レッスン159「私は、自分が受け取った奇跡を与える」


Reflect upon your present blessings of which every man has many – not on your past misfortunes, of which all men have some.
誰もがたくさんもっている今の幸せに目を向けるのです。誰もがもっている過去の不幸は忘れなさい。



Charles John Huffam Dickens
チャールズ・ディケンズ

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レッスン159です。

今日のテーマは「私は、自分が受け取った奇跡を与える」です。


欠乏マインドと豊かさマインド

欠乏の世界であるこの世界では、誰もが欠乏マインドを抱き、あるものを与えると、その与えたものを失うと信じていますが、救済が教えようとするのは、与えた相手である他者と自分は分離しておらずひとつであることが真理であり、他者に与えることは自分がそれを持っていることに気づく方法であり、自他が分離しておらずひとつであることを思い出す方法だということです。

私たちはすべてを持っており、どんなものでも与えることができます。

けれど、すべてがあるのは、この世界の中ではなく、すべてがあるのは天国です。

ですから、現実にあるのはこの世界だけだという前提に立つかぎり、限られたパイを奪い合う世界観は正しく、欠乏マインドを克服することはできません。

豊かさマインドを抱くには、心がすべてのある天国につながる道と通じる必要があります。





真の世界という幸せな夢

天国は現実なので、幻想世界とは無関係なままです。

それでも、幻想世界においても、天国のみを反映する幸せな夢、真の世界という幻想に達することは可能です。

キリストのヴィジョンは、この世界と真の世界というふたつの世界の架け橋であり、キリストのヴィジョンによって、真の世界を介して、すべてを得ることができます。

キリストのヴィジョンは、聖霊からのたったひとつの贈り物である宝庫であり、私たちは完璧な確信をもって、この宝庫に、自分の幸福の助けとなりうるものすべてを求めることができます。

この黄金の宝庫にはすべてが蓄えられており、求めさえすれば、すべてを受け取ることができます。


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はたらく細胞的に人体内の細胞を個別の人格のようにみなすなら、自他分離意識にとらわれた癌細胞には自分以外の周囲の存在がすべて敵に見えています。

実はすべての細胞はひとつの人体を構成する兄弟であり、自分以外の細胞が潤うことは全体としての自分を潤すことであり、分離は錯覚でしかなく、いい目を見ている脳や目の細胞たちを誅して正義を達したつもりでいたら、実は自分の首を絞めていただけだというのが実際のところです。

この真の世界としての実像が見えず自分は広大な世界に一人ぼっちで敵に包囲されていると思い込んでいる状態から、実は敵に見えていた存在は自分自身だったと気づくように観点をシフトすることがキリストのヴィジョンです。

酸素を運んで届けるという与える行為によって赤血球は自分がすべてを持っていることに気づくことができます。


宝庫としてのキリストのヴィジョン

今日のレッスンでは、キリストのヴィジョンを宝庫と喩えています。

上記のように、この幻想世界が有限の資源を奪い合う欠乏の世界で、天国の反映として無限の豊かさを持つ真の世界にキリストのヴィジョンという架け橋を通じてつながることが無限供給の仕組みではあります。

この観点でいくと、キリストのヴィジョンによって、この世界とは隔絶したどこかにある真の世界というストレージにつながって、この世界に存在しない物資がその別世界から供給されるようなイメージになるかもしれません。

しかし、これはこの限られた欠乏世界から眺めた場合の世界観の変容であり、実体は、この欠乏世界のほうが歪曲された幻想であり、正確に天国を反映する真の世界のほうがありのままの正しい世界認識なのだから、世界自体、そもそも無限供給の豊かさに満ちている世界であるのに、色眼鏡で見ているせいで、欠乏の奪い合いの世界に見えているだけなので、実像通りに見えるように色眼鏡を外すというイメージのほうがキリストのヴィジョンの捉え方としてはふさわしいかもしれません。


