。同時多発的に、無数の人物として存在することだってできます。

イメージすれば、それを即座に作り出せるので、欲望の赴くままお金であれ物であれ人であれ、何でも生み出して好きなようにできます。

時間だって止めることも早送りしたり巻き戻したり自由にできます。

明晰夢では、夢の世界、登場人物だけでなくそれを含めた世界そのものを自分が作り出していることを意識し実感できます。

夢見に熟達すれば、すべてが夢見る者である自分の意志に従います。

夢の中のひとりの登場人物がその者自身の意志で行っているように見えることはことごとく、夢見る自分の意志によるものです。

明晰夢では、登場人物たちが、それぞれの自由意志に基づいて動いているように見えたとしても、夢見る者が夢だと意識しているので、夢の登場人物たちに自由意志がないということが分かりやすいです。

明晰夢の中で、ひとりの登場人物が他の登場人物の意に反する行動を取るように見える場合でも、それは夢を見ている自分の意志に基づく筋書きを登場人物たちが演じさせられているだけで、彼らに自由意志はありません。



それでは、これを明晰夢ではない夢見を意識していない普通の夢に置きなおすとどうでしょうか。夢の登場人物たちに自由意志はあるでしょうか。

まったく同じで、彼らには自由意志はありません。

夢見る者が自分が夢を見ていると意識することによって、登場人物たちの自由意志が奪われてしまうわけではありません。

もともと奪われるべき自由意志など登場人物たちは持っていないからです。
というよりも、夢の中の登場人物は実在しない無であり、夢見る者が生み出した幻にすぎないのです。

幻が自由意志を持つでしょうか。

夢だと意識していようがいまいが、登場人物たちはすべて夢見る者が生み出し操っている人形にすぎず、夢見る者から独立した存在ではありません。

ある人が夜見る夢の中に、別の人の見ている夢が割り込んできて、別の夢見る者の意志に基づくキャラクターの動きが生まれるわけではないのです。

このように、夢の中の登場人物たちには自由意志はなく、夢見る者が自分で操っているのですが、普通の(明晰夢ではない)夢の中では、夢を見ている自分は意識を自分の一体化している主役に狭まらせてしまっているために、他の登場人物たちが自分の意志で勝手に動いているように感じます。

しかし、当人が自由意志の感覚を持つことができるのは一体化している主役だけなので、他のキャラクターたちが、本当に中身のある存在なのか疑念を持ちます。



夢の中の登場人物としての自分と他の登場人物とは、両方とも、夢見る自分の生み出した想像の産物にすぎません。明晰夢の状態であれば、各登場人物一人ひとりに順次「憑依」していったり、一斉に全員を統制したりすらできる夢見る者の分身にすぎません。

マリオネットたちを背後で操る人形使いはひとりしかいないのです。

したがって、夢見る者が生み出した幻である主役のエゴ・身体と他者のエゴ・身体との間には時間と空間の隔たりがあり隙間が空いているように見えますが、本当は、両者の間には隙間はないということになります。。

夢の中で登場人物たちを隔てる空間がどれほど大きなものであろうと、夢を見ている人のベッドサイドの空間がほんのわずかでも消費されるわけではありません。

ただし、夢の中に出てくる他者の夢、つまり、特定の身体と個性を備えた誰かであるという幻想を分かち合うならば、夢の世界の登場人物たちの隔たりは解消されないままとなり、真の彼、つまり、夢見る存在としての自分とは出会わないことを選択することになります。

私たちが自分や他者の幻の自己像を信じてしまうと、相互に相手の夢に束縛し合い、解放されないままになってしまいます。



これについて、テキストは、自分も含めて夢の中の登場人物たちの抱く分離しているとの夢を共有しないこと、すなわち、聖霊の導きに従い、心は一体でひとつにつながっていて、自分と兄弟は分離などしていないと気づき、兄弟とひとつに結びつこうとの意志を持つことによって、それまで恐怖の夢が跋扈していた自分と兄弟との間の隙間から夢が取り除かれ、隙間を空っぽにすることができるといいます。





