There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T7-2 神の法

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今回は、テキスト 第七章から王国法則についての一節をご紹介します。

II. The Law of the Kingdom
二 王国法則


Law 法、法則

法則というと、自然法則や物理法則のように、自然界の物事の間における関連性を帰納的に抽出したものをイメージさせます。

法というと、法律等、演繹的に人や国家を統制すべく人為的に作成された規範をイメージさせます。

保つものとの原義を持つダルマ【dharma】は、法則や規範、秩序という意味を持ち、仏教では「法」と漢訳されます。

いずれにせよ、法や法則は、「もし●●なら、○○となる」という条件と効果で構成される式(あるいはその集合体)であり、コンピューターのプログラムと同じだということができます。

法は、コンピューターのプログラムと同じく、一定の目的のために働くものであり、それ自体は目的ではありません。

法則も物事に適用される際には、一定の目的のために活用されるものであって、道具であるということがいえます。


手段が自己目的化してしまう現象というのは面白いものです。

「正しい日本語」というのが前に流行ったことがあります。

伝統的に「正しい」用語法に則った言葉の使いかたはこうだから、それに沿わない今の世間一般の語法は間違いであり、正されるべきだという言葉狩りのような現象です。

言葉は、観念を伝えるための手段であって、もしテレパシーの能力をみんなが身につけたり、将来、直接観念を転送する機械が開発されたら必要なくなるものです。

言葉の役割は、言葉が運ぶ観念、イメージをできるだけ正確に送り手から受け手に伝えることに尽きます。




何にせよ、正しさ、正義というものを第一義において、そこから演繹的に発想すると、たいてい不都合や問題を生じ、だれかを非難しなければならなくなるものです。

それはなぜかと言えば、正義という観念自体、目的ではなく、手段原理だからです。

奇跡のコースも、目的ではありません。単なる道具でしかありません。

道具自体が目的になってしまったり、道具と心中してしまうことほど滑稽で哀れなことはありません。

気をつけたいものです。


さて、本節では、王国の法則について述べられます。


「What you project or extend is real for you.
 あなたが投影したり拡張したりするものは、あなたにとっては現実です。

 This is an immutable law of the mind in this world as well as in the Kingdom.
 あなたが投影したり拡張するものがあなたの現実となるということこそ、王国においてと同様に、この世界においても、不変の心の法則です。」


王国には知識があり、知識真理であって、ただ在るものなので、王国においては、教えることも学ぶこともありません。

王国では、創造は自らを拡張することによって行われるので、拡張するものも自分であり、それは現実となります。

これに対して、この世界では、知識は失われて、知覚に置き換わり、時間と空間の中で、神の子は分裂してエゴ・身体として個別の自己へと限定された観点で世界を眺めます。

この観点によると、創造する力は、エゴのスライドで色づけされて、歪曲された形での投影となります。

投影は、すべてである本当の自分が広がっていく拡張とは異なり、小さな自己へと分離縮小した自分の外側に偽物の幻を投げ出して映し出す働きなので投影された対象は、自分ではなく、実在するものではありません。

結局、投影されたものは幻想でしかないということになります。

そうなると、投影されたものを知覚するとき、私たちは、そこにはない幻を見ることになります。

現実ではない幻想は、現実にすることはできないので、「信じる」ことしかできません。

それゆえ、この世界では、「自分が拡張するものは、自分にとっての現実となる」という法則は、「自分の投影するものを自分は信じる」とうふうに変容することになります。


「This is because the laws have been adapted to the circumstances of this world, in which diametrically opposed outcomes seem possible because you can respond to two conflicting voices.
 これは、心の法則が、この世界の状況に適合させられたからです。その世界の状況とは、あなたが二つの矛盾する声に応じることができるために、まったく相入れない結果が可能に見えるということです。

3. Outside the Kingdom, the law that prevails inside is adapted to 'What you project you believe'.
 王国の外側では、王国の内側で行き渡っている法則が「あなたの投影することを、あなたは信じる」というふうに変容させられます。」