そこにキリストが行くなら地獄のど真ん中も天国に様変わりする

私たちはどうしても、世知辛い、限られた欠乏の世界の中で、競合し敵対する他者を出し抜いて自分だけ宝庫を見つけ出したいと発想してしまいます。

しかし、この世界を薄汚い罪にまみれた地獄だとみなして、自分ひとりだけで、地獄世界を消滅させて解脱を遂げ、真の世界や天国に昇天できると考えるような発想がエゴまみれなのは一目瞭然でしょう。

というのも、同じ幻想世界が地獄に見えるか天国(を反映する真の世界)に見えるかは、世界や他者次第ではなく自分次第なわけで、世界が地獄に見えている元凶は、自他分離の錯覚なので、自分と分離した「下劣な」他者を置いてけぼりにして自他一体の境地に到達して、世界を天国として見ることなどできるはずがないからです。


キリストがアバターとして人の子を思うがままに操縦できるなら、彼がなそうとするのはアバターとして操縦する「自分」が悟りを開いて解脱することではなく、アバターとしての自分が悟ろうが悟るまいがそんなことはどうでもよいので、とにかく他者の得悟と救済の達成の道具として自分というアバターを使い切ることになるはずです。

地獄の三尺三寸箸のお話を思い浮かべてみてください。

地獄の住人たちを救おうと仏様が修行の足りない利己心でいっぱいの者を地獄に派遣するなら、仏様は、その者に山に籠って修行させ悟りを開くのを待ったりなどせず、ただ、「箸は決して自分が食べるために使うのではなく、ほかの者に食べさせるために使うのだぞ」と、ひとつの秘訣だけを心得させて、その者を実際に地獄に赴かせることでしょう。

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彼が仏様からの言いつけを忘れずに守るかぎり、悟りの境地など程遠い人間のはずの彼は地獄世界に愛と喜びを生み出すという奇跡を連発し、奇跡を通してのおこぼれとして、自他一体の境地を味わうことでしょう。

そのとき、彼がいた場所が、地獄の一丁目どころか、地獄のど真ん中であったとしても、そこは、もはやそこは天国に様変わりしているはずです。



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Lesson 159

I give the miracles I have received.
私は、自分が受け取った奇跡を与える。



1. No one can give what he has not received.
 自分が受け取っていないものを与えることは、誰にもできません。

 To give a thing requires first you have it in your own possession.
 あるものを与えるには、まずあなたが、それを自分の所有物として持っていなければなりません。

 Here the laws of Heaven and the world agree.
 この点については、天国の法も地上の法則も同じです。

 But here they also separate.
 しかし、天の法と地の法則が分離するのもまた、この点においてです。

 The world believes that to possess a thing, it must be kept.
 この世界では、あるものを所有するには、そのものを持ち続けなければならないと信じられています。

 Salvation teaches otherwise.
 救済は、これは違うと教えます。

 To give is how to recognize you have received.
 すなわち、与えることは、自分がすでに受け取っていることに気づくための方法だということです。

 It is the proof that what you have is yours.
 与えることは、あなたが持っているものがあなたのものであると証明することなのです。



2. You understand that you are healed when you give healing.
 あなたが癒しを与えるとき、あなたは自分が癒されていることがわかります。

 You accept forgiveness as accomplished in yourself when you forgive.
 あなたが赦すとき、あなたは自分自身の中で完了したものとして赦しを受け入れます。

 You recognize your brother as yourself, and thus do you perceive that you are whole.
 あなたは自分の兄弟を自分自身として認識し、そうすることで、あなたは自分が完全であると知覚します。

 There is no miracle you cannot give, for all are given you.
 あなたが与えることのできない奇跡などひとつもありません。というのも、あなたにはすべての奇跡が与えられているからです。

 Receive them now by opening the storehouse of your mind where they are laid, and giving them away.
 あなたに与えられているすべての奇跡が置かれているあなたの心の宝庫を開いて、すべての奇跡を与えきることによって、今こそ、すべての奇跡を受け取ってください。



