There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

ガラスをきれいに磨きましょう!

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今回は、用語解説から、「正しい知覚知識」をご紹介します。





本節では、知識知覚は別のレベルにあるものであり、両者が接することはないので、知識知覚を修正する療法になるわけではないということが説明されます。

知識が何であるかということは出てこず、もっぱら正しい知覚についての説明がなされます。

知識は、すでに自分の心の中に存在して眠っているだけのものなので、知覚によって見えない状態を解消さえすれば、知識のほうから舞い戻ってきてくれるというスタンスです。

知識とは何かという情報を仕入れることがかえって知覚の歪みを増大させてしまう危険があるということです。

ガラスケースが埃まみれになって中の宝石の輝きが見えないとき、やるべきことはガラスの埃を払って、きれいにすることだけです。

ケースの中にどんな素晴らしい宝石があって、どんな色をしてどんな形をしていたかという情報を集めて、いろいろと想像をたくましくしていても、実際の宝石を目にすることには何の役にも立ちません。

知識もこの宝石のようなもので、すでに私たちの中に存在して光を放っているけれど、歪んだ知覚の雲に覆われてそれが見えなくなっているだけです。

私たちの探し物は、外の世界から、何か材料を寄せ集めてきて、技巧を凝らして組み立てないと完成しないようなものではない、すでに持っているけど、見えないから、見える状態にする必要があるだけということです。

このことは、気を楽にしてくれると思いませんか?

単純に、お掃除をしっかり進めていけばよいということです。

この一節は、正しい知覚が獲得された場合の世界の変容の様を描写しているので、正しい知覚のイメージを掴むために役立つと思います。




True Perception - Knowledge
正しい知覚知識


1. The world you see is an illusion of a world.
 あなたの見ている世界は、世界という錯覚です。

 God did not create it, for what He creates must be eternal as Himself.
 神はこの世界を創造しませんでした。というのも、神が創造するものは神自身と同じように永遠のものであるに違いないからです。

 Yet there is nothing in the world you see that will endure forever.
 しかし、あなたの見るこの世界の中には、永遠に持ちこたえられるようなものは何ひとつありません。

 Some things will last in time a little while longer than others.
 時間の中では、ある物事がほかの物事よりも、多少長持ちすることはありえます。

 But the time will come when all things visible will have an end.
 しかし、目に見えるすべての物事には終わりがあり、いつかその時が訪れることになります。





2. The body's eyes are therefore not the means by which the real world can be seen, for the illusions that they look upon must lead to more illusions of reality.
 したがって、肉眼を手段としては真の世界は見えるようにはなりません。というのは、肉眼が見る幻想は、いっそうリアルな幻想へと導くに違いないからです。

 And so they do.
 だから、肉眼によっては現実のように思える幻想しか見えません。

 For everything they see not only will not last, but lends itself to thoughts of sin and guilt.
 というのは、肉眼で見えるすべてのものは永続しないだけでなく、見る者に罪と罪悪感の思いを抱かせるだけだからです。

 While everything that God created is forever without sin and therefore is forever without guilt.
 神の創造したすべてのものは、永遠に罪と関わりを持つことがないので、永遠に罪悪感を持つこともありえません。




3. Knowledge is not the remedy for false perception since, being another level, they can never meet.
 知識は、間違った知覚のための治療法にはなりません。なぜなら、知識知覚は異なるレベルにあり、知識知覚が接することは決してありえないからです。

 The one correction possible for false perception must be true perception.
 正しく知覚することが、間違った知覚に対して唯一可能な修正であるに違いありません。

 It will not endure.
 正しい知覚は永続するものではありません。

 But for the time it lasts it comes to heal.
 しかし、正しい知覚が存続する間は、正しい知覚は癒しをもたらすでしょう。

 For true perception is a remedy with many names.
 というのは、正しい知覚は多くの名前を持つひとつの治療法だからです。

 Forgiveness, salvation, Atonement, true perception, all are one.
 赦しであるとか、救済であるとか、贖罪であるとか、正しい知覚であるとか、これらの名前で呼ばれるすべては同じひとつのものです。

 They are the one beginning, with the end to lead to oneness far beyond themselves.
 これらは、それら自身をはるかに越えた向こう側にある一なるものへと導くことを目的とするひとつの始まりなのです。

 True perception is the means by which the world is saved from sin, for sin does not exist.
 正しい知覚は、世界が罪から救われるための手段です。というのは、罪は存在しないからです。

 And it is this that true perception sees.
 そして、罪が存在しないということこそ、正しい知覚によってわかることなのです。




4. The world stands like a block before Christ's face.
 この世界は、キリストの顔の前に障壁のように立ちはだかっています。

 But true perception looks on it as nothing more than just a fragile veil, so easily dispelled that it can last no longer than an instant.
 しかし、正しい知覚は、この世界のことを、ほんとうに簡単に振り払うことができるので、一瞬の間を超えてそれ以上持ちこたえることなどできない単なる弱々しいヴェールにすぎないと見ます。

 It is seen at last for only what it is.
 そのヴェールを剥がれれば、世界はついに、ただありのままに見られることになります。

 And now it cannot fail to disappear, for now there is an empty place made clean and ready.
 そして、今や、世界は必ず消え去ります。というのは、今や、きれいに準備された空白の場所が存在するからです。

 Where destruction was perceived the face of Christ appears, and in that instant is the world forgot, with time forever ended as the world spins into nothingness from where it came.
 かつて破滅が知覚されていた場所には、キリストの顔が現れます。そして、その瞬間において、この世界は忘れ去られ、時間は永遠に終わりを迎え、世界はそれが生まれ出た場所である無の中へときりきり舞いしながら戻っていきます。





