There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T9-2 祈りとはすでに自分がすべてを持っていることに気づかせてくれるよう聖霊に頼むこと

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長文ばかりだと(特に英文も入れると)全体を読むのもひと苦労で大変かもしれません。




ですので、これからは、エッセイや長文での奇跡のコースのご紹介だけでなく、祈りとして使えるようなアフォリズムとなっている短文も、ご紹介していきたいと思います。


奇跡のコースは、テキスト、ワークブック、マニュアル全体を通して、宝の山と表現できます。

あらゆる人のあらゆる悩みや問いかけに対する答えをきっとコースの中に見出すことができます。

ですが、一連の文章の形になっているかぎり、ある人にとって、人生を変えるかもしれない一文が他の文章の中に埋もれてしまうこともあり得ます。

本当の意味で宝の山であって、コース全体は、ダイヤモンドやルビーやサファイヤなど多種多様な輝きを放つ宝石を敷き詰めて、巨大な地上絵が描かれているようなものです。

全体の素晴らしさはもちろんのこと、巨大な絵を構成している一点に過ぎない一文も、一個のダイヤモンドと同じように、他の宝石に埋もれた状態から切り離して闇の中に掲げると、元の居場所におかれていたかぎりは気づかなかった素晴らしい輝きを放ちはじめることがわかります。


カテゴリーでひとくくりにして、まとめて読めるようにすれば、みなさんも、自分に役立ちそうな祈りの言葉だけをピックアップして、活用できると思います。


さて、「祈り」とは何でしょうか。わかっているようで、中味もやり方もよくわからないのが祈りです。

祈りというのは、奇跡を媒介するための私たちが神とコミュニケーションを取る手段であり、心のプログラムです。

願いという入力をその成就という結果に変換するのがこのプログラムです。

奇跡のコースは、私たちは、知識の代わりに知覚を選んだことで、自分自身が神の奇跡であるという知識を失ってしまい、奇跡的に知覚することによってしか、自分の真の姿を思い出すことができなくなってしまっており、それゆえに、知覚が続くかぎり、祈りには役立つ余地があると言います。

知覚は、自分が分離状態にあり、何か欠乏していると思い込んでいる状態において生じる作用です。

ですから、知覚が続くかぎりは、その人は、贖罪を完了していないし、自分を完全に明け渡してもいないということになります。

通常の祈りとは、何か得ることができるようにと願うことですが、奇跡のコースは、いったん赦しを受け入れられたならば、通常の意味での祈りは無意味なものとなると言います。

そして、唯一の有意義な祈りは、赦しを得るための祈りであり、それは、ただ私たちがすでに持っているものを認識できるようにと依頼することでしかないということです。

ですので、願望実現プログラムとしての祈りは、学びの初めは自分の欲する願いを成就するためのプログラムとして働くかもしれませんが、究極的には何かを求める願いではなく、すでに自分が持っていることに気づかせてくれるよう願う祈りとなることでしょう。

奇跡のコースを構成する文章のすべてが、この祈りということもできると思います。


今回は、テキスト第九章 二 祈りに対する答えを丸々、そしてほかの祈りについての関連箇所の抜粋です。かなり長いですが、通して読んだほうがわかりやすいので、第九章はすべてご紹介します。






11. Prayer is the medium of miracles.
 祈りは、奇跡を媒介します。

 It is a means of communication of the created with the Creator.
 祈りは、創造されたものと創造主とがコミュニケーションを取るための手段といえます。

 Through prayer love is received, and through miracles love is expressed.
 愛は祈りを通じて受け取られ、そして、愛は奇跡を通じて表現されます。(テキスト 第一章 一)

6. Prayer is a way of asking for something.
 祈りとは何かを求めるための方法です。

 It is the medium of miracles.
 祈りは、奇跡を媒介するものです。

 But the only meaningful prayer is for forgiveness, because those who have been forgiven have everything.
 ただし、唯一の有意義な祈りは、赦しを得るための祈りです。なぜなら、赦された者たちはすでにあらゆるものを持っているからです。

 Once forgiveness has been accepted, prayer in the usual sense becomes utterly meaningless.
 いったん赦しが受け入れられたなら、通常の意味での祈りなどすっかり無意味なものとなります。

 The prayer for forgiveness is nothing more than a request that you may be able to recognise what you already have.
 赦しのための祈りは、ただあなたが既に持っているものを認識できるようにと依頼することでしかありません。