3. Christ's vision is a miracle.
 キリストのヴィジョンはひとつの奇跡です。

 It comes from far beyond itself, for it reflects eternal love and the rebirth of love which never dies, but has been kept obscure.
 キリストのヴィジョンは、それ自身をはるかに超えるところから訪れます。というのは、キリストのヴィジョンは、永遠の愛を反映するものであり、決して滅することはないにもかかわらず、覆い隠されたままで保たれてきた愛が復活したことを反映するものだからです。

 Christ's vision pictures Heaven, for it sees a world so like to Heaven that what God created perfect can be mirrored there.
 キリストのヴィジョンは天国を描き出します。というのは、キリストのヴィジョンには本当に天国に似た世界が見えるので、神が完璧なるものとして創造した天国がそこに鏡のように映し出されることになるからです。

 The darkened glass the world presents can show but twisted images in broken parts.
 この世界の差し出す暗い鏡は、不完全に断片化した捻じ曲がったイメージしか映し出すことができません。

 The real world pictures Heaven's innocence.
 真の世界は、天国の清らかさを描き出します。



4. Christ's vision is the miracle in which all miracles are born.
 キリストのヴィジョンは、その中ですべての奇跡が生まれる奇跡です。

 It is their source, remaining with each miracle you give, and yet remaining yours.
 キリストのヴィジョンはすべての奇跡の源であり、あなたが与える奇跡の一つひとつの許に留まりつつも、なおあなたのものであり続けます。

 It is the bond by which the giver and receiver are united in extension here on earth, as they are one in Heaven.
 与え手と受け手は天国ではひとつなので、この地上では、キリストのヴィジョンという絆によって、与え手と受け手は拡張することでひとつに結ばれます。

 Christ beholds no sin in anyone.
 キリストは誰の中にも一切、罪を見ることはありません。

 And in His sight the sinless are as one.
 キリストの視界には、罪のない者たちはひとつのものに映ります。

 Their holiness was given by His Father and Himself.
 罪のない者たちの神聖さは、キリストの父とキリスト自身によって与えられたものです。



5. Christ's vision is the bridge between the worlds.
 キリストのヴィジョンは、ふたつの世界の架け橋です。

 And in its power can you safely trust to carry you from this world into one made holy by forgiveness.
 だから、あなたは安心してキリストのヴィジョンの力を信頼して、自らをこの世界から赦しによって神聖なものとされた世界へと運んでもらうことができます。

 Things which seem quite solid here are merely shadows there; transparent, faintly seen, at times forgot, and never able to obscure the light that shines beyond them.
 この世界で実に堅固なものに見えるものは、真の世界では単なる影でしかありません。その影は、ときには、忘れられてしまうほど透き通っていてほとんど見えないものなので、その向こう側に輝く光を決して覆い隠すことはできません。

 Holiness has been restored to vision, and the blind can see.
 ヴィジョンが神聖さを取り戻したので、見えない目にも見えるようになります。



6. This is the Holy Spirit's single gift; the treasure house to which you can appeal with perfect certainty for all the things that can contribute to your happiness.
 このキリストのヴィジョンこそ、聖霊からのたったひとつの贈り物である宝庫であり、あなたは完璧な確信をもって、この宝庫に、自分が幸福になるのに役立つどんなものでも求めることができます。

 All are laid here already.
 すべてのものは、すでにこの宝庫に蓄えられています。

 All can be received but for the asking.
 ただ求めさえすれば、すべてを受け取ることができます。

 Here the door is never locked, and no one is denied his least request or his most urgent need.
 この宝庫では、その扉に鍵が掛けられることは絶対にないので、どれほど些細な願いであろうとどれほど切迫した必要であろうと、誰もその求めを拒まれることはありません。

 There is no sickness not already healed, no lack unsatisfied, no need unmet within this golden treasury of Christ.
 キリストのこの黄金の宝庫においては、まだ癒されていない病気は一切なく、いかなる欠乏も満たされないことはなく、いかなる必要も満たされないことはありません。



7. Here does the world remember what was lost when it was made.
 ここにおいて、世界はそれが作り出されたときに失ったものを思い出します。

 For here it is repaired, made new again, but in a different light.
 というのも、ここで、それまでとは違う光の中で、世界の失ったものは修復され、再び新たに作り変えられたからです。