このようにエゴに従うがゆえに、変容されてしまう法則ですが、この世界でも、聖霊によって正しい解釈をしてもらえば、本来の形で法則が働くようにできるといいます。

「The extension of truth, which is the law of the Kingdom, rests only on the knowledge of what truth is.
 王国の法則そのものである真理の拡張は、ただ真理が何であるかという知識だけに基づいています。

 This is your inheritance and requires no learning at all, but when you disinherited yourself you became a learner of necessity.
 真理の拡張は、あなたが受け継いだものであり、まったく学ぶ必要などありません。しかし、あなたが自分で自らの相続権を放棄するならば、あなたは必然的に学習する者となってしまいます。」

神の心である王国には、真理があり、その真理とは神の完全なる一体性であり、その唯一の意味は愛です。

「このコースは、愛の意味を教えることを目指してはいません。なぜなら、それは教わることのできる範囲を越えているからです。

 そうではなくて、このコースはあなたが生まれながらに受け継いでいる愛の存在に目覚めるうえでの障害を取り除くことを目指しています。」(テキスト 第一章 序文)


知識を放り出してしまって、愛の存在を忘れ、愛を思い出すうえでの障害に溢れかえる幻想の分離世界に迷い込んでしまった放蕩息子にとっては、障害物を取り除くことを学習することが必要なのです。

でも、愛自体は、すでに存在している一体性から当然に生じる作用であり、学んで身につけるようなものではありません。

「This needs no translation because it is perfectly understood, but it does need extension because it means extension.
 王国の唯一の意味が神であることは、完璧に理解できることなので翻訳の必要はありません。しかし、それは拡張を意味するので、拡張する必要があるのは確かです。」



テキスト 第七章 

II. The Law of the Kingdom
二 王国法則


1. To heal is the only kind of thinking in this world that resembles the Thought of God, and because of the elements they share, can transfer easily to it.
 この世界における考え方の中で、癒すことだけが神の大いなる思考に似ている唯一の思考です。そして、癒しと神の大いなる思考とには共通する要素があるので、癒すことは容易に神の思考へと移行することができます。

 When a brother perceives himself as sick, he is perceiving himself as not whole, and therefore in need.
 ある兄弟が自分は病気だと知覚するなら、彼は自分自身のことを完全ではなく、したがって、何かを必要としているものとして知覚しています。

 If you, too, see him this way, you are seeing him as if he were absent from the Kingdom or separated from it, thus making the Kingdom itself obscure to both of you.
 もしあなたもまたその兄弟のことを不完全で欠けたものとして見るなら、あなたは彼のことをまるで王国には居ないか、あるいは王国から分離しているかのようにみなしていることになります。こうして、王国そのものがあなたと兄弟の両方にとって覆い隠されてしまいます。

 Sickness and separation are not of God, but the Kingdom is.
 病気も分離も神に属するものではありませんが、王国は神に属するものです。

 If you obscure the Kingdom, you are perceiving what is not of God.
 もしあなたが王国を覆い隠すなら、あなたは神に属さないものを知覚していることになります。




2. To heal, then, is to correct perception in your brother and yourself by sharing the Holy Spirit with him.
 ゆえに、癒すことは、あなたの兄弟と聖霊を分かち合うことによって、兄弟とあなた自身の知覚を修正することだということになります。

 This places you both within the Kingdom, and restores its wholeness in your mind.
 知覚を修正して癒すことがあなたと兄弟の両者を王国の中に置いて、あなたの心の中で王国の完全な姿を回復することになります。

 This reflects creation, because it unifies by increasing and integrates by extending.
 これは創造を反映しています。なぜなら、創造は増大することで一つのものへと結び合わせ、拡張することによって一つのものへと調和させるからです。

 What you project or extend is real for you.
 あなたが投影または拡張するものは、あなたにとって現実となります。

 This is an immutable law of the mind in this world as well as in the Kingdom.
 あなたが投影または拡張するものがあなたの現実となるということこそ、王国においてと同様に、この世界においても不変の心の法則です。

 However, the content is different in this world, because the thoughts it governs are very different from the Thoughts in the Kingdom.
 しかしながら、この世界においては、王国におけるのとは法則の内容が違っています。なぜなら、そうした法則に支配される思考は、王国における大いなる思考とは甚だ異なっているからです。

