レッスン92「奇跡は光の中で見える。そして、光と力強さはひとつだ」


人は合理的な世界観を揺るぎない法則として間違って理解している。けれども、この法則はインチキであり、叩き壊すことができるのだ。私たちの人生ではしばしば説明のつかない奇跡が起こる。奇跡のうちのひとつくらいは自分の人生に起こってもよいのにと、なぜ思わないのだろう。魂が欲することを、思い切って所有しようとするだけでよいのだ。



Vadim Zeland
ヴァジム・ゼランド

tuf (1) (1)tufti (1) (1)ift (1) (1)dd (1) (1)2 (1) (1)スクリーンショット 2024-01-07 080353 (1) (2)ddd (1) (1)



Fantasy is hardly an escape from reality.
ファンタジーはまったく現実からの逃避なんかじゃない。

It's a way of understanding it.
ファンタジーは現実を理解するための方法なんだ。

20231005123109f49_0212080949 (1)

Lloyd Alexander
ロイド・アリグザンダー(1924年1月30日 - 2007年5月17日 アメリカ合衆国の児童文学作家、ファンタジー作家)




shutterstock_1961013871 (1)_1227061758 (1)

レッスン92です。

今日のテーマは、「奇跡は光の中で見える。そして、光と力強さはひとつだ」です。


肉眼で見、脳で思考していると本気で信じるのが狂気ってどういうこと?

素朴な感覚として、私たちは肉眼で見て、脳で思考しているつもりでいるし、本気でこれが正しいと信じて疑いません。

しかし、このレッスンは、肉眼がものを見ることができ、脳が思考することができるという私たちの常識は、マッチを手にして太陽に火を灯してすべての熱量を与えられると信じるくらいの狂気だと述べます。

肉眼で見て脳で思考している錯覚を本気で真実だと思い込む馬鹿らしさがわからないくらい私たちは気が狂っているわけなのですが、私たちも周りにいる人たちもみんな揃って狂っているわけなので、この狂気に自分で気づくのはとても困難です。

病識のない狂人に自分が狂っていると自覚させるにはどうすればよいのでしょうか?





今の時代、「狂気」という言葉がこれほど満載の書物はほかにない!

狂気にも多様なバリエーションがありますが、私たちの狂気は、ありもしない幻想世界の中で、自分がたくさんの人間になっているという解離性同一性障害を基礎に、多重人格の無数の副人格たちがそれぞれに幻覚・幻聴、妄想を抱いて、自分が天国にいる神の子であることを忘却する解離性障害と見当識障害を合併している状態です。

どこから手を付けたらよいのかわからないほどの精神疾患のデパート状態です。

人間の患う解離性同一性障害の場合は、ひとつの身体に多重人格たちが共存し、身体を制御する心という光の当たる舞台を独占しようと奪い合うという症状から、多重人格たちをどう統合するのかが治療の課題となります。


神の子と人の子では、多重人格の副人格たちの向かうベクトルは逆

これに対して、神の子の患う解離性同一性障害は、ひとつの心を持つ一なる霊が自らを無数の魂に分裂させて、心の中に光の当たらない闇を作り出し、その闇の中に作り出した幻想世界の中に多数の身体という囲いで心を分割し、身体の闇の中に引きこもるという症状から、魂たちをどうやって光の中に統合するのかが救済の課題です。

人の場合は、多重人格同士が身体を操縦する心を支配して表舞台に立つチャンスを奪い合うベクトルであるのに対して、神の子の場合は、本当はひとつの大いなる心という表舞台を放棄して、多重人格である魂たちが舞台裏に逃げ込んで、無数の身体という独房の中に閉じこもろうとするベクトルである点で、表舞台に立とうとするのか裏舞台に逃げ込もうとするのかという点で、真逆の状態であるといえます。


副人格が本物になりえないことだけは変わらない

もっとも、いずれにせよ、実在しない架空のキャラクターである副人格たちはどうあがいても本物になることはできない点だけは、人の場合も神の子の場合も同じです。

したがって、副人格である私たちがやる気を出して表舞台に立ってやろうと躍起になることは救済にはならず、救済の妨げにしかなりません。

つまり、副人格である私たちが主役意識を持つこと自体が妄想による錯覚なのであり、副人格である私たちが主体となって何かを自覚したり悟りを啓いたりするということ自体が概念矛盾となります。