 What was to be the home of sin becomes the center of redemption and the hearth of mercy, where the suffering are healed and welcome.
 かつて罪の巣窟とされていたものは救いの拠点となり、苦しむ者を迎え入れて癒やす慈悲の家となります。

 No one will be turned away from this new home, where his salvation waits.
 誰もこの新しい家から追い払われることはありません。そこには、その人の救済が待っているからです。

 No one is stranger to him.
 そこでは、彼にとって、誰も見知らぬ他人ではありません。

 No one asks for anything of him except the gift of his acceptance of his welcoming.
 自らが歓迎されることを承諾するという贈り物を除いて、誰にも何も求められることはありません。



8. Christ's vision is the holy ground in which the lilies of forgiveness set their roots.
 キリストのヴィジョンは、赦しの百合が根づく聖なる大地です。

 This is their home.
 キリストのヴィジョンは赦しの百合たちの故郷です。

 They can be brought from here back to the world, but they can never grow in its un-nourishing and shallow soil.
 赦しの百合を、キリストのヴィジョンからこの世界へと持ち帰ることはできますが、赦しの百合は決してこの世界の荒れた不毛な土壌では育つことはできません。

 They need the light and warmth and kindly care Christ's charity provides.
 赦しの百合には、光と暖かさが必要であり、キリストから思いやりをこめて優しく面倒を見てもらう必要があります。

 They need the love with which He looks on them.
 赦しの百合は、キリストに愛をこめて見つめてもらうことを必要としています。

 And they become His messengers, who give as they received.
 キリストの愛に育まれるからこそ、赦しの百合は自分たちが受け取った通りに与えるキリストの使者となるのです。



9. Take from His storehouse, that its treasures may increase.
 キリストの宝庫から受け取ってください。そうすれば、キリストの宝庫の中の宝物が増えるでしょう。

 His lilies do not leave their home when they are carried back into the world.
 キリストの百合は、この世界の中に持ち帰られても、自らの故郷を去ることにはなりません。

 Their roots remain.
 キリストの百合はそこに根付いたままです。

 They do not leave their source, but carry its beneficence with them, and turn the world into a garden like the one they came from, and to which they go again with added fragrance.
 キリストの百合は、自らの源を離れることはありません。しかし、その恩恵を自らとともにもたらして、この世界を自分たちの故郷の花園に似た場所へと様変わりさせてから、再び一段と芳しさを増した香りをまとって故郷へと帰ってゆきます。

 Now are they twice blessed.
 いまや、キリストの百合は二度、祝福されます。

 The messages they brought from Christ have been delivered, and returned to them.
 キリストの百合がキリストから運んできたメッセージが届けられ、そして、彼らに戻ってくるからです。

 And they return them gladly unto Him.
 そして、彼らは舞い戻ったメッセージをキリストの許へと喜んで返すのです。



10. Behold the store of miracles set out for you to give.
 あなたが与えられるようにと蓄えられた奇跡を見つめてください。

 Are you not worth the gift, when God appointed it be given you?
 神がその贈り物があなたに与えられるように定めたというのに、あなたがその贈り物にふさわしくないはずがありません。

 Judge not God's Son, but follow in the way He has established.
 神の子を裁いてはなりません。ただ神が定めた道を辿りなさい。

 Christ has dreamed the dream of a forgiven world.
 キリストは、赦された世界という夢を夢見ました。

 It is His gift, whereby a sweet transition can be made from death to life; from hopelessness to hope.
 赦された世界という夢は、キリストからの贈り物であり、この贈り物を介して、死は生命へ、絶望は希望へと甘美な変容を遂げることができます。

 Let us an instant dream with Him.
 私たちでキリストと一緒に、一瞬の間、夢見ることにしましょう。

 His dream awakens us to truth.
 キリストの夢は、私たちを真理へと目覚めさせてくれます。

 His vision gives the means for a return to our un-lost and everlasting sanctity in God.
 キリストのヴィジョンは、私たちが失ったことのない不滅の神聖さを神の中で取り戻すための手段を与えてくれます。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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