 Laws must be adapted to circumstances if they are to maintain order.
 法によって秩序を維持するためには、法は状況に適合するように変容されなければなりません。

 The outstanding characteristic of the laws of mind as they operate in this world is that by obeying them, and I assure you that you must obey them, you can arrive at diametrically opposed results.
 心の法則にあなたが従わざるをえないのは確かだと私が請け合っておきますが、心の法則がこの世界で作用する際の顕著な特徴は、心の法則に従うことによって、あなたはまったく正反対の対立する二つの結果に達することができるということです。

 This is because the laws have been adapted to the circumstances of this world, in which diametrically opposed outcomes seem possible because you can respond to two conflicting voices.
 これは、心の法則がこの世界の状況に適合させられたからです。この世界では、あなたが二つの矛盾する声に応じることができるために、まったく相容れない結果に到ることが可能に思えてしまうということです。

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3. Outside the Kingdom, the law that prevails inside is adapted to "What you project you believe."
 王国の外側では、王国の内側で有効に行き渡っている「あなたが拡張するものがあなたの現実となる」という法則が「あなたが投影することを、あなたは信じる」というふうに変容させられます。

 This is its teaching form, because outside the Kingdom learning is essential.
 自分が投影するものを信じるということが、この世界での教えの形態ともいえます。なぜなら、王国の外では学ぶことが必要不可欠だからです。

 This form implies that you will learn what you are from what you have projected onto others, and therefore believe they are.
 この教えの形態は、あなたは、自分が他の者たちに投影したことから、したがって、他者はこういうものだと信じることから、自分が何者であるかを学ぶようになることを意味します。

 In the Kingdom there is no teaching or learning, because there is no belief.
 王国では、教えることもなければ、学ぶこともありません。なぜなら、王国には信じなければならないことなど何もないからです。

 There is only certainty.
 王国にあるのは確信だけです。

 God and his sons, in the surety of being, know that what you extend you are.
 神と神の子たちは、実在するとの確信の下に、自分が拡張するものが自分であると知っています。

 That form of the law is not adapted at all, being the law of creation.
 王国では、この法則の形態はまったく変容させられてはいません。それは創造の法そのものだからです。

 God himself created the law by creating by it.
 神自らがその法を、それに従って創造することによって創造したのです。

 And his sons, who create like him, follow it gladly, knowing that the increase of the Kingdom depends on it, just as their own creation did.
 そして、神と同じように創造する神の子たちは、創造の法に喜んで従います。なぜなら、ちょうど神の子たち自身の創造が創造の法に基づいていたように、王国の増大も創造の法に依拠するのだとわかっているからです。




4. Laws must be communicated if they are to be helpful.
 法は、それが役に立つためには、そもそも伝達されていなければなりません。

 In effect, they must be translated for those who speak different languages.
 実際に法が効力を有するためには、異なった言語を話す者たちにもわかるように翻訳される必要があります。

 Nevertheless, a good translator, although he must alter the form of what he translates, never changes the meaning.
 とはいえ、優れた翻訳者は、自分の訳そうとするものの形態を変えなければならないとしても、決してその意味を変えることはありません。

 In fact, his whole purpose is to change the form so that the original meaning is retained.
 それどころか、優れた翻訳者が目的とすることは、その元来の意味を保持できるように形を変えることに尽きるといえます。

 The Holy Spirit is the Translator of the laws of God to those who do not understand them.
 聖霊は、神の法を理解できない者たちのための神の法の翻訳者です。

 You could not do this yourself because a conflicted mind cannot be faithful to one meaning, and will therefore change the meaning to preserve the form.
 あなたは自分自身で神の法を翻訳することなどできません。なぜなら、矛盾を抱える心は一つの意味に忠実になることができないので、そのために、形を保とうとしてその意味を変えてしまうことになるからです。


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5. The Holy Spirit's purpose in translating is exactly the opposite.
 翻訳するに際しての聖霊の目的は、まさにその正反対です。

 He translates only to preserve the original meaning in all respects and in all languages.
 聖霊はあらゆる面で、また、すべての言語において、その本来の意味を保つためにのみ訳します。