架空のキャラクターである副人格は、狂気に陥っている主体であるわけではありません。狂っている本人が他人になりきるために被る仮面であり、単に狂気に生み出された妄想の産物でしかないのです。


私たちが正しく自己認識するなら、自分のことを本来お呼びではない消え去るべき狂気の想念と見るのが正しい

ですから、副人格が自分は狂気に陥っていると認識するのは正確ではなく、副人格の正確な自己認識があるとすれば、自分は実在しない架空の存在であり、病んでいる主体が保つ唯一の正気である主人格に統合されて消滅すべき幻想だという自覚になります。

したがって、私たちはコースを学んだり、瞑想したり、修行したりして本当の自分である神の子の自覚を取り戻して救済を成し遂げようと意気込んでいますが、そもそも出発点からしてずれていて、そのスタンスでは救済から遠ざかるだけで、明後日の方向にまっしぐらの状態ということになります。

というのも、私たちという副人格が実在するという錯覚が解消されることが神の子の救済だからです。


自分の物語を読んでくれている読者の友として彼が現実に帰還できる助けとなる

なので、私たち自身が消え去るべき邪魔者であり、私たちがすべきなのは、自分は神の子だという自覚を得ようと、主役を張ってがんばることではなく、物語の主人公が読者を結末に導くように、各自が担う赦しを通して世界の光となる役目を果たすことで、個としての自他が抱く小さな自己概念が幻想であり分離による個々の間の隙間が実は錯覚でつねに愛でひとつに結ばれているという体験をして、私たちの体験を神の子に「私」として体験させて、神の子を本当の自分の自覚に導くことです。

この役目のよいモデルははてしない物語の前半の主人公を務めたアトレーユです(T11-7 現実の条件レッスン50「私は神の大いなる愛に支えられている」)。

20230903113848433-2-2_transparent (2) (1)


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
カイロンはゆっくりうなずいてから、金のおまもりの鎖を首からはずし、アトレーユの首にかけてやった。「アウリンはそなたに大いなる権威を授けよう。」カイロンは荘重な響きで語りはじめた。「しかしながら、その権威を用いることはならぬ。女王さまもそのご威光にものいわせることは、けっしてなさらぬからだ。アウリンはそなたを守り導くであろう。だがどんなことに出会おうとも、けっして自らそれに手を出してはならぬ。これより先、そなた自身の考えは意味を持たぬのだから。ゆえに、いかなる武器もたずさえずに出発するのだ。何ごとも起こるがままに起こらしめよ。悪も善も、美も醜も、愚も賢も、すべてそなたにとっては区別はないのだぞ。幼ごころの君の前においてはすべてが同じであるようにな。そなたのなすべきことは、求め、たずねることのみ。そなた自身の意見にもとづいて判断をくだしてはならぬ。よいか、けっして忘れるでないぞ、アトレーユ!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

Michael Ende
ミヒャエル・エンデ( 「はてしない物語」 61ページ) 

hmo (1)

ness (1) (1)aad (1) (1)513PulOZsFL (2) (1)



偶然見つけたハル

韓国ドラマ「偶然見つけたハル」は、「自我」の芽生えによって、自分が漫画の中の登場人物(しかも主役ではなく脇役!)だと気づき、作者に逆らって自分の人生を生きようとする主人公の姿を描く変わったドラマです。

神の意図とエゴの願望、リアリティ・トランサーフィンで言う外的意図と内的意図のイメージ、すでに「書かれている」世界で奇跡を起こす方法についてのヒントを大いに与えてもらえる作品だと思います。

AmazonプライムNetflix

偶然

「キム・ヘユン×ロウン×イ・ジェウク主演!
ヒロインだと思っていた自分は漫画の脇役だった!?
自由と初恋を懸けたエキストラたちの胸キュンな反抗が始まる!


