T2-3 祭壇はどこにある?


God has a bigger plan for me than I have for myself.
神は私が自分で立てたプランよりもずっと偉大なプランを私のために立ててくれている。

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Anonymous
作者不詳


God doesn’t give you the people you want, he gives you the people you need.
神はあなたの望む人々を与えてくれるわけではない。神はあなたに必要な人々をあなたに遣わしてくれるのだ。

To help you, to hurt you, to leave you, to love you and to make you the person you were meant to be.
それは、あなたを助け、あなたを傷つけ、あなたを見捨て、あなたを愛することで、あなたがなるべき人物になれるようにするためなのだ。

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Anonymous
作者不詳





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今回は、神の祭壇について述べるテキスト第二章の一節をご紹介します。


祭壇と神殿

祭壇(Alter)とは、神様を祀る供物を捧げる場所のことです。

神殿(temple)は、祭壇の周囲に建てられる建物のことです。

仏教でいう仏壇と寺院に相当します。


祭壇は神に通じる端末

祭壇は、神仏や霊を祀り、儀式や供物を捧げるという手続きを行うことによって、神仏の加護を求めたり、悪霊が鎮まるようにと、なんらかの功徳を得るための宗教的な道具、システムです。インターネットにつながったパソコン等の端末の画面、銀行預金を引き出すATMのようなものです。

分離幻想の解消、贖罪の完了を実現するための仕組みとして、奇跡のコースでも、祭壇や神殿という言葉を用いて説明しますが、一般的な意味とはまったく異なります。

一般的には神殿も祭壇も、物理的な建物や壇として、自分の身体の外側に置かれます。

そして、供物も献花であったり、お布施であったり、儀式であったり、ときに、身体が生け贄として捧げられもします。

別に祭壇に身体自体を捧げなくても、お百度参りであれ、お茶断ちであれ、身体に苦痛を与えたり、身体の快楽を抑制することで、神に頼みを聞いてもらおうという行為は、同じようなものです。




エゴの神殿

「Homeless, the ego seeks as many bodies as it can collect to place its idols in, and so establish them as temples to itself.
 真の家を持たないがゆえに、エゴは、身体の中に自らの偶像を置いて、それらの身体をエゴの神殿にしようとして、できるかぎり多くの身体を集めようとします。」(T20-6 聖霊の神殿、4.)

エゴの神殿は身体であり、偶像がエゴの祭壇となり、分離という供物がエゴに捧げられます。

偶像崇拝(反キリスト)や犠牲という概念を否認する(贖罪に犠牲は無用)ので、奇跡のコースは、このように自分の外に物理的な神殿や祭壇を求め、物質的な物や行為を供物として捧げることは求めません。


身体を神殿と知覚すること

もっとも、本節では、知覚の歪みを修正する第一段階として、身体を神殿と知覚するということが述べられます。

これは、身体を「罪滅ぼし」の道具として使うことができるという歪んだ信念から身体にまつわるさまざまな空想が生ずるので、身体を神殿として知覚することは、身体を贖罪のための生け贄として捧げることが自己矛盾であることを明らかにして、物質的な意味での贖罪は不可能であることに気づかせるので、身体を贖罪の道具にできるとの誤解を改めるには有益だからです。

身体ってなに?でも、身体の目的を変えることにより、身体はコミュニケーションの道具として正気を回復するための手段として神聖なものとなることができるという話が出てきましたが、身体は「神を祀る神殿となり」うるということです。

もっとも、そもそも身体は、分離幻想を維持するための道具であり、自分たちがばらばらに分離したと思いこんでいる心の誤信を確固たるものとするための囲いということでした。

ですから、当初から、分離の象徴である身体を(祭壇として見ないことは当然として)内に神の祭壇を蔵する神殿であると見てかかるのは、分離の誤信を維持する危険が伴います。


神殿の真の神聖さは内なる祭壇に由来する

そこで、次の段階で理解すべきことは、神殿とは建物ではなく、神殿の真の神聖さは、内なる祭壇にあることだといいます。

霊的な視力は、完全なヴィジョンなので、建物のことはまったく見ることができず、祭壇のことは完璧な明瞭さで見ることができるといいます。

結果として身体は神殿となりうるが、あくまでも内なる祭壇が神聖化する力を持つものであって、身体を神聖視することを出発点にすべきではないということです。


霊こそが真理の祭壇

「20. Miracles reawaken the awareness that the spirit, not the body, is the altar of truth.
 奇跡は、身体ではなく霊こそが真理の祭壇であるとの自覚を再び目覚めさせます。

 This is the recognition that leads to the healing power of the miracle.
 これこそ、奇跡の持つ癒す力へと導く自覚です。」(テキスト 第一章 一 奇跡の原理

とあるように、身体ではなく、霊が真理の祭壇ということです。


霊とは何か?