そして、この夢が取り除かれた隙間に、聖霊は、神の子が分裂してバラバラになる前の本来の完全な姿、無数に散らばったかけらをつなぎ合わせて完成させた神の子の絵を掲げてくれるといいます。

分離の幻想が生じる前の神の子の完全な姿を描写するのがこの絵です。

私たちは意識していなくても、世界は、私たちのことを、この絵が打ち砕かれて無数に分裂した一つひとつのかけらとして見なしています。

私たちは、様々な形をしていて、一人ひとりがそれだけで自己完結した一枚の絵であると思い込んでいます。


しかし、世界の観念は、打ち砕かれる前の完全な絵の中から自分が引き継いだ属性次第で、自分は美しく優れていると感じる者もあれば、不完全なものでしかないと感じる者もあります。


私たちは、完全な絵のことを忘れ去っています。

仮に想像するにしても、自分たちが完全な存在が打ち砕かれて無数に分裂した存在だとすれば、ジグソーパズルのピースのようなものであり、それぞれが収まるべき場所に収まるなんて物理的に、到底不可能なことだとしか思えません。

個性溢れる無数に存在する個々のピース同士は自分の仲間になったり敵であったりすることはあっても、それ以上のものではないと感じます。


この完全な絵とかけらの喩えは、個々のピースが全体に欠かせないという点では、ジグソーパズルと同じですが、ジグソーパズルとピースの関係とはまったく違うものです。

どこが違うかといえば、個々のピースの中に全体像が含まれているということです。

ジグソーパズルがフォトグラフィ(写真技術)とすれば、この完全な絵は、ホログラフィのようなものです。


物理的に一枚の絵を分割させたフォトグラフィの欠片の場合は、一片のかけらは、全体の一部でしかなく、たとえば、ネコの写真の場合、尻尾の部分の欠片だけを見ていたのでは、毛虫の写真なのか何なのか判別できませんが、ほかのピースとつなぎ合わせることではじめて、何とかネコだと分かります。




これとは違い、ホログラフィでは、一片のかけらの中に全体像が含まれているということです。ホログラム・フィルムのどの部分を切り取っても、ネコの全体像が再現できます(ホログラフィの原理参考1ホログラフィの原理参考2)。



「白黒の写真は光強度(単位面積あたりの光のエネルギー)が記録された点の集まりで、どの点も光強度という1つの情報しかない。カラー写真は(実際は光の三原色に相当する3つの波長のみであるが)さらに光の波長の情報が加わる。しかし、ホログラムでは光の電場の振幅や波長の情報だけでなくそれに位相の情報が加わる。写真では位相の情報は失われるが、ホログラムにおいては(通常は単一波長であるがカラーも可能である)光の電場の振幅と位相が記録される。像が再生される時にできる放射光は完全な3次元像となる。ホログラフィーと写真の違いはここにある。」( ウィキペディア



ホログラムでは、フィルムのいかなる部分にも全体像が記録されており、どの部分を切り取っても、それにレーザー光を当てて立体映像を再現できます。

拡散反射する物体に光が当たると、光はあらゆる方向に反射するため、物体の一点からの光はホログラム上のすべての点に記録されることになります。このことは、その物体のあらゆる点についてもあてはまります。

他方、ホログラム・フィルムの側から見ると、ホログラム上の一点には対象となる物体のあらゆる点からの光が到達してホログラムとして記録されます。

したがって、分割した一部分だけを使ってホログラムを再生しても物体の全体像が映し出されることになります。

この点で、ホログラムは冗長度の高い記録方法と言われます。つまり、どの部分にも同じことを繰り返し多重的に記録しているということです。


このように分散して記録されるので、ホログラムの一部分だけで全体像が再生できるので、ホログラムは小さくてもよく、仮に破壊されても像は再生できるのです。

ただし、大きなホログラムは再生される像の分解能が高くなるので、高精細で細部まで鮮明に全体像が見えることになります。

逆に言えば、ホログラムが細分化されるほど、切り取られた部分の情報が失われるので、鮮明度が失れることになり、再現される全体像は曖昧にぼやけていきます。

だから、細分化の程度が進むほど、全体像は薄まり、ほとんど見えないくらいにぼやけてしまいます。


「9. I thank You, Father, knowing You will come to close each little gap that lies between the broken pieces of Your holy Son.
 父よ、私は感謝いたします。あなたの聖なる子のばらばらになったかけらとかけらの間にあるわずかな隙間の一つひとつを閉じるために来てくれるとわかっているからです。

