T9-5 エゴによる癒し


医者は病気を作り、数学は悲しむ者をつくり、神学は罪人を作る。



Martin Luther
マルティン・ルター






VqDCJbPS (1) (1)

今回は、テキスト第九章から、「癒されていない治療者」という一節をご紹介します。


エゴの赦しの計画の中でも特徴的な2類型

エゴの許しの計画に従う癒されていない治療者には、真の意味で癒すことができません。

それは、依って立つ基盤が誤っているからです。

エゴの許しの計画には、多様な形態がありますが、ここでは、それらのなかでも特徴的な神学と心理療法があげられます。

神学者は、自分たちの持っている罪を咎め、罪の宣告をして神の裁きを受けようとすることで癒しを求めます。

潔く自らを罪人と認め、罪を贖うために、甘んじて罪滅ぼしとしての罰を受け入れるなら、さすがに神もその健気(けなげ)な犠牲精神に感じ入って許してくれるように感じて、罪悪感が小さくなって癒されるようにも思えます。

他方、心理セラピストは、患者の悪夢を、患者にとっての悪夢の重要性を小さく軽減することで癒そうとします。

昔ながらの自由連想法で、心の中に浮かぶ毒念をどんどん吐き出したりするだけでも、心の重荷を取り除くことになり、癒しには効果がありそうに感じます。

自分の中の傷ついたインナーチャイルドの話を聞いてあげて訴えを受けとめたり、催眠によって前世の記憶を思い出して、カルマを清算して宿縁を断ち切ることができれば、さらに患者にとってより根本的な癒し効果が期待できそうにも感じます。


神学者は、私たちが罪深き者であるという前提から、心理セラピストは、この世界という悪夢が実在するという前提から出発します。





罪や世界の実在性を当然の前提にする誤り

両者には、罪や世界の実在性を疑う観点がありません。

この発想、観点は、これまで赦しと贖罪で何度も出てきましたが、この世界のゲームが展開されているテーブル上でのルールに従ったうえで、起こった害悪の存在を認めて、それを解消、軽減しようとするものです。

土台を掘り崩すことなく、罪や世界が実在することを事実として受け入れたうえで、それをどのように取り除こうかという点に焦点が絞られてしまっている発想です。

そして、この発想に立つかぎり、罪や世界の実在性そのものには(そして、それらの想念を抱いている個別の小さな自己の実在性にも)手をつけないままなのですから、罪悪感の軽減はありえても、罪悪感からの解放はありえません。

当然、自他の分離感覚は残されたままで、仮に抜け駆け的に自分だけ解脱できたとしても、他者は置いてけぼりということになります。

これに対して、コースは、これらの発想の土台となっている自他分離の幻想自体を除去することに狙いを定めているので、罪や世界を戦う価値のある相手とみなすことをせずに、幻であるという実体通りに無視する赦しによって対処します。



ゆにこーん_1225101759 (2) (1)

テキスト 第九章 

V. The Unhealed Healer
五 癒されていない治療者



1. The ego's plan for forgiveness is far more widely used than God's.
 エゴの許しの計画は、神の赦しの計画よりもはるかに幅広く用いられています。

 This is because it is undertaken by unhealed healers, and is therefore of the ego.
 この理由は、許しの計画に従事するのは癒されていない治療者たちであり、したがって、その計画はエゴから来るものだからです。

 Let us consider the unhealed healer more carefully now.
 ここで、癒されていない治療者について、より注意深く考察してみましょう。

 By definition, he is trying to give what he has not received.
 まず言葉の定義からして、癒されていない治療者は、自分がまだ受け取ってもいない癒しを与えようと試みていることになります。

 If an unhealed healer is a theologian, for example, he may begin with the premise, "I am a miserable sinner, and so are you. "
 たとえばもし、ある癒されていない治療者が神学者だとすれば、彼は「私は哀れな罪人であり、同じようにあなたも罪人である」という前提に立って治療に取りかかるでしょう。

 If he is a psychotherapist, he is more likely to start with the equally incredible belief that attack is real for both himself and the patient, but that it does not matter for either of them.
 もし癒されていない治療者が心理セラピストだとすれば、彼はきっと、彼自身にとっても患者にとっても攻撃は現実のものではあるが、彼にとっても患者にとっても攻撃など問題にならない、という神学者の場合と同様に信じがたい信念を前提に治療を始めるでしょう。



