There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

レッスン137「私が癒されるとき、私だけが癒されるのではない。」

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レッスン137です。

今日のテーマは「私が癒されるとき、私だけが癒されるのではない。」です。





奇跡のコースの病気癒しについての説明を読むと、なんだか病気になるのは、その人の迷いのせいであって、幻想から目覚めない愚かしさの証明であるなどと解釈して、病気の人のことを貶めるような考えをしてしまう残念な発想に陥ってしまうこともあると思います。

はたしてご自身や家族のどなたかが大病を患っているような場合に、そんな発想ができるものでしょうか?

みんなを自分としてするイェシュアがそんなふうに教えたいと思っているなどと考えられるでしょうか?


言ってみれば、コースの観点で見るかぎり、この世界に生きている私たち全員が狂人であり、病んだ存在です。

みんな病んでいるのに、無明が身体に発現しているだけの人のことを自分より劣っているように解釈して貶めようというのは、目くそ鼻くそを笑うの類のものでしかないでしょう。

「Psychotherapy is the only form of therapy there is.
 心理療法は、治療法の唯一のありうる形態です。

 Since only the mind can be sick, only the mind can be healed.
 なぜなら、ただ心だけが病むことがありうるので、心だけが癒されうるからです。

 Only the mind is in need of healing.
 ただ心だけが癒しを必要とします。」(心理療法 序文)




Lesson 137


When I am healed I am not healed alone.
私が癒されるとき、私だけが癒されるのではない。





1. Today's idea remains the central thought on which salvation rests.
 今日の考えは、救済の基盤となる中核的な考えであり続けます。

 For healing is the opposite of all the world's ideas which dwell on sickness and on separate states.
 というのも、癒しは、病気や分離状態から離れられないこの世界の考え方すべての対極にあるものだからです。

 Sickness is a retreat from others, and a shutting off of joining.
 病気は、ほかの人々から引きこもって、ひとつに結びつくことから閉じこもることです。

 It becomes a door that closes on a separate self, and keeps it isolated and alone.
 病気は、分離した小さな自己を孤立させて、孤独なままに保つために閉じこめる扉となります。





2. Sickness is isolation.
 病気とは、孤立することです。

 For it seems to keep one self apart from all the rest, to suffer what the others do not feel.
 というのは、病気は、ほかの自己たちの感じない苦しみを味わうために、ひとつの自己をほかのみんなから切り離したまま保つように思わせるものだからです。

 It gives the body final power to make the separation real, and keep the mind in solitary prison, split apart and held in pieces by a solid wall of sickened flesh, which it can not surmount.
 病気は、身体に分離を本物にする最終的な力を授け、分離した心には脱出できない病んだ肉体という堅固な壁によって分割されてばらばらに保たれた独房の中に心を幽閉したままにします。




3. The world obeys the laws that sickness serves, but healing operates apart from them.
 この世界は、病気が奉仕する法則に従います。しかし、癒しは、そんな法則とは無関係に作用します。

 It is impossible that anyone be healed alone.
 誰も自分ひとりだけで癒されることは不可能です。

 In sickness must he be apart and separate.
 病気のとき、その病人は他者から隔絶して分離しているに違いありません。

 But healing is his own decision to be one again, and to accept his Self with all Its parts intact and unassailed.
 しかし、癒しは、その病人自身の再びひとつになるという決断であり、そして、そのすべての部分たちが損なわれることも攻撃されることもなく保たれているものとして自らの大いなる自己を受け入れるという決断です。

 In sickness does his Self appear to be dismembered, and without the unity that gives It life.
 病気のとき、その人の大いなる自己は、分割されて、それに生命を与えている統一性を失っているように見えます。

 But healing is accomplished as he sees the body has no power to attack the universal Oneness of God's Son.
 しかし、彼が身体には神の子の普遍的な一体性を攻撃する力などないと理解すれば、癒しは成就します。





4. Sickness would prove that lies must be the truth.
 病気は、偽りが真理であるに違いないと証明しようとします。

 But healing demonstrates that truth is true.
 しかし、癒しは、真理こそが真実であることを実証します。

 The separation sickness would impose has never really happened.
 病気が押しつけようとする分離は、決して一度も本当に起こったことはないのです。

 To be healed is merely to accept what always was the simple truth, and always will remain exactly as it has forever been.
 癒されることは、つねに単純な真理であったこと、そして、まさにこれまで永遠にそうであった通りに、つねにこれからも真理であり続けることをただ単に受け入れることでしかありません。

