There Is No Spoon

ARTICLE PAGE

T1-4 闇からの脱出

今回は、テキスト第一章から、「からの脱出」という一節をご紹介します。




」という言葉を読むに際しては、自分のことをエゴの仮面をつけて身体と一体化した小さな自己だと信じ込み、したがって、他者があり、この時間と空間のある世界が確固とした現実であって、自分も欠乏しているし、世界も限りある場所なので、敵である他者と競い合い、奪い合わなければならない、罪が実在するというようなコースが否認する無明、迷い、幻想の意味を込めて読まれるとよいと思います。


自分が神と一体である神の子としての大いなる自己であるという真理を否認して、無数に分裂したエゴ・身体こそが自分だと信じ込む自己欺瞞は、真の光を遮るです。

からの脱出は、①には何かを隠すことはできないと認めること、②自分には隠したいものなど何もないと認めることの2つのステップが必要になるといいます。

ひっくり返すと、①隠すことができる、②自分には隠したいものがあるということであり、このように認識しているから私たちは闇に捉われてしまっているということになります。


①が可能であるためには、闇に積極的な実在性と力が必要です。

しかし、罪が愛の欠如であるように、闇は光が欠如した状態であるといいます。つまり、闇とは光の不在に名前をつけたものでしかなく、実体のない無でしかありません。

そうなると、無でしかない闇には、当然、実在する真理を破壊したり、変更したりする力はないし、真理を覆い隠しているように見えるとしても、それも、客観的に実在するものとしての闇が何か悪さをしているということではないということになります。

つまり、実際にはありもしない闇の実在性と力があるようにするには、せいぜい自分を騙して錯覚することくらいしかできないということです。


②については、自分には隠したいものがあると誰でも思うはずです。

ほかの誰かに知られると恥ずかしい思いをするとか、誰かに知られると自分が損をしてしまうことがあると。

隠したいという思いはすべて、自分が欠乏しているという意識から生じています。

隠したいという思いはすべて、自分以外の他者の存在を前提とするものです。

自分しかいなかったら、何かを隠すべきどんな相手があるというのでしょうか。

自分しかいないとすれば、欠乏の意識など生じようがないのではないでしょうか。


さて、本節では、「霊的交流」(communion 「コミュニオン」)という言葉が出てきます。
コミュニオンについては、雲 黒斎さんの図解での説明が大変わかりやすいと思います(もっと あの世に聞いた、この世の仕組み )。




テキスト 第一章 

IV. The Escape from Darkness
四 からの脱出







1. The escape from darkness involves two stages:
 からの脱出には、二つの段階があります。

 First, the recognition that darkness cannot hide.
 第一段階は、には何も隠すことはできないと認めることです。

 This step usually entails fear.
 この段階には、たいてい恐れが伴います。

 Second, the recognition that there is nothing you want to hide even if you could.
 第二段階は、たとえもしあなたに何かを隠すことができるとしても、自分には隠したいと思うものが何もないと認めることです。

 This step brings escape from fear.
 この段階が、恐れからの脱出をもたらします。

 When you have become willing to hide nothing, you will not only be willing to enter into communion but will also understand peace and joy.
 あなたが自ら進んで何も隠さないようになれば、あなたは進んで聖餐と呼ばれる的交わりに加わるようになるだけでなく、平安と喜びのことを理解するようにもなるでしょう。

名称未設定


2. Holiness can never be really hidden in darkness, but you can deceive yourself about it.
 神聖さが本当にの中に隠されてしまうことは決してありえません。しかし、あなたは神聖さの中に隠されてしまうことがありうると自分自身を欺くことはできます。

 This deception makes you fearful because you realize in your heart it is a deception, and you exert enormous efforts to establish its reality.
 この自己欺瞞があなたに恐れを抱かせることになります。なぜなら、あなたは心の中では、それが誤魔化しだと感づいているので、それが誤魔化しではなく現実のことであると確証しようと、途方もない努力を費やす羽目になるからです。

 The miracle sets reality where it belongs.
 奇跡は、現実を本来それが属するところに位置づけます。

 Reality belongs only to spirit, and the miracle acknowledges only truth.
 現実はただにのみ属し、奇跡はただ真理だけを承認します。