5. A world forgiven cannot last.
 赦された世界は、永続することはできません。

 It was the home of bodies.
 その世界は、かつては身体の住処でした。

 But forgiveness looks past bodies.
 しかし、赦し身体を通り越して見ることになります。

 This is its holiness; this is how it heals.
 これが赦しの神聖さです。身体を通り越して見ることによって赦しは癒すのです。

 The world of bodies is the world of sin, for only if there were a body is sin possible.
 身体たちのこの世界は、罪の世界です。というのは、ただ身体が存在してはじめて罪がありうるからです。

 From sin comes guilt as surely as forgiveness takes all guilt away.
 罪から罪悪感が生じるのと同じくらい確実に、赦しはすべての罪悪感を取り去ります。

 And once all guilt is gone what more remains to keep a separated world in place?
 そして、いったん罪悪感が去ってしまえば、分離した世界をそれ以上その空間に保っておけるものなどなにも残りません。

 For place has gone as well, along with time.
 空間が去ってしまうので、同じように時間も去ることになります。

 Only the body makes the world seem real, for being separate it could not remain where separation is impossible.
 ただ身体だけがこの世界をリアルに見せています。というのは、分離している存在であるがゆえに、身体は、分離が不可能な場所に留まることができないからです。

 Forgiveness proves it is impossible because it sees it not.
 赦しは、分離は不可能だということを証明します。なぜなら、赦しは分離を見ないからです。

 And what you then will overlook will not be understandable to you, just as its presence once had been your certainty.
 そして、そのとき、あなたが意図的に見過ごすものは、ちょうど、かつてあなたがその存在を確信していたのと反対に、あなたにとって理解できるものではなくなることでしょう。





6. This is the shift that true perception brings: What was projected out is seen within, and there forgiveness lets it disappear.
 正しい知覚がもたらす変化は次のようなものです。それは、かつて外側に投影されていたものが内側に見られ、その内側において、赦しが外側に投影していたものを消し去るのです。

 For there the altar to the Son is set, and there his Father is remembered.
 というのは、内側には子のための祭壇が置かれ、その祭壇では、子の父が思い出されることになるからです。

 Here are all illusions brought to truth and laid upon the altar.
 ここでは、すべての幻想真理の下へともたらされ、その祭壇に供えられることになります。

 What is seen outside must lie beyond forgiveness, for it seems to be forever sinful.
 外側に見えているものは、なお赦しの届かない向こう側にあるに違いありません。というのは、それは永遠に罪深いもののように見えるからです。

 Where is hope while sin is seen as outside?
 罪が外側にあるもののように見えているかぎり、どこに希望があるというのでしょうか。

 What remedy can guilt expect?
 罪悪感がどんな治療を受けられるというのでしょうか。

 But seen within your mind, guilt and forgiveness for an instant lie together, side by side, upon one altar.
 しかし、あなたの心の内側を見るなら、一瞬にして、罪悪感と赦しは、ひとつの祭壇に隣同士にともに横たわることになります。

 There at last are sickness and its single remedy joined in one healing brightness.
 そこで、ついに病気とそのただひとつの治療がひとつの癒しの輝きの中で結びついたのです。

 God has come to claim His Own.
 神が、神自身のものを求めるためにやってきてくれたのです。

 Forgiveness is complete.
 赦しは完了しました。





7. And now God's knowledge, changeless, certain, pure and wholly understandable, enters its kingdom.
 そして今、不変で確実で、清らかで完全に理解できる神の知識がその王国へと入ってきます。

 Gone is perception, false and true alike.
 間違った知覚も正しい知覚も、ともに去りました。

 Gone is forgiveness, for its task is done.
 赦しの課題は成し遂げられたので、赦しは去りました。

 And gone are bodies in the blazing light upon the altar to the Son of God.
 そして、神の子の祭壇の上に燃え盛るように輝く光の中へと身体は消え去りました。

 God knows it is His Own, as it is his.
 神は、神の子の祭壇は、神の子のものであるとともに神自身の祭壇でもあると知っています。

 And here They join, for here the face of Christ has shone away time's final instant, and now is the last perception of the world without a purpose and without a cause.
 そして、ここにおいて、神と神の子はひとつに結びつきます。なぜなら、ここでキリストの顔が時間の最後の一瞬を輝きで追い払い、そして、今、目的も原因もなくなって、世界の知覚が終わることになるからです。

 For where God's memory has come at last there is no journey, no belief in sin, no walls, no bodies, and the grim appeal of guilt and death is there snuffed out forever.
 というのは、ついに神の記憶がやってきた場所には、もはや一切の旅も罪の信念も、壁も、身体もなく、罪悪感と死の容赦のない要求は永遠に殲滅されたからです。




8. O my brothers, if you only knew the peace that will envelop you and hold you safe and pure and lovely in the Mind of God, you could but rush to meet Him where His altar is.
 ああ、私の兄弟たちよ、もしあなたたちが自分を包みこんで、自分を神の心の中で安全で清らかで美しいままに保ってくれる平安のことをただ知りさえしたら、それだけで、あなたは神の祭壇のある場所に神に出会うために大急ぎで駆けつけようとせずにはいられないはずです。

 Hallowed your Name and His, for they are joined here in this holy place.
 あなたの名と神の名は神聖なものとされました。それは、あなたと神がここの神聖な場所においてひとつに結びついたからです。

 Here He leans down to lift you up to Him, out of illusions into holiness; out of the world and to eternity; out of all fear and given back to love.
 ここで、神は身をかがめて、幻想の中から神聖さの中へと、この世界から永遠へと、あなたを神のところへと持ち上げ、そして、あらゆる恐怖からあなたを愛の下へと再び戻してくれたのです。



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