 Your holiness, complete and perfect, lies in every one of them.
 あなたの完全かつ完璧な神聖さはそれらのかけらの一つひとつの中にあります。

 And they are joined because what is in one is in them all.
 そして、ひとつの中にあるものはその全体の中にもあるので、それらはひとつに結ばれているのです。

 How holy is the smallest grain of sand, when it is recognised as being part of the completed picture of God's Son!
 一番小さな砂粒でさえ、それが神の子が完全に描かれた絵の一部であると気づかれたたなら、どんなに神聖なことでしょう。

 The forms the broken pieces seem to take mean nothing.
 その壊れたかけらがどんな形をとっているように見えようとも、それは何も意味しません。

 For the whole is in each one.
 というのは、一つひとつの中に全体が含まれているからです。

 And every aspect of the Son of God is just the same as every other part.
 そして、神の子のどの側面もみな、他のどの部分ともまったく同じなのです。」(テキスト第二十八章 IV. The Greater Joining 四 より偉大な結合)

明らかに、ホログラフィ的に私たちのことを描写しているとは思いませんか。


もっとも、ホログラムが細分化されると全体像が曖昧になってしまうということでしたが、私たち一人ひとりの中には、本来の姿である神の子の姿が眠っているとしても、全体像はぼやけてしまって、その上から、真実とは異なる自画像を上書きできるほどまでになってしまっています。

私たちは、世界が自分に割り当てた自画像を自分だと思い込まされて、それだけで自己完結した一枚の絵であると思い込んでいます。

そして、分離の幻想によって、私たちの自己像は、ホログラフィ的ではなく、フォトグラフィ的になってしまって、完全な絵を打ち砕いて無数のピースに細分化したイメージになっています。

そのため、全体で構成する絵がありうるということを想像するにしても、物理的なジグソーパズル的に捉えて、現実問題として、無数のピースをつなぎ合わせて全体の絵を完成させるなど不可能だとの諦念を抱かざるをえません。

そこで、その代わりの代用として、コラージュ・アートやモザイク・アートのように、ばらばらになったかけらをうまくつなぎ合わせることで、全体像とは違うとしても、素晴らしいものを作り上げることができる、したがって、個々のピースの個性こそ重要であって、ピースには優れたものも取るに足りないもの、さらには害にしかならないものまであるので、上手に価値判断して選別することが不可欠であるということになります。

そうなると、個人にとって大切なことは、自分の個性を開花させることだし、他者との関係は、欠点を補い合って各自の個性を統合的に発揮できるような特別な関係を作り出すことに価値があるという発想につながります。

そして、個々のピースには収まるべき場所が決められており、自分の才能を開花させる、自分にぴったりとつながる別のピースは特別な存在であって大切だが、そうではないピースは重要ではないので、どうなろうと知ったことではない、さらには、邪魔になる有害なピースは排除すべきということになります。



これに対して、ホログラム的に捉えると、個々のピースの個性自体は重要なことではなく、一つひとつのピースはその中に全体を宿しているがゆえにその点で、等しく重要だという発想になります。

ただ、この観点だけでは、全体の重視と個の否定という全体主義的な発想になりそうな感覚もあります。


しかし、どうしたって他者抜きではいられないのです。

上記のように、ホログラムは細分化されても、部分の中に全体像は残るものの、細分化されるつど、全体像は鮮明度を失い曖昧になるといいます。

つまり、ひとかけらである個人の中にはたしかに全体像は眠っていますが、その全体像を呼び起こすためには、その人ひとりきりの力だけでは何ともならないということです。





2つの絵で、闇の絵は絵の向こう側には何もないただの絵なのに対して、光の絵は、時間という枠の中に神聖な瞬間を嵌め込んだもので、その絵をよく見つめると、絵としての姿を変容させ、その向こう側にある永遠の現実を見せてくれるということでした。