 In electing perception instead of knowledge, you placed yourself in a position where you could resemble your Father only by perceiving miraculously.
 知識の代わりに知覚を選んだことで、あなたは奇跡的に知覚することによってしか、父に似たものになることができない立場に自分を置いてしまいました。

 You have lost the knowledge that you yourself are a miracle of God.
 あなたは、まさにあなた自身が神の奇跡であるという知識を失ってしまったのです。

 Creation is your Source and your only real function.
 創造こそが、あなたの源であり、あなたの唯一の真の役割なのです。

10. As long as perception lasts prayer has a place.
 知覚することが続く間は、祈りには役に立つ余地があります。

 Since perception rests on lack, those who perceive have not totally accepted the Atonement and given themselves over to truth.
 知覚は何かが欠乏しているとみなすことを基礎とします。それゆえ、知覚する者たちはまだ完全に贖罪を受け入れていないし、完全に自分を真理に明け渡してもいないということになります。

 Perception is based on a separated state, so that anyone who perceives at all needs healing.
 知覚は分離状態にいると思うからこそすることです。だから、少しでも知覚する者は誰しも癒しを必要とします。

 Communion, not prayer, is the natural state of those who know.
 祈りではなく、霊的交わりこそが、知る者たちにとっては自然な状態です。

 God and His miracle are inseparable.
 神と神の奇跡であるものとを分かつことはできません。

 How beautiful indeed are the Thoughts of God who live in His Light!
 神の光の内に生きる神の大いなる思いであるものたちは、実になんと美しいものでしょう。

 Your worth is beyond perception because it is beyond doubt.
 あなたの真価は、疑いの余地がないので、知覚を越えています。

 Do not perceive yourself in different lights.
 間違った光の中に自分を知覚したりしないようにしなさい。

 Know yourself in the One Light where the miracle that is you is perfectly clear.
 唯一の光の中にいるあなた自身を知りなさい。その光の中においては、神の奇跡とはあなた自身のことだということが完全に明らかになります。(テキスト 第三章 五 知覚の超越)




1. It is hard to understand what 'The Kingdom of Heaven is within you' really means.
 「天の王国は、あなたの内にある」との言葉が何を意味するかを理解するのは難しいものです。

 This is because it is not understandable to the ego, which interprets it as if something outside is inside, and this does not mean anything.
 その理由は、エゴはこの言葉をまるで外側にある何かが内側にあると言っていると解釈し、それでは意味をなさないので、エゴには理解できないからです。

 The word 'within' is unnecessary.
 「内にある」という言葉は必要ではありません。

 The Kingdom of Heaven is you.
 天の王国とは、まさにあなたのことです。

 What else but you did the Creator create, and what else but you is His Kingdom?
 創造主があなた以外のいったい何を創造したというのでしょうか。そして、あなた以外の何が神の王国だというのでしょうか。

 This is the whole message of the Atonement; a message which in its totality transcends the sum of its parts.
 これこそ贖罪が伝えようとするメッセージの全体像です。贖罪のメッセージの全体は、贖罪のメッセージを構成する一つひとつの部分を全て合わせた総和をも凌駕する力を持つものです。

 You, too, have a Kingdom that your spirit created.
 あなたもまた、あなたの霊が創造した王国を持っています。

 It has not ceased to create because of the ego's illusions.
 あなたの霊がエゴの幻想に惑わされて、創造することをやめたことはありません。

 Your creations are no more fatherless than you are.
 あなたの創造物は、あなたがそうでないように、父親のいないものではありません。

 Your ego and your spirit will never be co-creators, but your spirit and your Creator will always be.
 あなたのエゴとあなたの霊が共同創造者となることなど、絶対にありません。しかし、あなたの霊とあなたの創造主とはいつまでも共同の創造者のままです。

 Be confident that your creations are as safe as you are.
 あなたが創造したものは、あなたと同じように安全なのだと確信してください。

 The Kingdom is perfectly united and perfectly protected, and the ego will not prevail against it.
 王国は完全に統一され、完璧に守られています。ゆえに、エゴが王国に勝るようなことはありません。

 Amen.
 アーメン。

2. This is written in the form of a prayer because it is useful in moments of temptation.
 この言葉は祈りの形式で書いてあります。それは、誘惑に駆られたときに役に立つようにとの理由からです。