 Yet eyes accustomed to illusions must be shown that what they look upon is false.
 しかし、幻想に慣れてしまった目には、自らに見えているものが偽りであると示してもらう必要があります。

 So healing, never needed by the truth, must demonstrate that sickness is not real.
 だから、真理には決して必要がない癒しというものが、病気は本当のことではないと実証しなければならないのです。





5. Healing might thus be called a counter-dream, which cancels out the dream of sickness in the name of truth, but not in truth itself.
 かくして、癒しは、に逆らうとでも呼ぶことができるかもしれません。癒しというは、真理自体の中でではなく、真理の名の下に、病気のを相殺して取り消します。

 Just as forgiveness overlooks all sins that never were accomplished, healing but removes illusions that have not occurred.
 ちょうど赦しが一度もなされたことのないすべての罪を見過ごすように、癒しは、ただ起こったことのない幻想を取り除くだけです。

 Just as the real world will arise to take the place of what has never been at all, healing but offers restitution for imagined states and false ideas which dreams embroider into pictures of the truth.
 ちょうどまったく一度も存在したことのなかったものに取って代わるために真の世界が現れるのと同じように、癒しはただ、を真実の光景のように誇張する空想上の状態や虚偽の想念を元の状態へと復旧させるだけです。





6. Yet think not healing is unworthy of your function here.
 だからといって、癒しがこの世界でのあなたの役割に値しないなどと思わないでください。

 For anti-Christ becomes more powerful than Christ to those who dream the world is real.
 というのも、この世界が本物だと見る者たちにとっては、反キリストは、キリストよりも強力なものとなるからです。

 The body seems to be more solid and more stable than the mind.
 身体は、心よりも、いっそう堅固でより安定したもののように見えます。

 And love becomes a dream, while fear remains the one reality that can be seen and justified and fully understood.
 そして、は夢となり、恐れだけが、見ることができ、正当化され、そして、完全に理解できる唯一の現実となります。




7. Just as forgiveness shines away all sin and the real world will occupy the place of what you made, so healing must replace the fantasies of sickness which you hold before the simple truth.
 ちょうど赦しがすべての罪をその輝きで去らせ、真の世界があなたの作った世界のあった場所を占めるように、癒しは、単純な真理の前において、あなたの抱く病気の空想に取って代わるに違いありません。

 When sickness has been seen to disappear in spite of all the laws that hold it cannot but be real, then questions have been answered.
 病気は本物でしかありえないというすべての法則にもかかわらず、病気が消え去ったように見えたなら、質問は答えられたのです。

 And the laws can be no longer cherished nor obeyed.
 そうなれば、もはやそんな法則は、大切にされることも従われることもなくなります。






8. Healing is freedom.
 癒しは自由です。

 For it demonstrates that dreams will not prevail against the truth.
 というのも、癒しは、夢には真理を打ち負かすことができないことを実証するからです。

 Healing is shared.
 癒しは分かち合われます。

 And by this attribute it proves that laws unlike the ones which hold that sickness is inevitable are more potent than their sickly opposites.
 そして、この共有という属性によって、癒しは、病気は不可避だと主張しない法則のほうが、その反対の病んだ法則より力強さを秘めているということを実証します。

 Healing is strength.
 癒しは力強さです。

 For by its gentle hand is weakness overcome, and minds that were walled off within a body free to join with other minds, to be forever strong.
 というのも、癒しの優しい手によって、弱さは克服され、身体の壁の中に閉じこめられていた心たちは、自由にほかの心と結びつき、永遠に強いものとなることができるからです。





9. Healing, forgiveness, and the glad exchange of all the world of sorrow for a world where sadness cannot enter, are the means by which the Holy Spirit urges you to follow Him.
 癒すこと、赦すこと、そして、悲しみに満ちた世界のすべてを悲しみの入りこむことのできない世界と喜んで交換すること、これらは、あなたが聖霊に従うように促すために聖霊が用いる手段です。

 His gentle lessons teach how easily salvation can be yours; how little practice you need undertake to let His laws replace the ones you made to hold yourself a prisoner to death.
 聖霊の優しいレッスンは、いかに容易に救済があなたのものになるか教えてくれます。すなわち、あなたが自分自身を死刑囚にするために作り上げた法則を聖霊の法則に置き換えるためにあなたが取り組む必要のある練習が、いかにささやかなものであるか教えてくれるのです。

 His life becomes your own, as you extend the little help He asks in freeing you from everything that ever caused you pain.
 あなたに苦痛を引き起こしてきたすべてのことからあなたを解放するために聖霊が求めるわずかな助けをあなたが差し出すにつれて、聖霊の生命はあなた自身の生命となります。





