There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T29-7 自分の外を探さない

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今回は、テキストから、自分自身の外を探求してはならないということを解説する一節をご紹介します。







汝自身を知れで触れたように、テキストは、自分自身を知るためには自分の中だけを探すのではなく、他者との出会いを神聖な出会いとして、自分がエゴに従っているのか、聖霊に従っているのか、他者を鏡として気づくことが必要だと言うことも言います。

自分の中でだけ探しちゃダメだといいながら、自分の外を探してはならないというのは矛盾しているように思えます。

どういうことなのでしょうか?

これは、矛盾ではありません。

汝自身を知れというときの自分の中だけを探さないというときの、「自分」とはエゴに従う者としての「小さな自己」の中だけで探さないという意味です。


これに対して、自分の外側に探してはならないというのは、本当は自分が「大いなる自己」でありすべてであるのに、自分が「小さな自己」であると誤信して、外の世界に自分を完全にしてくれる何かがあると勘違いして、偶像を作り出しては、それを探してはならないということです。


あくまでも探求の目標は、真我である大いなる自己であって、大いなる自己を「自分」として、その外に何かを求めることはせず、大いなる自己が分裂しているように見える個別の小さな自己たちのうちの自分が一体化しているエゴ・身体だけの中で探すのではなく、他者のように見える人たちを鏡にして(決して偶像にすることなく)本当の自分を思い出すということです。

「※テキスト、第八章、三 聖なる出会い
「5. カリキュラムの目標は、あなたが選ぶ教師がどちらであるかにかかわらず、「汝自身を知れ」というものです。

自分を知ること以外に他に求めるべきものなど何ひとつとしてありません。

誰もがみな自分自身を探そうとし、自らが失ってしまったと思っている力と栄を探し求めています。

あなたが誰かと一緒にいるときはいつでも、あなたは、自らの探し求めているものを見出せるまた別の機会を得ているのです。

あなたの力と栄は、あなたと一緒にいるその人の中にあります。なぜなら、その人の力と栄はあなたのものだからです。

エゴは、力と栄をただ、あなた自身の中だけで見付け出そうとします。なぜなら、エゴは、それらをどこで捜せばいいのか知らないからです。

聖霊はあなたに、もしあなたが自分だけを見ていたのでは、あなたには自分自身を見出すことなどできないと教えてくれます。なぜなら、あなたの見ている自分自身は、真のあなたではないからです。あなたが兄弟と一緒にいるときはいつも、あなたは真の自分が何であるのかを学んでいるのです。

なぜなら、そのとき、あなたは兄弟に自分が何であるかを示しているからです。

あなたと一緒にいるその兄弟は、あなたがエゴと聖霊のいずれの教師に従っているかによって、あなたに苦痛をもって応じるか、あるいは喜びをもって応じるかのどちらかの反応を示します。その兄弟は、どちらの教師に従うかというあなたの決心次第で、幽閉されるか解放されることになります。

このことは、同じようにあなたにもあてはまります。あなたの兄弟に対する自分の責任を決して忘れないようにしなさい。なぜなら、兄弟に対するあなたの責任は、あなた自身に対するあなたの責任だからです。その兄弟に王国での居場所を与えなさい。そうすれば、あなたも王国に自分の居場所を得ることになります。



6. 王国は独りで見出すことができるものではありません。

そして、王国そのものであるあなたは、独りで自分自身を見出すこともできません。

ゆえに、自己を知るというカリキュラムの目標を達成するために、あなたは、カリキュラムの目的を挫くことを目的としているエゴに耳を貸しているわけにはいきません。

エゴは、エゴに耳を貸していたのでは、あなたは自己を知ることができないということを知りません。

それというのも、エゴには何も知ることなどできないからです。

しかし、あなたは、エゴに耳を貸す限りは自己を知ることはないことを知ることができます。

そして、もしあなたが、エゴが自分をどんなものにしようとしているのか見てみる気があれば、あなたはそれを知ることになります。

エゴがあなたをどうしようとしているのか見ることは、あなたの責任です。なぜなら、一旦、エゴが自分をどうしようとしているのか、しっかりと見さえすれば、あなたは自分自身のために贖罪を受け入れるはずだからです。

あなたに他にどんな選択ができるというのでしょうか。

あなたが自分自身のために贖罪を受け入れるというこの選択をすれば、あなたには、かつて自分が誰か他の人に会った際に、自分が彼のことを確かに他人だと思い、そう信じたのはどうしてだったのか分かってきます。

