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T11-7 現実の条件

テキストから、「現実の条件」という一節をご紹介します。



私たちは、現実、神の王国である天国は、自分のいる世界とは遠くかけ離れた「場所」であるようにイメージします。

少なくとも、この世界は幻想だというのだから、この世界にいるかぎりは垣間見ることすらできない異世界で、自分が人間として生きているうちは到底到達することのできないものと信じています。

少なくとも、今生で人間として生きているうちは無理だと信じているわけです。

逆に言えば、死によって霊魂に戻ったあとであればまだ見込みはあるという暗黙の期待が透けて見えます。

しかし、そんな期待は幻想です。

「1. When your body and your ego and your dreams are gone, you will know that you will last forever.
 あなたの身体やエゴや夢が消え去ったときにこそ、あなたは自分が永遠に存続することを知るでしょう。

 Perhaps you think this is accomplished through death, but nothing is accomplished through death, because death is nothing.
 もしかするとあなたは、こうしたことは死を通して成し遂げられるものだと思っているかもしれません。しかし、死を通して成就されるものなど何もありません。なぜなら、死とは無だからです。

 Everything is accomplished through life, and life is of the mind and in the mind.
 あらゆることは生命を通して成し遂げられます。そして、生命は心に属し、そして、心の中にあるものです。」(T6-5A 得ること=与えること

私たちは身体としての人生を終えたあと、たぶん肉体の死後も魂が存続することを思い出し、生命というものは肉体の生滅とは関係なく存続するもので、肉体の死が真の終わりではないということに気づきはするでしょう。

けれど、身体による制限が解除されるだけで、魂としての分離の錯覚を維持したままで、これまで通り輪廻転生を繰り返すループに戻ってゆくだけで、永遠の生命の自覚も、天国に目覚めることもないでしょう。

コースでは、世界は幻想といいます。世界というとどうしても、今生きている物理世界、この世とあの世を区別するならこの世だけを指すものと考えがちですが、この世とあの世は表裏一体で、あの世は天国なわけではなく、依然として分離を信じたままの魂がこの世に出るまで待機する舞台裏のような位置づけなわけなので、私は、あの世も含めての「世界」という捉え方をしています(コースの訳文は別としてエッセイ部分は管理人の独断と偏見に満ちた一見解でしかないので、つねに、こういう観点もあるのか、という程度のものとして、眉に唾を付けながら読んでいただきたいところです)。

さて、魂が身体をまとおうがむき出しであろうが、分離の信念に囚われている状態から脱する難易度に大差はないというのが実際のところでしょう。

たしかに、正しく思考することに熟練した思考の上級者レベルの魂であれば、身体の束縛から解放された状態を活用して長足の進歩を遂げることはあるかもしれません。

けれど、私たち凡夫はそうはいきません。

思考の実現まで時間と空間のバッファーが設けられているこの世界という幼稚園であればこそ、まだ未熟な思考や激情に駆られた思考を抱いても、そのつど修正して少しずつ正しい思考を身に着けていけますが、霊界のような時空や身体の制約のない究極の「引き寄せ」状態に置かれた未熟な魂は、どうしても自分本位になり、自分と同じような思考をする魂同士で集まり、この世以上の地獄を作り出し、そこから容易に抜け出せなくなることが想像に難くありません。

このテーマについては、レッスン133「私は、無価値なものに価値を置かないことにする」のエッセイでも述べていますので、ご覧ください。

この意味で、むしろこの世界に人間として生きている私たちのほうが、現実に帰るチャンスに恵まれているとすら言えるかもしれません。

そして、真の世界という踏み台に到達してからの帰還になるわけですが、世界は現実とは別次元だから到底たどり着くなんて夢のまた夢だという決めつけは必要ないどころか有害です。

というのも、神とともに神の子が天国にいるのが本当の状態であって、地球上に生きる数十億の人間になりきっている状態が神の子が眠り込んで見ている夢の状態だというのですから、本当はどっちがあり得ない状態かといえば、私たちが自分が本当にいると思っている状態なわけだからです。

物語世界の主人公が自分は間違いなく実在すると言い張っているさまを描く小説のくだりがあったとしたら、私たちは笑うでしょう。

「ソフィーの世界」の最後で、ソフィーとアルベルトが本の世界から脱出しようとするようなことです。

私たちが、今自分だと思っている人間として悟りを開いて解脱を遂げて神の子に帰ろうというのは、これと同じような滑稽なことです。

物語の主人公たちは、物語世界で活躍したり興味深い体験をすることで、読者の注意を引き付けて、物語世界に光が射して時間と空間が展開して生きることができます。

月並みで面白くない展開だと、読者がおらず絶版になった小説や視聴者のほとんどいないYouTubeチャンネルのような過疎化して寂しい状態となり、その物語世界も主人公たち登場人物たちも日の目を見ることはなくなります。