 It is a declaration of independence.
 この祈りは独立宣言です。

 You will find it very helpful if you understand it fully.
 もしあなたがこの祈りの言葉を十分に理解すれば、それがとても役に立つものだとわかるでしょう。

 The reason you need my help is because you have denied your own Guide and therefore need guidance.
 あなたが私の助けを要する理由は、あなたが自分の案内役を拒んでしまったために、あなたが導きを必要としているからです。

 My role is to separate the true from the false, so truth can break through the barriers the ego has set up and can shine into your mind.
 私の役割は間違いから真実を選び出すことです。そうすれば、真理は、エゴが設けた障壁など突破できるし、あなたの心の中へと輝きを注ぐことができます。

 Against our united strength the ego cannot prevail.
 私たちが結びついた強さに、エゴが打ち勝つことなどできないのです。(テキスト 第四章 三 葛藤のない愛)






テキスト 第九章 

II. The Answer to Prayer
二 祈りに対する答え


1. Everyone who ever tried to use prayer to ask for something has experienced what appears to be failure.
 これまでに何かを求めて祈りを用いたことのある者であれば誰でも、その願いが聞き入れられなかったように思える経験をしたことがあるはずです。

 This is not only true in connection with specific things that might be harmful, but also in connection with requests that are strictly in line with this course.
 これはただ有害なものになりかねない特定の物事に関してあてはまるだけでなく、このコースに厳密に調和している願い事に関してであってもあてはまります。

 The latter in particular might be incorrectly interpreted as "proof" that the course does not mean what it says.
 特に後者については、このコースが述べていることが実際はその通りの意味ではない「証拠」になると間違って解釈されるかもしれません。

 You must remember, however, that the course states, and repeatedly, that its purpose is the escape from fear.
 しかしながら、このコースが目的とするのは恐れからの脱出であるとコースが繰り返し述べていることを、あなたは思い出さなければなりません。




2. Let us suppose, then, that what you ask of the Holy Spirit is what you really want, but you are still afraid of it.
 それでは、あなたが聖霊に頼むことが、真にあなたの望むことではあっても、あなたはまだその望みが叶うことに恐れを抱いていると仮定してみましょう。

 Should this be the case, your attainment of it would no longer be what you want.
 この場合、あなたが聖霊に頼むことを達成することは、もはや、あなたが望むことではなくなってしまっているというべきでしょう。

 This is why certain specific forms of healing are not achieved, even when the state of healing is.
 これが、たとえ癒しが成就しうる状態が整ったときでさえ、ある特定の形の癒しが達成されないことがある理由です。

 An individual may ask for physical healing because he is fearful of bodily harm.
 ある人は肉体的な害悪のことを恐れているがゆえに、肉体的な癒しを願うかもしれません。

 At the same time, if he were healed physically, the threat to his thought system might be considerably more fearful to him than its physical expression.
 肉体的な害悪を恐れた状態のままで、もし彼が肉体的に癒されたとするなら、彼の思考システムに対する脅威は恐らく肉体的な害悪の発現などよりも、本人にとって相当に恐ろしいものとなってしまうはずです。

  In this case he is not really asking for release from fear, but for the removal of a symptom that he himself selected.
 このケースの場合、彼は恐れからの解放を本当に頼んでいるのではなくて、単に自分自身で選んだある症状を取り除いてほしいと頼んでいるだけです。

 This request is, therefore, not for healing at all.
 したがって、この場合の願いはまったく癒しを求めるものとはいえません。

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3. The Bible emphasizes that all prayer is answered, and this is indeed true.
 聖書は、すべての祈りは答えられると強調します。そして、すべての祈りが答えられるというのは確かに真実です。

 The very fact that the Holy Spirit has been asked for anything will ensure a response.
 聖霊が何かを頼まれたというまさにその事実が、聖霊の応答を確実なものにします。

 Yet it is equally certain that no response given by him will ever be one that would increase fear.
 しかし、同様に確実なことは、聖霊によって与えられる答えはどれひとつ取っても、決して恐れを増すようなものではないということです。

 It is possible that his answer will not be heard.
 聖霊からの答えが聞いてもらえないということはありえます。

 It is impossible, however, that it will be lost.
 しかしながら、聖霊の答えが失われるということはありえません。

 There are many answers you have already received but have not yet heard.
 あなたがすでに受け取っているにもかかわらず、あなたがまだ聞いていない答えが数多くあります。

