There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T9-5 エゴによる癒し

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今回は、テキスト第九章から、「癒されていない治療者」という一節をご紹介します。






エゴの許しの計画に従う、癒されていない治療者には、真の意味で癒すことができません。

それは、よって立つ基盤が誤っているからです。

エゴの許しの計画には、多様な形態がありますが、ここでは、神学と心理療法があげられます。

神学者は、自分たちの持っているを咎め、の宣告をして神の裁きを受けようとすることで癒しを求めます。

潔く自ら人と認め、を贖うために、滅ぼしのための罰を甘んじて受け入れるなら、犠牲精神と健気さに感じ入った神が許してくれたように感じられて、悪感が小さくなって癒されるようにも思えます。

セラピストは、患者の悪夢を、患者にとっての悪夢の重要性を小さく軽減することで癒そうとします。

昔ながらの自由連想法で、心の中に浮かぶ毒念をどんどん吐き出したりするだけでも、癒しには効果がありそうに感じます。
自分の中の傷ついたインナーチャイルドの話を聞いてあげて訴えを受けとめたり、催眠によって前世の記憶を思い出して、カルマを清算したりすれば、さらに患者にとって根本的な癒し効果が期待できそうにも感じます。


神学者は、私たちは罪深き者であるという前提から、セラピストは、悪夢が実在するという前提から出発します。

両者には、罪や悪夢の実在性を疑う観点がありません。

この発想、観点は、これまで赦しと贖罪で何度も出てきましたが、この世界のゲームが展開されているテーブル上でのルールに従ったうえで、起こった害悪の存在を認めて、それをを解消、軽減しようとするものです。

土台を掘り崩すことなく、罪や悪夢が実在するということは事実として受け入れたうえで、それをどのように取り除こうかという点に焦点が絞られてしまっている発想です。

そして、この発想に立つかぎり、罪や悪夢の実在性そのものには(そして、個別の小さな自己の実在性にも)手をつけないままなのですから、罪悪感の軽減はありえても、解放はありえません(当然、自他の分離感覚は残されたままです)。


テキスト 第九章 

V. The Unhealed Healer
五 癒されていない治療者


1. The ego's plan for forgiveness is far more widely used than God's.
 エゴ許しの計画は、神の赦しの計画よりもはるかに幅広く用いられています。

 This is because it is undertaken by unhealed healers, and is therefore of the ego.
 この理由は、癒されていない治療者が許しの計画に携わっているからであり、したがって、その計画はエゴから来るものだからです。

 Let us consider the unhealed healer more carefully now.
 これから、その癒されていない治療者について、より注意深く考察してみましょう。

 By definition, he is trying to give what he has not received.
 まず定義からして、癒されていない治療者は、自分が受け取ってもいない癒しを与えようとしていることになります。

 If an unhealed healer is a theologian, for example, he may begin with the premise, "I am a miserable sinner, and so are you. "
 たとえばもし、ある癒されていない治療者神学者だとすれば、彼は「私は哀れな人であり、あなたも同じである」という前提から始めることでしょう。

 If he is a psychotherapist, he is more likely to start with the equally incredible belief that attack is real for both himself and the patient, but that it does not matter for either of them.
 もし癒されていない治療者心理セラピストであったとすれば、彼は、攻撃は彼自身と患者の双方にとって現実のものではあるが、攻撃など彼にも患者にとっても問題ではないという神学者の場合と同様に信じがたい信念に基づいて始める可能性が高いでしょう。





2. I have repeatedly said that beliefs of the ego cannot be shared, and this is why they are unreal.
 何度も述べたことですが、エゴの信念は分かち合うことができません。そして、それを共有できないことこそが、エゴの信念が実在しない理由です。

 How, then, can "uncovering" them make them real?
 そうだとすれば、エゴの実在しない信念を「露わに」したところで、どうしてエゴの信じることを現実のものになどできるでしょうか。