私たちも実は、この世界に生きる人間というさまざまな属性を持つ架空のキャラクターで、表裏一体のあの世にいる無数の魂たちが、「マルコビッチの穴」を覗いたり、YouTubeを視聴するように、私たちの人生を私たちと一緒に追体験しているとしたらどうでしょうか。

私たちの人生がこんなに波乱万丈で起伏に富んだ興味深いもので、そんな人間が同時代だけで数十億人もいて、歴史をたどるなら、それこそ無数のコンテンツで溢れかえっているとしたら、神の子が飽きることなく、この世界という無限のコンテンツを誇るVRサービスに耽溺し続けるのも無理もないことです。

異色のホラー映画「CABIN」(Cabin in the Wood)では、クトゥルフ神話の「旧支配者」(Great Old Ones)の封印が解かれないよう世界を保護するための謎の機関が、ホラー映画で定番の展開がお気に入りの古の神に娯楽を与えて封印を維持してきたというトンデモなテーマが背景で、最後のオチとして描かれます。



不謹慎で不敬な表現になるかもしれませんが、私たちの本質である神の子は、この古の神のように、お約束の人生劇場を無限に鑑賞することに没頭するよう中毒にさせられ、まるでポルノ中毒になってひたすら視聴し続ける廃人のように封印されているのかもしれません。

神の子を楽しませるための物語の登場人物である私たちには、これまで通り、まるで自分が本物であるかのように、面白おかしく悲しく切ない悲喜こもごもの人生ドラマを目いっぱい情感豊かに演じあげて、神の子を虜にすることもできます。

けれど、私たちには、「はてしない物語」のアトレーユのように、物語世界に迷い込んだ主人公バスチアンの友として、バスチアンを物語世界から、彼が本を読んでいる本当の世界に帰るための手助けをしてあげることもできます。

コースは、私たちの本質が神の子だと語りつつも、私たちに対して、神の子を他者のように示して語ることをします。

このような場面では、イェシュアは、架空の存在である私たちに対して、本当の自分である神の子を救ってあげてほしいと呼びかけているのです。

いずれにせよ、神の子が読んでくれ、視聴してくれてはじめて「生き」はじめる本当は無である幻の存在である私たちです。

私たちが自分が本物で実在すると信じることは、影であるエゴに主導権を与えることになります。

私たちが自分は架空のキャラクターであると認めることは、キャラクターに正しく光を当てて、読み手の偽りの感情移入と自己同一化を解消して、アトレーユのように、物語世界から本当の世界に帰る手引きをすることになります。

ぜひ神の子の友となって、彼が無事に天国に帰還できるよう手助けをしたいものです。






テキスト 第十一章 

VII. The Condition of Reality
七 現実の条件



1. The world as you perceive it cannot have been created by the Father, for the world is not as you see it.
 あなたが知覚している通りの世界が、父なる神によって創造された世界であるはずがありません。というのも、世界はあなたに見えている通りのものではないからです。

 God created only the eternal, and everything you see is perishable.
 神は永遠なるものだけを創造したのに、あなたに見えているものはひとつ残らず朽ち果ててしまうものです。

 Therefore, there must be another world that you do not see.
 そうだとすれば、あなたには見えていない別の世界が存在するに違いありません。

 The Bible speaks of a new Heaven and a new earth, yet this cannot be literally true, for the eternal are not re-created.
 聖書は、新しい天と新しい地について述べています。しかし、これは文字どおりの意味では真実ではありえません。なぜなら、永遠なるものが再び創造されるはずがないからです。

 To perceive anew is merely to perceive again, implying that before, or in the interval between, you were not perceiving at all.
 新たに知覚するというのは、単に再び知覚し直すことでしかありません。それが意味するのは、再び知覚する以前、または、再び知覚するまでの間、あなたがまったく知覚していなかったということです。

 What, then, is the world that awaits your perception when you see it?
 そうだとすれば、あなたに知覚されて、あなたがそれを見るようになるときを待ち受けている世界とは、いったいどんな世界なのでしょうか。



2. Every loving thought that the Son of God ever had is eternal.
 これまで神の子が抱いた愛に満ちた思いは、ひとつ残らず永遠なるものです。

 The loving thoughts his mind perceives in this world are the world's only reality.
 この世界で唯一本物といえるのは、この世界の中で神の子の心が知覚する愛に満ちた思いだけです。