 I assure you that they are waiting for you.
 そのような聖霊の答えがあなたを待っていると私が請け合っておきます。




4. If you would know your prayers are answered, never doubt a Son of God.
 もしあなたが自分の祈りが叶えられるということを知りたいのなら、決して神の子を疑ってはなりません。

 Do not question him and do not confound him, for your faith in him is your faith in yourself.
 神の子に疑問を投げかけたり、困惑させたりしないようにしなさい。というのは、あなたが神の子を信頼することは、あなたが自分自身を信頼することだからです。

 If you would know God and his Answer, believe in me whose faith in you cannot be shaken.
 もしあなたが神と神の大いなる答えを知りたいなら、あなたへの信頼が揺らぐことのないこの私のことを信じてください。

 Can you ask of the Holy Spirit truly, and doubt your brother?
 心から聖霊に頼んでおきながら、自分の兄弟を疑うことなど、あなたにできるでしょうか。

 Believe his words are true because of the truth that is in him.
 その兄弟の内にある真理のゆえに、その兄弟の語る言葉が真実であることを信じてください。

 You will unite with the truth in him, and his words will be true.
 あなたは、彼の内なる真理と結びつくことになります。そうすれば、その兄弟の言葉は真実となるでしょう。

 As you hear him you will hear me.
 あなたがその兄弟の声に耳を傾けるようになれば、あなたには私の声が聞こえるようになってきます。

 Listening to truth is the only way you can hear it now, and finally know it.
 真理に耳を傾けることは、あなたが今、真理を聞いて、ついに真理を知ることができるようになるための唯一の方法です。


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5. The message your brother gives you is up to you.
 あなたの兄弟があなたにどんなメッセージを与えてくれるか、それはあなた次第です。

 What does he say to you?
 その兄弟はあなたに何と言うでしょうか。

 What would you have him say?
 あなたは彼に何と言わせたいのでしょうか。

 Your decision about him determines the message you receive.
 その兄弟についてのあなたの決断が、あなたの受け取るメッセージを決定することになります。

 Remember that the Holy Spirit is in him, and his voice speaks to you through him.
 聖霊がその兄弟の中にいて、聖霊の大いなる声がその兄弟を通してあなたに語りかけていることを忘れないでください。

 What can so holy a brother tell you except truth?
 それほど神聖な兄弟が、真理以外の何をあなたに語ることができるというのでしょうか。

 But are you listening to it?
 そうだというのに、はたしてあなたは兄弟の中の聖霊の声に耳を傾けているといえるでしょうか。

 Your brother may not know who he is, but there is a light in his mind that does know.
 あなたの兄弟は自分が誰なのかわかっていないかもしれません。しかし、彼の心の中には、本当の自分が誰なのかよく知っている光があります。

 This light can shine into yours, giving truth to his words and making you able to hear them.
 この光はあなたの心の中にまで差し込んで、その兄弟の言葉に真理を与え、あなたがそれらの兄弟の真理の言葉を聞くことができるようにします。

 His words are the Holy Spirit's answer to you.
 その兄弟の言葉こそ、あなたに対する聖霊の答えです。

 Is your faith in him strong enough to let you hear?
 あなたはその兄弟に耳を傾けるに十分なほど強く、彼のことを信頼しているといえるでしょうか。




6. You can no more pray for yourself alone than you can find joy for yourself alone.
 あなたは、自分自身だけのために喜びを見つけられないのと同じように、自分のためにだけ祈るということもできません。

 Prayer is the restatement of inclusion, directed by the Holy Spirit under the laws of God.
 祈りとは、神の法の下に聖霊の導きによって、すべてを包含することを再び宣言することです。

 Salvation is of your brother.
 救いは、あなたの兄弟からやってきます。

 The Holy Spirit extends from your mind to his, and answers you.
 聖霊は、あなたの心からその兄弟の心へと拡張し、そうして、あなたに答えてくれます。

 You cannot hear the Voice for God in yourself alone, because you are not alone.
 あなたは、神に代わって語る大いなる声を自分の中にだけ聞くことはできません。なぜなら、あなたはひとりきりではないからです。

 And his answer is only for what you are.
 そして、聖霊の答えは、ただ本当のあなたのためだけのものです。

 You will not know the trust I have in you unless you extend it.
 あなたは、私があなたに対して抱く信頼がどれほどのものか、あなた自身がその信頼を他に拡張するまで知ることはないでしょう。