幼い頃から心臓病を患っているものの、明るく天真爛漫に生きてきた、会長令嬢ウン・ダノ(キム・ヘユン)。スリ高校のアメイジング3、容姿端麗なセレブグループA3の注目を一身に浴び、「まるでヒロインのような私の人生」と思っていた彼女に突然異変が起こる。記憶を失ったり、未来が見えたり…。その理由を学食のミステリアスな料理人から聞いて驚がく。この世界は漫画の中の世界で、自我を持つもののみが知る世界「シャドウ」と、作者の設定の「ステージ」からなるというのだ。そのうえダノは、自分が漫画の世界の取るに足らない小さな役でしかないことを知る。このまま持病の心臓病で死ぬのは耐えられないと一念発起。なんとかしてストーリーを変え、自分の思いのままに生きようと奮闘する。そんな中、作者の設定とは異なる出来事が起こる。ダノは、そのきっかけとなった顔も名前も知らない男子生徒を必死で探し回るが、やっと見つけた彼は、名前すら持たないエキストラだった。そんな彼にハルという名前をプレゼントするダノ。そこからふたりは、漫画よりもときめくページを描き始める!

ウェブ漫画原作の学園ものという枠にとらわれない、ドラマ界に新風を吹き込んだ力作。原作のキャラクターとキャストのシンクロ率が圧倒的で、非の打ち所がなく、これ以上ないキャスティングでも視聴者をとりこにした。美しい映像と、原作ファンも納得の、キム・ヘユン、ロウン、イ・ジェウクら旬の俳優の熱演に心奪われる。

支持率を高めたのは、ダノとハル、ふたりの出会いが巻き起こす、爆発的な化学反応の相乗効果にもある。図書館や、キーワードのひとつとなる「凌霄花(ヌンソファ=ノウゼンカヅラの花)」の下のふたりや、前世(前作)での渓谷の水辺の蛍のシーンなども、息を飲む美しさ。ドラマ放映後もファンの視線は熱く、数々の名だたる雑誌のグラビアなどでもふたりの特集が組まれた。

今いちばん注目のロウン、イ・ジェウクに加え、脇を固める若手俳優たちもそれぞれ個性的で、見目麗しくハマり役。イケメンだらけの学校を彩っている。
グイグイと不思議な世界に引き込まれる深みのある脚本と、キャストの絶妙な熱演が相まって、演技大賞では受賞ラッシュとなった。「2019MBC演技大賞」ではキム・ヘユンが「女性新人賞」と「水木ドラマ部門優秀女優賞」、「男性新人賞」をロウンとイ・ジェウクが共に獲得。さらに「視聴者が選んだ今年のドラマ賞」も勝ち取るなど、他の学園ものとは一線を画す異色作になった。権威ある「第56回百想芸術大賞」ではイ・ジェウクが新人賞にノミネートされた。」


Wー君と僕の世界ー

漫画の世界と現実が交差する「Wー君と僕の世界ー」もお勧めです。

W (1)

公式サイトより

「「ピノキオ」「君の声が聞こえる」をはじめ出演作を次々と大ヒットに導き、今最も勢いに乗る俳優イ・ジョンソク。そんな彼が、今度は“マンガの主人公”という異色のキャラクターに挑戦。王子様オーラ全開の完璧なルックスと圧倒的カリスマに釘付けになること間違いなし! 対するヒロイン役には 、「トンイ」『ビューティー・インサイド』などの透明感あふれる演技に定評があるトップ女優ハン・ヒョジュ。2016年MBC演技大賞で2人揃って最優秀演技賞&ベストカップル賞を獲得するなど、人気と実力を兼ね備えた2大スターの共演は最高のケミストリーと大絶賛を浴びた!


話題性No.1! 同時間帯視聴率1位を独走! MBC演技大賞で7冠を獲得した“異次元”級エンターテイメント!
放送開始と同時に大きな注目を集めた本作は、並みいる競合作を抑えて第2話から最終話まで同時間帯視聴率1位を独走! ドラマのフォトエッセイや劇中に登場した恋愛指南書までベストセラーを記録し、2016年MBC演技大賞では、大賞と今年のドラマ賞を含む7冠の快挙を達成! 一度観始めたら止まらない中毒性抜群のユニークな世界観と予測不能なストーリーが、空前の“W”ブームを巻き起こした!

