There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T7-10 苦しいのが気持ちいいってどういうこと?

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今回は、テキスト第七章「X. The Confusion of Pain and Joy 十 苦痛と歓喜の混同」をご紹介します。





この一節では、私たちには、苦しみと喜びの違いもわかっておらず、両者を区別できないどころか、混同してしまって、苦痛喜びに感じたり、喜びのことを苦痛と勘違いしたりしてしまうということが指摘されます。

以前にマトリックス 自由意志という幻想で、眠りこけた夢見る心の中で、聖霊エゴのどちらの思考システムに従うかを選択する決定者(decision-maker)について触れたことがあります。

この決定者(decision-maker)が、思考システムの前提として、エゴ聖霊のどちらを取るかによって、論理的な帰結として、苦痛と歓喜が生じます。

欠乏の原理による恐怖に基盤を置くエゴの思考システムを前提とすれば、論理必然に苦痛が生じます。

他方、豊穣さと愛に基盤を置く聖霊の思考システムを前提とすれば、論理必然に喜びが生じます。


したがって、苦痛を避け、喜びを選びたいなら、苦痛の前提となるエゴを退け、歓喜の前提となる聖霊を選択するだけだということになります。

それなのに、私たちは、日々、苦痛を味わって生きており、それはすなわち、私たちが聖霊ではなくエゴを選んでしまっているという証拠です。

どうして決定者(decision-maker)は、聖霊ではなくエゴを選択してしまうのでしょうか?

聖霊は、私たちに苦痛を避けさせるために導いてくれるのであり、私たちは聖霊に従うことを選ぶ必要があるだけです。

でも、私たちのことを本当に思うのだったら、強引に無理やりにでも導いてくれればいいのに、愛が足りないんじゃないの?と思う人もいるかもしれません。

この点は、自由意志の問題について、またの機会に触れたいと思いますが、聖霊は、私たちの意志を無視して導くということをしません。

なぜなら、私たちは神の意志を共有しているのであって、神の意志は強制されうるものではないからです。聖霊が見ているのは、私たちの偽りの姿ではなく、真の姿であって、何の欠乏もなく、自分で自分を解放する力も完全に備えていて、単に、自分の真の力を忘れているだけなのを知っているので、強引に「助け」たりしたのでは、本当の自分の力を思い出せないままになってしまうだけだと十分わかっているのです。

これに対して、逆に、エゴは、私たちの真の意志を無視して、強引に私たちを従わせようとます。

「It is not your will to be imprisoned because your will is free.
 囚われの身となることは、あなたの意志ではありません。なぜなら、あなたの意志は自由だからです。

 That is why the ego is the denial of free will.
 だから、エゴとは自由意志の否定なのです。

 It is never God Who coerces you, because He shares His Will with you.
 あなたを強制するような存在が神であることは絶対にありません。なぜなら、神は自らの意志をあなたと分かち合っているからです。

 His Voice teaches only in accordance with His Will, but that is not the Holy Spirit's lesson because that is what you are.
 神の声は、ただ神の意志に従って教えるだけです。しかし、神の意志そのものは、聖霊が教えようとするレッスンではありません。なぜなら、神の意志は、あなたの本質そのものだからです。」(テキスト第八章 二 幽閉と自由との違い 3)

もちろん、神の意思に等しい私たちの意志を本当にエゴ強制できるはずはなく、幻惑して、真の自己像を見失わせて偽りの小さな自己像を信じ込ませて欺くことしかできませんが、それでも、その幻想においては、私たちはエゴの虜になってしまうことは確かです。

神は意図するのに対して、エゴ願望するということが解説されます。

エゴは実体のない幻にすぎず、分離した心の一部に寄生することはしますが、心ではありません。

神は、真に実在する創造主であり、その大いなる心の意志によって創造します。

エゴ自体には、何をする力もないので、分離した心を幻惑して欺いて、その意志の力をエゴの目標のために利用しようとします。

この際に、エゴは、願望によって、創造ではなく、幻想を作り出すように、決定者(decision-maker)をかどわかして、神の子の意志の力を誤用させます。

こうして投影によって空想の幻想世界が生み出されていくのです。


とにかく、エゴに従うかぎり、自由意志の感覚、幻想を与えられはしても、私たちに自由意志はないということです。

ですので、私たちが自発的に聖霊を選択する決断をしないかぎり、強引に手取り足取り導こうとするのは、聖霊ではなく、エゴのほうなので、自動的にエゴの自動操縦に導かれてしまうことになります。

したがって、問題は、聖霊の言うことが真実であるかどうかということではなく、私たちが聖霊の言うことに耳を貸そうと望むかどうかということになります。

私たちが、自分が本当は何者かということに疑念を抱くかぎり、私たちは、自分を分離した小さな自己と見て、エゴの求める罪悪感につながるものにこそ快楽を感じてしまい、喜びと苦しみを混同し続け、二元性の世界で、良きことを得るには代償として犠牲を払う必要があるということを信じるようになってしまいます。