10. And as you let yourself be healed, you see all those around you, or who cross your mind, or whom you touch or those who seem to have no contact with you, healed along with you.
 そして、あなたが自分を癒してもらうにつれて、あなたには、自分の周りの人々や自分の心をよぎる人々、あるいは、自分と何の関わりもないように思える人たち、それらの人たちみんなが自分と一緒に癒されていくのがわかります。

 Perhaps you will not recognize them all, nor realize how great your offering to all the world, when you let healing come to you.
 おそらくあなたは、その人たちみんなのことまではわからないでしょうし、自分が癒されたとき、自分が全世界にどれほど大きなものを捧げているのかということにも気づかないでしょう。

 But you are never healed alone.
 しかし、あなたは決してひとりだけ癒されたわけではないのです。

 And legions upon legions will receive the gift that you receive when you are healed.
 そして、あなたが癒されたとき、あなたの受け取る贈り物を数え切れないほどたくさんの人々が受け取ることになるでしょう。





11. Those who are healed become the instruments of healing.
 癒された者たちは、癒しのための道具となります。

 Nor does time elapse between the instant they are healed, and all the grace of healing it is given them to give.
 彼らが癒された瞬間に時間は経過を止め、彼らがほかの人に与えることになっている癒しの恩恵のすべてが彼らに与えられます。

 What is opposed to God does not exist, and who accepts it not within his mind becomes a haven where the weary can remain to rest.
 神に対立するものなど存在しません。そして、神に対立するものを自分の心の中に受け入れないでいる者は、疲れた者たちが留まって安らぐことのできる安息の場となります。

 For here is truth bestowed, and here are all illusions brought to truth.
 というのも、ここにこそ真理が授けられるし、ここでこそ、すべての幻想が真理の下にもたらされることになるからです。





12. Would you not offer shelter to God's Will?
 あなたは、神の大いなる意志に、安らかに守られる場所を差し延べたいとは思わないでしょうか。

 You but invite your Self to be at home.
 あなたはただ、自分の真の自己にくつろぐようにと招待するだけです。

 And can this invitation be refused?
 そして、この招待が拒まれることなどありえません。

 Ask the inevitable to occur, and you will never fail.
 起こらざるをえないことが起こるように求めてください。そうすれば、あなたは決して失敗することはありません。

 The other choice is but to ask what cannot be to be, and this can not succeed.
 それ以外の選択は、ただありえないことにあってほしいと求めることでしかありません。だから、そんなことが成功するはずがありません。

 Today we ask that only truth will occupy our minds; that thoughts of healing will this day go forth from what is healed to what must yet be healed, aware that they will both occur as one.
 今日、私たちは、真理だけが自分の心を占めるようにと求めます。それは、今日、癒しの思いが癒された者からこれから癒されるべき者へと伝わり、癒しが、両者にひとつのものとして起こることを自覚することなのです。





13. We will remember, as the hour strikes, our function is to let our minds be healed, that we may carry healing to the world, exchanging curse for blessing, pain for joy, and separation for the peace of God.
 私たちは一時間ごとに、自分たちの役目は自分の心が癒されるようにすることだと思い出すようにします。そうすれば、私たちは癒しを世界に運び、呪いを祝福に、苦痛を喜びに、そして、分離を神の平安に交換することができます。

 Is not a minute of the hour worth the giving to receive a gift like this?
 このような贈り物を受け取るためであれば、1時間ごとに1分間を捧げる価値はあるのではないでしょうか。

 Is not a little time a small expense to offer for the gift of everything?
 すべての贈り物のためであれば、そんな短い時間はささやかな支出ではないでしょうか。




14. Yet must we be prepared for such a gift.
 しかし、この贈り物のために、私たちは準備をしなければなりません。

 And so we will begin the day with this, and give ten minutes to these thoughts with which we will conclude today at night as well:
 だから私たちは、1日を次の言葉で始め、そして、これらの考えに10分間を捧げ、夜に1日を締めくくる際も同じようにすることにします。


When I am healed I am not healed alone.

