There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T11-5 エゴです。。。。がんばってもっと悪さをしますから、私を赦すのだけは勘弁してください!

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今回は、引き続き、エゴ原動力について解説する一節(テキスト 第十一章 五 エゴの「力学」)をご紹介します。





誰でも、エゴの衝動に突き動かされて、自己本位な振る舞いをして、あとになって後悔するという体験をします。

誰かにかけられた言葉に、自分を侮辱されたように感じて激昂し、口汚く罵ってしまったり、暴力を振るったりして大変なことになる人もいます。

あとになって振り返ると、自分のしたことではないように、まるで自動操縦機能に自分が乗っ取られていたように感じることがあるものです。

激情に駆られるような場面ほどわかりやすくはないものの、日常的な場面でも、私たちがエゴの支配を免れているときなどありません。

知人間の儀礼的な贈り物のやりとりから、親子の間の情愛に基づくやりとりまで、すべからくエゴが取り仕切っています(ここは異論があるかもしれませんが、またの機会に)。


エゴは強力な力を持っており、自分たちがエゴに操られているように感じます。



ですが、この節では、エゴには何もする力などないといいます。

そもそも、エゴに何かをするということ自体が不可能なことだと言います。

その理由は、単純で、エゴは存在しないからということです。

存在しない幻想には何もする力などないということです(そして、何かをされているように思える「私たち」自体も幻想とすれば、幻想幻想に何か悪さをするなんてことはありえないということになります)。


とはいえ、私たちは、誰かに嫌なことを言われたら、自分の中で反発する意識がどんどん膨らんで、それに突き動かされるのを現に体験し、エゴが何かをする力を持っているように感じます。

幻想というものは、それを錯覚する者が勝手に想像をたくましくすることで維持されるのであり、このエゴ錯覚を取り消すためには、ほかのすべての幻想と同じように、幻想から目を背けるのではなく、真正面から幻想を見据えることだと言います。

エゴは、私たちが他者や世界と隔絶し、神から切り離された小さな自己であるということを信じ込ませるためのたくさんの思いの寄せ集めからなる妄想システムであり、実在しないものがあると錯覚させる働きです。

小さな自分を定義する属性はすべて、エゴを構成する妄想システムの一部になることができます。

自分の名前や性別や履歴、身体的特徴、個人としての自分のアイデンティティーを特徴づける長ったらしいリストがエゴの素材です。

分離を信じる、つまり、一なるものの全体性を黙殺することによって、客体として知覚される世界と主体として知覚する意識というものが必要になります。

これがエゴを生み出すことになります。

外にある世界と自分と他者を隔てる身体は、エゴの分離の信念が本物であることを偽証します。

エゴの目的は分離幻想を維持するために、恐怖を使ってエゴの自律性を確保することにあります。

エゴの思いの中核は、自分は宇宙の中で隔絶した孤独な存在だという信念です。

このように自分が孤立した存在であると信じると、自分以外のすべてが敵になり、脅威の対象となり、宇宙全体が恐怖の場所となります。

ただし、エゴは、恐怖を道具として用いはしますが、自分が恐怖の元であることを私たちに気づかせるわけにはいきません。

なぜなら、本当は、私たちは、エゴに自律するよう教え込まれますが、本当は神と結びついて、神と依存関係にあるので、もし、私たちが自分が怯えるのはエゴのせいで、本当はエゴのことを恐れているのだということに気づいたら、私たちは、独立心を減少させて、神への依存を回復してしまいかねないからです。

そこで、エゴは、自分が力を与えてやるとそそのかして独立心を煽ります。

エゴにとっては分離こそが救済なので、個としての独立を確立することが幸せということになります。

他者を蹴落とし、搾取し、自分だけの利益を確保してこそ幸せになれるのだ、何しろ自分以外はすべて敵なのだからと。


エゴ自体、誤りを知覚してそれを現実と解釈する妄想システムなので、当然のように、真理を見落としてしまいます。

そして、エゴは、分離が存在し、エゴには自己を創造する力があるということを根本的な前提として考えるので、そこから導かれる論理的帰結はすべて誤りのない正確な論理となります。

