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T5-1 聖霊のサポートは無尽蔵!でも、頼まなきゃ受けられません

昨日の聖霊って何なんだろう?の参考に、テキスト第五章から、聖霊を招待することについての一節をご紹介します。




「 I have said already that I can reach up and bring the Holy Spirit down to you, but I can bring Him to you only at your own invitation.
 すでに述べたように、私はあなたのために高みに手を伸ばし、聖霊をあなたの許まで連れ降ろしてくることができます。しかし、私が聖霊をあなたの許に連れて来ることができるのは、ただ、あなた自身の招待がある場合だけです。」
以前にも述べましたが、聖霊は、自己主張の強いガンガン前に出てくるタイプではなく、強引に価値観を押しつけてきたり、手取り足取り私たちを操ってまで救おうとしたりということはしません。

薄情なのではなく(そんなわけがありません。愛情満タンです)、私たちには神の意志と等しい意志が備わっているところ、中途半端に手助けすることは、私たちに、自分で自分を助ける力が備わっていることを忘れたままにさせてしまうからということでした。

聖霊は、私たちが聖霊の存在に気づかずに、ひとりで重荷を背負い込み、苦難に押し潰されそうになるのを見て、聖霊の声に耳を貸して、聖霊に任せてくれるようになる日を気長に待ってくれています。

私たちも聖霊の思いに応えて、聖霊を全面的に信頼して任せきって、喜ばせてあげられればいいと思いませんか?



さて、この一節では以前に分かち合いでご紹介しましたが、重要な発想、観点が出てきます。

それは、物は分かち合うと減ってしまうので、誰かに何かをあげることはそれを失い「犠牲」を払うことになるようにしか見えないけれど、想念は分かち合うほど増えて強くなる、つまり、誰か自分の思いついたにアイデアを伝えても、思いついたその人がそのアイデアを忘れてしまうわけもなく、伝えてもらった他の誰かも、そのアイデアを活用できるというわけです。

物は独り占めしている人が利益を享受するように思えるけれど、想念はみんなに分かち合う人がメリットを受けるということです。

そして、世界そのものが想念でしかないとすれば、形ある物ですら、それを誰かにあげても本当は失ってなどいないということになります。

世界が情報化してきて、想念の共有が当たり前のことになってきています。

情報の複製は容易なだけでなく、不可避であり、物と同じように情報を扱おうとすると、たとえば、自然に送るなら、送信元に残るはずの情報をさも物を送るときのように送信元からは消えたように表現するために、送信元から作為的に消去するというような欺瞞を必要とするようになります。

3Dプリンタの進化によって、物の領域にも、想念化、情報化の波が押し寄せることになります。

このような社会の進化に伴って、私たちは、中世の人たちが物理的な世界に幽閉されていたということができるほどの、観念的な世界に生きることができるようになっています。

それだけ、この世界の幻想性を理解しやすい素地ができあがっているということであり、イェシュアは、この時代を見据えて、この時代に向けて奇跡のコースを送ってくれたということができると思います。


このように恵まれた環境にあることを意識して、活かしたいものです。

聖霊は出しゃばらず控えめに待ってくれてはいますが、私たちに気づいてもらうのを心待ちにしているはずです。

この節は聖霊への招待状というタイトルです。

じっくり読んで、聖霊を招待する意欲を抱いていただければと思います。

テキスト 第五章 

I. The Invitation to the Holy Spirit
一 聖霊への招待状





1. Healing is a thought by which two minds perceive their oneness and become glad.
 癒しとは、二つの心が、その思いによって自分たちが一つであることに気づいて喜びに満たされるような思いのことです。

 This gladness calls to every part of the Sonship to rejoice with them, and lets God go out into them and through them.
 この喜びは、神の子全体を構成する一人ひとりに自分たちと一緒に喜ぶようにと呼びかけて、神が子供たち全員の中へと入り込んでみんなに行き渡ることができるようにします。

 Only the healed mind can experience revelation with lasting effect, because revelation is an experience of pure joy.
 ただ癒された心だけが永続的な効果を伴う啓示を経験できます。なぜなら、啓示は純粋な喜びを体験することだからです。

 If you do not choose to be wholly joyous, your mind cannot have what it does not choose to be.
 もしあなたが完全な喜びに満ちた状態に在ることを選ばないのであれば、あなたの心は自らが選んではいない在り方を手に入れることができません。

 Remember that spirit knows no difference between having and being.
 霊は持っていることと在ることの間の相違を関知しない、ということを思い出してください。

 The higher mind thinks according to the laws spirit obeys, and therefore honors only the laws of God.
 高位の心は、霊の従う法則に則って考えるので、神の法のみを尊びます。

 To spirit getting is meaningless and giving is all.
 霊にとっては、何かを手に入れることには意味はなく、与えることがすべてです。

