There Is No Spoon

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レッスン158「今日、私は自分が受け取るように与えることを学ぶ。」

レッスン158です。

今日のテーマは「今日、私は自分が受け取るように与えることを学ぶ。」です。





今日のレッスンでは、「すべてはすでに書かれている」が出てきます。

時間という仕かけによって、すでに終わっている旅を空想の中であたかも今まさに歩んでいるように錯覚させられているということが語られます。

このことは、決定論、宿命を述べているようで、絶望として受け取られることもあるでしょうが、本当に受け入れることができれば、価値判断の重圧、罪悪感からの途方もない解放に導く福音ともなるものだと思います。

Lesson 158


Today I learn to give as I receive.
今日、私は自分が受け取るように与えることを学ぶ。



1. What has been given you?
 あなたには何が与えられているでしょうか。

 The knowledge that you are a mind, in Mind and purely mind, sinless forever, wholly unafraid, because you were created out of love.
 あなたに与えられているのは、自分は大いなる心の中にある心であり、それは純粋な心であり、あなたが愛から創造されたがゆえに、永遠にがなく、永遠に完全に恐れることはないという知識です。

 Nor have you left your Source, remaining as you were created.
 しかも、あなたは自分の源から離れたことはなく、創造されたあなたのままなのです。

 This was given you as knowledge which you cannot lose.
 このことは、あなたには失うことのできない知識としてあなたに授けられました。

 It was given as well to every living thing, for by that knowledge only does it live.
 この知識は、同じようにすべての生きるものたちにも授けられました。というのも、この知識によってのみ生きとし生けるものは生かされているからです。





2. You have received all this.
 あなたはこの知識のすべてを受け取っているのです。

 No one who walks the world but has received it.
 この世界を歩むもので、この知識を受け取っていない者などひとりもいません。

 It is not this knowledge which you give, for that is what creation gave.
 あなたが与えるのはこの知識ではありません。というのは、この知識は創造によって与えられたものだからです。

 All this cannot be learned.
 この知識はすべて、学ぶことのできるものではありません。

 What, then, are you to learn to give today?
 そうだとすれば、今日、あなたが与えることを学ぶのは何なのでしょうか。

 Our lesson yesterday evoked a theme found early in the text.
 昨日のレッスンは、テキストの最初の部分で出てきたテーマのひとつを思い起こさせました。

 Experience cannot be shared directly, in the way that vision can.
 体験は、ヴィジョンのように、直接に分かち合うことはできません。

 The revelation that the Father and the Son are one will come in time to every mind.
 父と子がひとつであるとの啓示は、やがてすべての心に訪れます。

 Yet is that time determined by the mind itself, not taught.
 しかし、その時がいつになるのかということは、その心自身によって決められるものであり、教わることではありません。




3. The time is set already.
 その時は、すでに定められています。

 It appears to be quite arbitrary.
 その時は、いくらでも恣意的に決められるように思えます。

 Yet there is no step along the road that anyone takes but by chance.
 しかし、ただの一歩であろうと、この道を偶然によって歩むということはありません。

 It has already been taken by him, although he has not yet embarked on it.
 その人がまだその道を歩み始めていないとしても、その一歩はすでに彼によって踏み出されているのです。

 For time but seems to go in one direction.
 というのも、時間は単にひとつの方向に進んでいるように見えているだけだからです。

 We but undertake a journey that is over.
 私たちはただすでに終わっている旅路を歩み出すだけなのです。

 Yet it seems to have a future still unknown to us.
 しかし、その旅路には、まだ私たちには未知の未来があるように見えます。




4. Time is a trick, a sleight of hand, a vast illusion in which figures come and go as if by magic.
 時間は、手品のようなトリックであり、その中に、まるで魔法によって人影が訪れては去ってゆく広大な幻想です。

 Yet there is a plan behind appearances that does not change.
 しかし、見せかけの背後には、変わることのないひとつの計画があります。

 The script is written.
 その台本はすでに書かれています。

 When experience will come to end your doubting has been set.
 あなたの疑念に終わりをもたらす体験が訪れるときも、すでに定められているのです。

 For we but see the journey from the point at which it ended, looking back on it, imagining we make it once again; reviewing mentally what has gone by.
 というのも、私たちは、単にその旅路をそれが終わった地点から振り返って眺めているだけで、もう一度自分たちがその旅路を歩んでいることを想像して、すでに過ぎ去ったことを心の中で再生しているだけだからです。





5. A teacher does not give experience, because he did not learn it.
 教師は、体験を与えることはできません。なぜなら、教師は体験を習得したわけではないからです。

 It revealed itself to him at its appointed time.
 体験は、その定められた時に、自ずから教師に明らかになったものなのです。

 But vision is his gift.
 しかし、ヴィジョンは教師が与えることのできる贈り物です。

 This he can give directly, for Christ's knowledge is not lost, because He has a vision He can give to anyone who asks.
 ヴィジョンなら、教師は直接与えることができます。というのも、キリストの知識は失われてはおらず、キリストはそれを求める誰にでも与えることのできるヴィジョンを持っているからです。

 The Father's Will and His are joined in knowledge.
 父の大いなる意志とキリストの意志が結びついているのは知識の中においてです。

 Yet there is a vision which the Holy Spirit sees because the Mind of Christ beholds it too.
 しかし、キリストの大いなる心が知識だけでなくヴィジョンをも見ているがゆえに、聖霊にも見えるヴィジョンが存在するのです。




6. Here is the joining of the world of doubt and shadows made with the intangible.
 ここにおいて、疑いの世界とつかみどころのないものからなる影がひとつに結びつきます。

 Here is a quiet place within the world made holy by forgiveness and by love.
 ここに、この世界の中で、赦しと愛によって聖なるものとされた静かな場所があります。