ですから、エゴが設定する土俵の上でエゴと向き合っていたのでは、エゴは「存在」し、力を持ったままになってしまいます。


土俵の外に出て、エゴがひっきりなしに砂の上に線を引いたり、ガラクタを寄せ集めては周りに壁を作ったりして自分の陣地だと主張しているだけで、本当は、一つひとつの土俵を仕切る境目などない、つまり、分離もなければ、エゴに個々の自己を創造する力もないということに気づいて、エゴの基盤を掘り崩すしかありません。

これは、「贖罪」の観点と同じものです。

結局、真の自律とは、神の自律の中に包含されていることによる自律である、つまり、個別の自己としての自律ではなく、みんなが一体となった神の子としてのアイデンティティーの回復であるということです。


「あなたが本当に苦心して追い求めてきたエゴの目標は、単に自分に恐れをもたらしただけであったということに気づいてください。そうすれば、そんな恐れを抱くことが幸せだなどと言い張るのは困難になります。」

テキスト 第三章 六 価値判断と権威問題が本節の参考になりますので、ご一読いただければと思います。





テキスト 第十一章 


V. The "Dynamics" of the Ego
五 エゴの「力学


1. No one can escape from illusions unless he looks at them, for not looking is the way they are protected.
 幻想をしっかりと見つめないかぎり、誰も幻想から逃れることはできません。というのは、見ないでいるという方法によって、幻想は保護されているからです。

 There is no need to shrink from illusions, for they cannot be dangerous.
 幻想にひるんだりする必要はまったくありません。なぜなら、幻が危険なものになりうるはずがないからです。

 We are ready to look more closely at the ego's thought system because together we have the lamp that will dispel it, and since you realize you do not want it, you must be ready.
 私たちにはエゴの思考システムをより緻密に見る用意ができています。なぜなら、私たちはエゴの思考システムを追い払うことができるランプを一緒に持っているからです。そして、あなたは自分がエゴの思考システムなど望んでいないと気づいているので、あなたには準備ができているに違いないからです。

 The "dynamics" of the ego will be our lesson for a while, for we must look first at this to see beyond it, since you have made it real.
 エゴの「力学」がこれからしばらくの間、私たちが学ぶレッスンになります。というのも、あなたがエゴの思考システムを現実のものにしてしまっているために、エゴの思考システムを越えてその向こう側を見るためには、まず、エゴの原動力をよく見てみなければならないからです。

 We will undo this error quietly together, and then look beyond it to truth.
 私たちで力を合わせて、この誤りを粛々と取り消し、そのあとで、その誤りの向こう側にある真理を見つめることにしましょう。




2. What is healing but the removal of all that stands in the way of knowledge?
 癒しは、知識に至る道を塞いでいるものをすべて取り去ることにほかなりません。

 And how else can one dispel illusions except by looking at them directly, without protecting them?
 そして、幻想を追い払うには、幻想を守ろうとはせずに、真正面から幻想を見据える以外にどのような方法がありうるでしょうか。

 Be not afraid, therefore, for what you will be looking at is the source of fear, and you are beginning to learn that fear is not real.
 それゆえに、恐れないでください。なぜなら、あなたが見ようとしているのは恐れの源であり、そして、あなたは恐れが実在しないということを学びはじめているからです。

 You are also learning that its effects can be dispelled merely by denying their reality.
 あなたはまた、単に恐れの実在性を否定しさえすれば、恐れの結果も払拭できることも学んでいるのです。

 The next step is obviously to recognize that what has no effects does not exist.
 その次のステップとして、結果を持たないものは存在しないと気づくようになるのは明らかなことです。

