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M19 正義とは何か

今回は、マニュアルから第19節をご紹介します。

正義についてです。





正義は大切な概念です。

しかし、正義を追求することで不幸になってしまうという罠に多くの人が陥ります。

正義の味方はかっこいいものです。
勧善懲悪の物語は、スカッと爽快感を与えてくれます。

誰もが幼少期から正義の感覚を刷り込まれるので、自分の幸せを犠牲にしてまでも正義を貫くような生き方をしてしまうようになりがちです。

しかし、本来、正義は手段原理であって目的原理ではありません。

というのも、正義というのは、適正なバランスが取れた公平な状態を意味するものであって、複数の利害が対立する場面でしか正義の出番はないからです。

本節では、天国には誤り不公正はないので、天国には正義の居場所はないということが冒頭で述べられます。


正義は天国に至るために誤り修正する道具でしかないのです。



毒蛇に噛まれた際になすべき適切な対処は、憎たらしい毒蛇を追いかけて捕まえてとっちめることではなく、身体に入った毒を一刻も早く除去し抗毒素血清の投与等の治療を受けることです。

毒蛇に噛まれたら、誰もが適切にリアクションするのに、人が相手となると、相手に正義の鉄槌を食らわせて罪を思い知らせてやることが自分の救いになるように感じて、毒蛇を追いかけて捕まえることに相当する行動をとって、それが正しいと信じて疑いません。


人生の出来事の表面で見えているところよりも、より深いところでは、魂同士が合意して加害者と被害者の役割をそれぞれ演じて、学びの機会を与え合っているということもありえます。

私たちも人生を振り返ってみて、自分の味方をしてくれる人や幸運ばかりから学び、自分の敵や不幸からは何も学ばなかったということは誰も思わないはず、むしろ、逆に敵や不幸によってこそ貴重な学びを得てきたと思うはずです。

ドラマや映画では、憎たらしい適役を演じ切った俳優に称賛が送られますが、私たちの人生という劇場でも、私たちはお互いに、エゴとしての自分では気づかないままでも、魂としてお互いの気づきと成長のために、悪役を引き受けて気づきのチャンスを提供し合っているというのが真実なのだと思います。


この点を深掘りしたい方は、コリン・C・ティッピングさんの
や飯田史彦さんの生き甲斐の創造シリーズを読んでみてください。

コリン・C・ティッピングさんの本は、原題がRadical Forgivenessというくらいなので、極めてラディカルな記載もあり、ヒトラーの魂が、ドイツ民族の優越意識とユダヤ民族の被害者意識を変容させるという使命を負っていたとしたら、とか、中国政府がチベット侵攻したのは、ダライラマを世界中に旅させて、素晴らしいメッセージを国境を越えて広めさせるためだったとしたら、というように理不尽極まる暴虐も、実は、災害や戦争、飢饉のような表面上、害悪として受け止められる出来事がある面では多くの魂を癒す作用を発揮する実情があるのと同じように位置付ける常識からするととんでもない観点が示されます。

多くの人にとってこのことは、受け入れがたいことでしょうが、真理である可能性は否定できません。


さて、ヒトラーの例ほど極端になるとみんな揃って悪魔と評することで異論は出ないということになるわけですが、神の正義の真実は私たちにはその片鱗すら窺い知ることはできません。

そして、正義を実現するには、正しい価値判断、裁きが必要ですが、私たちには正しく裁くことはできないので、聖霊に裁きを委ねることしかできません。


つまり、実在しない誤り修正である正義は真理に到達するための大切な道具であるが、それを使って正義を実現するのは私たちの役目ではなく聖霊の役目だということです。

人間として生きているかぎり、どうしても聖霊から正義の剣をぶんどって自分で振るいたくなってしまうものですが、「正しくあるよりも幸せであれ」という言葉を肝に銘じて越権行為を控えるように注意しましょう。
Section 19
What Is Justice?
第19節
正義とは何か