 Every healer who searches fantasies for truth must be unhealed, because he does not know where to look for truth, and therefore does not have the answer to the problem of healing.
 誰であれ、空想の中に真理を探そうとする治療者は、癒されていないに違いありません。なぜなら、彼はどこで真理を探すべきかわかっていないし、したがって、癒しの問題に対する答えを持ち合わせてはいないからです。


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3. There is an advantage to bringing nightmares into awareness, but only to teach that they are not real, and that anything they contain is meaningless.
 悪夢を自覚することには、ひとつの利点があります。しかし、それはただ悪夢が現実ではなく、悪夢の内容はどれも無意味であると教えることに役立つという点においてだけです。

 The unhealed healer cannot do this because he does not believe it.
 癒されていない治療者には、悪夢は現実ではなく、悪夢の内容は無意味だと教えることができません。なぜなら、彼は悪夢が架空のもので無意味だとは信じていないからです。

 All unhealed healers follow the ego's plan for forgiveness in one form or another.
 すべての癒されていない治療者たちは、何らかの形で許しのためのエゴの計画に従っています。

 If they are theologians they are likely to condemn themselves, teach condemnation and advocate a fearful solution.
 もし癒されていない治療者が神学者であったなら、彼らはたぶん自分たちを咎めてを宣告することについて教え、恐怖に満ちた解決策を唱道しようとするはずです。

 Projecting condemnation onto God, they make him appear retaliative, and fear his retribution.
 神学者たちは、そのの宣告を神に投影することで、神のことを報復的な存在であるように思えるようにしてしまうので、神からの懲罰を恐れることになります。

 What they have done is merely to identify with the ego, and by perceiving what it does, condemn themselves because of this confusion.
 そのような神学者たちがしたことは、単に自らをエゴに同一化することにすぎません。そして、エゴと自分を混同するがゆえに、エゴがすることを知覚することによって、自分自身を咎めてしまうのです。

 It is understandable that there have been revolts against this concept, but to revolt against it is still to believe in it.
 このような神学者の唱える概念に対してこれまで様々な反抗がなされてきたのも、もっともなことです。しかし、この概念に反抗することは、依然としてその概念を信じているということでもあります。





4. Some newer forms of the ego's plan are as unhelpful as the older ones, because form does not matter and the content has not changed.
 エゴの計画には、より新しい形態のものがいくらかありますが、古いものと同じように役には立ちません。なぜなら、形態など問題ではないし、内容そのものは変わっていないからです。

 In one of the newer forms, for example, a psychotherapist may interpret the ego's symbols in a nightmare, and then use them to prove that the nightmare is real.
 たとえば、新しい形態のひとつでは、セラピストは悪夢の中のエゴの象徴を解釈し、そのあとで、それらの象徴を悪夢が本当にあることを証明するために用いようとします。

 Having made it real, he then attempts to dispel its effects by depreciating the importance of the dreamer.
 セラピストは、悪夢を現実のものにしておいて、そのあとで、悪夢を見ている者の重要性を減少させることによって、その悪夢の結果を払拭しようと試みます。

 This would be a healing approach if the dreamer were also identified as unreal.
 もし、その悪夢を見ている当人もまた実在しないということが明らかにされたとすれば、このやり方も癒しの方法となったことでしょう。

 Yet if the dreamer is equated with the mind, the mind's corrective power through the Holy Spirit is denied.
 しかし、もしその夢を見ている者が心と等しいものと位置づけられるなら、聖霊を通して修正する心の力は否定されてしまいます。

 This is a contradiction even in the ego's terms, and one which it usually notes even in its confusion.
 これは、エゴの観点からしても矛盾することです。そして、いかにエゴであろうと、混同しているときでさえ、この矛盾には普通に気づきます。

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5. If the way to counteract fear is to reduce the importance of the mind, how can this build ego strength?
 もし恐れに対抗する方法が、心の重要性を減少させることだとするなら、そのようなことによってどうしてエゴが力を増すことができるでしょうか。

