There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

Mind - Spirit 心-霊

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今回は、用語解説から「心と霊」についての一節をご紹介します。




大いなる心(Mind) 

小さな心(mind) エゴ聖霊の2つの部分で構成

霊(spirit)= 魂(soul)

正しい心の状態=聖霊に耳を傾ける心境

間違った心の状態=エゴの声を聞く心境

意識聖霊エゴのメッセージを受け取る受動的な心理機構


コースをある程度学ばれた方は、コースが情緒的なものではなく、きわめて論理的かつ実践的で、どちらかと言えば、理系的な思考体系を取っていることに気づかれると思います。

ですから、用いられる言葉の定義の重要性は否定できません。

特に、従来から存在する言葉に従来とは違った意味が込められて用いられていることが多いだけに、誤解のもとにもなりかねません。

たとえば、「赦し」と「許し」を混同したまま贖罪を理解しようとしても、混乱の度を増すばかりでしょう。


しかし、昨日ご紹介した用語解説の序文が述べているように、コースは道具として思考を用い、用語の意義を明確化はしますが、言葉を弄ぶ哲学的恣意や用語法に厳密にこだわることをしません。

コースは、贖罪のためには、知覚の修正が必要なので、そのために、エゴの枠組みの中にとどまって、あえて象徴するものを表現するには力不足な言葉というものを用います。


そもそも万能ではない言葉にはつねに論争の余地が残されており、議論しようと思う人には、いくらでも論争のネタを提供してくれます。

この点でも、コースは、きわめて実践的です。

答えなどどこにもなく、体験があるだけだから、用語についての論争をしているくらいなら、学習を進めたらどう?と言います。

用語法にこだわって、遅々としてテキストが進まないという人よりも、いまいちよく言葉の意味が掴めてないけど、なんとなくこんなもんだと自分なりに考えながら、読み進めて、進むつど、その概念が修正され精緻化して行く人のほうが先に進めるはずです。

ある程度の大らかさ、大雑把さは必要なことでしょう。

少なくとも、指示代名詞が、神と子と聖霊の三者のどれを指すのかわからないといって悩んで先に進めないなどということのないくらいの大雑把さは必要でしょう。

三位一体なのですから、存在と顕現と作用(働き)の側面の相違だけで、根本的には同じものなわけですから、置き間違えたとしても、たいした間違いではないはずです。


Bruce Lee :
Don't think, Feel, it is like a finger pointing out to the moon, don't concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory.


Morpheus:
Neo, sooner or later you're going to realize just as I did that there's a difference between knowing the path and walking the path.


Mind - Spirit
心-霊


1. The term mind is used to represent the activating agent of spirit, supplying its creative energy.
 小文字の「小さな心」という用語は、霊からその創造的なエネルギーの供給を受けて活動する作用因子として用いられます。

 When the term is capitalized it refers to God or Christ (i.e. the Mind of God or the Mind of Christ).
 心が神やキリスト(すなわち、神の大いなる心、つまり、キリストの心)の心として言及される際には、「大いなる心」として大文字で表現されることになります。

 Spirit is the Thought of God which He created like Himself.
 霊とは、神が自分自身と同じものとして創造した神の大いなる思いのことです。

 The unified spirit is God's one Son, or Christ.
 統合された霊は、神のひとり子、つまりキリストのことです。

 

2. In this world, because the mind is split, the Sons of God appear to be separate.
 この世界では、小さな心は分割され、神の子供たちは分離しているように見えます。

 Nor do their minds seem to be joined.
 しかも、彼らの小さな心は結びついているようには見えません。

 In this illusory state, the concept of an "individual mind" seems to be meaningful.
 この錯覚した心境においては、「個別の小さな心」という概念には意味があるように思えます。

 It is therefore described in the course as if it has two parts; spirit and ego.
 それゆえ、コースにおいては、小さな心には、まるで霊とエゴという二つの部分があるかのように描写されることになります。

 

3. Spirit is the part that is still in contact with God through the Holy Spirit, Who abides in this part but sees the other part as well.
 霊は、聖霊を通して、依然として神とコンタクトを保っている部分です。その聖霊は、霊の部分に留まっていますが、もう一つの部分についても同じくよく理解しています。