そして、あなたが十分に関わる聖なる出会いはどれも全て、出会う人たちは他人なのではなく、あなたなのだということを教えてくれるでしょう。




7. あなたは、ただあなた自身の一部に出会うことしかできません。なぜなら、あなたは全てである神の一部だからです。

神の力と栄は至るところにあるので、あなたが神の力と栄から除外されることなど不可能なことです。

エゴは、あなたの力はあなたの中にだけあるのだと教えます。

聖霊は、全ての力は神の中にあり、したがって、あなたの中にあると教えます。

神は誰一人として苦しまないようにと望んでいます。

神は、あなたを含む誰であれ、間違った決心のために苦しんで欲しいなどと意図してはいません。

だからこそ、神は、間違った決心を取り消すための手段をあなたに与えてくれているのです。

神の力と栄光を通して、全てのあなたの間違った決心は完全に取り消されます。

それによって、神の子のどの一部であれ、その者が心に宿す閉じこめたい閉じこもりたいという思いの一つひとつから、あなたと兄弟は解放されます。

間違った決心には何の力もありません。なぜなら、間違った決心は真実ではないからです。

間違った決心が生み出すように見える幽閉状態など間違った決心と同じように真実ではないのです。」






さて、奇跡のコースは、私たちは、神に創造された神の子として、神の拡張としてすべてである神と一体であるといいます。

これが本当であるなら、本当はすべてであるものが、その一部でしかないものになるということ自体、不可能なことです。

そして、全体であるのに自分が一部であると信じ込んで、自分の外側に何かを求めるということは、本当に自分を切り分けて、小さな一部分になることができたのなら別ですが、そうでないかぎり、一体性という真実を否認して、真理に反する幻想を抱いて、幻想の中に迷い込むことにしかなりません。


これは、自分の自己像を、真実の大いなる自己ではなく、矮小で取るに足りない小さな自己であるとして、間違ったアイデンティティーを持つことです。

本当の自分を見失って、すべてを持っているのに、欠乏していると思い込んでいたのでは、幸せになることなどできるはずもありません。

私たちは、自分には何かが欠落しており、自分自身の外側にある何かでこれを補わなければ、自分は完全なものになることはできないと信じています。

お金であったり、交際相手であったり、仕事であったり、肩書きであったり、今の自分は駄目だけど、あの会社に入ることさえできれば、あの人と付き合うことができれば、あの大学に合格さえすれば・・・と。

逆に、その何かを手に入れた後も、それが自分の完全さを保つ欠かせない要素と信じ込むので、失うことを恐れてそれに固執してしまいます。

この欲望は精神的な事柄に向かうこともできます。

悟りを開くことができれば、「自分」は完全になることができると。

このような自分に欠けている何かを補って満たしてくれるものは、人であれ、物であれ、権力であれ、名声であれ、健康であれ、環境であれ、心境であれ、それらは特別な存在となり、その特別性を追い求めます。

こうして、私たちは、不幸にも決して探し求めるものを見出すことのできない探求へと乗り出すことになります。

ロバート・シャインフェルドさんの例えるドッグ・レースでグレイハウンドが自分たちの前を機械が絶妙なスピードで牽引するウサギの人形を必死になって追いかけるようなもので、あらかじめ追いつけないような仕組みになっているのです。

ただし、ドッグレースの犬たちは可哀想にも、追いかけるのをやめたら仕事を失い本当に生命の危機にさらされかねないですし、私たちも、この犬たちと自分が同じだと信じているわけですが、追いかけるのをやめたらどうなるか試してみるどころか、考えてみることすら、大多数の人はしようとはしません。

でも、求めるものが必死で追い求めても絶対に手に入らないのであれば、頑張っても地獄、止まっても地獄なのですから、両方の地獄を天秤にかければ、止まったほうの地獄が本当に地獄なのか、確かめてみる価値はありそうです。

というのも、追い求めても決して見出せない理由は、探そうとしているものが、実は自分自身の中にあるということらしいからです。

さて、このように自分の外側に何かを求めてしまうのは、自分を身体と一体化し、エゴの信奉する欠乏の原理を心底から信じ込んでしまうによるものですが、これを補う特別な存在が偶像です。

偶像は、自分の不完全さを補ってくれる特別な何かを自分自身の外に追い求めるための象徴、形であり、エゴの空疎な願望を体現するものです。

偶像は必ず期待を裏切って崩れ落ち、崇拝者を失望させます。

自分が欠乏しているとの思いから、外の何かに希望を抱き、いつか失望してはまた別の希望を見つけてはその繰り返しというのは、誰しも自分の人生で体験していることだと思います。