2. I have repeatedly said that beliefs of the ego cannot be shared, and this is why they are unreal.
 何度も述べたことですが、エゴの抱く信念は分かち合うことができません。そして、それを共有できないことこそが、エゴの信念が実在しない理由です。

 How, then, can "uncovering" them make them real?
 そうだとすれば、エゴの実在しない信念を「暴露」したところで、どうしてそれを本物にできるでしょうか。

 Every healer who searches fantasies for truth must be unhealed, because he does not know where to look for truth, and therefore does not have the answer to the problem of healing.
 誰であれ、空想の中に真理を探そうとする治療者は、癒されていないに違いありません。なぜなら、彼はどこで真理を探すべきかわかっておらず、したがって、癒しの問題に対する答えを持ち合わせてはいないからです。

20150316115937f70_transparent (1)

3. There is an advantage to bringing nightmares into awareness, but only to teach that they are not real, and that anything they contain is meaningless.
 悪夢を自覚することには、ひとつの利点があります。しかし、それはただ悪夢は現実ではないので、悪夢がどんな内容であろうが無意味なことに変わりはないと教えるのに役立つかぎりにおいてのみです。

 The unhealed healer cannot do this because he does not believe it.
 癒されていない治療者には、悪夢は現実ではなく、悪夢の内容は無意味だと教えることができません。なぜなら、彼は悪夢が架空のものだとも、悪夢の内容に意味がないとも、信じていないからです。

 All unhealed healers follow the ego's plan for forgiveness in one form or another.
 すべての癒されていない治療者たちは、何らかの形で許しのためのエゴの計画に従っています。

 If they are theologians they are likely to condemn themselves, teach condemnation and advocate a fearful solution.
 もし癒されていない治療者が神学者であったなら、彼らはたぶん自分たちに有罪を宣告して、罪深さの理由を教え、恐怖に満ちた解決策を説教するはずです。

 Projecting condemnation onto God, they make him appear retaliative, and fear his retribution.
 神学者たちは、非難する気持ちを神に投影することで、神のことを報復的な存在であるように思わせてしまうので、神からの懲罰を恐れることになります。

 What they have done is merely to identify with the ego, and by perceiving what it does, condemn themselves because of this confusion.
 神学者たちがしたことは、単に自らをエゴと同一化することでしかありません。そして、彼らは、エゴと自分を混同するがゆえに、エゴがすることを知覚することによって、自分自身を咎めてしまうのです。

 It is understandable that there have been revolts against this concept, but to revolt against it is still to believe in it.
 このような神学者の唱える概念に対してこれまでさまざまな反抗がなされてきたのも、無理もないことです。しかし、この概念に反抗することは、依然としてその概念を信じていることでもあります。



4. Some newer forms of the ego's plan are as unhelpful as the older ones, because form does not matter and the content has not changed.
 エゴの計画には、より新しい形態のものがいくらかありますが、古いものと同じように役には立ちません。なぜなら、形態など重要ではないし、内容そのものは変わっていないからです。

 In one of the newer forms, for example, a psychotherapist may interpret the ego's symbols in a nightmare, and then use them to prove that the nightmare is real.
 たとえば、新しい形態のひとつでは、セラピストは悪夢の中のエゴの象徴を解釈し、そのあとで、それらの象徴を悪夢が現実であることを証明するために用いようとします。

 Having made it real, he then attempts to dispel its effects by depreciating the importance of the dreamer.
 セラピストは、悪夢を現実のものにしておいて、それを前提に、悪夢を見ている者の重要性を減少させることによって、その悪夢の結果を払拭しようと試みます。

 This would be a healing approach if the dreamer were also identified as unreal.
 もしその悪夢を見ている当人も同じように架空の存在だということが明らかにされたなら、このやり方でも癒しに到達できたことでしょう。

 Yet if the dreamer is equated with the mind, the mind's corrective power through the Holy Spirit is denied.
 しかし、その悪夢を見ている者が心と等しいものと位置づけられるなら、聖霊を通して修正する心の力は否定されてしまいます。

