There Is No Spoon

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レッスン139「私は、自分自身のために贖罪を受け入れることにする。」

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レッスン139です。


今日のテーマは「私は、自分自身のために贖罪受け入れることにする。」です。





Lesson 139


I will accept Atonement for myself.
私は、自分自身のために贖罪受け入れることにする。






1. Here is the end of choice.
 ここに選択の終わりがあります。

 For here we come to a decision to accept ourselves as God created us.
 というのも、ここで私たちは、神に創造されたままの自分自身を受け入れる決意をすることになるからです。

 And what is choice except uncertainty of what we are?
 そして、選択とは、自分が何者であるか確信を持てずにいることにほかならないのではないでしょうか。

 There is no doubt that is not rooted here.
 真の自分についての確信の欠如に根源を持たない疑念など存在しません。

 There is no question but reflects this one.
 本当の自分確信が持てないというこのひとつのことを反映しない問いなどありえません。

 There is no conflict that does not entail the single, simple question, "What am I?"
 この「私とは何か」というたったひとつの単純な疑問を伴わないような葛藤は存在しません。




2. Yet who could ask this question except one who has refused to recognize himself?
 しかし、自分自身を認識することを拒絶した者以外のいったい誰が、こんな疑問を呈することができるでしょうか。

 Only refusal to accept yourself could make the question seem to be sincere.
 ただ自分自身を受け入れることを拒絶することによってのみ、この疑問が実のあるもののように見えるようになります。

 The only thing that can be surely known by any living thing is what it is.
 いかなる生き物でも確実に知りうる唯一のことは、自分が何かということだけです。

 From this one point of certainty, it looks on other things as certain as itself.
 この確実なひとつの観点から、生き物は、他の物事を自分自身と同じように確実なものとして見るようになります。





3. Uncertainty about what you must be is self-deception on a scale so vast, its magnitude can hardly be conceived.
 自分が何者であるに違いないか確信が持てずにいることは、あまりに巨大なスケールの自己欺瞞であって、その規模はほとんど想像も及ばないくらいです。

 To be alive and not to know yourself is to believe that you are really dead.
 生きていながら、自分自身がわからないというのは、自分が実際は死んでいると信じるのと同じことです。

 For what is life except to be yourself, and what but you can be alive instead?
 あなた自身であること以外にどんな生命があるというのでしょうか。そして、あなた以外の何があなたの代わりに生きることができるというのでしょうか。

 Who is the doubter?
 誰が疑っているのでしょうか。

 What is it he doubts?
 彼は何を疑っているのでしょうか。

 Whom does he question?
 彼は誰に質問しているのでしょうか。

 Who can answer him?
 誰が彼に答えることができるのでしょうか。





4. He merely states that he is not himself, and therefore, being something else, becomes a questioner of what that something is.
 彼は、単に自分が自分自身ではないと宣言しているだけです。したがって、自分ではない何かになりきっている彼は、その何かとは何なのかを問う者となります。

 Yet he could never be alive at all unless he knew the answer.
 しかし、彼がその答えを知らなかったとしたら、いやしくも彼は生きていることはできていないはずです。

 If he asks as if he does not know, it merely shows he does not want to be the thing he is.
 もし彼がまるでその答えを知らないように尋ねるなら、それは単に、彼が真の自分であることを望んでいないということを示しているにすぎません。

 He has accepted it because he lives; has judged against it and denied its worth, and has decided that he does not know the only certainty by which he lives.
 彼は生きているので、彼はすでにその答えを受け入れているのです。彼は、その答えに逆らった価値判断をして、その答えの価値を否認して、それによって自分が生きている唯一の確実性を知らないことにするという決断をしたのです。




5. Thus he becomes uncertain of his life, for what it is has been denied by him.
 こうして、彼は、自分の生命に確信を持てなくなります。というのも、彼は自分でありのままの自分の生命を否認してしまったからです。

