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M24 輪廻転生はあるか?

前々回、輪廻転生について触れたので、今回は教師のためのマニュアルの中から、輪廻転生に関する一節をご紹介します。今回は、原文もつけてみました。



Section 24
Is Reincarnation So?
第24節 輪廻転生はあるか



1. In the ultimate sense, reincarnation is impossible.
 究極的な意味では、輪廻転生は不可能です。

 There is no past or future, and the idea of birth into a body has no meaning either once or many times.
 過去も未来も存在しないのであって、一度であれたくさんの回数であれ、身体の中に生まれるという考えはまったく意味をなしません。

 Reincarnation cannot, then, be true in any real sense.
 したがって、輪廻転生は、本当の意味においては、真実ではありえません。

 Our only question should be, "Is the concept helpful?"
 私たちが唯一問うべきは、「この概念は役に立つか」ということだけです。

 And that depends, of course, on what it is used for.
 もちろん、役に立つかどうかは、この概念が何のために用いられるかによります。

 If it is used to strengthen the recognition of the eternal nature of life, it is helpful indeed.
 もしそれが生命の永遠なる本質への認識を強めることに用いられるなら、輪廻という概念は実に役に立ちます。

 Is any other question about it really useful in lighting up the way?
 それ以外に輪廻転生について問うたところで、それは道を照らすうえで、本当に役に立つでしょうか。

 Like many other beliefs, it can be bitterly misused.
 他の多くの信念と同じように、この概念はひどく誤用される危険があります。

 At least, such misuse offers preoccupation and perhaps pride in the past.
 控えめに見ても、この概念が誤用された場合、過去世に夢中になったり、ときには自らの過去世への自惚れを生み出してしまいます。

 At worst, it induces inertia in the present.
 最悪の場合には、この概念は、現世における無気力を引き起こしてしまいます。

 In between, many kinds of folly are possible.
 両者の中間の場合であっても、いろいろな種類の愚行がありえます。

 

2. Reincarnation would not, under any circumstances, be the problem to be dealt with < now >.
 いかなる状況においても、輪廻転生は、「今」、対処すべき問題ではないでしょう。

 If it were responsible for some of the difficulties the individual faces now, his task would still be only to escape from them now.
 もし、それがある個人が、今、直面している困難の要因であったとしても、その人のなすべきことはなおも、今、それらの困難から逃れることに尽きるでしょう。

 If he is laying the groundwork for a future life, he can still work out his salvation only now.
 もし彼が来世のために徳を積もうとしいるとしても、彼が自分の救済を成し遂げることができるのは、依然として、ただ今でしかありません。

 To some, there may be comfort in the concept, and if it heartens them its value is self-evident.
 ある者たちにとっては、輪廻という概念は慰めとなるかもしれません。そして、もしこの概念がその者たちを元気づけるなら、この概念に価値があることは自明のことでしょう。

 It is certain, however, that the way to salvation can be found by those who believe in reincarnation and by those who do not.
 しかしながら、救済への道は、輪廻転生を信じる者、そして、それを信じない者いずれによっても見出されうるものであることは確実です。

 The idea cannot, therefore, be regarded as essential to the curriculum.
 だから、輪廻転生の概念を、カリキュラムにとって必須のものとみなすことはできません。

 There is always some risk in seeing the present in terms of the past.
 過去の観点から現在を見ることには、つねに一定の危険を伴います。

 There is always some good in any thought which strengthens the idea that life and the body are not the same.
 もっとも、どんな思いであっても、それが生命と身体は同一ではないという考えを強めるなら、それはつねに望ましいことだといえます。

 


3. For our purposes, it would not be helpful to take any definite stand on reincarnation.
 私たちの目的にとっては、輪廻転生について、どのようなものであれ、明確な立場を取ることは役に立ちません。

 A teacher of God should be as helpful to those who believe in it as to those who do not.
 神の教師は、輪廻転生の概念を信じる者にとっても、それを信じない者にとっても、助けとなるべきです。

 If a definite stand were required of him, it would merely limit his usefulness, as well as his own decision making.
 もし神の教師が限定された立場を取ることを要求されたとしたら、それは、彼自身の決断を制限するばかりか、彼の有用性をも限定することにしかならないでしょう。

 Our course is not concerned with any concept that is not acceptable to anyone, regardless of his formal beliefs.
 私たちのコースは、その人が表向きどんな信仰を有しているかに関わりなく誰にでも受け入れられるものでなければ、どんな概念にも関わることはしません。

 His ego will be enough for him to cope with, and it is not the part of wisdom to add sectarian controversies to his burdens.
 その人は自分のエゴに対処するだけでも手一杯だし、彼の背負う重荷に宗派論争まで加えてしまうことはちっとも賢明とは言えません。

Nor would there be an advantage in his premature acceptance of the course merely because it advocates a long-held belief of his own.
 それに、単にこのコースが彼自身が長きに亘って抱いてきた信仰を支持しているという理由のせいで、彼が時期尚早にもこのコースを受け入れてしまったとしたら、彼には何の益もないでしょう。
 