この点については、反キリストが参考になるのでご一読ください。



さて、この一節では、このように自分の外に偶像を求めては幻滅して絶望し、また別の偶像を見つけるという無限のループに嵌ってしまうことから抜け出すために必要なのは、私たちが、自分にはこの世界の目的がわかっていないと決断することだけだと言います。

私たちは、すべてである神と一体である神の子として、本来、自分の内側にあるものを完全にする力を持っていながら、本当の自分を、小さな自己と外側の夢見る世界に二つに分裂させて、夢の世界の中で、自分自身の外側に偶像を探すための場所を見ようとしています。

私たちは、自分が夢を見る存在として、夢の世界のすべてを生み出していることを忘れ、自分を夢の中のちっぽけな一登場人物に縮小させて、その小さな自分の外側から世界が自分に与えられたものであるかのように知覚しています。

本当は、夢見る自分が偶像にさせたいことさせているのであり、力を授けているのに、私たちは、そんな偶像たちの持つ力を自分のものにしたいといって、夢の中で虚しくも偶像たちを追い求めるのです。








テキスト第二十九章 

VII. Seek Not Outside Yourself
七 自分自身の外側を探さないように




1. Seek not outside yourself.
 自分自身の外側を探そうとしてはなりません。

 For it will fail, and you will weep each time an idol falls.
 というのは、それは失敗に終わるし、あなたは崇拝する偶像が崩れ落ちるたびに涙を流すことになるからです。

 Heaven cannot be found where it is not, and there can be no peace excepting there.
 天国が存在しないところに天国を見出せるはずがありません。そして、平安は天国以外の場所にはありえません。

 Each idol that you worship when God calls will never answer in His place.
 あなたが崇拝する偶像はどれも、神が呼んでいるときに、決して神の代わりに答えてはくれません。

 There is no other answer you can substitute, and find the happiness His answer brings.
 あなたが神の答えの代わりに置き換えて、神の答えがもたらす幸せを見つけられるような答えなどほかには何もありません。

 Seek not outside yourself.
 だから、自分自身の外側を探そうなどとしてはなりません。

 For all your pain comes simply from a futile search for what you want, insisting where it must be found.
 それは、あなたの味わう苦痛はすべて、単に自分の望むものを、それが見出せるはずだと自分で思い込んでいる場所に固執して不毛な探求をし続けることに由来しているからです。

 What if it is not there?
 もし自分の望むものが、そこになかったらどうするのでしょうか。

 Do you prefer that you be right or happy?
 あなたは自分が正しいほうがいいのでしょうか、それとも幸せなほうがいいのでしょうか。

 Be you glad that you are told where happiness abides, and seek no longer elsewhere.
 どこに幸せがあるのか、それを教えてもらえることを喜びなさい。だから、もうこれ以上、別の場所で探さないでください。

 You will fail.
 さもなければ、あなたは失敗するだけです。

 But it is given you to know the truth, and not to seek for it outside yourself.
 とはいえ、幸せは、あなたが真実を知るために与えられているのであって、あなた自身の外側に幸せを見つけるために与えられるのではないのです。





2. No one who comes here but must still have hope, some lingering illusion, or some dream that there is something outside of himself that will bring happiness and peace to him.
 この世界に来る者は誰であれ、きっと自分の外側にはまだ自分に幸福と平安をもたらしてくれる何かがあるはずだと期待し、いつまでも燻りつづけるような幻想や何かしらの夢を抱いているに違いありません。

 If everything is in him this cannot be so.
 もしすべてのものが彼の中にあるとすれば、幸福や平安をもたらしてくれるものが彼自身の外側に存在するはずがありません。

 And therefore by his coming, he denies the truth about himself, and seeks for something more than everything, as if a part of it were separated off and found where all the rest of it is not.
 したがって、ここに来ることによって、彼は自分自身についての真実を否定し、すべてのもの以上の何かを探しているということになります。それはまるで、すべてのものの一部分が切り離されて、その残りの全部が存在しない場所でそれ見出そうとするようなものです。

 This is the purpose he bestows upon the body; that it seek for what he lacks, and give him what would make himself complete.
 これこそ、彼が身体に与える目的です。すなわち、身体の目的は、自分に欠けているものを探し出して、自分自身を完全にしてくれるものを彼に与えることなのです。