1. Justice is the divine correction for injustice.
 正義とは、不公正に対する神による修正です。

 Injustice is the basis for all the judgments of the world.
 不公正こそが、この世界におけるあらゆる価値判断をなす際にその基盤となるものです。

 Justice corrects the interpretations to which injustice gives rise, and cancels them out.
 正義は、この不公正が生み出す解釈修正して、それらの解釈を取り消します。

 Neither justice nor injustice exists in Heaven, for error is impossible and correction meaningless.
 正義不公正も、天国には存在しません。というのも、天国では誤ることは不可能なので、誤り修正することには意味がないからです。

 In this world, however, forgiveness depends on justice, since all attack can only be unjust.
 しかしながら、この世界では、どんな攻撃も不公正なものにしかなりえないので、赦しは正義に依拠することになります。

 Justice is the Holy Spirit's verdict upon the world.
 正義は、聖霊による世界に対する裁きです。

 Except in His judgment justice is impossible, for no one in the world is capable of making only just interpretations and laying all injustices aside.
 聖霊の裁きによらなければ、正義は不可能です。というのは、この世界の中にいながら、正しい解釈だけをなしてすべての不公正を退けられる者はいないからです。

 If God's Son were fairly judged, there would be no need for salvation.
 もし神の子が公正に価値判断されていたなら、救済などまったく必要なかったでしょう。

 The thought of separation would have been forever inconceivable.
 分離という考えなど、永遠に想像すらできなかったでしょう。



2. Justice, like its opposite, is an interpretation.
 正義は、その対極と同じように、ひとつの解釈です。

 It is, however, the one interpretation that leads to truth.
 しかしながら、正義は、真理へと導くたったひとつの解釈です。

 This becomes possible because, while it is not true in itself, justice includes nothing that opposes truth.
 正義が真理に導くことが可能になるのは、正義それ自体が真実であるわけではないものの、正義は真理に抵抗するものを一切含まないからです。

 There is no inherent conflict between justice and truth; one is but the first small step in the direction of the other.
 正義と真理の間には元来、何の矛盾もありません。正義は真理の方角に向けて踏み出す最初の小さな一歩でしかありません。

 The path becomes quite different as one goes along.
 旅人が真理に向かう道を進むにつれて、行路はとても変わってきます。

 Nor could all the magnificence, the grandeur of the scene and the enormous opening vistas that rise to meet one as the journey continues, be foretold from the outset.
 また、旅路が続くにつれて、旅人が出会うことになる荘厳かつ雄大な情景や途方もない大きさで開けてくる展望のすべてを、旅立ちの際からあらかじめ知ることなどできません。

 Yet even these, whose splendor reaches indescribable heights as one proceeds, fall short indeed of all that wait when the pathway ceases and time ends with it.
 しかもなお、旅人が進むにつれて、このような展望の壮麗さが言葉で言い尽くすことのできない高みに達するとしても、それらの展望でさえ、その道が消えて、時間が道とともに終わるときに待ち受けているすべてのことには、とうてい及びもつきません。

 But somewhere one must start.
 それでも、人はどこかで旅を始めなければなりません。

 Justice is the beginning.
 正義は、その始まりなのです。



3. All concepts of your brothers and yourself; all fears of future states and all concerns about the past, stem from injustice.
 未来の状況についてのあらゆる恐れや過去についてのすべての憂慮といった、あなたの兄弟やあなた自身が抱くあらゆる概念は、不公正から派生してきます。

 Here is the lens which, held before the body's eyes, distorts perception and brings witness of the distorted world back to the mind that made the lens and holds it very dear.
 この不公正は肉眼の前に置かれて知覚を歪めているレンズでであり、このレンズは、そのレンズを作り出し、そのレンズを大切にしている心の許へと、捻じ曲がった世界を証明する証拠を持ち帰ってきます。