 Laws do not operate in a vacuum, and what leads to nothing has not happened.
 法則が作用しながら何の効果も生じないはずはないので、無に導くようなものは、そもそも起こってなどいなかったということになります。

 If reality is recognized by its extension, what leads to nothing could not be real.
 もし何かが実在するかどうかが、その何かを拡張したものによって見分けられるとすれば、無へと導くようなものが実在するはずがありません。

 Do not be afraid, then, to look upon fear, for it cannot be seen.
 ですから、恐れを見つめることを恐れることはありません。なぜなら、恐れを見ることなどできないからです。

 Clarity undoes confusion by definition, and to look upon darkness through light must dispel it.
 明瞭さは事態を明確にさせることによって混乱を取り消します。そして、光を当てて闇を眺めれば、光が闇を一掃するに違いありません。


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3. Let us begin this lesson in "ego dynamics" by understanding that the term itself does not mean anything.
 「エゴの力学」について学ぶにあたって、この言葉自体が何の意味も持たないと理解することからレッスンを始めましょう。

 It contains the very contradiction in terms that makes it meaningless.
 この言葉は、それ自体を無意味にするような名辞矛盾の表現を含んでいます。

 "Dynamics" implies the power to do something, and the whole separation fallacy lies in the belief that the ego has the power to do anything.
 「力学」は何かをする力を意味します。そして、分離に関する誤った考え全体は、エゴが何かをする力を持っているという信念に基盤を置いています。

 The ego is fearful to you because you believe this.
 あなにとってエゴが恐ろしいものである理由は、あなたがエゴには何かをする力があると信じているからです。

 Yet the truth is very simple:
 しかし、その真相はといえば、きわめて単純なものです。


All power is of God.
すべての力は神に由来します。

What is not of him has no power to do anything.
神に由来しないものは、まったく何の力も持ちません。




4. When we look at the ego, then, we are not considering dynamics but delusions.
 したがって、私たちがエゴを見るとき、私たちは何らかの力の働きについて考えているのではなく、妄想について考えているのです。

 You can surely regard a delusional system without fear, for it cannot have any effects if its source is not real.
 間違いなく、あなたは妄想のシステムであれば、それを恐れずにじっくりと見ることができるはずです。なぜなら、妄想システムの源が実在しないとすれば、妄想システムにはいかなる結果ももたらすことはできないはずだからです。

 Fear becomes more obviously inappropriate if you recognize the ego's goal, which is so clearly senseless that any effort on its behalf is necessarily expended on nothing.
 もしあなたがエゴの目標に気づけば、恐れることが不適切であるということがもっと明瞭になります。エゴの目標が意味をなさないことはあまりに明確なので、エゴの目標を達成するためにどんなに努力を費やしても、必然的に徒労に終わるからです。

 The ego's goal is quite explicitly ego autonomy.
 エゴの目標は至極明快であり、それはエゴの自律です。

 From the beginning, then, its purpose is to be separate, sufficient unto itself and independent of any power except its own.
 そうだとすれば、最初からエゴが目標とするのは分離することであり、エゴ自体だけで自足し、エゴ自体以外のどんな力からも独立していることだということになります。

 This is why it is the symbol of separation.
 だからこそ、エゴは分離の象徴なのです。

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5. Every idea has a purpose, and its purpose is always the natural outcome of what it is.
 あらゆる想念には目的があります。そして、その想念の目的はつねに、その想念の本質から自然に生じる結果であるといえます。

 Everything that stems from the ego is the natural outcome of its central belief, and the way to undo its results is merely to recognize that their source is not natural, being out of accord with your true nature.
 エゴに由来することは、ことごとく、そのエゴの中心的な信念から自然に生じる結果です。だから、その結果を取り消す方法は単に、その源はあなたの真の本質に調和しないので、自然なものではないと気づくことだけです。