本節で出てくる完全な絵も、この光の絵のようなものです。

光の絵は、絵のように見えるけれど、よく見ると、時間という枠の向こう側にある現実が見えてくるものであって、打ち砕こうにも打ち砕きようのないものです。

分離は、この光の絵をフリーズドライにして固めた絵を打ち砕いて分裂させたようなものでしかありません。

自分たちのことを、この絵がバラバラになったかけらだと思い込んでいる私たちからすれば、この絵の全体像は自分とは関わりのないもののように感じてしまいますが、この絵を思い描くことには重要な意義があります。

それは、ホログラムのひとつのかけらとしての私たち一人ひとりの中に眠る全体像を呼び起こす作用があるということです。


この一節では、錯覚である夢と夢を見る主体である心を区別し、兄弟の夢に加わって結びつこうとするのではなく、その兄弟と結びついて心をひとつにするようにといいます。

個別のピースに分離した兄弟の夢に加わって、その夢の中で、自分や兄弟を個別のピースとして捉えて、ジグソーパズルを埋めていくように特別な関係によって結合しようとするのではありません。

そうではなく、ジグソーパズルのピースのように、一見、多様な姿形をとっていて、美しいものもあれば、おぞましくすら見えるものもあるかもしれない世界がその兄弟に上書きしたうわべの姿を通り越して、上から世界が塗り上げたうわべの姿の下に隠れている真の姿を見ることによって、その兄弟と結びついて自分と一体である夢見る者である神の子を思い出すようにということです。






テキスト第二十八章 

IV. The Greater Joining
四 より偉大な結合


1. Accepting the Atonement for yourself means not to give support to someone's dream of sickness and of death.
 あなた自身の贖罪を受け入れることは、誰かの病気や死の夢を支援しようとしないことを意味します。

 It means that you share not his wish to separate, and let him turn illusions on himself.
 自分自身の贖罪を受け入れることは、その人が抱く分離して幻想に惑わされたままでいたいという願望をあなたが共有しないことを意味します。

 Nor do you wish that they be turned, instead, on you.
 しかも、あなたは、その代わりに、自分のほうが幻想に惑わされることを望むわけでもありません。

 Thus have they no effects.
 こうなると、それらの幻想は何の影響も及ぼすことができなくなります。

 And you are free of dreams of pain because you let him be.
 そして、あなたが彼を苦痛の夢から自由にしてあげるので、あなたもそんな夢から解放されます。

 Unless you help him, you will suffer pain with him because that is your wish.
 あなたが彼を助けないかぎり、あなたは彼と一緒に苦痛を味わうことになるでしょう。なぜなら、それがあなたの望みだからです。

 And you become a figure in his dream of pain, as he in yours.
 その場合、あなたは彼の苦痛の夢の中の登場人物となり、彼はあなた苦痛の夢の中の登場人物となります。

 So do you and your brother both become illusions, and without identity.
 こうして、あなたとあなたの兄弟は二人とも幻となり、アイデンティティーを喪失してしまいます。

 You could be anyone or anything, depending on whose evil dream you share.
 自分が誰の不幸な夢を分かち合うかに応じて、あなたは誰にでも、また何にでもなることができます。

 You can be sure of just one thing; that you are evil, for you share in dreams of fear.
 あなたがただひとつだけ確信できるのは、自分が不幸な存在だということです。なぜなら、あなたは恐れの夢を分かち合っているからです。




2. There is a way of finding certainty right here and now.
 まさに今ここにおいて、確実なものを見出す方法があります。

 Refuse to be a part of fearful dreams whatever form they take, for you will lose identity in them.
 それは、それがいかなる形をとろうとも、恐怖の夢の一部になるのを拒否することです。そうしないと、そのような恐ろしい夢の中では、あなたは自分が誰なのかわからなくなってしまうからです。

 You find yourself by not accepting them as causing you, and giving you effects.
 それらの夢が自分を生み出したとか、夢が自分に影響を及ぼしているということを受け入れないことによって、あなたは自分自身を見出すことができるのです。

 You stand apart from them, but not apart from him who dreams them.
 あなたはそれらの夢からは離れていても、それらの夢を夢見ている者からは離れてはいないのです。