 They are still perceptions, because he still believes that he is separate.
 とはいえ、そうした思いは依然として知覚するものです。なぜなら、神の子はいまだに自分が分離していると信じているからです。

 Yet they are eternal because they are loving.
 それでも、それらの思いは愛に満ちているので、永遠なるものです。

 And being loving they are like the Father, and therefore cannot die.
 そして、愛に満ちているので、それらの思いは大いなる父と同じものであり、したがって、死ぬことはありえません。

 The real world can actually be perceived.
 真の世界は、実際に知覚されうるものです。

 All that is necessary is a willingness to perceive nothing else.
 真の世界を知覚するために必要なのは、ただそれ以外には何も知覚しないでいようという意欲だけです。

 For if you perceive both good and evil, you are accepting both the false and the true and making no distinction between them.
 というのは、もしあなたがと悪の両方とも知覚するなら、あなたは虚偽と真実の相違を区別しないまま両方を受け入れているわけだからです。

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3. The ego may see some good, but never only good.
 エゴも多少はを見ることがあるかもしれません。しかし、エゴだけを見ることは絶対にありません。

 That is why its perceptions are so variable.
 だからこそ、エゴの知覚はこんなにも不安定なのです。

 It does not reject goodness entirely, for that you could not accept.
 エゴは、を完全には拒絶しません。なぜなら、そんなことはあなたには受け入れられないからです。

 But it always adds something that is not real to the real, thus confusing illusion and reality.
 しかし、エゴはいつも本当のことに本当でない何かを付け加え、そうすることで、幻想と現実を混同させてしまいます。

 For perceptions cannot be partly true.
 というのは、知覚が部分的にだけ真実になることはありえないからです。

 If you believe in truth and illusion, you cannot tell which is true.
 もしあなたが真理と幻想の両方を信じるなら、あなたは真理と幻想のどちらが真実なのか区別できなくなります。

 To establish your personal autonomy you tried to create unlike your Father, believing that what you made is capable of being unlike him.
 あなたは自分の作り出すものであれば、大いなる父とは違うものにできると信じて、あなたは自分の個人的な自律を確立するために、父なる神とは違うように創造しようとしてきました。

 Yet everything true is like him.
 しかし、真実であるものはすべて、神と同じものです。

 Perceiving only the real world will lead you to the real Heaven, because it will make you capable of understanding it.
 真の世界だけを知覚することが、あなたを本当の天国へと導いてくれるでしょう。なぜなら、真の世界だけを知覚することで、あなたは天国を理解できるようになるからです。



4. The perception of goodness is not knowledge, but the denial of the opposite of goodness enables you to recognize a condition in which opposites do not exist.
 を知覚することが知識であるわけではありません。しかし、の対極にあるものを否認することで、あなたは対立が存在しない状態を認識できるようになります。

 And this is the condition of knowledge.
 そこで、この対立が存在しない状態が、知識を得るための条件となります。

 Without this awareness you have not met its conditions, and until you do you will not know it is yours already.
 対立が存在しない状態についての自覚がないなら、あなたは知識を得るための条件を満たしていないし、あなたがその条件を満たすまでは、あなたは知識がすでに自分のものであることがわからないでしょう。

 You have made many ideas that you have placed between yourself and your Creator, and these beliefs are the world as you perceive it.
 あなたは、数多くの想念を作り出しては、あなた自身とあなたの大いなる創造主との間にそれらの想念を置いてきました。そして、これらの信念が、あなたが知覚しているこの世界なのです。

 Truth is not absent here, but it is obscure.
 この世界に真理が存在しないわけではありません。ただし、この世界では、真理は覆い隠されて不明瞭になっています。

 You do not know the difference between what you have made and what you have created.
 あなたは、自分の作ったものと自分の創造したものとの違いがわかっていません。

 To believe that you can perceive the real world is to believe that you can know yourself.
 自分には真の世界を知覚することができると信じることは、自分には自分自身を知ることができると信じることです。

 You can know God because it is his will to be known.
 あなたは神を知ることができます。なぜなら、知ってもらうことこそ神の意志だからです。

 The real world is all that the Holy Spirit has saved for you out of what you have made, and to perceive only this is salvation, because it is the recognition that reality is only what is true.
 真の世界とは、あなたが自分で作ったものの中から聖霊があなたのために取り置いてくれているものすべてのことです。そして、このように聖霊があなたのために取っておいてくれたものだけを知覚することが救いとなります。なぜなら、それは現実とはただ真実であるものにほかならないと認識することだからです。


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