There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

M12 キリストの言葉(世界を救うために必要な教師の数)

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もし今の時代にイエス・キリスト(当時の発音に近いものとして「イェシュア」と呼称されることが多いので、そう呼ばせていただきます。イェシュアってなんだか可愛らしくていい響きだと思います)が生きていて、話を聞くことができるチャンスがもらえるなら、アラム語であろうと何語であろうと頑張って一から学んで、直接、生の言葉を受け取りたいと思います。



いかに有能な通訳の人がいたとしてもそうしたいと思わないでしょうか。言葉を理解できるようになるまでの仲立ちの手立てとしてはもちろん通訳を利用しますが、せっかく真理に生で触れる偉大なる機会をみすみすふいにしたくなどありません。絶対にフル活用したいからです。


実は、今の私たちにも、イェシュアの生の声(に近いもの)を聴く、そのチャンスが与えられています。奇跡のコースという書物の形で。

ぜひ、みなさんも原文で直接イェシュアの声に耳を澄ませてみてください。


今回は、教師のためのマニュアルの第12節をご紹介します。



Section 12
How Many Teachers of God Are Needed to Save the World?
第12節
世界を救うには、どれだけ多くの神の教師が必要なのか




1. The answer to this question is--one.
 この質問に対する答え、それはひとりです。

 One wholly perfect teacher, whose learning is complete, suffices.
 ただひとり、学びを完了したまったく完璧な教師がいれば十分です。

 This one, sanctified and redeemed, becomes the Self Who is the Son of God.
 聖別され、贖罪を完了したこのひとりの教師は、神の子である大いなる自己となります。

 He who was always wholly spirit now no longer sees himself as a body, or even as in a body.
 つねに完全に霊であった彼は、今ではもはや自分自身のことを身体であるとみなしたり、あるいは、自分を身体の中にいるものとしてすらみなすことはありません。

 Therefore he is limitless.
 それゆえ、彼には限界などありません。

 And being limitless, his thoughts are joined with God's forever and ever.
 そして、無限であるがゆえに、彼の思考は神の思考と永遠にこれからも結びついたままです。

 His perception of himself is based upon God's Judgment, not his own.
 彼の自分自身についての知覚は、彼自身の価値判断によるのではなく、神の裁きに基礎を置いています。

 Thus does he share God's Will, and bring His Thoughts to still deluded minds.
 こうして、彼は神の大いなる意志を共有することになります。そして、彼は神の大いなる思いをいまだに惑わされている個々の心へともたらします。

 He is forever one, because he is as God created him.
 彼は永遠に一なるものです。なぜなら、彼は神の創造したままの彼だからです。

 He has accepted Christ, and he is saved.
 彼はキリストを受け入れたのであり、救われているのです。




2. Thus does the son of man become the Son of God.
 こうして、人の子は神の子となります。

 It is not really a change; it is a change of mind.
 それは実際に何かが変化することではありません。それは心の変化です。

 Nothing external alters, but everything internal now reflects only the Love of God.
 外側のものは何も変わりません。しかし、内側のものはすべて、今や、ただ神の大いなる愛だけを反映しています。

 God can no longer be feared, for the mind sees no cause for punishment.
 もはや神が恐れられることはありえません。というのは、その心はいかなる処罰の根拠も見てはいないからです。

 God's teachers appear to be many, for that is what is the world's need.
 神の教師たちはたくさんいるように見えます。それは、世界が彼らを必要としているからです。

 Yet being joined in one purpose, and one they share with God, how could they be separate from each other?
 しかし、ひとつの目的で結び合わされていて、そして、彼らがそのひとつの目的を神と分かち合っているのだとすれば、どうして神の教師たちがお互いに分離した存在であることができるでしょうか。

 What does it matter if they then appear in many forms?
 だから、もし神の教師たちが多様な形で現れるとしても、そんなことの何が問題でしょうか。

 Their minds are one; their joining is complete.
 神の教師たちの心はひとつであり、彼らの結びつきは完璧なものです。

 And God works through them now as one, for that is what they are.
 そして、神は、今や神の教師たちを通じて一なるものとして働きます。というのも、一なるものであることこそ、神の教師たちのありのままの姿だからです。

 


3. Why is the illusion of many necessary?
 なぜ数多くの教師がいるという幻想が必要となるのでしょうか。

 Only because reality is not understandable to the deluded.
 それはただ、妄想に囚われている者にとって、現実というものが理解しがたいものだからでしかありません。

 Only very few can hear God's Voice at all, and even they cannot communicate His messages directly through the Spirit which gave them.
 きわめて限られた少しの者しか神の大いなる声を聞くことができないし、その者たちであっても、それを自分たちに与えてくれた霊を通じて直接的に神のメッセージを伝えることはできません。

 They need a medium through which communication becomes possible to those who do not realize that they are spirit.
 彼らには、自分が霊であることを理解しない者たちにも伝えることのできる媒体が必要です。

 A body they can see.
 自分が霊であると理解しない者でも、誰かの身体であれば見ることができます。

 A voice they understand and listen to, without the fear that truth would encounter in them.
 自分が霊であると理解しない者にも、誰かの声であれば、自分が真理と直面することになっても恐れることなく、理解し、耳を傾けることができます。

 Do not forget that truth can come only where it is welcomed without fear.
 次のことを忘れないでください。それは、真理は、恐怖を伴わずに歓迎されるところにしか訪れることができないということです。

 So do God's teachers need a body, for their unity could not be recognized directly.
 だから、神の教師たちには身体が必要なのです。なぜなら、彼らがひとつであることは直接には気づいてもらえないからです。