 Thus you separate the dreamer from the dream, and join in one, but let the other go.
 このようにして、あなたは夢見る者を夢から引き離し、彼とひとつにならねばなりません。しかし、それ以外のものは手放さなければなりません。

 The dream is but illusion in the mind.
 夢は、心の中で起こる錯覚でしかありません。

 And with the mind you would unite, but never with the dream.
 だから、あなたは、その心とはひとつに結びつくことはできても、決してその夢とひとつに結びつくことはできません。

 It is the dream you fear, and not the mind.
 あなたが恐れているのは夢であって、心を恐れているわけではありません。

 You see them as the same, because you think that you are but a dream.
 あなたは夢と心を同じものだと見ています。その理由は、あなたは自分のことを夢でしかないと思っているからです。

 And what is real and what is but illusion in yourself you do not know and cannot tell apart.
 だから、あなたは、自分自身の中で、何が本当で何が単なる幻なのかわからず、見分けもつかなくなってしまっているのです。

名称未設定


3. Like you, your brother thinks he is a dream.
 あなたと同じように、あなたの兄弟も自分のことを夢だと思っています。

 Share not in his illusion of himself, for your Identity depends on his reality.
 彼が自分自身について抱く幻想を共有してはなりません。というのは、あなたのアイデンティティーはその兄弟の真の姿にかかっているからです。

 Think, rather, of him as a mind in which illusions still persist, but as a mind which brother is to you.
 むしろ、彼のことをその中ではまだ幻想が持続している心ではあるものの、あなたにとっては兄弟である心として考えてください。

 He is not brother made by what he dreams, nor is his body, "hero" of the dream, your brother.
 彼は彼が夢見ているものによって兄弟になるわけではないし、彼の身体、つまり、夢の中の「主人公」があなたの兄弟であるわけでもありません。

 It is his reality that is your brother, as is yours to him.
 あなたの真実の姿が彼にとっては兄弟であるように、彼の真実の姿こそが、あなたの兄弟なのです。

 Your mind and his are joined in brotherhood.
 あなたの心と彼の心は、兄弟としての愛で結ばれています。

 His body and his dreams but seem to make a little gap, where yours have joined with his.
 彼の身体と彼の夢とがわずかな隙間を作っているように見えているだけです。その隙間において、あなたの身体と夢が兄弟の身体と夢と一緒になっているのです。




4. And yet, between your minds there is no gap.
 しかし、あなたの心と兄弟の心の間には、いかなる隙間もありません。

 To join his dreams is thus to meet him not, because his dreams would separate from you.
 ですから、彼の夢に加わることは、彼とは出会わないことを意味します。なぜなら、彼の夢はあなたから分離していくものだからです。

 Therefore release him, merely by your claim on brotherhood, and not on dreams of fear.
 それゆえ、恐ろしい夢が要求するからではなくて、単に兄弟愛に基づく当然の求めとして、彼を解放してください。

 Let him acknowledge who he is, by not supporting his illusions by your faith, for if you do, you will have faith in yours.
 もし彼の幻想の姿を信頼するなら、あなたは自分についての錯覚をも信じてしまうようになるので、あなたが彼の幻想を信じずにそれを支持しないことによって、彼に自分が本当は誰であるのかを気づかせてあげてください。

 With faith in yours, he will not be released, and you are kept in bondage to his dreams.
 あなたが自分の幻想を信じてしまうと、彼は解放されないし、あなたも彼の夢に束縛されたままになってしまいます。

 And dreams of fear will haunt the little gap, inhabited but by illusions which you have supported in your brother's mind.
 そうなると、ただ幻想によってのみ棲息できる恐怖の夢がそのわずかな隙間に絶えず姿を現すようになってしまうでしょう。あなたは自分の兄弟が心の中に幻想を抱くことを支援してきたのです。

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5. Be certain, if you do your part, he will do his, for he will join you where you stand.
 もしあなたが自分の役割を果すなら、兄弟はあなたのいる場所であなたと結びつくので、兄弟も彼の役割を果たすようになることを確信してください。

