There Is No Spoon

        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

T27-6 罪の証人

0   0

今回は、テキストから、罪の証人についての一節をご紹介します。





テキスト第二十七章 

VI. The Witnesses to Sin
六 罪の証人



1. Pain demonstrates the body must be real.
 苦痛は、身体が本当にあるに違いないと実証します。

 It is a loud, obscuring voice whose shrieks would silence what the Holy Spirit says, and keep His words from your awareness.
 苦痛の大きくて意味の不明瞭な声は、その悲鳴によって、聖霊の言うことをかき消して、聖霊の言葉をあなたが意識できないようにします。

 Pain compels attention, drawing it away from Him and focusing upon itself.
 苦痛は、注意を払うことを余儀なくさせ、注意を聖霊から逸らして苦痛それ自体に意識を集中させます。

 Its purpose is the same as pleasure, for they both are means to make the body real.
 苦痛目的快楽目的と同じものです。というのは、苦痛快楽の両者はいずれも身体を本物とするための手段だからです。

 What shares a common purpose is the same.
 共通する目的を分かち合うものは同じものだといえます。

 This is the law of purpose, which unites all those who share in it within itself.
 これこそ目的の法則です。目的は、目的を分かち合う者たちをすべて、目的そのものの中においてひとつに結びつけます。

 Pleasure and pain are equally unreal, because their purpose cannot be achieved.
 快楽と苦痛は等しく想像上のものです。なぜなら、双方の目的は成就しえないことだからです。

 Thus are they means for nothing, for they have a goal without a meaning.
 したがって、その二つは、意味のない目標を持つがゆえに、無を得るための手段ということになります。

 And they share the lack of meaning which their purpose has.
 そして、快楽と苦痛は、それらの目的が掲げる意味には意味が欠けていることを共有しています。






2. Sin shifts from pain to pleasure, and again to pain.
 罪は、苦痛を快楽に変化させたり、再び苦痛に戻したりします。

 For either witness is the same, and carries but one message: "You are here, within this body, and you can be hurt.You can have pleasure, too, but only at the cost of pain."
 というのも、苦痛も快楽も同じものを証明しようと、ひとつのメッセージだけを携えているからです。そのメッセージとは「あなたはここに、この身体の中にいるので、あなたは傷つけられうる。あなたは快楽を得ることもできるが、その快楽は苦痛という代償を払ってはじめて得られるものだ。」というものです。

 These witnesses are joined by many more.
 より多くの証人たちによって、この証言が裏づけられます。

 Each one seems different because it has a different name, and so it seems to answer to a different sound.
 それぞれに違う名前を持っているので、一つひとつ違っているように思えるし、それゆえ、それぞれの証人たちは、違う問いかけに答えているようにも思えます。

 Except for this, the witnesses of sin are all alike.
 この点を除けば、罪の証人はどれもみな同じです。

 Call pleasure pain, and it will hurt.
 快楽を苦痛と呼ぶなら、快楽は痛みとなるでしょう。

 Call pain a pleasure, and the pain behind the pleasure will be felt no more.
 苦痛を快楽と呼ぶなら、快楽の裏にある苦痛はもはや感じられなくなります。

 Sin's witnesses but shift from name to name, as one steps forward and another back.
 罪の証人たちは、ひとつが前に踏み出して他方が後ろに退くたびに、その呼び名が変わるだけです。

 Yet which is foremost makes no difference.
 しかも、どれが最前列に立っているかによっては何の違いも生じません。

 Sin's witnesses hear but the call of death.
 罪の証人たちは、への呼びかけだけを聞いているのです。


名称未設定


3. This body, purposeless within itself, holds all your memories and all your hopes.
 この身体は、それ自体では何の目的も持ちませんが、あなたのすべての記憶やあらゆる希望を保持しています。

 You use its eyes to see, its ears to hear, and let it tell you what it is it feels.
 あなたは見るために身体の目を使い、聞くために身体の耳を用いて、その感覚器官が感じたものをあなたに告げさせます。

