There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T18-7 何もしなくていい

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今回は、テキストから、私たちは何もする必要がないということを説明する一節をご紹介します。





この節は、贖罪のために、私たちは何もしなくていいと言います。

「え、なんで?」という感じではないでしょうか?

出家して修行するとか山篭りするまでは考えてはいないけど、エゴを取り消すためには、エゴと戦って打ち倒さなければならないんじゃないの?

エゴが巧妙に罠にかけようと誘惑して、罪悪感を抱かせようとすることと格闘せざるをえないし、そのためには、瞑想したりしないといけないんじゃないの?と。

でも、エゴやその味方を敵視して戦いを挑むことは、本当は存在しないものをあるものとしてみなし、今ではない将来に、勝利のときがやってくることを目指すことになります。

何かを積極的にしなければ贖罪を完了できない、覚醒を得られないという発想自体がそれを遠ざけてしまうということです。

「You cannot prepare for it without placing it in the future.
 あなたは神聖な瞬間を未来に置くことなくして、神聖な瞬間の準備をすることはできません。

Release is given you the instant you desire it.
 解放は、あなたがそれを強く望んだ瞬間に与えられるものです。」

これに対して、兄弟と一緒になってひとつに結びつくことがこのコース時間節約のために用いる特別な手段だといいます。

私たちは、本当は、神に創造されたままの姿で存在し、すでに完全であり、何も欠けるところが無い存在であるとすれば、それをありのまま認めることだけが必要なことだということになります。

そして、その本来の自然な状態に気づくためには、兄弟とひとつに結びつくことが必要なだけだということです。


しかし、私たちは、兄弟たちと身体という塀で隔てられていて、身体を重視している限り、この分離を乗り越えてひとつになることを難しく感じます。

そして、何かをするには身体を必要とするので、自分には何かをする必要があるという観点を持つかぎり、分離の象徴としての身体の重要性を退けることは困難です。


聖霊にすべて任せきったのだから、自分には何もする必要はないと決意するということです。


テキスト 第十八章 

VII. I Need Do Nothing 
七 私は何もする必要はない




1. You still have too much faith in the body as a source of strength.
 あなたは今もなお、力強さの源泉として肉体に過大な信仰を抱いています。

 What plans do you make that do not involve its comfort or protection or enjoyment in some way?
 あなたが立てる計画で、何らかの方法で、身体の快適さとか身体の保護であるとか、身体の快楽を含まないようなものがあるでしょうか。

 This makes the body an end and not a means in your interpretation, and this always means you still find sin attractive.
 これでは、身体は手段ではなく目的であるとあなたが解釈していることになります。そして、このことはつねに、あなたが依然として罪に魅力を感じていることを意味します。

 No one accepts Atonement for himself who still accepts sin as his goal.
 依然として罪を自分の目標にしている者は誰であれ、自分自身のために贖罪を受け入れることはありません。

 You have thus not met your one responsibility.
 このようにして、あなたは自らの唯一の責任を果していないことになります。

 Atonement is not welcomed by those who prefer pain and destruction.
 苦痛や破壊を好む者が、贖罪を喜んで受け入れるはずがないのです。





2. There is one thing that you have never done; you have not utterly forgotten the body.
 あなたがかつて一度もやったことのないことがひとつあります。それは、完全に身体のことを忘れ去るということです。

 It has perhaps faded at times from your sight, but it has not yet completely disappeared.
 ときには身体があなたの視界から消えたことはあったかもしれません。それでも、身体はまだ、完全に消えたことはありません。

 You are not asked to let this happen for more than an instant, yet it is in this instant that the miracle of Atonement happens.
 あなたに求められているのは、ほんの一瞬だけ身体を完全に消滅させることだけです。それでも、贖罪という奇跡が起こるのは、まさにこの一瞬においてなのです。

 Afterwards you will see the body again, but never quite the same.
 そのあとで、あなたは再び身体を見ることになります。しかし、あなたは決して、身体をそれまでとまったく同じように見ることはありません。

 And every instant that you spend without awareness of it gives you a different view of it when you return.
 そして、あなたが身体を意識しない一瞬を過ごすたびに、あなたの意識が身体に戻るとき、その一瞬があなたにそれまでとは違った見方で身体を見せてくれるようになります。