 Call not to him to meet you in the gap between you, or you must believe that it is your reality as well as his.
 その兄弟にあなたたち二人の間にある隙間で会おうと呼びかけたりなどしないでください。もしそんなことをすれば、あなたは必ず、その隙間が存在することが兄弟にとって現実であるように、自分にとっても現実であると信じてしまうことになります。

 You cannot do his part, but this you do when you become a passive figure in his dreams, instead of dreamer of your own.
 あなたには、兄弟の役割を果たすことはできません。しかし、あなたが自分自身の夢を見る代わりに、彼の夢の中で夢見られる登場人物になるなら、あなたは確かに彼の役割を演じることになります。

 Identity in dreams is meaningless because the dreamer and the dream are one.
 夢を見る者と夢自体は一体なので、夢の中でアイデンティティーを抱くことは無意味なことです。

 Who shares a dream must be the dream he shares, because by sharing is a cause produced.
 共有することによってひとつの原因が生み出されることになるので、ある夢を分かち合う者は自分が共有する夢そのものであるに違いありません。




6. You share confusion and you are confused, for in the gap no stable self exists.
 あなたが混乱を共有すれば、あなたは確かに混乱します。というのは、そうした隙間の中には安定した自己はまったく存在できないからです。

 What is the same seems different, because what is the same appears to be unlike.
 同じものが似ていないものとして見えてくるので、同じものが違ったものに見えます。

 His dreams are yours because you let them be.
 あなたが兄弟の夢を存在させるので、兄弟の夢はあなたの夢になります。

 But if you took your own away would he be free of them, and of his own as well.
 しかし、もしあなたが自分の夢を取り去れば、彼はあなたの夢から自由になれるし、彼自身の夢からも自由になれます。

 Your dreams are witnesses to his, and his attest the truth of yours.
 あなたの夢は彼の夢が本物であることを証明し、彼の夢はあなたの夢が真実であることを証明します。

 Yet if you see there is no truth in yours, his dreams will go, and he will understand what made the dream.
 しかし、もしあなたが自分の夢が真実ではないと理解すれば、彼の夢は消え去り、彼も何が自分の夢を作り出していたのか理解するようになります。

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7. The Holy Spirit is in both your minds, and He is One because there is no gap that separates His Oneness from Itself.
 聖霊はあなたと兄弟の双方の心の中にいますが、聖霊はたったひとつの大いなる存在です。なぜなら、聖霊の一体性をそれ自体から分離させるような隙間など存在しないからです。

 The gap between your bodies matters not, for what is joined in Him is always one.
 あなたたちの身体と身体の間の隙間など問題ではありません。というのは、聖霊の内に結ばれているものはつねにひとつだからです。

 No one is sick if someone else accepts his union with him.
 もしほかの誰かが自分がその人とひとつに結びついていることを受け入れるなら、誰も病気にはなりません。

 His desire to be a sick and separated mind can not remain without a witness or a cause.
 その人が病気になって分離した心でいたいと願っても、そんな願いは、それを証明するものや原因がなければ、叶えられることはできません。

 And both are gone if someone wills to be united with him.
 そして、もし誰かがその人とひとつに結びつこうという意志を持つなら、そんな願いの証拠や原因は両方とも消え去ってしまいます。

 He has dreams that he was separated from his brother who, by sharing not his dream, has left the space between them vacant.
 その人は自分が兄弟から分離していた夢を見てはいますが、その兄弟がその人の夢を分かち合わないことによって二人の間の空間が使われないことになります。

 And the Father comes to join His Son the Holy Spirit joined.
 そうすれば、父は、聖霊が結びつけた子とひとつになるためにやってきてくれるのです。




8. The Holy Spirit's function is to take the broken picture of the Son of God and put the pieces into place again.
 聖霊の役目は、神の子のばらばらに壊れた絵を取って、そのかけらを元の場所に戻して再生することです。

 This holy picture, healed entirely, does He hold out to every separate piece that thinks it is a picture in itself.
 聖霊はこうして完全に元通りにした神聖な絵を、各自がそれ自体で一枚の絵なのだと思い込んでいる一つひとつの分離したかけらたちに、掲げて見せてくれます。