 I said before that to will contrary to God is wishful thinking and not real willing.
 私が前に述べたように、神に背いて意図するのは願望に満ちた考え方による希望的観測であって、真に意図することにはなりません。

 His wiill is one because the extension of his will cannot be unlike itself.
 神の意志はひとつです。なぜなら、神の意志は拡張されても、それ自体とは違うものになるはずがないからです。

 The real conflict you experience, then, is between the ego's idle wishes and the Will of God, which you share.
 ゆえに、あなたが体験する真の葛藤とは、エゴの空疎な願望と、あなたが共有している神の大いなる意志との間に生じる葛藤だということになります。

 Can this be a real conflict?
 こんなものが本当に葛藤といえるでしょうか。





6. Yours is the independence of creation, not of autonomy.
 あなたの自主性は自律のための自主性ではなくて、創造するための自主性です。

 Your whole creative function lies in your complete dependence on God, Whose function he shares with you.
 あなたの創造的な機能はすべて、あなたが全面的に神に依存することに基礎を置いています。なぜなら、神は自らの働きをあなたと共有しているからです。

 By his willingness to share it, he became as dependent on you as you are on him.
 神が創造的な働きを進んで共有しようとすることによって、あなたが神に依存するのと同じように、神もあなたに依存することになりました。

 Do not ascribe the ego's arrogance to him who wills not to be independent of you.
 エゴの傲慢さを、あなたから独立した存在であることを意図していない神のせいにしないでください。

 He has included you in his autonomy.
 神は自らの自律性の中にあなたを包含しています。

 Can you believe that autonomy is meaningful apart from him?
 神から離れて自律性を持つことに意義があるなどとあなたは信じられるでしょうか。

 The belief in ego autonomy is costing you the knowledge of your dependence on God, in which your freedom lies.
 あなたはエゴの自律を信じることの代償として、自らの神への依存性についての知識を犠牲にする羽目に陥っています。しかし、自らの神への依存性という知識の中にこそ、あなたの自由があるのです。

 The ego sees all dependency as threatening, and has twisted even your longing for God into a means of establishing itself.
 エゴは何かに依存することはすべて脅威であるとみなしています。だから、エゴはあなたが抱く神への憧れの気持ちすらをも捻じ曲げて、エゴ自体を安定させるための手段にしてしまっています。

 But do not be deceived by its interpretation of your conflict.
 しかし、あなたの葛藤についてエゴが説明する解釈に騙されてはなりません。


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7. The ego always attacks on behalf of separation.
 エゴはいつでも分離のために攻撃します。

 Believing it has the power to do this it does nothing else, because its goal of autonomy is nothing else.
 エゴは自分には攻撃する力があると信じているので、攻撃以外のことは何もしません。なぜなら、自律というエゴの目標は攻撃以外の何ものでもないからです。

 The ego is totally confused about reality, but it does not lose sight of its goal.
 エゴは現実については全面的に混乱しています。しかし、エゴは自分の目標を見失うということはありません。

 It is much more vigilant than you are, because it is perfectly certain of its purpose.
 エゴは、あなたよりよほど強い警戒心を持っています。なぜなら、エゴは自らの目的に完璧な確信を持っているからです。

 You are confused because you do not recognize yours.
 あなたは混乱してしまっています。なぜなら、あなたは自らの目的を認識していないからです。





8. You must recognize that the last thing the ego wishes you to realize is that you are afraid of it.
 あなたは次のことを認識しなければなりません。それは、エゴが一番あなたに気づいて欲しくないことは、あなたがエゴに恐れを抱いているということです。

 For if the ego could give rise to fear, it would diminish your independence and weaken your power.
 というのは、もしエゴがあなたに恐れを抱かせうるとしたら、エゴはあなたの独立心を減少させ、あなたの力を弱めることになるからです。

 Yet its one claim to your allegiance is that it can give power to you.
 しかし、エゴは一言、自分にはあなたに力を与えることができると言って、あなたの忠誠心に訴えかけます。