 You will not trust the guidance of the Holy Spirit, or believe that it is for you unless you hear it in others.
 あなたが聖霊の導きの声を他の者たちの中に聞くようにならないかぎり、あなたには聖霊の導きが信用できないし、聖霊の導きが自分のためのものだということが信じられないでしょう。

 It must be for your brother because it is for you.
 聖霊の導きはあなたのためのものなのだから、聖霊の導きは、あなたの兄弟たちのためのものでもあるに違いありません。

 Would God have created a Voice for you alone?
 神がその大いなる声をあなたひとりだけのために創造したなどということがあるでしょうか。

 Could you hear his answer except as he answers all of God's Sons?
 あなたに、神がすべての神の子たちに与える答えとして以外に、神の答を聞くことなどできるでしょうか。

 Hear of your brother what you would have me hear of you, for you would not want me to be deceived.
 あなたが私に聞き入れてほしいと思うことを、あなたが自分の兄弟から聞き入れてあげなさい。なぜなら、あなたは私が偽りの望みによって欺かれることを望まないはずだからです。

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7. I love you for the truth in you, as God does.
 神がそうするのと同様に、私はあなたの中にある真理のゆえにあなたを愛します。

 Your deceptions may deceive you, but they cannot deceive me.
 あなたの欺瞞はあなたを騙すことはできるかもしれません。しかし、あなたの欺瞞が私を騙すことはできません。

 Knowing what you are, I cannot doubt you.
 本当のあなたを知っているので、私はあなたを疑うことができません。

 I hear only the Holy Spirit in you, Who speaks to me through you.
 私には、あなたの中にいる聖霊の声だけが聞こえています。聖霊はあなたを通して私に語ってくれます。

 If you would hear me, hear my brothers in whom God's Voice speaks.
 もしあなたが私の言葉を聞きたいのなら、神の大いなる声を語る私の兄弟たちの声に耳を傾けてください。

 The answer to all prayers lies in them.
 すべての祈りに対する答えは、その兄弟たちの中にあります。

 You will be answered as you hear the answer in everyone.
 兄弟たちみんなの中にその答えを聞くようになれば、あなたの祈りは答えられるでしょう。

 Do not listen to anything else or you will not hear truly.
 兄弟たちの中で語る神の声以外には何も耳を傾けないようにしなさい。さもないと、あなたは真に聞くことができないでしょう。




8. Believe in your brothers because I believe in you, and you will learn that my belief in you is justified.
 私があなたのことを信じているのですから、あなたも自分の兄弟たちのことを信じてください。そうすれば、あなたにも、私があなたを信頼するのは正当なことだとわかってくることでしょう。

 Believe in me by believing in them, for the sake of what God gave them.
 神が兄弟たちに与えたもののために、彼らを信じることによって私を信じてください。

 They will answer you if you learn to ask only truth of them.
 あなたが兄弟たちから真理だけを求めることを学んだら、兄弟たちもあなたに答えてくれることでしょう。

 Do not ask for blessings without blessing them, for only in this way can you learn how blessed you are.
 兄弟たちを祝福することなしに、自分だけ祝福されることを求めてはなりません。というのも、兄弟たちを祝福するという方法によってのみ、あなたはいかに自分が祝福されているのか学ぶことができるからです。

 By following this way you are seeking the truth in you.
 このように兄弟たちを祝福する方法に従うことによって、あなたは自分の中にある真理を探求していることになります。

 This is not going beyond yourself but toward yourself.
 こうすることは、あなた自身の及ばないところに向かって進むことではなく、あなた自身に向かって進むことです。

 Hear only God's Answer in his sons, and you are answered.
 神の子らの中に神の大いなる答えだけを聞いてください。そうすれば、あなたの祈りは答えられることになります。

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9. To disbelieve is to side against, or to attack.
 信じないことは、敵対して攻撃することです。

 To believe is to accept, and to side with.
 信じることは、受け入れて味方になることです。

 To believe is not to be credulous, but to accept and appreciate.
 信じることは、物事を軽々しく信じ込んでしまうことではありません。そうではなくて、受け入れて真価を認めることです。

 What you do not believe you do not appreciate, and you cannot be grateful for what you do not value.
 あなたは自分が信じていないものの真価を認めることはありません。そして、あなたは自分が価値があると思わないものに感謝の念を抱くことはできません。