 Such evident inconsistencies account for why no one has really explained what happens in psychotherapy.
 こんな明白な矛盾が、心理療法の過程において何が起こっているのかについて誰も本当に説明できない理由です。

 Nothing really does.
 実際には何も起こってはいないのです。

 Nothing real has happened to the unhealed healer, and he must learn from his own teaching.
 現実的なことは何ひとつ、その癒されていない治療者には起こってはいません。だから、彼は自分の教えていることから学ばなければなりません。

 His ego will always seek to get something from the situation.
 癒されていない治療者のエゴは、必ず状況から何かを手に入れようとしています。

 The unhealed healer therefore does not know how to give, and consequently cannot share.
 したがって、癒されていない治療者はどのように与えるべきかわかっていないし、結果的に、分かち合うこともできないのです。

 He cannot correct because he is not working correctively.
 癒されていない治療者には、修正することなどできません。なぜなら、彼は修正するように働きかけてはいないからです。

 He believes that it is up to him to teach the patient what is real, although he does not know it himself.
 癒されていない治療者は、自分でも本当のことを知らないのに、患者に何が本当なのか教えるのが自分の責務であると信じているのです。





6. What, then, should happen?
 そうだとすれば、何が起こるべきなのでしょうか。

 When God said, "Let there be light," there was light.
 神が「そこにがあるように」と言ったとき、そこにはがありました。

 Can you find light by analyzing darkness, as the psychotherapist does, or like the theologian, by acknowledging darkness in yourself and looking for a distant light to remove it?
 あなたは、セラピストのように心のを分析することや、あるいは、神学者のように自分自身の中にを認めたうえで、そのを取り除いてくれるようにはるか遠くのを探すことによってを見出すことができるというのでしょうか。

 Healing is not mysterious.
 癒しは不思議なことではありません。

 Nothing will change unless it is understood, since light is understanding.
 理解されないかぎり、何も変わることはないでしょう。というのは、とは理解のことだからです。

 A "miserable sinner" cannot be healed without magic, nor can an "unimportant mind" esteem itself without magic.
 「哀れな人」は魔術なくして癒されることはできないし、「重要ではない心」も魔術なくしては自らを尊重することもできません。


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7. Both forms of the ego's approach, then, must arrive at an impasse; the characteristic "impossible situation" to which the ego always leads.
 ゆえに、エゴの癒しへのアプローチでは、神学者、セラピストのどちらの形であっても、きっと袋小路に行き着くはずです。それは、エゴが必ずそこに導く典型的な「ありえない事態」です。

 It may help someone to point out where he is heading, but the point is lost unless he is also helped to change his direction.
 エゴのアプローチは、誰かに、彼がどこに向かっているのか指摘する助けにはなるかもしれません。しかし、彼が方向を変えるための手助けまでしてあげられないかぎりは、その指摘も意味を失ってしまいます。

 The unhealed healer cannot do this for him, since he cannot do it for himself.
 癒されていない治療者は、その人のために方向を変える手助けをすることができません。なぜなら、治療者自身、自分のために方向を変えることができていないからです。

 The only meaningful contribution the healer can make is to present an example of one whose direction has been changed for him, and who no longer believes in nightmares of any kind.
 治療者にできる唯一の意味のある貢献は、自分の方向を変えて、もはやいかなる種類の悪夢も信じなくなった者としての実例を示すことだけです。

 The light in his mind will therefore answer the questioner, who must decide with God that there is light because he sees it.
 そうすることで、その治療者の内なるが疑問を抱く者に答えるようになります。疑問を抱く者は、自分に光が見えるので、そこに光があると神と共に判断するに違いありません。

 And by his acknowledgment the healer knows it is there.
 そして、疑問を抱く者が承認することによって、治療者はそこに光があるということがわかるようになります。

 That is how perception ultimately is translated into knowledge.
 そのようにして、知覚は究極的に知識へと変換されます。