 It is for this denial that you need Atonement.
 この否認のせいで、あなたには贖罪が必要なのです。

 Your denial made no change in what you are.
 あなたの否認は、あなたの本当の姿を何も変えてはいません。

 But you have split your mind into what knows and does not know the truth.
 しかし、あなたは自分の心を、真理を知るものと知らないものとに分割してしまいました。

 You are yourself.
 あなたはあなた自身です。

 There is no doubt of this.
 このことに疑いの余地はありません。

 And yet you doubt it.
 それでも、あなたはそれを疑っています。

 But you do not ask what part of you can really doubt yourself.
 しかし、あなたは、自分の中のどの部分が本当に自分自身を疑うことができるのか尋ねようとしません。

 It cannot really be a part of you that asks this question.
 この質問を尋ねるのものが、本当にあなたの一部であるはずがありません。

 For it asks of one who knows the answer.
 というのは、その部分は、その質問の答えを知っているものに尋ねているからです。

 Were it part of you, then certainty would be impossible.
 問いを発する部分があなたの一部だとすれば、確信を抱くことは不可能となるでしょう。






6. Atonement remedies the strange idea that it is possible to doubt yourself, and be unsure of what you really are.
 贖罪は、自分自身を疑い、自分が本当は何者であるか確信が持てなくなることが可能だというこの奇妙な考えを矯正します。

 This is the depth of madness.
 この考えは深刻な狂気です。

 Yet it is the universal question of the world.
 しかし、これは、この世界での普遍的な問いです。

 What does this mean except the world is mad?
 これは、世界が狂っていること以外の何を意味するというのでしょうか。

 Why share its madness in the sad belief that what is universal here is true?
 どうして、この世界で普遍的なことは真実であるという始末におえない信念を抱いて、世界の狂気を共有してしまうのでしょうか。





7. Nothing the world believes is true.
 この世界で信じられていることで真理であるものなど何ひとつありません。

 It is a place whose purpose is to be a home where those who claim they do not know themselves can come to question what it is they are.
 この世界が目的とするところは、世界が、自分が誰だかわからないと言い張る者たちが訪れて、いったい自分たちは何者なのかと質問できるような収容場所となることなのです。

 And they will come again until the time Atonement is accepted, and they learn it is impossible to doubt yourself, and not to be aware of what you are.
 だから、贖罪が受け入れられ、彼らが自分自身を疑うことが不可能だと学び、自分が本当は何者であるか自覚せずにいられなくなるときまで、彼らは何度でもこの世界を訪れることでしょう。





8. Only acceptance can be asked of you, for what you are is certain.
 あなたに求められているのは、ただ受け入れることだけです。というのも、あなたが何者かということは確実なことだからです。

 It is set forever in the holy Mind of God, and in your own.
 あなたが何者であるかは、神聖な神の心とあなた自身の心の中において、永遠に定まっていることです。

 It is so far beyond all doubt and question that to ask what it must be is all the proof you need to show that you believe the contradiction that you know not what you cannot fail to know.
 あなたが何者であるかは、あらゆる疑いや質問をはるかに超えたものです。だから、そうであるに違いないものを尋ねることは、あなたが自分が知り損ねようのないものを知らずにいるという矛盾を信じていることを全面的に証明することになります。

 Is this a question, or a statement which denies itself in statement?
 これは質問なのでしょうか、それとも、自分の言うことそのものを否定する発言というべきでしょうか。

 Let us not allow our holy minds to occupy themselves with senseless musings such as this.
 私たちの聖なる心をこんな無意味な思考でいっぱいにさせないようにしましょう。





9. We have a mission here.
 私たちには、この世界で果たすべき使命があります。

 We did not come to reinforce the madness that we once believed in.
 私たちは、以前に自分が信じていた狂気を強めるために来たのではありません。

 Let us not forget the goal that we accepted.
 私たちの受け入れた目標を忘れないようにしましょう。

 It is more than just our happiness alone we came to gain.
 自分の幸せだけではなく、それ以上のものを得るために私たちは来たのです。