私が癒されるとき、私ひとりだけ癒されるわけではない。

And I would share my healing with the world, that sickness may be banished from the mind of God's one Son, Who is my only Self.
だから、私は、自分の癒しを世界と分かち合いたい。そうすれば、私の真の自己である神のひとり子の心から病気を追い払うことができるだろう。





15. Let healing be through you this very day.
 今日こそ、あなたを通して癒しがなされるようにしましょう。

 And as you rest in quiet, be prepared to give as you receive, to hold but what you give, and to receive the Word of God to take the place of all the foolish thoughts that ever were imagined.
 そして、静寂の中に安らぎながら、自分が受け取るように与える準備をしてください。自分の与えるものだけを保持し、今まで想像したすべての馬鹿げた思いに取って代わる神の大いなる言葉を受け取る用意をするのです。

 Now we come together to make well all that was sick, and offer blessing where there was attack.
 今こそ、私たちは、病んでいたすべての者を健やかにならせるために一緒になり、攻撃のあった場所に祝福を差し延べます。

 Nor will we let this function be forgot as every hour of the day slips by, remembering our purpose with this thought:
 今日、1時間が過ぎるごとに、私たちがこの役目を忘れてしまわないように、次の考えで自分たちの目的を思い出しましょう。


When I am healed I am not healed alone.
私が癒されるとき、私ひとりだけが癒されるわけではない。

And I would bless my brothers, for I would be healed with them, as they are healed with me.
だから、私は自分の兄弟を祝福する。というのも、私は、彼らが自分と一緒に癒されるようにして、彼らと共に癒されたいからだ。



名称未設定



それでは、ブリトニーさんのレッスンです。




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3 Comments

Kino says..."07"
前々回、前回と私にとっては何となく身につまされるレッスンでしたが、今回のkenさんの短評にて解釈が拡がり、またアクセスしやすくしてくれました。ぼんやりですが、教え同士の繋がりが解るようになってきたように思います。癒され、癒やす存在になりたいものです。
2013.11.13 14:20 | URL | #- [edit]
ken says..."Re: 07"
> 前々回、前回と私にとっては何となく身につまされるレッスンでしたが、今回のkenさんの短評にて解釈が拡がり、またアクセスしやすくしてくれました。ぼんやりですが、教え同士の繋がりが解るようになってきたように思います。癒され、癒やす存在になりたいものです。

ぜひ、そうなりたいですね。

コースは、分量が多いことも手伝って、難解で複雑だというイメージをもたれがちですが、分量が多くなっているのは、以前にホログラムが冗長性の高い記録方式だというお話をしたことがありますが、どこを切り取っても全体が含まれているように、同じ原理を冗長に形を変えて多面的に語っているからです。

そして、真理は単純だと繰り返されるように、シンプルな原理を理解するために、同じ原理を手を変え品を変え表現しているだけなので、覚えこもうという意識ではなくて、伝えようとしている本質をつかもうという意識で望む人には、きわめて丁寧に手取り足取り教えてくれている書物ということになります。

「アルケミスト」で少年サンチャゴは、錬金術の本質はたくさんの難解な書物を読んでようやく見出すことができると考えているイギリス人と反対に、本質はエメラルド・タブレットの表面に記すことができるほどシンプルなものであり、書物や世界からその本質を学ぶことができると考え、そのように学んでいきます。

個々の性質に応じて、実体験から学ぶほうが適切な人、他人の学びをまとめたことを追体験する学び方がよい人等さまざまな学び方というものはあるでしょうが、学びの本質がシンプルだという意識を持つことは大切なことだと思います。

そして、本当の自分が持っていた知識は完全に失われてしまったわけではなく、表面にかさぶたのようにこびりついた偽りの自己概念によって見えなくなっているだけだというのですから、必要なのは、外部から取り込んで記憶するという作業ではなく、知識を覆い隠している幻想のかさぶたがなくなるようにすることのはずです。

たとえば、奇跡講座を読みながら、受験勉強で暗記していたときのような感覚に捉われたら、ご自分の姿勢を問い直してみるとよいかもしれません。

コースの言葉をありがたく拝受するという姿勢は、知覚のかさぶたの上にさらに重ね塗りをするようなものです。

コースの言葉と心の中の聖霊が共鳴して、その都度、心の表面にこびりついたかさぶたが剥がれ落ちていくような感覚を味わうなら、コースの言葉に触れることは喜びでしかなくなると思います。
2013.11.14 14:41 | URL | #- [edit]
Kino says..."07"
kenさん、有難うございます。

>奇跡講座を読みながら、受験勉強で暗記していたときのような感覚

"頭"の使い方って当初この方法で凝り固まってたんですが、ブログを読み始めてこれじゃ掴めないと感じましたし、何より言葉が入ってこなかったんです。他のアクセスの仕方があるんだろうと模索中ですが、まだ頭メインだし、取り間違えることも多いので、kenさんの短評・コメントを参照させて頂きながら少しずつ歩を進められたらと思っています。頭でなく、心に届けと願いつつ。今後ともどうぞよろしくお願いします。
2013.11.14 16:19 | URL | #- [edit]

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