Having everything, spirit holds everything by giving it, and thus creates as the Father created.
 霊はあらゆるものを持っているので、霊はあらゆるものを与えることによってすべてを保持します。こうすることで、霊は大いなる父が創造したように創造するのです。

 While this kind of thinking is totally alien to having things, even to the lower mind it is quite comprehensible in connection with ideas.
 この種の考え方は、普通に物を持つことについての考え方とはまったく異質なものですが、想念の所有と関連づけて考えてみれば、下位の心でも、すんなり理解できます。

 If you share a physical possession, you do divide its ownership.
 もしあなたが物質的な所有物を分かち合うとすれば、あなたは確かにその物の所有権を分割することになります。

 If you share an idea, however, you do not lessen it.
 しかし、もしあなたが分かち合うのが想念なら、あなたはその想念を減少させることにはなりません。

 All of it is still yours although all of it has been given away.
 たとえあなたがある想念を全部誰かに与えたとしても、その想念は依然としてすべてあなたのもののままです。

 Further, if the one to whom you give it accepts it as his, he reinforces it in your mind and thus increases it.
 さらに、もしあなたが想念を与えた相手がその想念を自分のものとして受け入れるなら、彼はあなたの心の中におけるその想念を補強し、そうすることで、その想念を増大させます。

 If you can accept the concept that the world is one of ideas, the whole belief in the false association the ego makes between giving and losing is gone.
 もしあなたがこの世界は想念のひとつだという概念を受け入れることができれば、エゴが作り出した与えることと失うことの間の間違った関連づけが信じられることは完全になくなります。


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2. Let us start our process of reawakening with just a few simple concepts:
 私たちで、いくらかのシンプルな概念を用いて、再び目覚めるためのプロセスを始めましょう。


Thoughts increase by being given away.
思考は、それを誰かに与えることによって増大します。

The more who believe in them the stronger they become.
その思考を信じる者が多くなれば多くなるほど、その思考もそれだけ強くなります。

Everything is an idea.
あらゆるものは想念です。

How, then, can giving and losing be associated?
そうだとすれば、どうして与えることと失うことを結びつけて考えることなどできるでしょうか。





3. This is the invitation to the Holy Spirit.
 これらのシンプルな概念は聖霊への招待状です。

 I have said already that I can reach up and bring the Holy Spirit down to you, but I can bring him to you only at your own invitation.
 すでに述べたように、私はあなたのために高みに手を伸ばし、聖霊をあなたの許まで連れ降ろすことができます。しかし、私が聖霊をあなたの許に連れてくることができるのは、ただあなた自身の招待がある場合だけです。

 The Holy Spirit is in your right mind, as he was in mine.
 聖霊は、私の正しい心の中に居たように、あなたの正しい心の中に居ます。

 The Bible says, "May the mind be in you that was also in Christ Jesus," and uses this as a blessing.
 聖書は「イエス・キリストの内にもあったその心をあなたの心とせよ」と述べ、この言葉を祝福のための祈りとしても用いています。

 It is the blessing of miracle-mindedness.
 この聖書の言葉は、奇跡を志向する心を祝福する祈りです。

 It asks that you may think as I thought, joining with me in Christ thinking.
 この聖書の言葉は、あなたも私が考えたように考え、キリストの思考の中で私とひとつに結ばれるようにと求めているのです。


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4. The Holy Spirit is the only part of the Holy Trinity that has a symbolic function.
 聖霊のみが、聖なる三位一体の中で象徴的な機能を担う唯一の部分です。

 He is referred to as the Healer, the Comforter and the Guide.
 聖霊は、癒し主であり、慰めを与える者であり、導き手であるとして言及されます。

 He is also described as something "separate," apart from the Father and from the Son.
 聖霊はまた、父からも子からも「分離した」何かであるように描写されてもいます。

 I myself said, "If I go I will send you another Comforter and he will abide with you. "
 「もし私が去っても、私はあなた方に別の大いなる慰安者を送ろう。そうすれば、彼があなたがたとともに留まってくれるだろう」と私自身、述べました。

 His symbolic function makes the Holy Spirit difficult to understand, because symbolism is open to different interpretations.
 聖霊の象徴としての機能が聖霊のことを理解しにくくしています。なぜなら、象徴的な表現は種々に解釈される余地を残すものだからです。

 As a man and also one of God's creations, my right thinking, which came from the Holy Spirit or the Universal Inspiration, taught me first and foremost that this Inspiration is for all.
 ひとりの人間であるとともにひとつの神の創造物としての私の正しい思考は、聖霊という普遍的な霊感から訪れて、まず何よりも先に、私にこの偉大なる霊感が神の子みんなのためのものであると教えてくれました。

 I could not have It myself without knowing this.
 このことを知らなければ、私自身、その霊感をわがものとすることができなかったでしょう。