 To each He offers his Identity, which the whole picture represents, instead of just a little, broken bit that he insisted was himself.
 聖霊はそれぞれの分離したかけらたちに、当人が自分だと言い張っていたほんの小さな破片の代わりに、その絵の全体が表している彼の真のアイデンティティーを差し出します。

 And when he sees this picture he will recognize himself.
 そして、誰でもこの完全な絵を見たら、彼は自分が本当は何者なのか気づくはずです。

 If you share not your brother's evil dream, this is the picture that the miracle will place within the little gap, left clean of all the seeds of sickness and of sin.
 もしあなたが自分の兄弟の不幸な夢を分かち合わずにいるなら、奇跡はこの完全な絵を、病気や罪の種をすべて取り除いて綺麗にしてあるわずかな隙間に置いてくれます。

 And here the Father will receive His Son, because His Son was gracious to himself.
 そして、ここで父はわが子を迎え入れてくれます。なぜなら、子が神自身を寛大な心で受け入れたからです。

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9. I thank You, Father, knowing You will come to close each little gap that lies between the broken pieces of Your holy Son.
 父よ、私はあなたに感謝いたします。あなたの聖なる子のばらばらになったかけらとかけらの間にあるわずかな隙間の一つひとつを閉じるために、あなたが来てくれるとわかっているからです。

 Your Holiness, complete and perfect, lies in every one of them.
 あなたの完全かつ完璧な神聖さはそれらのかけらの一つひとつの中にあります。

 And they are joined because what is in one is in them all.
 そして、ひとつの中にあるものはその全体の中にもあるので、それらはひとつに結ばれているのです。

 How holy is the smallest grain of sand, when it is recognized as being part of the completed picture of God's Son!
 一番小さな砂粒でさえ、それが神の子が完全に描かれた絵の一部であると気づかれたたなら、どんなに神聖なことでしょう。

 The forms the broken pieces seem to take mean nothing.
 その壊れたかけらがどんな形をとっているように見えようとも、それは何も意味しません。

 For the whole is in each one.
 というのは、一つひとつの中に全体が含まれているからです。

 And every aspect of the Son of God is just the same as every other part.
 そして、神の子のどの側面もみな、他のどの部分ともまったく同じものなのです。




10. Join not your brother's dreams but join with him, and where you join His Son the Father is.
 あなたの兄弟の夢に加わって結びつこうとするのではなく、その兄弟自身と結びついて心をひとつにしてください。そして、あなたが神の子とひとつに結びつくところには父なる神がいるのです。

 Who seeks for substitutes when he perceives he has lost nothing?
 いったい誰が、自分が何ひとつ失ってはいないと知覚しているのに、代わりのものを探し求めようとするでしょうか。

 Who would want to have the "benefits" of sickness when he has received the simple happiness of health?
 いったい誰が、健康という自然な幸せを授かっているのに、病気がもたらす「恩恵」を得たいなどと思うでしょうか。

 What God has given cannot be a loss, and what is not of Him has no effects.
 神が与えてくれたものが損失になるはずがありません。そして、神に由来しないものには何の結果もないのです。

 What, then, would you perceive within the gap?
 そうだとすれば、あなたはいったい何をその隙間の中に知覚するつもりなのでしょうか。

 The seeds of sickness come from the belief that there is joy in separation, and its giving up would be a sacrifice.
 病気の種は、分離した状態にあることには喜びがあり、分離状態を放棄することは犠牲を払うことになるはずだという信念から生じます。

 But miracles are the result when you do not insist on seeing in the gap what is not there.
 しかし、あなたがその隙間には存在しないものを何とかして見ようというこだわりを捨てさえすれば、奇跡がその成果として起こります。

 Your willingness to let illusions go is all the Healer of God's Son requires.
 神の子の大いなる癒し主が必要とするのは、あなたが自ら進んで幻想を手放す意欲を持つことだけです。

 He will place the miracle of healing where the seeds of sickness were.
 神の子の大いなる癒し主は、病気の種があった場所に癒しの奇跡を置いてくれます。

 And there will be no loss, but only gain.
 そして、そこでは、何も失われることはなく、ただ得られるばかりなのです。



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