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赦しとキリストの顔

今回は、用語解説から、「赦し-キリストの顔」をご紹介します。


Forgiveness - The Face Of Christ
赦し - キリストの顔


1. Forgiveness is for God and toward God but not of Him.
 赦しは、神のためのものであり、神に向けてなされるものですが、神から来るものではありません。

 It is impossible to think of anything He created that could need forgiveness.
 神の創造したもので赦しを必要とすることがありうるような何かがあると考えるなど不可能なことです。

 Forgiveness, then, is an illusion, but because of its purpose, which is the Holy Spirit's, it has one difference.
 それゆえに、赦しは、一つの幻想ということになりますが、聖霊のものであるという赦しの目的のゆえに、赦しには他の幻想との一つの違いがあります。

 Unlike all other illusions it leads away from error and not towards it.
 それは、他のすべての幻想とは違って、赦しは必ず誤りから離れて誤りには向かわないように導くということです。




2. Forgiveness might be called a kind of happy fiction; a way in which the unknowing can bridge the gap between their perception and the truth.
 赦しは、知らない者たちが、自分たちの知覚と真理との間の隙間に橋を架けることができる手段としての幸せな虚構とでも呼ぶべきものです。

 They cannot go directly from perception to knowledge because they do not think it is their will to do so.
 知らない者たちは、知覚から知識へとまっすぐに進むことはできません。なぜなら、知らない者たちは、自分たちが知覚から知識に進みたいと意図しているとは考えていないからです。

 This makes God appear to be an enemy instead of what He really is.
 このことが、神の本当の姿の代わりに、神が敵であるかのように見えるようにさせてしまいます。

 And it is just this insane perception that makes them unwilling merely to rise up and to return to Him in peace.
 そして、まさにこの狂気の知覚こそが、知らない者たちに、ただ立ち上がって平安のうちに神の下へと帰ることを厭わしく思わせているものなのです。




3. And so they need an illusion of help because they are helpless; a Thought of peace because they are in conflict.
 だから、知らない者たちには、助けとなる幻想が必要なのです。なぜなら、彼らは途方にくれているからです。彼らは葛藤のさなかにいるからこそ、平安の思いが必要なのです。

 God knows what His Son needs before he asks.
 神は、わが子が必要とすることを子が求める前から知っています。

 He is not at all concerned with form, but having given the content it is His Will that it be understood.
 神は、まったく形というものにこだわりません。しかし、中身を与えたがゆえに、中身が理解されることが神の意志であるといえます。

 And that suffices.
 そして、それで十分です。

 The form adapts itself to need; the content is unchanging, as eternal as its Creator.
 形態は、必要に応じて変わりますが、中身は、その創造主と同じく永遠のものなので、変化することはありません。




4. The face of Christ has to be seen before the memory of God can return.
 神の記憶が回復されるためには、キリストの顔が見られなければなりません。

 The reason is obvious.
 その理由は明白です。

 Seeing the face of Christ involves perception.
 キリストの顔を見ることには、知覚を必要とします。

 No one can look on knowledge.
 誰も、知識を見るということはできません。

 But the face of Christ is the great symbol of forgiveness.
 しかし、キリストの顔は、赦しの大いなる印です。

 It is salvation.
 キリストの顔こそが救いです。

 It is the symbol of the real world.
 キリストの顔こそが、真の世界の象徴です。

 Whoever looks on this no longer sees the world.
 キリストの顔を見る者は誰であれ、もはやこの世界を見ることはありません。

 He is as near to Heaven as is possible outside the gate.
 キリストの顔を見る者は、天国の門の外側で近寄れるかぎり近くまで、天国に近づいています。

 Yet from this gate it is no more than just a step inside.
 しかし、この天国の門からは、中に入るためにはほんの一歩の距離しかありません。

 It is the final step.
 この一歩が、最後の一歩です。

 And this we leave to God.
 そして、この最後の一歩を踏み出してもらうことを、私たちは神に委ねるのです。





5. Forgiveness is a symbol, too, but as the symbol of His Will alone it cannot be divided.
 赦しもまた象徴です。しかし、神の大いなる意志のみを象徴するがゆえに、赦しが分裂するということはありえません。

 And so the unity that it reflects becomes His Will.
 だから、赦しが反映する統一された状態は、神の大いなる意志となるのです。

 It is the only thing still in the world in part, and yet the bridge to Heaven.
 赦しは、依然として、この世界の一部のものでありながら、天国へと橋を架けるのです。





6. God's Will is all there is.
 神の大いなる意志だけが存在します。

 We can but go from nothingness to everything; from hell to Heaven.
 私たちは、無から全てへと進むことしかできません。それは地獄から天国へ進むということです。

 Is this a journey?
 地獄から天国へ行くことは、なのでしょうか。

 No, not in truth, for truth goes nowhere.
 いいえ、本当のところはそうではありません。というのも、真理はどこにも去ってなどいないからです。

 But illusions shift from place to place; from time to time.
 しかし、幻想は、場所から場所へ、時間から時間へと移り変わります。

 The final step is also but a shift.
 最後の一歩もまた、単に移り変わりでしかありません。

 As a perception it is part unreal.
 知覚の一つとして、最後の一歩を踏み出すことも虚構の一部です。

 And yet this part will vanish.
 それでも、この一部も消え去ることになります。

 What remains is peace eternal and the Will of God.
 残るものは、永遠の平安と神の大いなる意志だけです。

 


7. There are no wishes now for wishes change.
 今や、願望は何ひとつありません。というのは、願望は変化するものだからです。

 Even the wished-for can become unwelcome.
 大いに待ち望んでいた願望すら、歓迎されないものとなりえます。

 That must be so because the ego cannot be at peace.
 これはその通りに違いありません。なぜなら、エゴが平安であることなどできないからです。

 But Will is constant, as the gift of God.
 しかし、神からの贈り物なので、大いなる意志は変わることのないものです。

 And what He gives is always like Himself.
 そして、神が与えるものは必ず、神自身に似ているものです。

 This is the purpose of the face of Christ.
 これがキリストの顔の目的です。

 It is the gift of God to save His Son.
 キリストの顔は、神の子を救うための神からの贈り物なのです。

 But look on this and you have been forgiven.
 ただこのキリストの顔だけを見てください。そうすれば、あなたは赦されることになります。




8. How lovely does the world become in just that single instant when you see the truth about yourself reflected there.
 あなたが世界に映し出された自分自身についての真理を見るようになった、まさにそのただ一つの瞬間において、この世界はどんなに美しいものとなることでしょうか。

 Now you are sinless and behold your sinlessness.
 今や、あなたは潔白であり、自分の罪の無さを眺めています。
 
 Now you are holy and perceive it so.
 今や、あなたは聖なるものであり、自分を神聖なものとして知覚しています。

 And now the mind returns to its Creator; the joining of the Father and the Son, the Unity of unities that stands behind all joining but beyond them all.
 そして、今、小さな心はその創造主の下へと戻ります。父と子が結びつき、その結合による統一性が全ての結びつきの背後にありながらも、それらの結びつきのすべてを超越しています。

 God is not seen but only understood.
 神は、見られるのではなく、ただ理解されるのみです。

 His Son is not attacked but recognized.
 神の子は、攻撃されるのではなく、認識されることになるのです。



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