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3. At no single instant does the body exist at all.
 ただの一瞬たりとも、身体はまったく存在していません。

 It is always remembered or anticipated, but never experienced just now.
 身体はつねに思い出されるか予期されるかであって、決して、まさに今この瞬間において経験されることはありません。

 Only its past and future make it seem real.
 身体についての過去や将来のことが、身体を実在するように思わせているにすぎません。

 Time controls it entirely, for sin is never wholly in the present.
 時間が身体を完全に支配しています。というのも、罪が全面的に現在にあることは決してないからです。

 In any single instant the attraction of guilt would be experienced as pain and nothing else, and would be avoided.
 いかなる一瞬であれ、罪悪感に引きつけられることが苦痛以外の何ものでもないと実感できたなら、罪悪感の魅力を避けられるようになります。

 It has no attraction now.
 罪悪感には、今、何の魅力もありません。

 Its whole attraction is imaginary, and therefore must be thought of in the past or in the future.
 罪悪感の魅力はすべて想像上のものにすぎず、したがって、それは過去または未来のことを思考することであるに違いありません。






4. It is impossible to accept the holy instant without reservation unless, just for an instant, you are willing to see no past or future.
 あなたがほんの一瞬でも過去も未来も見ないでいようとの意欲を持たないかぎり、心置きなく無条件に神聖な瞬間を受け入れることは不可能です。

 You cannot prepare for it without placing it in the future.
 あなたが神聖な瞬間のために準備しようとするなら、どうしても神聖な瞬間を未来に置くことになってしまいます。

 Release is given you the instant you desire it.
 しかし、解放は、あなたがそれを強く望んだ瞬間に与えられます。

 Many have spent a lifetime in preparation, and have indeed achieved their instants of success.
 数多くの者たちが準備のために一生を費いやし、確かに成功の瞬間を達成してきました。

 This course does not attempt to teach more than they learned in time, but it does aim at saving time.
 このコースは、彼らが時間の中において習得したもの以上のことを教えようとしているわけではありません。けれども、このコースが同じことを習得するためにかかる時間を節約することに狙いを定めているのは確かです。

 You may be attempting to follow a very long road to the goal you have accepted.
 あなたはおそらく、自らの受け入れた目標に向かって、とても長い道程を辿ろうとしていることでしょう。

 It is extremely difficult to reach Atonement by fighting against sin.
 罪に対して戦いを挑むことによって贖罪に到達するのは、困難きわまりないことです。

 Nor is a lifetime of contemplation and long periods of meditation aimed at detachment from the body necessary.
 また、肉体からの解脱を目指して、生涯を沈思黙考に明け暮れることも、長期間の瞑想を繰り返すことも必要ではありません。

 All such attempts will ultimately succeed because of their purpose.
 そのような試みはどれも、その目的のゆえに、最終的には成功はするでしょう。

 Yet the means are tedious and very time consuming, for all of them look to the future for release from a state of present unworthiness and inadequacy.
 しかし、その手段は退屈であるばかりか非常に時間を浪費するものとなります。というのも、そのような試みはどれもすべて、現在の自分が目標に値せず、不適格であるとの心境から解放されることを求めて未来に目を向けて期待するものだからです。


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5. Your way will be different, not in purpose but in means.
 あなたの道は、その目的は変わらなくても、その手段において異なったものになります。

 A holy relationship is a means of saving time.
 神聖な関係は時間を節約するための手段です。

 One instant spent together restores the universe to both of you.
 あなたたちが一緒に過ごす瞬間が、全宇宙をあなたたち二人へと戻してくれます。

 You are prepared.
 あなたには、その準備ができています。

 Now you need but to remember you need do nothing.
 今、あなたに必要なのは、ただ自分は何もする必要がないと覚えておくことだけです。

 It would be far more profitable now merely to concentrate on this than to consider what you should do.
 今は、自分は何をすべきかあれこれ考えるよりも、ただ自分は何もする必要がないということに集中する方がずっと有益なはずです。

 When peace comes at last to those who wrestle with temptation and fight against the giving in to sin; when the light comes at last into the mind given to contemplation; or when the goal is finally achieved by anyone, it always comes with just one happy realization; "I need do nothing."
 誘惑に負けないようにあがき、罪に屈服しないように戦う者の許にようやく平安が訪れるとき、瞑想に耽る心についに光が差し込むとき、誰かが目標をとうとう達成するとき、それはつねに、ただ次のただひとつの喜ばしい気づきとともにやってきます。それは「私は何もする必要はない」という気づきです。