 Without this belief you would not listen to it at all.
 エゴが自分に力を与えてくれるということを信じなければ、あなたは少しもエゴに耳を傾けたりはしないでしょう。

 How, then, can its existence continue if you realize that, by accepting it, you are belittling yourself and depriving yourself of power?
 それならば、もしあなたがエゴを受け入れることによって自分を自己卑下するようになり、自分自身から力を剥奪することになると気づいたとしたら、どうしてエゴが存続することができるでしょうか。

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9. The ego can and does allow you to regard yourself as supercilious, unbelieving, "lighthearted," distant, emotionally shallow, callous, uninvolved and even desperate, but not really afraid.
 エゴはあなたが自分自身のことを、高慢で、懐疑的で、「能天気で」、よそよそしく、薄情で、無神経で、無関心で、絶望的ですらあるとみなしてもかまわないと思っているし、現に、あなたが自分をそのように見ることを容認してもいます。しかし、あなたが自分自身のことを本当に恐れているとみなすことだけは許しません。

 Minimizing fear, but not its undoing, is the ego's constant effort, and is indeed a skill at which it is very ingenious.
 恐れを実際よりも小さなものに見せつつも、恐れを取り消さないようにとエゴは絶えず努力します。そして、それをこなす技量にかけては、エゴはきわめて見事な手腕を持っています。

 How can it preach separation without upholding it through fear, and would you listen to it if you recognized this is what it is doing?
 恐れを通じて分離を支持することなくして、エゴはどうやって分離を唱導できるでしょう。そして、もしあなたがエゴがしているのはこんなことでしかないと気づいたなら、あなたはエゴの言うことなど聞こうとするでしょうか。





10. Your recognition that whatever seems to separate you from God is only fear, regardless of the form it takes and quite apart from how the ego wants you to experience it, is therefore the basic ego threat.
 したがって、何であれ、あなたを神から分離させるように思えるものは、それがどんな形をとるかに関わらず、また、エゴがそれをあなたにどんな形で体験させたいと望むかということとはまったく無関係に、単に恐れにすぎないとあなたが気づくことは、エゴにとっては根本的な脅威となります。

 Its dream of autonomy is shaken to its foundation by this awareness.
 エゴの自律の夢はあなたのこの自覚によって、その土台を揺るがされます。

 For though you may countenance a false idea of independence, you will not accept the cost of fear if you recognize it.
 なぜならば、たとえあなたが独立についての誤った考えについては大目に見るかもしれないとしても、分離の代償が恐れであることに気づいたら、あなたはそんな代償を支払うことを受け入れなくなるはずだからです。

 Yet this is the cost, and the ego cannot minimize it.
 しかし、このように恐れこそが分離の代償なのであり、エゴにはそれを小さく見せることもできません。

 If you overlook love you are overlooking yourself, and you must fear unreality because you have denied yourself.
 もしあなたが愛を見逃すなら、あなたは自分を見落としていることになります。そして、あなたは自分自身を否認してしまったので、あなたは現実ではないものを恐れざるをえなくなります。

 By believing that you have successfully attacked truth, you are believing that attack has power.
 自分が首尾よく真理を攻撃することに成功したと信じているので、あなたは攻撃には力があるものと信じています。

 Very simply, then, you have become afraid of yourself.
 それゆえ、きわめて単純に言えば、あなたは自分自身に恐れを抱くようになってしまったのです。

 And no one wants to find what he believes would destroy him.
 そして、誰であれ、自分を破滅させてしまうと自分が信じているものを見出したいなどとは思わないものです。


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11. If the ego's goal of autonomy could be accomplished God's purpose could be defeated, and this is impossible.
 もし自律というエゴの目標が成就されうるとすれば、それは神の目的が挫かれることがありうるということですが、そんなことは不可能です。