 It thus dispels illusions about yourself, and puts you in communion with yourself and God.
 こうして奇跡は、あなた自身についての幻想を追い払い、あなたをあなた自身と神との聖餐の中に置きます。

 The miracle joins in the Atonement by placing the mind in the service of the Holy Spirit.
 心を聖のために働くよう位置づけることによって、奇跡贖罪の中に加わります。

 This establishes the proper function of the mind and corrects its errors, which are merely lacks of love.
 これにより、心の適切な働きが確立され、単なる愛の欠如にすぎない心の誤りが修正されます。

 Your mind can be possessed by illusions, but spirit is eternally free.
 あなたの心は幻想に取り憑かれることはありうるとしても、は永遠に自由なままです。

 If a mind perceives without love, it perceives an empty shell and is unaware of the spirit within.
 もし心が愛なしに知覚すれば、心は空っぽの見せかけを知覚するだけで、その見せかけの内側にあるには気づくことができません。

 But the Atonement restores spirit to its proper place.
 しかし、贖罪をそれにふさわしい場所へと戻します。

 The mind that serves spirit is invulnerable.
 霊に奉仕する心は、決して傷つくことがないのです。





3. Darkness is lack of light as sin is lack of love.
 罪が愛の欠如であるように、とは光の欠如のことです。

 It has no unique properties of its own.
 闇にはそれ自体が持つ独自の特性など何もありません。

 It is an example of the "scarcity" belief, from which only error can proceed.
 闇は「欠乏」を信じることのひとつの実例であり、この信念からはただ誤りしか生じえません。

 Truth is always abundant.
 真理はつねに豊かさで満ち溢れています。

 Those who perceive and acknowledge that they have everything have no needs of any kind.
 自分があらゆるものを持っていると知覚し承認する者たちには、いかなる種類の必要性もありません。

 The purpose of the Atonement is to restore everything to you; or rather, to restore it to your awareness.
 贖罪の目的は、あらゆるものをあなたに戻すことです。より正しく言うなら、あらゆるものをあなたの自覚へと戻すことです。

 You were given everything when you were created, just as everyone was.
 誰もがまさにそうであったように、あなたは創造されたときに、あらゆるものを授かっているのです。


名称未設定


4. The emptiness engendered by fear must be replaced by forgiveness.
 恐れのために引き起こされる空虚さは、必ず赦しによって置き換えられることになります。

 That is what the Bible means by "There is no death," and why I could demonstrate that death does not exist.
 これが聖書の「死はない」との言葉の意味であり、私が死は存在しないと実証できた理由です。

 I came to fulfill the law by reinterpreting it.
 私は、律法を解釈し直すことによって律法を成就するためにやってきました。

 The law itself, if properly understood, offers only protection.
 そうした律法そのものは、もし正しく理解されるなら、ただ保護だけを与えるものだとわかるはずです。

 It is those who have not yet changed their minds who brought the "hell-fire" concept into it.
 律法の中に「地獄の業火」という概念を持ち込んだのは、自分の心をまだ変えていなかった者たちです。

 I assure you that I will witness for anyone who lets me, and to whatever extent he permits it.
 私は、誰であれ私に証言させてくれるなら、その人のために、その人が認めてくれるかぎり、力を尽くして証言することをあなたに請け合います。

 Your witnessing demonstrates your belief, and thus strengthens it.
 あなたが証言することは、あなたの信じることを実証するのであり、それゆえに、証言は信念を強めることになります。

 Those who witness for me are expressing, through their miracles, that they have abandoned the belief in deprivation in favor of the abundance they have learned belongs to them.
 私のために証言する者たちは、自らの奇跡を通して、豊かさが自分に属していると学んだので、豊かさのほうを選んで欠乏の信念を捨て去ったということを実証しているのです。


名称未設定


いつも読んでいただき、ありがとうございます!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ ACIMへ
ポチリよろしく!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ
にほんブログ村


ポチッとお願いします!

2air_rankクリックお願いします
関連記事
脱出隠す神聖さ幻想霊的交流奇跡贖罪自由

Comments 0

Leave a reply