この節では、自分の心の中の決定者(decision-maker)に聖霊に従うことを選択させれば、私たちはエゴを放棄することになり、その代償として、何ひとつ犠牲にすることにはならず、それどころか反対に、あらゆるものを手に入れることになるといいます。

そして、真の自己像について疑惑を持って分離幻想に迷い込む誤りから抜け出す唯一の方法は、私たちには何ひとつ決める必要はないと決心することだ、私たちが神の意志であることは動かしがたい真実だからといいます。

なんだか気が楽にならないでしょうか?

聖霊を選択することで、全宇宙の運営者としての全責任が自分にのしかかってきて、重大な価値判断に迫られまくることになるというわけではないのです(価値判断の重圧から解放されるには?をご一読ください)。

私たちがすべきことは、放っておくかぎり、エゴの自動操縦モードで強制的なエゴの導きを受けてしまうところ、自発的に、聖霊を選択し、自分には何ひとつ決める決める必要はないと決心することだけということです。







テキスト第七章 

X. The Confusion of Pain and Joy
十 苦痛と歓喜の混同




1. The Kingdom is the result of premises, just as this world is.
 王国は、まさにこの世界がそうであるように、いくつかの前提に基づく結果です。

 You may have carried the ego's reasoning to its logical conclusion, which is total confusion about everything.
 あなたはエゴの論拠を推して、その論理的な帰結にまで進めたかもしれませんが、その結論はといえば、万事の完全なる混乱です。

 If you really saw this result you could not want it.
 もしあなたがこんな結果を本当に見たとしたら、あなたはそんなエゴの前提など望むことなどできないはずです。

 The only reason you could possibly want any part of it is because you do not see the whole of it.
 あなたが一部でも、そんなものを望むことがありうるとすれば、それは、あなたがエゴの前提から導かれる結果の全貌を見ていないことだけが唯一の理由です。

 You are willing to look at the ego's premises, but not at their logical outcome.
 あなたは、エゴの前提については進んで見てみる気はあっても、その前提からの論理的な帰結までは見てみる気はないのです。

 Is it not possible that you have done the same thing with the premises of God?
 あなたが神の前提についても、同じことをしてしまったという可能性はないでしょうか。

 Your creations are the logical outcome of his premises.
 あなたの創造したものたちは、神の前提に基づく論理的な成果です。

 His thinking has established them for you.
 神の思考が、あなたの創造したものたちを神の前提の成果として確立してくれました。

 They are exactly where they belong.
 あなたの創造したものたちは、まさに彼らにふさわしい場所にいます。

 They belong in your mind as part of your identification with his, but your state of mind and your recognition of what is in it depend on what you believe about your mind.
 あなたの創造したものたちは、神の心と同一化したあなたの一部としてのあなたの心の中にいます。しかし、あなたの心の状態がどのようなものであるか、そして、あなたが自分の心の中に何を認識するかということは、自分の心のことをあなたが何だと信じるかによって左右されます。

 Whatever these beliefs may be, they are the premises that will determine what you accept into your mind.
 あなたが自分の心をどんなものと信じるにせよ、その信念が、あなたが自分の心に何を受け入れるかを決定する前提となるのです。





2. It is surely clear that you can both accept into your mind what is not there, and deny what is.
 あなたが、自分の心の中に存在しないものを受け入れることも、心の中に存在するものを否認することも、どちらもできるのは間違いなく明らかです。

 Yet the function God himself gave your mind through his you may deny, but you cannot prevent.
 しかし、神自身が自らの心を通してあなたの心に与えた役割は、あなたにはそれを否認することはできても、あなたにはそれを阻むことはできません。

 It is the logical outcome of what you are.
 神があなたに授けた役割は、あなたが何者であるかということからの論理的な帰結なのです。

 The ability to see a logical outcome depends on the willingness to see it, but its truth has nothing to do with your willingness.
 論理的な成り行きを見通す能力は、それを見ようとする意欲があるかどうかに左右されます。しかし、その結論が真実であるかどうかはあなたの意欲とはまったく無関係です。

 Truth is God's Will.
 真理こそ神の大いなる意志です。

 Share his will and you share what he knows.
 神の意志を共有してください。そうすれば、あなたは神の知ることをも共有することになります。

 Deny his will as yours, and you are denying his kingdom and yours.
 あなたの意志ではないとして神の意志を否認すれば、あなたは神の王国もあなたの王国も拒むことになります。