そして、
「Spirit is the Thought of God which He created like Himself.
霊とは、神が自分自身と同じものとして創造した神の思いのことです。

The unified spirit is God's one Son, or Christ.
統合された霊は、神のひとり子、つまりキリストのことです。

In this world, because the mind is split, the Sons of God appear to be separate.
この世界では、小さな心は分割され、神の子供たちは分離しているように見えます。

Nor do their minds seem to be joined.
しかも、彼らの小さな心は結びついているようには見えません。

In this illusory state, the concept of an "individual mind" seems to be meaningful.
この錯覚した心境においては、『個別の小さな心』という概念には意味があるように思えます。

It is therefore described in the course as if it has two parts; spirit and ego.
それゆえ、コースにおいては、小さな心には、まるで霊とエゴというふたつの部分があるかのように描写されることになります。

Spirit is the part that is still in contact with God through the Holy Spirit, Who abides in this part but sees the other part as well.
霊は、聖霊を通して、依然として神とコンタクトを保っている部分です。その聖霊は、霊の部分に留まっていますが、もうひとつの部分についても同じくよく理解しています。」(用語解説Mind - Spirit 心-霊

つまり、霊は、小さな心の中では、エゴが支配する領域ではなく聖霊のいる部分ということです。

この心の中の聖霊の住まう部分が祭壇です。







神の祭壇、霊にアクセスするには?

もっとも、神殿を修復し、贖罪を納める祭壇を開くために、分離と恐れの両方とも取り消されなければならないとして、完璧なヴィジョンには建物はまったく見えないというのですから、祭壇をイメージする際には、自分の小さな心の中の一部ではなく、統合された霊を祭壇として見たほうがよいでしょう。「内なる」祭壇というわけですから、統合された霊、つまり神の子キリストを自らの内にあるものと見るということになります。

では、この祭壇、霊にアクセスするにはどうすればよいのでしょうか。


贖罪を捧げることで、真の神殿である他者との関係を神聖化する

T20-6 聖霊の神殿では、真の神殿は、神聖な関係であるということが述べられます。

他者との関係を神聖化することで聖霊にアクセスできるということです。

そして、他者との関係を神聖化するために祭壇に捧げられるべき供物は、贖罪です。


赦しを通じて贖罪を達成することは、罪は幻想であり世界は実在せず、神の子はひとりだという真理を受け入れることなので、祭壇に贖罪を捧げることは、個別の心が誤解によって築いていた境界、裂け目を解消して小さな心が大いなる心に戻ることです。


聖霊に導きを委ねるなら、身体は他者と愛で結ばれる神殿となる。

「9. In this world, not even the body is perceived as whole.
 この世界では、身体でさえ全体的なものだとは知覚されていません。

 Its purpose is seen as fragmented into many functions with little or no relationship to each other, so that it appears to be ruled by chaos.
 身体の持つ目的は、互いにほとんど、または、まったく関連のない多くの機能に分裂しているとみなされており、そのために、混沌によって身体が支配されているように見えます。

 Guided by the ego, it is.
 エゴによって導かれるなら、身体は混沌に支配されます。

 Guided by the Holy Spirit, it is not.
 聖霊によって導かれるなら、身体が混沌に支配されることはありません。

 It becomes a means by which the part of the mind you tried to separate from spirit can reach beyond its distortions and return to spirit.
 身体は、あなたが霊から分離しようと努めていた心の一部分が、その心の歪みの向こう側に到達し、霊へと回帰できるようになるための手段となります。

 The ego's temple thus becomes the temple of the Holy Spirit, where devotion to him replaces devotion to the ego.
 エゴの神殿は、こうして、聖霊の神殿となります。そこにおいて、聖霊に対して深い愛を捧げる献身がエゴに対する帰依に取って代わります。

 In this sense the body does become a temple to God; his voice abides in it by directing the use to which it is put.
 この意味において、身体はまさに神を祀る神殿となります。すなわち、神の声が、身体を供すべき使いみちを指導することによって身体に住まうことになるからです。」(テキスト 第八章 VII. The Body as a Means of Communication 七 コミュニケーションの手段としての身体

かつては、身体はエゴの神殿であり、偶像をエゴの祭壇として、分離という供物がエゴに捧げられていました。

いまや、身体は聖霊の神殿となり、神聖な関係が聖霊の祭壇となり、贖罪が供物として捧げられることになります。



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テキスト 第二章 

III.The Altar of God
三 神の祭壇



1. The Atonement can only be accepted within you by releasing the inner light.
 内なる光を解放することによってのみ、あなたは贖罪を自らの内面に受け入れることができます。