★2016年MBC演技大賞を席巻!!・大賞(イ・ジョンソク)・今年のドラマ賞・最優秀演技賞(イ・ジョンソク/ハン・ヒョジュ)・ベストカップル賞(イ・ジョンソク&ハン・ヒョジュ)・黄金演技賞(キム・ウィソン)・今年の作家賞(ソン・ジェジョン)
「彼女はキレイだった」監督×「イニョン王妃の男」脚本家大ヒットメーカーの超強力タッグが生んだファンタジードラマの新たな傑作!
監督は「彼女はキレイだった」「ずる賢いバツイチの恋」などスタイリッシュな演出で観る者を引き込むチョン・デユン。脚本は、「イニョン王妃の男」「ナイン~9回の時間旅行~」など、ずば抜けた想像力でタイムスリップ物をヒットさせてきたソン・ジェジョン作家が担当。ファンタジックな映像とスピーディーかつ緻密なシナリオが見事に合わさり、その面白さは初回から最終話までノンストップで加速! 2人のヒットメーカーの初タッグで、これまで誰も観たことのないファンタジードラマの新たな傑作が誕生した!


ヒロインが恋に落ちたのは、マンガの主人公——!?トキメキとスリルが止まらない♥ すべての女性の夢を叶えるファンタジック・ラブストーリー!
ヒロインのヨンジュはある日、大人気マンガ「W」の世界に吸い込まれ、主人公カン・チョルと出会う。容姿端麗で頭脳明晰、紳士的でお金持ち…完璧な“理想の彼”チョルに惹かれていくヨンジュだが、彼の命を狙う者が現れて…!? マンガと現実という2つの世界を舞台に描いた本作は、次元を行き来する度に深まる夢のような恋と2人を取り巻く謎が、トキメキとスリル満載で展開! “王子様”との恋を夢見るすべての女性に贈る、極上のファンタジック・ラブストーリー!


若手イケメン俳優“5urprise”のイ・テファンからベテラン俳優まで、豪華キャストが勢揃い!
「恋はチーズ・イン・ザ・トラップ」のソ・ガンジュンが所属し、日本でもCDデビューを果たした大人気イケメン俳優グループ“5urprise(サプライズ)”。そのメンバーとして今人気急上昇中のイ・テファンが、イ・ジョンソクの護衛役を好演! 抜群のスタイルと鋭い眼差しで魅せるアクションシーンは必見! さらに、物語の鍵を握るマンガ作家役を『観相師-かんそうし-』のベテラン俳優キム・ウィソンが怪演。新進気鋭のモデル出身女優チョン・ユジンや、「リメンバー~記憶の彼方へ~」のイ・シオン、「ああ、私の幽霊さま」のカン・ギヨンなど、個性派俳優が脇を固める!」


kame (1)_1226094537 (1)

Lesson 92 - Miracles are seen in light, and light and strength are one
レッスン92 奇跡は光の中で見える。そして、光と力強さはひとつだ。







1. The idea for today is an extension of the previous one.
 今日の考えは、「奇跡は、光の中で見える」という前回のレッスンの考えを延長したものです。

 You do not think of light in terms of strength and darkness in terms of weakness.
 あなたは、光が強さだと考えてはいないし、闇が弱さだと考えてもいません。

 That is because your idea of what seeing means is tied up with the body, and its eyes and brain.
 その理由は、あなたが見ることの意味を身体と、つまり、肉眼や頭脳と結びつけて考えているからです。

 Thus you believe that you can change what you see by putting little bits of glass before your eyes.
 だからこそ、あなたは、自分の目の前に小さなガラスの板をつけることによって、自分の目に見えるものを変えられると信じているのです。

 This is among the many magical beliefs that come from the conviction you are a body, and the body's eyes can see.
 このようなことは、自分は身体であり、肉眼にはものが見えるという魔術的な信念の一種です。



2. You also believe the body’s brain can think.
 あなたはまた、脳という身体の器官が思考する力を持っているとも信じています。

 If you but understood the nature of thought, you could but laugh at this insane idea.
 しかし、もしあなたが思考の本質を少しでも理解していたなら、あなたはこんな狂った考え方を笑い飛ばすことしかできなかったはずです。

 It is as if you thought you held the match that lights the sun and gives it all its warmth; or that you held the world within your hand, securely bound until you let it go.
 脳が思考できると考えるようなことは、まるで、自分が持つマッチで太陽に火をともし、そのすべての熱を与えられるとか、自分が手放すまではしっかりとこの世界を自分の掌中に閉じこめておけると考えるようなものです。