 There is a price you will pay for judgment, because judgment is the setting of a price.
 何かについて価値判断すれば、その代償を支払うことになります。なぜなら、価値判断するということは値打ちを決めることだからです。

 And as you set it you will pay it.
 そして、あなたが値をつけた通りに、あなたは支払うことになります。




10. If paying is equated with getting, you will set the price low but demand a high return.
 もし支払うことを手に入れることと等しいと見なすなら、あなたは値段を低く抑えつつも、高い見返りを要求することでしょう。

 You will have forgotten, however, that your return is in proportion to your judgment of worth.
 しかしながら、あなたが受ける見返りはあなたの価値についての判断に比例するということをあなたは忘れてしまっています。

 If paying is associated with giving it cannot be perceived as loss, and the reciprocal relationship of giving and receiving will be recognized.
 もし支払うことを与えることと結びつけて考えるなら、支払うことを失うことだと知覚するはずがないし、与えることと受け取ることとの互恵的な関係を認めることができるようになります。

 The price will then be set high, because of the value of the return.
 そうすれば、見返りの価値ゆえに、値段は高く設定されるはずです。

 The price for getting is to lose sight of value, making it inevitable that you will not value what you receive.
 手に入れるための値づけは、ものの真価を見失うことであり、あなたは必然的に自分の受け取るものを大切にしなくなります。

 Valuing it little, you will not appreciate it and you will not want it.
 自分の受け取るものにはほとんど価値がないと見て、あなたはその真価を認めず、欲しいとも思わなくなるでしょう。


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11. Never forget, then, that you set the value on what you receive, and price it by what you give.
 ゆえに、あなたは自分が受け取るものの価値を設定していること、そして、あなたは自分が与えるものによって自分の受け取るものに値段をつけていることを決して忘れないでください。

 To believe that it is possible to get much for little is to believe that you can bargain with God.
 わずかな支払いによって多くのものを得ることが可能であると信じるのは、あなたが神と取引することができると信じることです。

 God's laws are always fair and perfectly consistent.
 神の法はつねに公正であり、完璧に首尾一貫しています。

 By giving you receive.
 与えることによって、あなたは受け取ることになります。

 But to receive is to accept, not to get.
 しかし、受け取ることは受け入れることであって、手に入れることではありません。

 It is impossible not to have, but it is possible not to know you have.
 持たないでいることは不可能ですが、自分が持っていると知らずにいることは可能です。

 The recognition of having is the willingness for giving, and only by this willingness can you recognize what you have.
 持っていると認めることは、持っているものを与えたいという意欲となります。そして、この与えたいという意欲によってのみ、あなたは自分が持っているものを認識することができるのです。

 What you give is therefore the value you put on what you have, being the exact measure of the value you put upon it.
 したがって、あなたが与えるものこそ、あなたの持っているものにあなたが付ける価値であり、あなたがそれをどのような値打ちで評価しているかを正確に示す尺度です。

 And this, in turn, is the measure of how much you want it.
 逆に言えば、これはあなたがどれほどそれを望んでいるかを示す尺度となります。




12. You can ask of the Holy Spirit, then, only by giving to him, and you can give to him only where you recognize him.
 それゆえ、あなたはただ、聖霊に与えることによってのみ聖霊に求めることができるのです。そして、あなたは自分が聖霊を認識できる場所においてのみ、聖霊に与えることができます。

 If you recognize him in everyone, consider how much you will be asking of him, and how much you will receive.
 もしあなたがすべての者たちの中に聖霊を認識することができれば、自分が聖霊にどれほどたくさん求めていることになるか、そして、自分がどれほどたくさん受け取ることになるのか、よくよく考えてみるとよいでしょう。

 He will deny you nothing because you have denied him nothing, and so you can share everything.
 聖霊はあなたに何ひとつ拒むことはないでしょう。なぜなら、あなたが聖霊に何も拒まなかったので、あなたはあらゆるものを分かち合うことができるようになるからです。

 This is the way, and the only way to have his answer, because his answer is all you can ask for and want.
 みんなの中に聖霊を認識することこそが、聖霊の答えを得るための方法であり、それも唯一の方法です。なぜなら、聖霊の答えはあなたが求め、望むことのできるすべてだからです。


 Say, then, to everyone:
 ゆえに、みんなに次のように言いなさい。

Because I will to know myself, I see you as God's Son and my brother.
私は自分自身を知りたいので、私はあなたのことを神の子であり、私の兄弟であると見ることにします。



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