 The term "soul" is not used except in direct biblical quotations because of its highly controversial nature.
 「魂」という用語は、直接的に聖書を引用する以外の場面では用いられてはいません。なぜなら、魂という言葉は本質的に非常に論争を呼び起こしやすい性質を備えているためです。

 It would, however, be an equivalent of "spirit," with the understanding that, being of God, it is eternal and was never born.
 しかしながら、神に由来する、永遠にして決して生まれたことのない存在だという理解があれば、魂は「霊」の同義語と言って差し支えありません。




4. The other part of the mind is entirely illusory and makes only illusions.
 小さな心のもう一つの部分は、完全に錯覚に基づくもので、幻想を生み出すだけのものです。

 Spirit retains the potential for creating, but its Will, which is God's, seems to be imprisoned while the mind is not unified.
 霊は、創造する潜在能力を保ってはいますが、小さな心たちが統合されないかぎりは、神の意志でもある、その霊の意志は幽閉されているように見えてしまいます。

 Creation continues unabated because that is the Will of God.
 創造力は弱まることなく存続しています。なぜなら、それが神の大いなる意志だからです。

 This Will is always unified and therefore has no meaning in this world.
 神の大いなる意志はつねに統合されており、それゆえ、この世界においては、何の意味も持ちません。

 It has no opposite and no degrees.
 神の大いなる意志には対極はなく、程度もありません。




5. The mind can be right or wrong, depending on the voice to which it listens.
 小さな心は、それがどちらの声に耳を貸すかということによって、正しくあることも間違った状態にあることもできます。

 Right-mindedness listens to the Holy Spirit, forgives the world, and through Christ's vision sees the real world in its place.
 正しい心の状態は聖霊に耳を傾け、この世界を赦すこと、そしてキリストのヴィジョンを通して、この世界の代わりに真の世界を見ることを学びます。

 This is the final vision, the last perception, the condition in which God takes the final step Himself.
 これは最終的なヴィジョンであり、最後の知覚であり、そして、神が神自身で最後の一歩を踏み出してくれるための条件でもあります。

 Here time and illusions end together.
 ここで、時間と幻想はともに終焉を迎えます。



6. Wrong-mindedness listens to the ego and makes illusions; perceiving sin and justifying anger, and seeing guilt, disease and death as real.
 間違った心の状態は、エゴに耳を貸して幻想を作り上げ、罪を知覚し、怒りを正当化しては罪悪感や病気や死を本当にあるものとして見ることになります。

 Both this world and the real world are illusions because right-mindedness merely overlooks, or forgives, what never happened.
 この世界も真の世界も共に幻想でしかありません。なぜなら、正しい心の状態は単に、一度も起こってもいないことを見過ごす、つまり赦しているにすぎないからです。

 Therefore it is not the One-mindedness of the Christ Mind, Whose Will is One with God's.
 それゆえ、この世界も真の世界も、その意志が神の意志と一つであるキリストの心の持つ一なる心の状態ではありません。




7. In this world the only remaining freedom is the freedom of choice; always between two choices or two voices.
 この世界では、唯一残存している自由意志は選択の自由に関するものだけです。その選択肢は、つねに二つの選択肢、つまり二つの声の間でどちらを選ぶのかというものです。

 Will is not involved in perception at any level, and has nothing to do with choice.
 意志は、いかなるレベルにおいても、知覚に巻き込まれることはないので、選択することにはまったく関わりません。

 Consciousness is the receptive mechanism, receiving messages from above or below; from the Holy Spirit or the ego.
 意識というのは、高い聖霊からのメッセージ、あるいは、低いエゴからのメッセージを受け取る受身の心理的な仕組みのことです。

 Consciousness has levels and awareness can shift quite dramatically, but it cannot transcend the perceptual realm.
 意識には、複数のレベルがあり、自覚することによって、きわめて劇的に意識の変化が起こりえます。しかし、意識には知覚の領域を超越することはできません。

 At its highest it becomes aware of the real world, and can be trained to do so increasingly.
 意識の最も高いレベルにおいては、意識は真の世界を自覚するようになり、訓練によってますます真の世界を自覚できるようになっていきます。

 Yet the very fact that it has levels and can be trained demonstrates that it cannot reach knowledge.
 しかし、意識には複数のレベルがあり、訓練されうるという事実こそがまさに、意識は知識に到達することができないということを実証しているのです。



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