6. Here is the ultimate release which everyone will one day find in his own way, at his own time.
 ここには、誰もがいつの日にかその人なりの方法で、その人なりに時間をかけて見出すことになる究極的な解放があります。

 You do not need this time.
 とはいえ、あなたには、こうした時間をかける必要はありません。

 Time has been saved for you because you and your brother are together.
 時間は、あなたのために短縮されました。なぜなら、あなたと兄弟が一緒にいるからです。

 This is the special means this course is using to save you time.
 あなたと兄弟が一緒になることこそ、このコースが、あなたの時間を節約するために用いる特別な手段です。

 You are not making use of the course if you insist on using means which have served others well, neglecting what was made for you.
 もしあなたが、自分のために用意されたものを疎かにして、ほかの人たちの役に立った手段のほうを使うことに固執するなら、あなたはこのコースを役立ててはいないことになります。

 Save time for me by only this one preparation, and practice doing nothing else.
 この唯一の準備だけを整えて、ほかには何もしないことを実践することによって、私のために時間を短縮してください。

 "I need do nothing" is a statement of allegiance, a truly undivided loyalty.
 「私は何もする必要はない」というのは、献身を誓う声明であり、真に分裂していない忠誠心を意味します。

 Believe it for just one instant, and you will accomplish more than is given to a century of contemplation, or of struggle against temptation.
 自分には何もする必要がないということを、ほんの一瞬でいいので信じてください。そうすれば、一世紀にも及ぶ瞑想誘惑との苦闘に勝ることをあなたは成し遂げることになります。


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7. To do anything involves the body.
 何かをするためには、身体が必要です。

 And if you recognize you need do nothing, you have withdrawn the body's value from your mind.
 だから、もし自分が何もする必要はないと気づいたなら、あなたは自分の心の中から身体の重要性を退けたことになります。

 Here is the quick and open door through which you slip past centuries of effort, and escape from time.
 ここにこそ、あなたが何世紀もの努力を滑るようにすり抜け、時間から脱出できるように開かれた扉がすぐ手の届くところあります。

 This is the way in which sin loses all attraction right now.
 この扉は、罪が今すぐにすべての魅力を失う道へと通じています。

 For here is time denied, and past and future gone.
 というのは、その扉の向こうでは、時間は否定されるので、過去も未来も去ってしまうからです。

 Who needs do nothing has no need for time.
 何もする必要のない者には、時間は必要ありません。

 To do nothing is to rest, and make a place within you where the activity of the body ceases to demand attention.
 何もしないことは安らぐことであり、自分の中に、身体の活動が注意を喚起しなくなる場所を作るということです。

 Into this place the Holy Spirit comes, and there abides.
 この場所の中に聖霊が入り込み、聖霊はそこに留まってくれます。

 He will remain when you forget, and the body's activities return to occupy your conscious mind.
 あなたが聖霊の存在を忘れ、そして、身体が活動を再開してあなたの意識を占めるようになったときでも、聖霊はその場所にそのまま留まってくれています。





8. Yet there will always be this place of rest to which you can return.
  そんなときでも、この休息の場所はつねにそこにあり、あなたはそこに戻ることができます。

 And you will be more aware of this quiet center of the storm than all its raging activity.
 そして、あなたは嵐のような身体の激しい活動のすべてよりも、その嵐の中の静かな中心をもっと意識するようになります。

 This quiet center, in which you do nothing, will remain with you, giving you rest in the midst of every busy doing on which you are sent.
 その中であなたが何もしない、この静かな中心はあなたとともに留まり、あなたが送り込まれる慌しい活動のすべての真っただ中にあっても、あなたに安らぎを与えてくれるようになります。

 For from this center will you be directed how to use the body sinlessly.
 というのも、この中心部から、あなたはどのようにして身体を罪なく用いればよいか指示してもらえるようになるからです。

 It is this center, from which the body is absent, that will keep it so in your awareness of it.
 身体が不在になっているこの中心部こそが、あなたが身体を罪のないものとして自覚しつづけられるように保ってくれます。

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