 Here are all contradictions reconciled, for here the journey ends.
 ここにおいて、すべての対立は和合します。というのも、ここで旅路が終わるからです。

 Experience--unlearned, untaught, unseen--is merely there.
 学ばれることなく、教えられることも見られることもなく、体験はただ存在するだけです。

 This is beyond our goal, for it transcends what needs to be accomplished.
 体験することは私たちの目標を越えるものです。というのも、体験は到達されるべきものを超越しているからです。

 Our concern is with Christ's vision.
 私たちの関心事は、キリストのヴィジョンです。

 This we can attain.
 キリストのヴィジョンは、私たちにも獲得できるものです。




7. Christ's vision has one law.
 キリストのヴィジョンには、ひとつの法があります。

 It does not look upon a body, and mistake it for the Son whom God created.
 キリストのヴィジョンは、身体を見ても、身体を神が創造した子と見間違えることはありません。

 It beholds a light beyond the body; an idea beyond what can be touched, a purity undimmed by errors, pitiful mistakes, and fearful thoughts of guilt from dreams of sin.
 キリストのヴィジョンが見るのは、身体を越えた光であり、触ることのできるものを越えたひとつの想念であり、誤りや哀れな間違いやという夢から生まれる罪悪感の恐ろしい思いによってぼやかされていない純粋さです。

 It sees no separation.
 キリストのヴィジョンは、一切、分離を見ることはありません。

 And it looks on everyone, on every circumstance, all happenings and all events, without the slightest fading of the light it sees.
 そして、キリストのヴィジョンは、すべての者たち、すべての状況、すべての出来事、そして、すべての事件について、少しも弱まることのない光を見ます。





8. This can be taught; and must be taught by all who would achieve it.
 このことは教わることができます。そして、キリストのヴィジョンを獲得したい者であれば誰でもこのことを教えなければなりません。

 It requires but the recognition that the world can not give anything that faintly can compare with this in value; nor set up a goal that does not merely disappear when this has been perceived.
 そのためには、この世界には、ほんのかすかにでもキリストのヴィジョンと比較できるような価値のあるものを与えることはできないし、キリストのヴィジョンを知覚するようになったときには、ただ消え去ってしまう目標しかこの世界には掲げることができないと認めることが必要です。

 And this you give today: See no one as a body.
 そして、今日あなたが与えるのは次の言葉です。それは「誰のことも身体として見てはならない」というものです。

 Greet him as the Son of God he is, acknowledging that he is one with you in holiness.
 すべての人を神の子として遇し、彼が神聖さの中であなたとひとつであると承認してください。





9. Thus are his sins forgiven him, for Christ has vision that has power to overlook them all.
 こうして、その人のの数々は赦されることになります。というのも、キリストは、すべてのを無視する力のあるヴィジョンを持っているからです。

 In His forgiveness are they gone.
 キリストの赦しの中で、すべてのは消え去ります。

 Unseen by One they merely disappear, because a vision of the holiness that lies beyond them comes to take their place.
 一なるキリストによって見られることがないので、すべての罪はただ単に消え去るだけです。なぜなら、すべての罪を超越する神聖さのヴィジョンがすべての罪に置き換わることになるからです。

 It matters not what form they took, nor how enormous they appeared to be, nor who seemed to be hurt by them.
 その罪がどのような形をとっていようが、いかにその罪が途方もないものに見えようが、誰がその罪によって傷つけられているように見えようが、そんなことは問題ではありません。

 They are no more.
 罪はもはや存在しないのです。

 And all effects they seemed to have are gone with them, undone and never to be done.
 そして、罪が持っていたように見えたすべての結果は、罪と一緒に去って、取り消されてしまったので、二度と生じることはありません。





10. Thus do you learn to give as you receive.
 こうして、あなたは自分が受け取るように与えることを学びます。

 And thus Christ's vision looks on you as well.
 こうして、キリストのヴィジョンは、あなたのことも見つめるようになります。

 This lesson is not difficult to learn, if you remember in your brother you but see yourself.
 もしあなたが自分の兄弟の中に自分自身だけを見ることを忘れなければ、このレッスンを学ぶのは難しいことではありません。

 If he be lost in sin, so must you be; if you see light in him, your sins have been forgiven by yourself.
 もし兄弟を罪の中に迷いこませるなら、あなたも罪の中に迷いこんでしまうに違いありません。もしあなたが兄弟の中に光を見るなら、あなたの罪はすでにあなた自身によって赦されています。

 Each brother whom you meet today provides another chance to let Christ's vision shine on you, and offer you the peace of God.
 あなたが今日出会う一人ひとりの兄弟が、キリストのヴィジョンがあなたに輝きを注ぎ、そして、あなたに神の平安を与えてくれる新たなチャンスを差し延べてくれます。




11. It matters not when revelation comes, for that is not of time.
 啓示がいつ訪れるかなど問題ではありません。というのは、啓示は時間とは関わりのないものだからです。

 Yet time has still one gift to give, in which true knowledge is reflected in a way so accurate its image shares its unseen holiness; its likeness shines with its immortal love.
 しかし、時間はなおも、与えるためのひとつの贈り物をもたらしてくれます。その贈り物の中には、真の知識が本当に正確に反映されているので、そのイメージは、目には見えない知識の神聖さを分かち合い、その似姿は、不滅の愛で輝いています。

 We practice seeing with the eyes of Christ today.
 今日、私たちは、キリストの目で見ることを実践します。

 And by the holy gifts we give, Christ's vision looks upon ourselves as well.
 そして、私たちの与える聖なる贈り物によって、キリストのヴィジョンは私たち自身をも見るようになるのです。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです.





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