4. Yet what makes God's teachers is their recognition of the proper purpose of the body.
 しかし、神の教師を神の教師たらしめるのは、身体の適切な目的についての彼らの認識です。

 As they advance in their profession, they become more and more certain that the body's function is but to let God's Voice speak through it to human ears.
 神の教師たちが自分たちの任務を遂行するにつれ、彼らは、身体の役割は、神の大いなる声が身体を通じて人の耳に語りかけることができるようにさせることに尽きるとますます確信するようになります。

 And these ears will carry to the mind of the hearer messages that are not of this world, and the mind will understand because of their Source.
 そして、このような人の耳は、この世界からのものではないメッセージを聞き手の心へと運んでくれます。そして、心はそのようなメッセージの大いなる源のゆえに理解するようになります。

 From this understanding will come the recognition, in this new teacher of God, of what the body's purpose really is; the only use there really is for it.
 この理解から、この新たな神の教師の中に、身体の真の目的は何なのか、つまり、身体の唯一の正しい使いみちについての認識がもたらされます。

 This lesson is enough to let the thought of unity come in, and what is one is recognized as one.
 このレッスンは、ひとつに結びつく思いを招来するために十分なものであり、そして、ひとつであるものは確かにひとつなのだと認識されることになります。

 The teachers of God appear to share the illusion of separation, but because of what they use the body for, they do not believe in the illusion despite appearances.
 神の教師たちは、分離の幻想を共有しているように見えます。しかし、一見、そのように見えたとしても、彼らが身体を何のために使うかということのゆえに、彼らが分離の幻想を信じていないことは確かなのです。

 


5. The central lesson is always this; that what you use the body for it will become to you.
 レッスンの核心はいつでも次のようなものです。すなわち、あなたが身体を何のために用いるかということが、あなたにとって身体が何であるかを決めることになるということです。

 Use it for sin or for attack, which is the same as sin, and you will see it as sinful.
 身体を罪や罪と同じものである攻撃のために用いるなら、あなたは身体を罪深いものと見るようになります。

 Because it is sinful it is weak, and being weak, it suffers and it dies.
 身体が罪深いものとされるがゆえに、身体は脆弱になり、脆弱であるがゆえに、身体は苦しみ、そして死ぬのです。

 Use it to bring the Word of God to those who have it not, and the body becomes holy.
 神の言葉を持たない者たちの許へと神の大いなる言葉をもたらすために身体を用いるなら、身体は神聖なものになります。

 Because it is holy it cannot be sick, nor can it die.
 身体が神聖であるがゆえに、身体は、病むことも死ぬこともできません。

 When its usefulness is done it is laid by, and that is all.
 身体が役目を終えたらなら、身体は横たえられることになりますが、それだけのことです。

 The mind makes this decision, as it makes all decisions that are responsible for the body's condition.
 身体の状態を左右する原因であるすべての決断をなすのは心なので、心がこの決断を下します。

 Yet the teacher of God does not make this decision alone.
 しかし、神の教師はひとりでこの決断を下すのではありません。

 To do that would be to give the body another purpose from the one that keeps it holy.
 ひとりでこの決断を下すなら、身体を神聖に保つ目的とは別の目的が身体に与えられることになります。

 God's Voice will tell him when he has fulfilled his role, just as It tells him what his function is.
 神の大いなる声が彼にその役割を告げたときとちょうど同じように、彼が自分の役割を果たしたときには、神の大いなる声が彼に告げてくれることになります。

 He does not suffer either in going or remaining.
 彼は、去るにしても残るにしても苦しむことはありません。

 Sickness is now impossible to him.
 今や彼が病むということは不可能なのです。

 


6. Oneness and sickness cannot coexist.
 ひとつであることと病気は、両立することはできません。

 God's teachers choose to look on dreams a while.
 神の教師たちは、しばらくの間、夢を見ることを選んでいるのです。

 It is a conscious choice.
 それは意識的な選択です。

 For they have learned that all choices are made consciously, with full awareness of their consequences.
 というのも、教師たちは、自分たちの選択の成り行きを完全に自覚し、あらゆる選択が意識的になされるものと学んでいるからです。

 The dream says otherwise, but who would put his faith in dreams once they are recognized for what they are?
 夢はそれとは違うことを言います。しかし、ひとたびそれが夢だと気づいていながら、夢のことを信じようとする者などいるでしょうか。

 Awareness of dreaming is the real function of God's teachers.
 夢見ていることを自覚することこそ、神の教師の真の役割です。

 They watch the dream figures come and go, shift and change, suffer and die.
 教師たちは、夢の登場人物たちが来ては去り、姿を変え、苦しんで死ぬ様を見つめます。

 Yet they are not deceived by what they see.
 しかし、教師たちは、自分たちの目にすることによって欺かれることはありません。

 They recognize that to behold a dream figure as sick and separate is no more real than to regard it as healthy and beautiful.
 夢の登場人物のことを病んでいて一人ひとりが離ればなれになっているものとして見ることは、夢の登場人物のことを健やかで美しいものとして見ることと同じく真実ではないということに、教師たちは気づいています。

 Unity alone is not a thing of dreams.
 ただひとつに結びついているものだけが夢に属していないのです。

 And it is this God's teachers acknowledge as behind the dream, beyond all seeming and yet surely theirs.
 だから、神の教師たちが、すべての見せかけを超越しながらもなお確かに彼らのものであると承認するのは、夢の背後に隠されたこの一体性だけなのです。




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