 Yet this is no more foolish than to believe the body’s eyes can see; the brain can know.
 それでも、肉眼が見ることができ、脳が知ることができると信じるのは、これに劣らないくらい馬鹿げたことなのです。



3. It is God's strength in you that is the light in which you see, as it is His Mind with which you think.
 あなたは、あなたの中にある神の力強さである光の中で見るのであり、あなたは、神の大いなる心で思考しているのです。

 His strength denies your weakness.
 神の力強さは、あなたの弱さを否定します。

 It is your weakness that sees through the body's eyes, peering about in darkness to behold the likeness of itself; the small, the weak, the sickly and the dying, those in need, the helpless and afraid, the sad, the poor, the starving and the joyless.
 肉眼を通して見ているのはあなたの弱さです。あなたの弱さは、目を凝らして闇の中を見回し、矮小で弱く、病んで死にかけていて、困窮して無力で怯え、悲しみ、貧しく、飢えて喜びと無縁なものといった自分自身の同類の姿を見ています。

 These are seen through eyes which cannot see and cannot bless.
 見ることができず、祝福することもできない目を通して見えているのは、こんなものなのです。



4. Strength overlooks these things by seeing past appearances.
 力強さは、外観を通り越して見ることによって、これらの物事を無視します。

 It keeps its steady gaze upon the light that lies beyond them.
 力強さは、その揺るぎない眼差しをそれらの物事の向こう側にある光に注ぎ続けます。

 It unites with light, of which it is a part.
 力強さは、自らがその一部である光と結びつきます。

 It sees itself.
 力強さに見えるのは自分自身だからです。

 It brings the light in which your Self appears.
 力強さは光をもたらし、その光の中に、あなたの大いなる自己が姿を現わします。

 In darkness you perceive a self that is not there.
 闇の中では、あなたは、そこにありもしない小さな自己を知覚してしまいます。

 Strength is the truth about you; weakness is an idol falsely worshipped and adored that strength may be dispelled, and darkness rule where God appointed that there should be light.
 力強さこそ、あなたについての真理です。弱さは、力強さを消し去って、神が光があるようにと定めた場所を闇が支配できると間違って崇め奉られている偶像です。



5. Strength comes from truth, and shines with light its Source has given it; weakness reflects the darkness of its maker.
 力強さは、真理に由来します。そして、力強さは、その大いなる源である真理から与えられた光で輝いています。これに対して、弱さはその作り主である闇を反映します。

 It is sick and looks on sickness, which is like itself.
 弱さは病んでいるので、自らの同類である病いを見つめます。

 Truth is a savior and can only will for happiness and peace for everyone.
 真理こそが救い主であり、ただみんなの幸せと平安を意図することしかできません。

 It gives its strength to everyone who asks, in limitless supply.
 真理は、その力強さを求める者なら誰にでも、無限に自らの力強さを供給します。

 It sees that lack in anyone would be a lack in all.
 真理は、ひとりの欠乏はみんなの欠乏になると見ます。

 And so it gives its light that all may see and benefit as one.
 それゆえに、真理は、みんなが真に見るようになり、ひとつのものとして恩恵に浴するようにと自らの光を与えるのです。

 Its strength is shared, that it may bring to all the miracle in which they will unite in purpose and forgiveness and in love.
 真理の力強さは分かち合われているので、真理はみんなにすべての奇跡をもたらし、そのすべての奇跡の中で、みんなが赦しを目的に愛の中で結びつくことになります。



6. Weakness, which looks in darkness, cannot see a purpose in forgiveness and in love.
 弱い者は、闇の中で見るので、赦しや愛の中に目的を見いだすことができません。

 It sees all others different from itself, and nothing in the world that it would share.
 弱い者は、自分以外のあらゆるものは自分とは違うので、自分には他者と分かち合いたいものなど世界に何ひとつないと見ています。

 It judges and condemns, but does not love.
 弱い者は、裁いて咎めることはあっても、愛することはありません。

 In darkness it remains to hide itself, and dreams that it is strong and conquering, a victor over limitations that but grow in darkness to enormous size.
 弱い者は身を隠すために闇の中に留まって、自分が力強く他者を打ち負かしてさまざまな制限を克服する勝利者になることを夢見ていますが、その勝利が並外れた規模にまで増大することがあるとしても、それは闇の中でのみのことです。