 Only by learning what fear is can you finally learn to distinguish the possible from the impossible and the false from the true.
 ただ恐れとは何であるのかを学ぶことによってのみ、あなたは最終的に不可能なことと可能なことを区別したり、真実であることと間違ったことを区別できるようになります。

 According to the ego's teaching, its goal can be accomplished and God's purpose can not.
 エゴが教えることによれば、エゴの目標は達成できることで、神の目的は達成できないことだということになります。

 According to the Holy Spirit's teaching, only God's purpose can be accomplished, and it is accomplished already.
 聖霊の教えによれば、ただ神の目的だけが達成できるものであり、しかも、それはすでに達成されているのです。




12. God is as dependent on you as you are on him, because his autonomy encompasses yours, and is therefore incomplete without it.
 あなたが神に依存しているのと同じように、神もあなたに依存しています。なぜなら、神の自律はあなたの自律を包含しており、それゆえに、あなたの自律なくしては神の自律は完全にはならないからです。

 You can only establish your autonomy by identifying with Him, and fulfilling your function as it exists in truth.
 あなたは自分の自律を次のことによってのみ確立できます。それは、自らを神と同一視し、そして、真理の中に存在するがままに自分の役目を果たすことです。

 The ego believes that to accomplish its goal is happiness.
 エゴは自らの目標を達成することが幸せだと信じています。

 But it is given you to know that God's function is yours, and happiness cannot be found apart from Your joint Will.
 しかし、あなたは神の役目があなたの役目であり、あなたたちと神が大いなる意志において一つに結びつくこと以外に幸せは見出せないと知ることができます。

 Recognize only that the ego's goal, which you have pursued so diligently, has merely brought you fear, and it becomes difficult to maintain that fear is happiness.
 あなたが本当に苦心して追い求めてきたエゴの目標は、単に自分に恐れをもたらしただけであったということに気づいてください。そうすれば、恐れを抱くことが幸せだなどと言い張るのは困難になります。

 Upheld by fear, this is what the ego would have you believe.
 恐れの力添えを受けて、エゴはあなたにこんなことを信じさせようとしていたのです。

 Yet God's Son is not insane, and cannot believe it.
 しかし、神の子は狂気に陥ってはいないので、恐れが幸せだなどということを信じることはできません。

 Let him but recognize it and he will not accept it.
 ただ神の子に、エゴの目標を追求することは恐れをもたらすことにしかならないと気づかせてあげなさい。そうすれば、神の子は恐れを抱くことが幸せだなどということを受け入れなくなるでしょう。

 For only the insane would choose fear in place of love, and only the insane could believe that love can be gained by attack.
 というのも、狂気に陥った者だけが愛の代わりに恐れを選択し、そして、狂気に陥った者だけが攻撃によって愛が得られると信じることができるからです。

 But the sane realize that only attack could produce fear, from which the Love of God completely protects them.
 しかし、正気の者は、ただ攻撃だけが恐れを生み出すことができるのであり、神の大いなる愛がそんな恐れから自分たちを完全に護ってくれると理解しています。


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13. The ego analyzes; the Holy Spirit accepts.
 エゴは分析し、聖霊は受け入れます。

 The appreciation of wholeness comes only through acceptance, for to analyze means to break down or to separate out.
 受け入れることを通してしか全体性の真価を認めることはできません。なぜなら、分析することは、ばらばらに分解して、それらを区別して識別することだからです。

 The attempt to understand totality by breaking it down is clearly the characteristically contradictory approach of the ego to everything.
 全体として成り立っているものを分解して理解しようと試みるのは、明らかにエゴに特徴的なあらゆることに対する矛盾したアプローチの仕方です。

 The ego believes that power, understanding and truth lie in separation, and to establish this belief it must attack.
 エゴは力と理解と真理は分離することで見出すことができると信じています。だから、この信念を確証するために、エゴは攻撃せざるをえないのです。