 This is a contradiction even in the ego's terms, and one which it usually notes even in its confusion.
 これは、エゴの観点からしても矛盾することです。そして、エゴは、混同しているときでさえ、この矛盾には普通に気づきます。

20150316115937f70_transparent (1)

5. If the way to counteract fear is to reduce the importance of the mind, how can this build ego strength?
 もし恐れに対抗する方法が、心の重要性を減少させることだとするなら、そのようなことによってどうしてエゴが力を増すことができるでしょうか。

 Such evident inconsistencies account for why no one has really explained what happens in psychotherapy.
 こんな明白な矛盾が、心理療法で何が起こるのかを実際に説明することが誰にもできなかった理由です。

 Nothing really does.
 実際には何も起こってはいないのです。

 Nothing real has happened to the unhealed healer, and he must learn from his own teaching.
 現実的なことは何ひとつ、その癒されていない治療者には起こっていません。だから、彼は自分の教えていることから学ばなければなりません。

 His ego will always seek to get something from the situation.
 癒されていない治療者のエゴは、必ずその状況から何かを手に入れようとします。

 The unhealed healer therefore does not know how to give, and consequently cannot share.
 したがって、癒されていない治療者はどのように与えるべきかわかっていないし、結果的に、分かち合うこともできないのです。

 He cannot correct because he is not working correctively.
 癒されていない治療者には、修正することなどできません。なぜなら、彼は修正するように働きかけてはいないからです。

 He believes that it is up to him to teach the patient what is real, although he does not know it himself.
 癒されていない治療者は、自分でも本当のことを知らないのに、患者に何が本当なのか教えることが自分の責務だと信じているのです。



6. What, then, should happen?
 そうだとすれば、何が起こるべきなのでしょうか。

 When God said, "Let there be light," there was light.
 神が「光あれ」と言ったとき、光が存在しました。

 Can you find light by analyzing darkness, as the psychotherapist does, or like the theologian, by acknowledging darkness in yourself and looking for a distant light to remove it?
 あなたは、セラピストのように心の闇を分析することや、あるいは、神学者のように自分自身の中に闇を認めたうえで、その闇を取り除いてくれるようにはるか遠くの光を探し求めることによって光を見つけることはできません。

 Healing is not mysterious.
 癒しは不可解な神秘などではないからです。

 Nothing will change unless it is understood, since light is understanding.
 光を理解しないかぎり、何も変わらないでしょう。なぜなら、光とは理解のことだからです。

 A "miserable sinner" cannot be healed without magic, nor can an "unimportant mind" esteem itself without magic.
 魔術なしには「哀れな罪人」は癒されることができないし、魔術なしには「重要ではない心」は自らを尊重することができません。

20150316115937f70_transparent (1)

7. Both forms of the ego's approach, then, must arrive at an impasse; the characteristic "impossible situation" to which the ego always leads.
 ゆえに、癒しに対するエゴのアプローチの仕方では、神学者、セラピストのどちらの形であっても、必ず袋小路に行き着きます。それは、エゴが必ずそこに導く特徴的な「ありえない事態」です。

 It may help someone to point out where he is heading, but the point is lost unless he is also helped to change his direction.
 エゴのアプローチは、誰にとっても、彼がどこに向かっているのかを指摘する助けにはなるでしょう。しかし、そのような指摘も、彼が進む方向を変える手助けまでしてもらえなければ、意味を失ってしまいます。

 The unhealed healer cannot do this for him, since he cannot do it for himself.
 癒されていない治療者は、患者のために進路を変える手助けをすることができません。なぜなら、治療者自身が、自分のために進路を変えることができていないからです。

 The only meaningful contribution the healer can make is to present an example of one whose direction has been changed for him, and who no longer believes in nightmares of any kind.
 治療者にできる唯一の意味のある貢献は、自分のために自分の進路を変えてもらって、もはやいかなる種類の悪夢も信じなくなった者としての実例を示すことだけです。

 The light in his mind will therefore answer the questioner, who must decide with God that there is light because he sees it.
 そうすることで、その治療者の心の中の光が疑問を抱く者に答えるようになります。疑問を抱く者は、自分に光が見えるので、治療者の心の中に光があると神とともに判断するに違いありません。

 And by his acknowledgment the healer knows it is there.
 そして、疑問を抱く者が承認することによって、治療者は自分の心の中に光があるとわかるようになります。