 Since the separation, defenses have been used almost entirely to defend against the Atonement, and thus maintain the separation.
 分離以来、防衛手段はほぼ全面的に、贖罪に対抗して分離を防衛するために用いられてきました。だから、こうして分離状態が持続しているのです。

 This is generally seen as a need to protect the body.
 贖罪から分離状態を防衛することは、たいてい身体を守るために必要なことだとみなされています。

 The many body fantasies in which minds engage arise from the distorted belief that the body can be used as a means for attaining "atonement. "
 個々の心が抱く身体にまつわる数多くの空想は、身体を「罪滅ぼし」を果たすための道具として使うことができるという歪んだ信念から生じます。

 Perceiving the body as a temple is only the first step in correcting this distortion, because it alters only part of it.
 身体を神殿として知覚することは、このような身体を贖罪の道具として利用できるという歪みを矯正する過程の第一歩にすぎません。なぜなら、身体を神殿として知覚することは、身体を贖罪の道具として利用できるという歪みの一部分だけを改めることだからです。

 It does recognize that Atonement in physical terms is impossible.
 身体を神殿として知覚することは、たしかに物質的な面での贖罪が不可能だと認めることにはなります。

 The next step, however, is to realize that a temple is not a structure at all.
 しかしながら、次の段階で理解すべきことは、神殿とはまったく建物ではありえないということです。

 Its true holiness lies at the inner altar around which the structure is built.
 神殿の真の神聖さは、その周囲に建物が建てられている内なる祭壇にあります。

 The emphasis on beautiful structures is a sign of the fear of Atonement, and an unwillingness to reach the altar itself.
 見栄えのよい建物を重視するのは、贖罪のことを恐れていて、祭壇そのものに到達したいとは思っていない印です。

 The real beauty of the temple cannot be seen with the physical eye.
 神殿の真の美しさは、肉眼で見ることはできません。

 Spiritual sight, on the other hand, cannot see the structure at all because it is perfect vision.
 これに対して、霊的な視力は完全なヴィジョンなので、建物のことはまったく見ることができません。

 It can, however, see the altar with perfect clarity.
 しかしながら、霊的な視力は、祭壇のことは完璧な明瞭さで見ることができます。

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2. For perfect effectiveness the Atonement belongs at the center of the inner altar, where it undoes the separation and restores the wholeness of the mind.
 その効力を完全に発揮するためには、贖罪は内なる祭壇の中心に据えられるべきです。贖罪はそこで分離を取り消し、心の完全性を回復させるからです。

 Before the separation the mind was invulnerable to fear, because fear did not exist.
 分離以前は、心が恐れによって傷つけられることはありませんでした。なぜなら、恐れが存在しなかったからです。

 Both the separation and the fear are miscreations that must be undone for the restoration of the temple, and for the opening of the altar to receive the Atonement.
 分離と恐れはともに誤って創造されたものであり、神殿を修復して贖罪を納める祭壇を開くために、いずれも取り消されなければなりません。

 This heals the separation by placing within you the one effective defense against all separation thoughts and making you perfectly invulnerable.
 修復された神殿の祭壇が開かれると、あなたの内部には、あらゆる分離の思考に対して効力を発揮するひとつの防衛装置が蔵され、あなたは完全に傷つくことのない存在とされます。こうすることによって分離は癒されます。



3. The acceptance of the Atonement by everyone is only a matter of time.
 すべての者たちによって贖罪が受け入れられるようになるのは、単に時間の問題にすぎません。

 This may appear to contradict free will because of the inevitability of the final decision, but this is not so.
 このように言うと、この最終結論が不可避だということになるので自由意志と矛盾するように思えるかもしれませんが、そういうわけではありません。

 You can temporize and you are capable of enormous procrastination, but you cannot depart entirely from your creator, who set the limits on your ability to miscreate.
 あなたは、ぐずぐずと一時凌ぎをすることができるし、途方もない先延ばしをすることもできます。しかし、あなたは自らの創造主から完全に離れ去ることはできません。あなたの創造主は、誤って創造するあなたの能力に限界を定めているからです。

 An imprisoned will engenders a situation which, in the extreme, becomes altogether intolerable.
 封じこめられた意志は、極端な場合、まったく耐えられないような事態を引き起こすようになります。

 Tolerance for pain may be high, but it is not without limit.
 たとえ苦痛に対する忍耐力を高めうるとしても、忍耐力にも限界がないわけではありません。

 Eventually everyone begins to recognize, however dimly, that there must be a better way.
 結局は誰もが、おぼろげながらではあっても、よりよい道があるに違いないと気づきはじめるようになります。