 Therefore, he opposes the idea that differences in form are meaningful, emphasizing always that these differences do not matter.
 したがって、聖霊は形の違いに意味があるという考え方には反対し、必ず形の違いなど重要なことではないということを強調します。

 The meaning of his message is always the same; only the meaning matters.
 聖霊の伝えようとするメッセージの意味はいつでも同じものです。それは、ただその意味だけが重要だということです。

 God's law of creation does not involve the use of truth to convince his Sons of truth.
 神の創造の法は、神の子たちに真理を確信させるために、真理そのものを用いることを必要とはしません。

 The extension of truth, which is the law of the Kingdom, rests only on the knowledge of what truth is.
 王国の法則そのものである真理拡張は、ただ真理が何であるかという知識だけに基づいています。

 This is your inheritance and requires no learning at all, but when you disinherited yourself you became a learner of necessity.
 何が真理かという知識は、あなたが受け継いでいるものなので、まったく学ぶ必要などありません。しかし、あなたが自分で自らの相続権を放棄してしまったとき、あなたは避けようもなく学習する者となってしまったのです。




6. No one questions the connection of learning and memory.
 学習と記憶が関連することには誰も疑問を持ちません。

 Learning is impossible without memory since it must be consistent to be remembered.
 学ぶことを覚えるためには、記憶が首尾一貫していなければならないので、記憶力を抜きにして学ぶことは不可能です。

 That is why the Holy Spirit's teaching is a lesson in remembering.
 それゆえ、聖霊が教えるのは思い出すためのレッスンです。

 I said before that he teaches remembering and forgetting, but the forgetting is only to make the remembering consistent.
 私が以前に述べたように、聖霊は思い出すことと忘れることを教えます。しかし、忘れるのは、ただ思い出すことに一貫性を持たせるためでしかありません。

 You forget in order to remember better.
 あなたは、より良く思い出すために忘れるということです。

 You will not understand his translations while you listen to two ways of interpreting them.
 あなたが聖霊の翻訳することを、それについての二通りの解釈に耳を傾けている間は、あなたには聖霊の翻訳することが理解できないでしょう。

 Therefore you must forget or relinquish one to understand the other.
 したがって、あなたは一方を理解するために、他方を忘れて捨て去らなければなりません。

 This is the only way you can learn consistency, so that you can finally be consistent.
 これこそが、あなたが一貫性を学ぶことができる唯一の方法であり、それでこそ、最終的にあなたは首尾一貫することができます。


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7. What can the perfect consistency of the Kingdom mean to the confused?
 王国が完全に一貫しているということは、混乱している者たちにとって何を意味しうるでしょうか。

 It is apparent that confusion interferes with meaning, and therefore prevents the learner from appreciating it.
 混乱することが、意味を把握することを妨げてしまうのは明白です。したがって、混乱は学習する者が自分の学んでいることの真価を認めることを妨げてしまいます。

 There is no confusion in the Kingdom, because there is only one meaning.
 王国には混乱はありません。なぜなら、王国にはただ一つの意味があるだけだからです。

 This meaning comes from God and is God.
 この意味は、神から来るものであり、そして、神そのものでもあります。

 Because it is also you, you share it and extend it as your Creator did.
 その意味はまた、あなたでもあるのだから、あなたの創造主がそうしたように、あなたもその意味を分かち合い、そして拡張します。

 This needs no translation because it is perfectly understood, but it does need extension because it means extension.
 王国の唯一の意味が神であり、あなたでもあるということは、完璧に理解できることなので、翻訳する必要はありません。しかし、王国が神であり、子であるあなたでもあるということは拡張を意味するので、王国の唯一の意味が拡張を必要とするのは確かです。

 Communication is perfectly direct and perfectly united.
 コミュニケーションは完全に直接に通じ合っているし、完全に同調しています。

 It is totally free, because nothing discordant ever enters.
 コミュニケーションには、不調和なものなど一切入り込めないので、コミュニケーションは完全に自由です。

 That is why it is the Kingdom of God.
 だからこそ、それは神の王国なのです。

 It belongs to him and is therefore like him.
 王国は神に属し、したがって、神と同じものです。

 That is its reality, and nothing can assail it.
 それこそ王国の真の姿であり、何ものも王国の真の姿を攻撃することなどできないのです。


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