 That is how perception ultimately is translated into knowledge.
 このようにして、知覚は究極的に知識へと変換されます。

 The miracle worker begins by perceiving light, and translates his perception into sureness by continually extending it and accepting its acknowledgment.
 奇跡を起こす者は、光を知覚することから始め、その光を絶え間なく拡張し、光の承認を受け入れてゆくことで、自分の知覚を確信へと変換します。

 Its effects assure him it is there.
 光のもたらす結果が、奇跡を起こす者に、光がそこにあることを確信させてくれます。

20150316115937f70_transparent (1)

8. A therapist does not heal; he lets healing be.
 セラピストが癒すのではありません。セラピストは、癒しをあらしめるのです。

 He can point to darkness but he cannot bring light of himself, for light is not of him.
 セラピストは、心の闇を指摘することはできても、自分自身から光をもたらすことはできません。なぜなら、光は彼から来るものではないからです。

 Yet, being for him, it must also be for his patient.
 けれども、光はそのセラピストのためにあるのだから、光はまた彼の患者のためにもあるに違いありません。

 The Holy Spirit is the only Therapist.
 聖霊こそが唯一の大いなる治療者です。

 He makes healing clear in any situation in which he is the Guide.
 聖霊は、自らが導き役を務めるいかなる事態においても、癒しを明確にします。

 You can only let him fulfill his function.
 あなたにできるのは、ただ聖霊に自らの役目を果たしてもらうことだけです。

 He needs no help for this.
 聖霊が自らの役目を果たすために、聖霊は何の助けも必要としません。

 He will tell you exactly what to do to help anyone he sends to you for help, and will speak to him through you if you do not interfere.
 聖霊が助けるようにとあなたの許に送ってよこす誰かを助けるために何をすればよいのか、聖霊はあなたに正確に告げてくれるでしょう。そして、あなたが邪魔しなければ、あなたを通して聖霊が彼に語りかけるでしょう。

 Remember that you choose the guide for helping, and the wrong choice will not help.
 あなたは、手助けするためのガイドを選ぶのであって、誤った選択は何の助けにもならないと覚えておきなさい。

 But remember also that the right one will.
 しかし、正しい選択はきっと助けとなることもまた、覚えておきなさい。

 Trust him, for help is his function, and he is of God.
 聖霊を信頼してください。というのも、助けることが聖霊の役割なのだし、聖霊は神に属しているからです。

 As you awaken other minds to the Holy Spirit through him, and not yourself, you will understand that you are not obeying the laws of this world.
 あなたが、自分自身ではなく聖霊を通して、ほかの心を聖霊に目覚めさせるにつれて、自分はこの世界の法則に従っているわけではないということがあなたにわかってくるでしょう。

 But the laws you are obeying work.
 しかし、あなたが従っている法則は役に立つものです。

 "The good is what works" is a sound though insufficient statement.
 「良いものとは、役に立つもののことだ」という言い方は正しいものですが、十分ではありません。

 Only the good can work.
 ただ良いものだけが役に立つことができるのです。

 Nothing else works at all.
 良いもの以外のものは、まったく役に立ちません。



9. This course offers a very direct and a very simple learning situation, and provides the Guide Who tells you what to do.
 このコースはとても直接的で、非常にシンプルな学習環境を提供し、あなたに何をすべきか教えてくれる偉大なガイドを用意しています。

 If you do it, you will see that it works.
 もしあなたが聖霊が教えるようにやってみれば、それが役に立つことがわかるでしょう。

 Its results are more convincing than its words.
 聖霊があなたにするようにと導く言葉よりも、聖霊の導きに従った成果には、よりいっそう説得力があるものです。

 They will convince you that the words are true.
 聖霊があなたにするようにと導くことの成果が、聖霊の言葉が真実であることを確信させてくれるでしょう。

 By following the right Guide, you will learn the simplest of all lessons:
 正しいガイドに従うことによって、あなたはあらゆるレッスンの中でも最も簡単なレッスンを学ぶことになります。


By their fruits ye shall know them, and they shall know themselves.
それは、彼らの果実によって、汝は彼らを知るであろう。そして、彼らも自分自身を知るであろう、というものです。


20150316115937f70_transparent (1)




関連記事