 Unaware that the belief cannot be established, and obsessed with the conviction that separation is salvation, the ego attacks everything it perceives by breaking it into small, disconnected parts, without meaningful relationships and therefore without meaning.
 こんな信念を確証することなどできないとは気づきもせずに、分離することこそが救済であるとの思い込みに取り憑かれてしまっているエゴは、知覚するものすべてを攻撃します。その攻撃は、エゴが知覚するすべてのものを、意味を持ったつながりを持たないがゆえに無意味な小さなばらばらの部分へと分解することによってなされます。

 The ego will always substitute chaos for meaning, for if separation is salvation, harmony is threat.
 エゴはつねに意味あるものを混沌へと置き換えますが、それは、もし分離することが救いであるとすれば、一つに調和することは脅威だということになるからです。





14. The ego's interpretations of the laws of perception are, and would have to be, the exact opposite of the Holy Spirit's.
 知覚の法則についてのエゴの解釈は聖霊の解釈とは正反対であるし、また、正反対のものにならざるをえません。

 The ego focuses on error and overlooks truth.
 エゴは、誤りに焦点を合わせて、真理を見落とします。

 It makes real every mistake it perceives, and with characteristically circular reasoning concludes that because of the mistake consistent truth must be meaningless.
 エゴは、自分が誤りを知覚するたびに、その誤りを現実のものとし、独自の循環論法で、間違いがあるのだから、首尾一貫した真理など無意味に違いないと結論づけます。

 The next step, then, is obvious.
 そうなると、次に導かれる段階は明らかです。

 If consistent truth is meaningless, inconsistency must be true.
 もし首尾一貫した真理が無意味だとすれば、一貫せずに矛盾するものこそが真実に違いないということになるのです。

 Holding error clearly in mind, and protecting what it has made real, the ego proceeds to the next step in its thought system:
 心の中にはっきりと誤りを抱き、自分で現実にしたものを守りながら、エゴは自らの思考システムの次の段階へと歩みを進めます。

 Error is real and truth is error.
 それは、誤りこそが本当にあるものであり、真理とは誤りのことだというものです。


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15. The ego makes no attempt to understand this, and it is clearly not understandable, but the ego does make every attempt to demonstrate it, and this it does constantly.
 エゴは、こんな自分の循環論法の矛盾を理解しようと試みすらしません。そして、この矛盾を理解しようにも、そんなことは理解不能であることは明白です。しかし、エゴはこの論法の正しさを実証しようと、あらゆることを企てるし、エゴがつねにしているのはこんなことです。

 Analyzing to attack meaning, the ego succeeds in overlooking it and is left with a series of fragmented perceptions which it unifies on behalf of itself.
 意味を攻撃するために分析することで、エゴはまんまと意味を見落とすことに成功します。そして、エゴの許に残された一連の断片化された知覚を、エゴは自分に都合よくつなぎ合わせて統合します。

 This, then, becomes the universe it perceives.
 そうして、このように統合されたものがエゴの知覚する宇宙となります。

 And it is this universe which, in turn, becomes its demonstration of its own reality.
 そして、今度は反対に、この宇宙がエゴ自体の実在性を実証するものとなるのです。





16. Do not underestimate the appeal of the ego's demonstrations to those who would listen.
 このようなエゴの実証が、それに耳を貸そうとする者に対して訴えかける説得力を見くびってはなりません。

 Selective perception chooses its witnesses carefully, and its witnesses are consistent.
 都合よく選り分ける知覚は、エゴの実在性を証言する証人たちを入念に選び抜きます。それだけに、その証人たちの証言には一貫性があります。

 The case for insanity is strong to the insane.
 狂気に陥っている者にとって、狂気を擁護する弁論は強い説得力を持ちます。

 For reasoning ends at its beginning, and no thought system transcends its source.
 なぜなら、その論理展開は論理の起点において完結するので、どんな思考システムも、その基盤を乗り越えることができないからです。