 What we accept as what we are proclaims what everyone must be, along with us.
 自分の真の姿として私たちが受け入れるものは、私たちだけでなくすべての人たちの真の姿をも明らかに示してくれます。

 Fail not your brothers, or you fail yourself.
 あなたの兄弟を見捨てないでください。さもなければ、自分自身を見捨てることになってしまいます。

 Look lovingly on them, that they may know that they are part of you, and you of them.
 兄弟を込めて見つめてください。そうすれば、彼らは自分があなたの一部であり、あなたが彼らの一部であることを知ることになるでしょう。





10. This does Atonement teach, and demonstrates the Oneness of God's Son is unassailed by his belief he knows not what he is.
 贖罪はこのことを教え、彼が自分が本当は何者であるか知らないと信じていることによって、神の子の一体性が損なわれることはないと実証します。

 Today accept Atonement, not to change reality, but merely to accept the truth about yourself, and go your way rejoicing in the endless Love of God.
 今日、贖罪を受け入れてください。それは現実を変えるためではなく、単に自分自身についての真理を受け入れて、神の果てしないの中で喜びながら、自分の道を進むためです。

 It is but this that we are asked to do.
 私たちが求められているのは、このことだけです。

 It is but this that we will do today.
 私たちが今日行うのは、これだけです。





11. Five minutes in the morning and at night we will devote to dedicate our minds to our assignment for today.
 朝と夜のそれぞれ5分間を自分の心を今日の課題に専念することに捧げてください。

 We start with this review of what our mission is:
 私たちの使命が何かを振り返る次の言葉から始めてください。


I will accept Atonement for myself,
私は、自分自身の贖罪を受け入れる

For I remain as God created me.
というのも、私は神に創造されたままの私だからだ。


 We have not lost the knowledge that God gave to us when He created us like Him.
 私たちは、神が私たちを神と同じものとして創造したときに、私たちに授けてくれた知識を失ってはいません。

 We can remember it for everyone, for in creation are all minds as one.
 私たちは、この知識をみんなのために思い出すことができます。というのも、創造においてはすべての心は一体だからです。

 And in our memory is the recall how dear our brothers are to us in truth, how much a part of us is every mind, how faithful they have really been to us, and how our Father's Love contains them all.
 そして、私たちの記憶の中には、私たちにとって本当は自分の兄弟たちがどれほどしい存在であるか、私たちのうちのひとりがどれほどみんなの心の大切な一部であるのか、兄弟たちが実際にいかに自分たちに誠実だったか、そして、私たちの父がどれほど大きな兄弟みんなを抱擁してくれているかという思い出がよみがえってきます。




12. In thanks for all creation, in the Name of its Creator and His Oneness with all aspects of creation, we repeat our dedication to our cause today each hour, as we lay aside all thoughts that would distract us from our holy aim.
 すべての創造物に感謝し、その創造主の名において、そして、創造主と創造物のすべての側面との一体性のために、私たちは、今日、神聖な目的から私たちの気を逸らすすべての思いを脇に置いて、1時間ごとに、私たちの原因である存在に自分たちを捧げることを繰り返します。

 For several minutes let your mind be cleared of all the foolish cobwebs which the world would weave around the holy Son of God.
 数分をかけて、馬鹿げたこの世界が聖なる神の子の周りにめぐらせた蜘蛛の巣のような妄念をすべて取り除いて、あなたの心を完全に綺麗にしてください。

 And learn the fragile nature of the chains that seem to keep the knowledge of yourself apart from your awareness, as you say:
 そして、次のように言いながら、あなたが自分自身についての知識を自覚できないように保っているように見える鎖が実は脆弱なものでしかないことを学んでください。


I will accept Atonement for myself,
私は、自分のために贖罪を受け入れることにする。

For I remain as God created me.
というのも、私は、神が創造したままの私であり続けているからだ。


名称未設定


それではブリトニーさんのレッスンです。




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