 Selectively and arbitrarily is every concept of the world built up in just this
way.
 この世界のあらゆる概念は、まさにこんなふうにして、選り好みして恣意的に作り上げられているのです。

 "Sins" are perceived and justified by careful selectivity in which all thought of wholeness must be lost.
 「あまたの罪」は、入念な選択によって知覚され正当化されたものです。そのように正当なものと知覚させるよう周到に選び抜かれたあまたの罪の中にあっては、完全であるという思いはすべて失われてしまうに違いありません。

 Forgiveness has no place in such a scheme, for not one "sin" but seems forever true.
 こんな計略の中には、赦しが入りこむ隙はありません。なぜなら、すべての「罪」が永遠に真実であるように見てしまうからです。



4. Salvation is God's justice.
 救済は、神の正義です。

 It restores to your awareness the wholeness of the fragments you perceive as broken off and separate.
 救済は、あなたの自覚に、あなたが絶縁して分離したつもりでいるかけらたちがひとつに結ばれた全体像を回復させます。

 And it is this that overcomes the fear of death.
 そして、死の恐怖に打ち勝つのは、この全体性です。

 For separate fragments must decay and die, but wholeness is immortal.
 なぜなら、ばらばらになったかけらは朽ちて死ぬしかないとしても、全体は不死だからです。

 It remains forever and forever like its Creator, being one with Him.
 全体は、その創造主と一体なので、創造主と同じように、永遠にいつまでも存続します。

 God's Judgment is His justice.
 神の裁きとは、神の正義のことです。

 Onto this,--a Judgment wholly lacking in condemnation; an evaluation based entirely on love,--you have projected your injustice, giving God the lens of warped perception through which you look.
 非難というものがまったく欠落し、完全に愛に基づいた評価であるこの神の裁きに対して、あなたは自分の不公正を投影し、自分がそれを通して見ている歪んだ知覚のレンズを神に押しつけようとしてきたのです。

 Now it belongs to Him and not to you.
 いまや、不公正は、あなたではなく、神に属するものとされてしまっています。

 You are afraid of Him, and do not see you hate and fear your Self as enemy.
 あなたは神を恐れており、自分が自らの大いなる自己を敵とみなして憎み、恐れていることがわからなくなっています。



5. Pray for God's justice, and do not confuse His mercy with your own insanity.
 神の正義を求めて祈りなさい。そして、神の慈悲を自分自身の狂気と混同してはなりません。

 Perception can make whatever picture the mind desires to see.
 知覚は、心の見たがるどのような情景でも描き出すことができます。

 Remember this.
 このことを覚えておいてください。

 In this lies either Heaven or hell, as you elect.
 知覚が心の望むどんな情景でも作り出せるがゆえに、あなたは天国と地獄のどちらでも選べるのです。

 God's justice points to Heaven just because it is entirely impartial.
 神の正義は、完全に公平なものなので、天国のほうを指し示します。

 It accepts all evidence that is brought before it, omitting nothing and assessing nothing as separate and apart from all the rest.
 神の正義は、その面前にもたらされるあらゆる証拠を受け入れ、何ものも割愛することなく、また、何ものも残りのものから分離していて隔絶していると評価することはありません。

 From this one standpoint does it judge, and this alone.
 このひとつの立脚点から、そして、ただこの見地からのみ、神の正義は裁きます。

 Here all attack and condemnation becomes meaningless and indefensible.
 この神の正義の完全な公平さにおいて、すべての攻撃と非難は意味を失い、そして、弁護しようのないものになります。

 Perception rests, the mind is still, and light returns again.
 知覚は休止し、心は静まります。そうすると、光が再び戻ってきます。

 Vision is now restored.
 ヴィジョンがいまや回復されました。

 What had been lost has now been found.
 失われていたものが、今こそ、見出されたのです。

 The peace of God descends on all the world, and we can see.
 神の平安が全世界の上に舞い降りてくるのが、私たちにも見ることができます。

 And we can see!
 私たちには見えるのです。


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