7. It fears and it attacks and hates itself, and darkness covers everything it sees, leaving its dreams as fearful as itself.
 弱い者は恐れ、攻撃し、そして自分自身を憎んでいるので、闇は、弱い者の見るすべてのものを覆い尽くし、彼自身と同じように、その夢を恐れに満ちたものにします。

 No miracles are here, but only hate.
 ここには奇跡などなく、あるのはただ憎しみだけです。

 It separates itself from what it sees, while light and strength perceive themselves as one.
 弱さは、自分の見るものから自分自身を切り離します。これに対して、光と強さは自分たち自身をひとつのものとして知覚します。

 The light of strength is not the light you see.
 力強さの光は、あなたが今目にしているような光ではありません。

 It does not change and flicker and go out.
 その光は、変わることなく、揺らめいて消えたりしません。

 It does not shift from night to day, and back to darkness till the morning comes again.
 その光は、夜から昼に移り変わったり、朝が再び訪れるまで闇が戻ってきたりすることはありません。



8. The light of strength is constant, sure as love, forever glad to give itself away, because it cannot give but to itself.
 力強さの光はつねに変わりません。愛と同じように確かなものであり、永遠に喜んで自分自身を与えきろうとします。なぜなら、この光には自分自身にしか与えることができないからです。

 No one can ask in vain to share its sight, and none who enters its abode can leave without a miracle before his eyes, and strength and light abiding in his heart.
 力強さの光によって見える視覚を分かち合いたいと求めて、それが叶わない者は誰もいません。そして、力強さの留まるところに入ってきて、自分の目の前に奇跡を見て、力強さと光を自分の胸に抱くことなくそこを去る者もいません。



9. The strength in you will offer you the light, and guide your seeing so you do not dwell on idle shadows that the body's eyes provide for self-deception.
 あなたの中の力強さは、あなたにこの光を差し延べ、あなたの見方を導いてくれるので、あなたは肉眼が自己欺瞞のために差し出す空疎な影に留まろうとはしなくなります。

 Strength and light unite in you, and where they meet, your Self stands ready to embrace you as Its Own.
 力強さと光はあなたの中で結びつきます。そして、力強さと光の出会うその場所で、あなたの大いなる自己は、あなたを自分自身として抱擁しようと待ち受けています。

 Such is the meeting place we try today to find and rest in, for the peace of God is where your Self, His Son, is waiting now to meet Itself again, and be as One.
 今日、私たちは、このような出会いの場を見出してそこで安らごうと試みます。というのも、神の平安は、神の子であるあなたの大いなる自己が今、再び自分自身と出会い、ひとつになることを待ち受けているこの場所にあるからです。



10. Let us give twenty minutes twice today to join this meeting.
 今日は2回、20分をかけて、この会合に加わることにしましょう。

 Let yourself be brought unto your Self.
 あなた自身を、自らの大いなる自己の許へともたらしてください。

 Its strength will be the light in which the gift of sight is given you.
 大いなる自己の力強さは光となり、その光の中で、あなたに真の視覚という贈り物が授けられます。

 Leave, then, the dark a little while today, and we will practice seeing in the light, closing the body's eyes and asking truth to show us how to find the meeting place of self and Self, where light and strength are one.
 それゆえ、今日は、闇のことはしばらく放っておいて、私たちは、光の中で見ることを実践します。肉眼を閉じて、光と力強さがひとつになる小さな自己と大いなる自己とが出会う場所をどのようにして見つけたらよいか示してくれるように真理に頼むのです。



11. Morning and evening we will practice thus.
 私たちは、朝と晩にこのようにして実習することにします。

After the morning meeting, we will use the day in preparation for the time at night when we will meet again in trust.
 朝の出会いのあと、私たちは、夜に希望と信頼の中で再会するときのための準備として日中の時間を用いることにします。

 Let us repeat as often as we can the idea for today, and recognize that we are being introduced to sight, and led away from darkness to the light where only miracles can be perceived.
 その機会があれば、できるだけ頻繁に今日の考えを繰り返してください。そうして、私たちが真の視覚を獲得する手ほどきを受け、闇から去って、ただ奇跡だけを受け取ることができる場所である光へと導いてもらっていると認識するようにしましょう。


20150316115937f70_transparent (1)

それでは、ブリトニーさんのレッスンです。






関連記事