 The miracle worker begins by perceiving light, and translates his perception into sureness by continually extending it and accepting its acknowledgment.
 奇跡を行う者は、光を知覚することから始め、その光を絶え間なく拡張し、光の承認を受け入れていくことで、自分の知覚を確信へと変換します。

 Its effects assure him it is there.
 光のもたらす結果が、奇跡を行う者に、光がそこにあることを確信させてくれます。


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8. A therapist does not heal; he lets healing be.
 セラピストは、癒しをなすのではありません。彼は、癒しがあるようにさせるのです。

 He can point to darkness but he cannot bring light of himself, for light is not of him.
 セラピストは、心のを指摘はできても、自分自身から光をもたらすことはできません。なぜなら、光は彼に属するものではないからです。

 Yet, being for him, it must also be for his patient.
 けれども、光はそのセラピストのためにあるのだから、光はまた患者のためにもあるに違いありません。

 The Holy Spirit is the only Therapist.
 聖霊こそが唯一の大いなる治療者です。

 He makes healing clear in any situation in which he is the Guide.
 聖霊は、自ら導き役を務めるいかなる事態においても、癒しを明確化させてくれます。

 You can only let him fulfill his function.
 あなたにできるのは、ただ聖霊に自らの役目を果たしてもらうことだけです。

 He needs no help for this.
 聖霊が自らの役目を果たすために、聖霊は何の助けも必要としません。

 He will tell you exactly what to do to help anyone he sends to you for help, and will speak to him through you if you do not interfere.
 聖霊があなたに助けるようにと送ってよこす誰かを助けるために何をすればいいのか、聖霊はあなたに正確に告げてくれます。そして、あなたが邪魔をしなければ、聖霊はあなたを通して彼に語りかけてくれます。

 Remember that you choose the guide for helping, and the wrong choice will not help.
 あなたは、手助けするためのガイドを選ぶのであって、誤った選択は何の助けにもならないことを覚えておきなさい。

 But remember also that the right one will.
 しかし、正しい選択はきっと助けとなることもまた、覚えておきなさい。

 Trust him, for help is his function, and he is of God.
 聖霊を信頼してください。というのも、助けることが聖霊の役割なのだし、聖霊は神に属しているからです。

 As you awaken other minds to the Holy Spirit through him, and not yourself, you will understand that you are not obeying the laws of this world.
 あなたが、自分自身ではなく、聖霊を通して、他の心を聖霊に目覚めさせるにつれて、あなたは自分がこの世界の法則に従っているのではないということを理解するようになるでしょう。

 But the laws you are obeying work.
 しかし、あなたが従っているその法則は役に立つものです。

 "The good is what works" is a sound though insufficient statement.
 「良いものとは、役に立つもののことだ」という言い方は正しいものですが、十分ではありません。

 Only the good can work.
 ただ良いものだけが役に立つことができるのです。

 Nothing else works at all.
 良いもの以外のものはまったく役に立ちません。





9. This course offers a very direct and a very simple learning situation, and provides the Guide Who tells you what to do.
 このコースはとても直接的で、非常にシンプルな学習環境を提供し、あなたに何をすべきか教えてくれる偉大なガイドも用意しています。

 If you do it, you will see that it works.
 もしあなたがこの聖霊が教えるようにやってみれば、それが役に立つことがわかるでしょう。

 Its results are more convincing than its words.
 聖霊があなたにするようにと導く言葉よりも、聖霊の導きに従った成果にはよりいっそう説得力があるものです。

 They will convince you that the words are true.
 聖霊があなたにするようにと導くことの成果が、聖霊の言葉が真実であることを確信させてくれるでしょう。

 By following the right Guide, you will learn the simplest of all lessons:
 正しいガイドに従うことによって、あなたはすべてのレッスンの中でも最も簡単なレッスンを学ぶことになります。


By their fruits ye shall know them, and they shall know themselves.
それは、彼らの果実によって、汝は彼らを知るであろう。そして、彼らも自分自身を知るであろう、というものです。


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