名称未設定

3. The Holy Spirit will direct you only so as to avoid pain.
 聖霊は、ただ苦痛を避けられるようにのみ、あなたを導きます。

 Surely no one would object to this goal if he recognized it.
 もしこのことを認めるなら、きっと誰も聖霊の目標に異議を唱えたりしないでしょう。

 The problem is not whether what the Holy Spirit says is true, but whether you want to listen to what he says.
 問題は、聖霊の言うことが真実であるかどうかではなく、あなたが聖霊の言うことに耳を貸そうと望むかどうかです。

 You no more recognize what is painful than you know what is joyful, and are, in fact, very apt to confuse the two.
 あなたは、何が喜びに満ちたことなのか知らないのと同じように、何が苦しみに満ちたことなのかわかっていません。それどころか、あなたには実に頻繁に両者を混同してしまう傾向すらあります。

 The Holy Spirit's main function is to teach you to tell them apart.
 聖霊の主な役割は、喜びと苦しみの違いの区別の仕方をあなたに教えることです。

 What is joyful to you is painful to the ego, and as long as you are in doubt about what you are, you will be confused about joy and pain.
 あなたにとって喜びになることは、エゴにとっては苦しみとなります。そして、あなたが自分が何者なのか疑念を抱いているかぎり、あなたは喜びと苦しみを混同してしまうことでしょう。

 This confusion is the cause of the whole idea of sacrifice.
 この苦楽の混同こそ、犠牲という観念全体の原因といえます。

 Obey the Holy Spirit, and you will be giving up the ego.
 聖霊に従いなさい。そうすれば、あなたはエゴを放棄することになります。

 But you will be sacrificing nothing.
 しかし、あなたは何ひとつ犠牲にすることにはなりません。

 On the contrary, you will be gaining everything.
 それどころか反対に、あなたは、あらゆるものを手に入れることになります。

 If you believed this, there would be no conflict.
 もしあなたがこのことを信じれば、もはや矛盾や衝突などなくなるでしょう。





4. That is why you need to demonstrate the obvious to yourself.
 だからこそ、あなたは、こうした明白なことを自分自身に実証する必要があるのです。

 It is not obvious to you.
 それは、あなたにとっては、自明のことにはなっていないからです。

 You believe that doing the opposite of God's Will can be better for you.
 あなたは、神の大いなる意志に反することをするほうが、より自分のためになりうるものと信じています。

 You also believe that it is possible to do the opposite of God's Will.
 あなたはまた、神の大いなる意志に反することをなすことが可能であるとも信じています。

 Therefore, you believe that an impossible choice is open to you, and one which is both fearful and desirable.
 したがって、あなたは、そんな恐ろしくもあるとともに望ましくもあるようなありえない選択でも、自分がしようと思えばできるのだと信じていることになります。

 Yet God wills.
 しかし、神は意図します。

 He does not wish.
 神が願望することはありません。

 Your will is as powerful as his because it is his.
 あなたの意志は神の大いなる意志と同じように強力です。なぜなら、あなたの意志は、まさに神の大いなる意志そのものだからです。

 The ego's wishes do not mean anything, because the ego wishes for the impossible.
 エゴの願望など、何も意味しません。なぜなら、エゴは不可能なことを願望するからです。

 You can wish for the impossible, but you can will only with God.
 あなたは、不可能なことを願望することはできます。しかし、あなたが意図することができるのは、ただ神と共にだけです。

 This is the ego's weakness and your strength.
 これこそエゴの弱みであり、あなたの強みです。


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5. The Holy Spirit always sides with you and with your strength.
 聖霊はつねに、あなたとあなたの強みに味方します。

 As long as you avoid his guidance in any way, you want to be weak.
 あなたがなんらかの方法で聖霊の導きに従うのを避けるかぎり、あなたは弱くありたいと望んでいるのです。

 Yet weakness is frightening.
 しかし、弱くあることは恐怖に満たされることです。

 What else, then, can this decision mean except that you want to be fearful?
 そうだとすれば、聖霊の導きを避ける決断は、あなたが恐怖におののいていたいと望んでいることしか意味しえないのではないでしょうか。

 The Holy Spirit never asks for sacrifice, but the ego always does.
 聖霊は絶対に犠牲を要求しませんが、エゴは必ず犠牲を要求します。

 When you are confused about this distinction in motivation, it can only be due to projection.
 あなたが、動機づけにおけるこの相違点を混同するとすれば、その原因になりうるのはただ投影しかありません。

 Projection is a confusion in motivation, and given this confusion, trust becomes impossible.
 投影は、動機づけにおける混同です。そして、こんな混同をしていれば、何かを信頼するということは不可能になります。

 No one gladly obeys a guide he does not trust, but this does not mean that the guide is untrustworthy.
 自分の信頼していない案内役に喜んで従う者は誰もいません。しかし、このことは、その案内役が信頼に値しないことを意味するものではありりません。