 And thus he wanders aimlessly about, in search of something that he cannot find, believing that he is what he is not.
 こうして、彼は自分のことを本当の自分とは違う何者かであると信じながら、自分に見つけ出すことができない何かを探そうとして、あてどなくさまよっているのです。

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3. The lingering illusion will impel him to seek out a thousand idols, and to seek beyond them for a thousand more.
 なかなか消えない幻想が、彼に千もの偶像を探求させ、それを越えてさらに千もの偶像を探すようにと駆り立てます。

 And each will fail him, all excepting one; for he will die, and does not understand the idol that he seeks is but his death.
 そして、ひとつの偶像だけは別として、どの偶像もみな彼を失望させるでしょう。それというのも、彼は死ぬことになっていて、自分が探している偶像とは、まさに自分の死にほかならないことが理解できないからです。

 Its form appears to be outside himself.
 一見、その偶像の形は彼自身の外側に存在するように思えます。

 Yet does he seek to kill God's Son within, and prove that he is victor over him.
 しかし、彼は内面にいる神の子を殺し、自分がその神の子を打ち負かした勝者だと証明しようとしているのです。

 This is the purpose every idol has, for this the role that is assigned to it, and this the role that cannot be fulfilled.
 神の子を殺すことこそ、すべての偶像が持つ目的です。というのも、これが偶像に割り当てられた役目だからなのですが、神の子を殺すというのは達成不可能な役目です。





4. Whenever you attempt to reach a goal in which the body's betterment is cast as major beneficiary, you try to bring about your death.
 あなたが身体の改善が主要な利益となる目標を達成しようと試みるたびに、あなたは自分に死をもたらそうとしているのです。

 For you believe that you can suffer lack, and lack is death.
 というのは、あなたは自分は欠乏して苦しむことができると信じているのであり、欠乏状態とは死だからです。

 To sacrifice is to give up, and thus to be without and to have suffered loss.
 犠牲になるということは何かを諦めることであり、したがって、それを持たずにいるということであり、損失を被ったということです。

 And by this giving up is life renounced.
 だから、こうして諦めることによって、生命は放棄されるのです。

 Seek not outside yourself.
 自分自身の外側を探さないでください。

 The search implies you are not whole within and fear to look upon your devastation, but prefer to seek outside yourself for what you are.
 そうした探索をすることは、あなたは内面において完全でなく、自分の荒廃状態を見るのが怖くて、むしろ自分自身の外側に本当の自分を探すほうがましだと思っていることを暗に意味します。

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5. Idols must fall because they have no life, and what is lifeless is a sign of death.
 偶像は生命を持たないので、必ず崩れ落ちます。そして、生命のないものは死の印といえます。

 You came to die, and what would you expect but to perceive the signs of death you seek?
 あなたは死ぬためにやってきたのです。とすれば、あなたの探している死の印を知覚する以外に何を期待できるというのでしょう。

 No sadness and no suffering proclaim a message other than an idol found that represents a parody of life which, in its lifelessness, is really death, conceived as real and given living form.
 いかなる悲しみや苦しみも、生命あるものをお粗末に真似たような偶像を見つけたと知らせているにすぎずません。偶像には生命がないので、本当は死であるのに、それは実在するものだと考えられて生きているものとしての形を与えられています。

 Yet each must fail and crumble and decay, because a form of death cannot be life, and what is sacrificed cannot be whole.
 しかし、どの偶像にも必ず失望させられます。そして、偶像は、脆くも崩れて腐敗します。なぜなら、死の一形態が生命であるはずがないし、犠牲にされたものが完全であるはずもないからです。





6. All idols of this world were made to keep the truth within from being known to you, and to maintain allegiance to the dream that you must find what is outside yourself to be complete and happy.
 この世界の偶像はすべて、内なる真理があなたに知られないまま保たれるように作られました。そしてまた、偶像はすべて、あなたが完全で幸せになるためには、自分自身の外側にあるものを見つけなければならないという夢に、いつまでも忠実に従わせるために作られたのです。

 It is vain to worship idols in the hope of peace.
 平安を望んで偶像を崇拝しても無駄なことです。

 God dwells within, and your completion lies in Him.
 神はあなたの内に宿るのであり、その神の中にこそ、あなたの完成を見出すことができます。