 Yet reasoning without meaning cannot demonstrate anything, and those who are convinced by it must be deluded.
 しかし、意味を伴わない論法には何も実証することはできません。だから、こんな論法で説得される者たちは幻惑されているに違いないのです。

 Can the ego teach truly when it overlooks truth?
 エゴが真理を見落としているとすれば、そんなエゴに偽りなく教えることなどできるでしょうか。

 Can it perceive what it has denied?
 そんなエゴに、自らの否認したものを知覚することができるでしょうか。

 The ego looks straight at the Father and does not see him, for it has denied his Son.
 エゴは大いなる父を真正面から見たとしても、それが父なる神だとはわかりません。というのも、エゴは神の子を否認しているからです。


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17. Would you remember the Father?
 あなたは大いなる父を思い出したいでしょうか。

 Accept his Son and you will remember him.
 神の子を受け入れてください。そうすれば、あなたはその父なる神を思い出すことになります。

 Nothing can demonstrate that his Son is unworthy, for nothing can prove that a lie is true.
 神の子に価値が無いと実証できるものは何もありません。というのも、偽りを真実だと証明できるものなど何ひとつないからです。

 What you see of his Son through the eyes of the ego is a demonstration that his Son does not exist, yet where the Son is the Father must be.
 エゴの目を通して神の子を見るときにあなたに見えているものは、神の子が存在しないことを示す証拠です。けれども、神の子がいるところにはその大いなる父もいるに違いないのです。

 Accept what God does not deny, and it will demonstrate its truth.
 神が否定しないものを受け入れてください。そうすれば、それがそれ自体の真理を実証してくれるでしょう。

 The witnesses for God stand in his light and behold what he created.
 神のために証言する者たちは、神の光の中に立ち、神が創造したものを眺めます。

 Their silence is the sign that they have beheld God's Son, and in the Presence of Christ they need demonstrate nothing, for Christ speaks to them of himself and of his Father.
 神の証人たちが沈黙していることこそが、彼らが神の子を目撃したことの印です。そして、神の証人たちはキリストの臨在を前にしては何も実証する必要はありません。というのも、キリストが神の証人たちに、自らについて、そして、自らの大いなる父について語るからです。

 They are silent because Christ speaks to them, and it is his words they speak.
 キリストが自分たちに語りかけているので、神の証人たちは沈黙します。そして、彼らが語ることになるのはキリストの言葉なのです。





18. Every brother you meet becomes a witness for Christ or for the ego, depending on what you perceive in him.
 あなたが出会う兄弟はひとり残らず、あなたがその兄弟の中に何を知覚するかによって、キリストの証人になりもすれば、エゴの証人にもなります。

 Everyone convinces you of what you want to perceive, and of the reality of the kingdom you have chosen for your vigilance.
 誰もがみな、あなたが知覚したいと望むものを確信させてくれます。そして、誰もがみな、あなたが絶えず注意を怠らないことを選んだ王国が実在することをあなたに確信させてくれます。

 Everything you perceive is a witness to the thought system you want to be true.
 あなたが知覚するあらゆるものが、あなたが真実であってほしいと望む思考システムについての証人となります。

 Every brother has the power to release you, if you choose to be free.
 もしあなたが自由になることを選ぶなら、すべての兄弟があなたを解放する力を持っていることになります。

 You cannot accept false witness of him unless you have evoked false witnesses against him.
 あなたがその兄弟に対して偽証するよう唆したのでないかぎり、あなたがその兄弟から偽りの証言を受け取ることはあり得ません。

 If he speaks not of Christ to you, you spoke not of Christ to him.
 その兄弟がキリストについて語ってくれないとすれば、それはあなたが彼にキリストについて語らなかったということです。

 You hear but your own voice, and if Christ speaks through you, you will hear him.
 あなたはただ自分自身の声だけを聞くことになります。だから、もしキリストがあなたを通して語るなら、あなたはキリストが語るのを聞くことになるのです。

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