 
4. It cannot be too strongly emphasized that this course aims at a complete
reversal of thought.
 このコースが、考え方を完全に逆転させることに狙いを定めていることは、非常に強く指摘しておかねばなりません。

 When this is finally accomplished, issues such as the validity of reincarnation become meaningless.
 この思考の逆転が最終的に達成されたとき、輪廻転生が正しいかどうかというような問題は、無意味になります。

 Until then, they are likely to be merely controversial.
 そのときまでは、そんなことが論争を呼ぶことがしばしばあるというだけのことです。

 The teacher of God is, therefore, wise to step away from all such questions, for he has much to teach and learn apart from them.
 したがって、神の教師は、そのような問題のすべてから一歩引き下がっているべきです。というのも、彼には、そんな問題はさておいて、ほかに教えたり学んだりすべきことがたくさんあるからです。

 He should both learn and teach that theoretical issues but waste time, draining it away from its appointed purpose.
 神の教師は、観念的な問題は時間の無駄にすぎず、それが狙う目的から離れて時間を浪費させてしまうことを学び、教えるべきです。

 If there are aspects to any concept or belief that will be helpful, he will be told about it.
 もしある概念や信念に有益な側面があるのであれば、教師にはそのことが告げられるはずです。

 He will also be told how to use it.
 彼にはまた、その概念をどう活用すべきかも告げられることでしょう。

 What more need he know?
 それ以上に、教師が何を知る必要があるというのでしょうか。

 


5. Does this mean that the teacher of God should not believe in reincarnation himself, or discuss it with others who do?
 このことは、神の教師は自分自身で輪廻転生を信じてはならないとか、輪廻転生について、それを信じる者たちと議論すべきではないということでしょうか。

 The answer is, certainly not!
 もちろん、その答えは、ノーです。

 If he does believe in reincarnation, it would be a mistake for him to renounce the belief unless his internal Teacher so advised.
 もしその教師が輪廻転生を信じているなら、彼の中にいる大いなる教師がそう助言したのでないかぎり、その信念を捨てることは誤りとなるでしょう。

 And this is most unlikely.
 そして、ほとんどの場合、聖霊がそのような助言をすることはありません。

 He might be advised that he is misusing the belief in some way that is detrimental to his pupil's advance or his own.
 もっとも、教師は、その信念を彼の生徒や彼自身の進歩にとって望ましくない方法で誤用していると忠告されることはあるかもしれません。

 Reinterpretation would then be recommended, because it is necessary.
 そのようなときは、信念を改めて解釈し直すことを勧められるでしょう。なぜなら、そうすることが必要だからです。

 All that must be recognized, however, is that birth was not the beginning, and death is not the end.
 しかしながら、認識すべきなのは、誕生は始まりではなかったこと、そして、死は終わりではないことだけです。

 Yet even this much is not required of the beginner.
 しかし、初心者には、このことを認めることすら求めらてはいません。

 He need merely accept the idea that what he knows is not necessarily all there is to learn.
 彼は単に、自分の知っていることが必ずしも学ぶべきすべてではないのだと受け入れる必要があるだけです。

 His journey has begun.
 彼の旅路は始まったばかりなのです。

 


6. The emphasis of this course always remains the same;--it is at this moment that complete salvation is offered you, and it is at this moment that you can
accept it.
 このコースが強調するのは、いつでも同じことです。それは、この瞬間、完璧な救済があなたに差し延べられており、そして、あなたが救済を受け入れることができるのは、まさにこの瞬間においてなのだ、ということです。

 This is still your one responsibility.
 この瞬間に救済を受け入れることこそが、依然として、あなたの唯一の責任なのです。

 Atonement might be equated with total escape from the past and total lack of interest in the future.
 贖罪は、過去から完全に解放され、そして、未来にまったく関心を持たなくなることと同じだと言えるかもしれません。

 Heaven is here.
 天国はここにあります。

 There is nowhere else.
 それ以外の場所などどこにもありません。

 Heaven is now.
 天国とは今このときのことです。

 There is no other time.
 それ以外の時間などありません。

 No teaching that does not lead to this is of concern to God's teachers.
 このことに導くことのない教えは、神の教師にとって重要なことではありません。

 All beliefs will point to this if properly interpreted.
 もし正しく解釈されるならば、すべての信念はこのことを指し示すはずです。

 In this sense, it can be said that their truth lies in their usefulness.
 この意味で、すべての信念が真理であるかどうかは、その信念が役に立つかどうかでわかるといえます。

 All beliefs that lead to progress should be honored.
 進歩に導く信念はすべて、敬意を払われるべきです。

 This is the sole criterion this course requires.
 これこそが、このコースが求める唯一の基準です。

 No more than this is necessary.
 これ以上のことは何も必要ありません。

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