 No idol takes His place.
 どのような偶像も、神に取って代わることなどできません。

 Look not to idols.
 偶像を頼みになどしないでください。

 Do not seek outside yourself.
 あなた自身の外側を探そうとしないでください。


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7. Let us forget the purpose of the world the past has given it.
 過去がこの世界に与えた目的など忘れてしまいましょう。

 For otherwise, the future will be like the past, and but a series of depressing dreams, in which all idols fail you, one by one, and you see death and disappointment everywhere.
 さもないと、未来は、過去と同じように憂鬱な夢の連続となって、その夢の中ですべての偶像がひとつまたひとつとあなたを失望させ、あなたはあらゆるところに死と絶望を目にすることになってしまいます。





8. To change all this, and open up a road of hope and of release in what appeared to be an endless circle of despair, you need but to decide you do not know the purpose of the world.
 こうしたことのすべてを変化させて、絶望の無限の堂々巡りに見えるもの中に希望解放の道を開くために必要なのは、あなたが、自分はこの世界の目的がわかっていないと決断することだけです。

 You give it goals it does not have, and thus do you decide what it is for.
 あなたはこの世界に、この世界が持っていない目標を与えて、そうして、この世界が何のためにあるのか自分で決定しようとします。

 You try to see in it a place of idols found outside yourself, with power to make complete what is within by splitting what you are between the two.
 あなたは、本来の自分を内側と外側の二つに分裂させることによって、自分の内側にあるものを完全にする力を備えた偶像の居場所を自分自身の外側のこの世界の中に見出そうとしています。

 You choose your dreams, for they are what you wish, perceived as if it had been given you.
 あなたは、自分の夢のほうを選んでいるのです。というのも、あなたの夢は、それがまるでそれが自分に与えられたかのように自分の願望を知覚することだからです。

 Your idols do what you would have them do, and have the power you ascribe to them.
 あなたの偶像はあなたがその偶像にさせたいことをするし、あなたがそれらに与える力を持ちます。

 And you pursue them vainly in the dream, because you want their power as your own.
 そして、あなたは、そんな偶像たちの持つ力を自分のものにしたいといって、夢の中で虚しくも偶像たちを追い求めるのです。

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9. Yet where are dreams but in a mind asleep?
 しかし、夢の世界は眠っている心の中以外のどこにあるでしょうか。

 And can a dream succeed in making real the picture it projects outside itself?
 そして、眠っている心が自分自身の外側に投影する光景を本物に作り変えることなど夢にできるでしょうか。

 Save time, my brother; learn what time is for.
 兄弟よ、時間を無駄にしないで、時間が何のためにあるのか学んでください。

 And speed the end of idols in a world made sad and sick by seeing idols there.
 そして、そこに偶像を見ることによって惨めに病んでしまった世界の中で、早く偶像に終焉をもたらしてください。

 Your holy mind is altar unto God, and where He is no idols can abide.
 あなたの神聖な心は神の祭壇であり、神が在るところにはいかなる偶像も留まることはできません。

 The fear of God is but the fear of loss of idols.
 神に対する恐れは、偶像を失うことに対する恐れにすぎません。

 It is not the fear of loss of your reality.
 その恐れは、あなたの本当の姿を失うことへの恐れではないのです。

 But you have made of your reality an idol, which you must protect against the light of truth.
 しかし、あなたは偶像こそが自分の本当の姿だということにしてしまったので、そのことに真理の光が当たらないように守らざるをえないのです。

 And all the world becomes the means by which this idol can be saved.
 そして、全世界が、このような偶像が救われるための手段になってしまいます。

 Salvation thus appears to threaten life and offer death.
 こうして、救済は生命を脅かし、死を差し延べるもののように見えてしまうのです。





10. It is not so.
 しかし、そんなことは事実ではありません。

 Salvation seeks to prove there is no death, and only life exists.
 救済は、死は存在せず、生命だけが存在することを証明しようとします。

 The sacrifice of death is nothing lost.
 死を犠牲にしても、何ひとつ失われるものはありません。

 An idol cannot take the place of God.
 偶像は神に取って代わることはできません。

 Let Him remind you of His Love for you, and do not seek to drown His Voice in chants of deep despair to idols of yourself.
 あなたに対する神の大いなるを神に思い出させてもらいなさい。そして、あなた自身の偶像に捧げる深い絶望の歌声の中に、神の声がかき消されてしまわないようにしてください。

 Seek not outside your Father for your hope.
 あなたの父の外側で自分の希望を見出そうとなどしないでください。

 For hope of happiness is not despair.
 というのは、幸せになるという望みは絶望することではないからです。


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