 As this recognition becomes more firmly established, it becomes a turning point.
 この認識がさらに堅固に確立されたとき、それがターニング・ポイントとなります。

 This ultimately reawakens spiritual vision, simultaneously weakening the investment in physical sight.
 最終的には、これが霊的な視力を再び覚醒させ、それと同時に肉眼への依存度を弱めます。

 The alternating investment in the two levels of perception is usually experienced as conflict, which can become very acute.
 ふたつの知覚のレベルを交互に用いてそのどちらにも頼ろうとすると葛藤を覚えるのは当然だし、その葛藤はかなり深刻なものになりえます。

 But the outcome is as certain as God.
 しかし、あなたがいずれの視力に頼ることになるか、その成り行きは神にも劣らず確かなことです。

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4. Spiritual vision literally cannot see error, and merely looks for Atonement.
 霊的な視力は、文字どおり誤りを見ることができず、ただ贖罪を探すだけです。

 All solutions the physical eye seeks dissolve.
 肉眼で探していた解決法は、すべて消え失せます。

 Spiritual vision looks within and recognizes immediately that the altar has been defiled and needs to be repaired and protected.
 霊的な視力は内面に目を向けて、すぐに祭壇が穢されていて修復と保護が必要だと認識します。

 Perfectly aware of the right defense it passes over all others, looking past error to truth.
 霊的な視力は、正しい防衛の仕方を完全に弁えているので、ほかのあらゆるものを無視して誤りを越えて真理を見通します。

 Because of the strength of its vision, it brings the mind into its service.
 霊的な視力は、その力強さのゆえに、心を霊に奉仕する状態へと導きます。

 This re-establishes the power of the mind and makes it increasingly unable to tolerate delay, realizing that it only adds unnecessary pain.
 こうして、心の力は回復されます。そうなると、先延ばしをすることはただ無駄な苦痛を増すことにしかならないとわかってくるので、心はどんどん遅れを取ることに耐えられなくなってきます。

 As a result, the mind becomes increasingly sensitive to what it would once have regarded as very minor intrusions of discomfort.
 その結果、心は、かつてはごく些末なものとみなしていたような不快感の侵入に対しても、ますます敏感になってゆきます。



5. The children of God are entitled to the perfect comfort that comes from perfect trust.
 神の子供たちには、完璧な信頼によって生じる完璧な安らぎを得る資格があります。

 Until they achieve this, they waste themselves and their true creative powers on useless attempts to make themselves more comfortable by inappropriate means.
 彼らがこの完璧な安らぎを獲得するまでは、彼らは、不適切な手段を用いて自分を楽にしようとする虚しい試みのために、自分たち自身をすり減らし、自分たちの真の創造力を無駄遣いすることになります。

 But the real means are already provided, and do not involve any effort at all on their part.
 しかし、真に安らぎを得るための正しい手段はすでに与えられているので、神の子供たちの側では何の努力も要りません。

 The Atonement is the only gift that is worthy of being offered at the altar of God, because of the value of the altar itself.
 贖罪こそが、神の祭壇に捧げられるのにふさわしい唯一の贈り物です。なぜなら、神の祭壇そのものが贖罪にふさわしい価値を備えているからです。

 It was created perfect and is entirely worthy of receiving perfection.
 その祭壇は完全に創造されており、完全であるものを納めるのにまったくふさわしいものです。

 God and his creations are completely dependent on Each Other.
 神と神の創造物とは、全面的な相互依存関係にあります。

 He depends on them because he created them perfect.
 神は自らの創造物を完全に創造したがゆえに、神は彼らを頼りにするのです。

 He gave them his peace so they could not be shaken and could not be deceived.
 神は、創造物が心をかき乱されたり、欺かれたりしないで済むようにと、彼らに自らの平安を授けました。

 Whenever you are afraid you are deceived, and your mind cannot serve the Holy Spirit.
 あなたが恐れるときはいつでも、あなたは欺かれているので、あなたの心は聖霊に仕えることができません。

 This starves you by denying you your daily bread.
 こうなると、あなたは自分に日々の糧を拒むことになり、それによって、あなたは飢えることになってしまいます。

 God is lonely without his sons, and they are lonely without Him.
 神は自らの子供たちがいなければ孤独であり、また、子供たちも神がいなければ孤独です。

 They must learn to look upon the world as a means of healing the separation.
 神の子らは、この世界を分離を癒すための手段とみなすことを学ばなければなりません。

 The Atonement is the guarantee that they will ultimately succeed.
 贖罪こそが、神の子らが究極的には分離を癒すことに成功するという裏づけなのです。


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