 In this case, it always means that the follower is.
 この場合、それは必ず、従う者のほうこそが信頼に値しないことを意味します。

 However, this, too, is merely a matter of his own belief.
 しかしながら、このこともまた、単に従う者当人の信念の問題でしかありません。

 Believing that he can betray, he believes that everything can betray him.
 自分が裏切ることができると信じているために、彼はあらゆる物事が自分を裏切ることがありうると信じてしまいます。

 Yet this is only because he has elected to follow false guidance.
 しかし、こう信じてしまうのは、ただ彼が間違った案内役に従うことを選んだためでしかありません。

 Unable to follow this guidance without fear, he associates fear with guidance, and refuses to follow any guidance at all.
 恐れなくして、こんな案内役に従うことなどできないので、彼は恐れと指導とを関連づけて考えてしまいます。そうなると、彼は、もはやどんな導きに従うこともまったく拒絶してしまうようになります。





6. The Holy Spirit is perfectly trustworthy, as you are.
 聖霊は、あなたが信頼に値するのと同じように、完全に信頼できます。

 God himself trusts you, and therefore your trustworthiness is beyond question.
 神自らあなたを信頼しているのだから、あなたが信頼に値する者であることには疑問の余地がありません。

 It will always remain beyond question, however much you may question it.
 あなたが信頼に値することついては、たとえどんなにあなたがそのことに疑問を抱こうとも、つねに疑問の域を超越したままです。

 I said before that you are the will of God.
 以前に述べたことですが、あなたこそ神の意志なのです。

 His will is not an idle wish, and your identification with his will is not optional, since it is what you are.
 神の意志は空疎な願望ではありません。そして、あなたが神の意志と同一のものであるかどうかについて、あなたには選択の余地はありません。なぜなら、神の意志こそがあなたの本質だからです。

 Sharing his will with me is not really open to choice, though it may seem to be.
 神の意志を私と共有することについても、選択の余地があるように思えるかもしれませんが、実際には選択の余地などありません。

 The whole separation lies in this error.
 分離状態の全体は、こんな誤りの中にあるのです。

 The only way out of the error is to decide that you do not have to decide anything.
 そんな誤りから抜け出す唯一の途は、自分には何ひとつ決める必要はないと決心することだけです。

 Everything has been given you by God's decision.
 あらゆるものは、すでに神の決断によってあなたに与えられているのです。

 That is his will, and you cannot undo it.
 これこそ神の意志であり、あなたには、神の決断を取り消すことなどできません。


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7. Even the relinquishment of your false decision-making prerogative, which the ego guards so jealously, is not accomplished by your wish.
 エゴは油断なくそれを守ろうとしていますが、間違った決断を下すというあなたの特権を放棄することでさえ、あなたの願望によって成就されるものではありません。

 It was accomplished for you by the Will of God, Who has not left you comfortless.
 あなたの間違った決断を下す特権を放棄することは、すでに神の大いなる意志によって、あなたのために成し遂げられています。神はあなたを慰めのないままにしておくようなことはしなかったからです。

 His voice will teach you how to distinguish between pain and joy, and will lead you out of the confusion you have made.
 神の声はあなたに、苦痛と歓喜をどのように識別すればいいのか教えてくれるでしょう。そして、神の声は、あなたが自ら作ってしまった混乱状態からあなたを導き出してくれるでしょう。

 There is no confusion in the mind of a son of god, whose will must be the will of the Father, because the Father's will is his son.
 神の子の心の中には何の混乱もないし、神の子の意志は父の意志であるに違いありません。なぜなら、父の意志こそ、神の子そのものだからです。





8. Miracles are in accord with the Will of God, Whose Will you do not know because you are confused about what you will.
 奇跡は、神の大いなる意志と調和しています。その神の大いなる意志をあなたは知りません。なぜなら、あなたは自分が何を意図するのか混乱しているからです。

 This means that you are confused about what you are.
 これは、あなたが自分が本当は何者であるのかについて混乱していることを意味します。

 If you are God's Will and do not accept his will, you are denying joy.
 もしあなたが神の大いなる意志でありながら、神の意志を受け入れないとしたら、あなたは喜びを拒絶していることになります。

 The miracle is therefore a lesson in what joy is.
 したがって、奇跡とは、喜びとは何なのかを学ぶレッスンだといえます。

 Being a lesson in sharing it is a lesson in love, which is joy.
 共有することを教えているので、奇跡は愛についてのレッスンであり、その愛こそが喜びです。

 Every miracle is thus a lesson in truth, and by offering truth you are learning the difference between pain and joy.
 かくして、すべての奇跡は真理についてのレッスンであり、真理を差し延べることによって、あなたは苦痛と歓喜との違いを学んでいるのです。


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