 The word "know" is proper in this context, because the Holy Spirit is so close to knowledge that he calls it forth; or better, allows it to come.
 「知る」という言葉は、この文脈にこそ用いるのがふさわしいといえます。なぜなら、聖霊はあまりに知識に密接する存在なので、聖霊は、知識を呼び覚す、より的確に言うなら、知識が訪れることを可能にしてくれるからです。

 I have spoken before of the higher or "true" perception, which is so near to truth that God himself can flow across the little gap.
 私は前に、高次の知覚つまり「真の」知覚について述べました。この真の知覚は、あまりに真理に近いので、神自身がその知覚とのわずかな隔たりを超えて流れ渡ることが可能となります。

 Knowledge is always ready to flow everywhere, but it cannot oppose.
 知識はつねに、どこへでも流れていく準備ができています。しかし、知識は何かに抵抗するということができません。

 Therefore you can obstruct it, although you can never lose it.
 それゆえに、あなたは、その知識が流れるのを妨げることができます。とはいえ、あなたは決して知識を失うことはできないのです。


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5. The Holy Spirit is the Christ Mind which is aware of the knowledge that lies beyond perception.
 聖霊とは、知覚を越えたところにある知識を自覚しているキリストの大いなる心のことです。

 He came into being with the separation as a protection, inspiring the Atonement principle at the same time.
 聖霊は、分離が起こるとともに、分離に対する防衛手段として実在するようになり、同時に、贖罪の原理を発動させました。

 Before that there was no need for healing, for no one was comfortless.
 分離以前には、癒しの必要などありませんでした。なぜなら、侘しい思いをしている者など誰もいなかったからです。

 The voice of the Holy Spirit is the Call to Atonement, or the restoration of the integrity of the mind.
 聖霊の声は、贖罪、すなわち、心に統一された完全な状態を回復させることへの呼びかけです。

 When the Atonement is complete and the whole Sonship is healed there will be no Call to return.
 贖罪が完了し、神の子全体が癒されたときには、神の許への帰還を求める呼びかけはなくなるでしょう。

 But what God creates is eternal.
 しかし、神の創造するものは永遠なるものです。

 The Holy Spirit will remain with the Sons of God, to bless their creations and keep them in the light of joy.
 聖霊は、神の子たちの創造したものを祝福し、それらを喜びの光の中に保つために、神の子たちと共に留まってくれるでしょう。





6. God honored even the miscreations of his children because they had made them.
 神は、自分の子供たちが間違って創造したものですら、子供たちが作ったものであるがゆえに尊重しました。

 But he also blessed his children with a way of thinking that could raise their perceptions so high they could reach almost back to him.
 しかし、神は同時に、自分の子供たちの知覚を、ほとんど神の許に届いて戻ることができるほどの高みにまで上昇させることができる思考の手段を与えることで子供たちを祝福しました。

 The Holy Spirit is the Mind of the Atonement.
 この思考の手段である聖霊は、贖罪のための大いなる心です。

 He represents a state of mind close enough to One-mindedness that transfer to it is at last possible.
 聖霊は、最終的には一なる心に移行することが可能なほど十分に一なる心に近い心の状態を象徴しています。

 Perception is not knowledge, but it can be transferred to knowledge, or cross over into it.
 知覚は知識ではありません。それでも、知覚は、知識へと移され、または、知識の中へと渡っていくことができます。

 It might even be more helpful here to use the literal meaning of transferred or "carried over," since the last step is taken by God.
 ここでは、移されるとか「運ばれる」という言葉の文字どおりの意味を使えば、よりわかりやすいかもしれません。それは、最後の一歩は神が踏み出してくれるからです。


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7. The Holy Spirit, the shared Inspiration of all the Sonship, induces a kind of perception in which many elements are like those in the Kingdom of Heaven itself:
 神の子全員が分かち合う大いなる霊感である聖霊は、天の王国そのものが備える要素と多くの面で似ているある種の知覚を誘発します。

 First, its universality is perfectly clear, and no one who attains it could believe for one instant that sharing it involves anything but gain.
 第一に、この知覚の普遍性は完全に明白です。だから、この知覚を得た者は誰ひとりとして、この知覚を分かち合うことは自分にとって得にしかならないことを、ただの一瞬も疑うことができません。

 Second, it is incapable of attack and is therefore truly open.
 第二に、この知覚は攻撃することができません。だから、この知覚は真に開かれています。

 This means that although it does not engender knowledge, it does not obstruct it in any way.
 このことは、この知覚が知識を生じさせるわけではないとしても、この知覚は、いかようにも知識の到来を邪魔立てすることがないことを意味します。

 Finally, it points the way beyond the healing that it brings, and leads the mind beyond its own integration toward the paths of creation.
 最後に、この知覚は、それがもたらす癒しの向こう側にある道を指し示し、心を、それ自体を統合させることを超えて創造の道へと導きます。

 It is at this point that sufficient quantitative change occurs to produce a real qualitative shift.
 この点において、真の質的な転換を生み出すために十分な量的な変化が起こるのです。


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