 It does not know.
 身体が知るということはありません。

 It tells you but the names you gave to it to use, when you call forth the witnesses to its reality.
 あなたが身体の実在性を証明する証人たちを呼び出すと、身体はあなたが身体に使うようにと与えた名前をいくらか告げるだけのことです。

 You cannot choose among them which are real, for any one you choose is like the rest.
 あなたには、それらの名前の中のどれが本物なのかを選ぶことはできません。というのは、あなたがどれを選ぼうとも、それは残りものと同じものだからです。

 This name or that, but nothing more, you choose.
 あなたが選ぶのは、ただ、この名前かあの名前かということにすぎません。

 You do not make a witness true because you called him by truth's name.
 あなたがある証人を真理の名において呼び出したからといって、その証人の証言が本物になるわけではありません。

 The truth is found in him if it is truth he represents.
 もしその証人が述べるのが真理であるなら、彼の中に真理を見出すことができます。

 And otherwise he lies, if you should call him by the holy Name of God Himself.
 そうでなければ、あなたが神自身の聖なる名をもって呼び出したとしても、その証人は偽証するのです。





4. God's Witness sees no witnesses against the body.
 神の大いなる証人である聖霊は、身体の実在性を否認する証人には目もくれません。

 Neither does He harken to the witnesses by other names that speak in other ways for its reality.
 しかも、聖霊は、身体が実在することを違った方法で語る別の名前によって、その証人に耳を傾けるようになるわけでもありません。

 He knows it is not real.
 聖霊は、身体は実在しないと知っているのです。

 For nothing could contain what you believe it holds within.
 というのは、あなたが身体がその中に保持していると信じているものを、実際に封じ込めることができるものなど何もないからです。

 Nor could it tell a part of God Himself what it should feel and what its function is.
 身体には、神自身の一部であるものに対して、何を感じるべきだとか、何がそれの役割であるかを告げることはできません。

 Yet must He love whatever you hold dear.
 しかし、聖霊は、あなたが大切にするものであれば、それが何であっても愛しているに違いありません。

 And for each witness to the body's death He sends a witness to your life in Him Who knows no death.
 そして、身体のを証明する個々の証人に対して、聖霊は、を知らない神の中にこそあなたの生命があると証明するひとりの証人を送ってくれます。

 Each miracle He brings is witness that the body is not real.
 聖霊がもたらす一つひとつの奇跡は、身体は本物ではないと証明します。

 Its pains and pleasures does He heal alike, for all sin's witnesses do His replace.
 身体の苦痛も快楽も、聖霊は同じように癒してくれます。というのも、すべての罪の証言は、聖霊の証言によって置き換えられることになるからです。

名称未設定



5. The miracle makes no distinctions in the names by which sin's witnesses are called.
 奇跡は、罪の証人たちがどのように呼ばれていようと、その名前によっては何の区別もしません。

 It merely proves that what they represent has no effects.
 奇跡は、単に罪の証人たちの名前が表すものには何の効果もないことを証明するだけです。

 And this it proves because its own effects have come to take their place.
 そして、罪の証人の名前には何の効果もないということは、奇跡そのものの効果がそれらに取って代ることによって証明されます。

 It matters not the name by which you called your suffering.
 あなたが自分の苦しみをどう名づけようが、そんなことは重要ではありません。

 It is no longer there.
 苦しみは、もはやそこにはないのです。

 The One Who brings the miracle perceives them all as one, and called by name of fear.
 奇跡をもたらす聖霊は、それらの多様な苦悩の名前のすべてをひとつのものと知覚して、それを恐れという名で呼びました。

 As fear is witness unto death, so is the miracle the witness unto life.
 恐れがを証明するように、奇跡は生命を証明します。

 It is a witness no one can deny, for it is the effects of life it brings.
 奇跡が証明することを否定できる者は誰ひとりいません。というのも、奇跡は、奇跡がもたらそうとする生命の結果だからです。

 The dying live, the dead arise, and pain has vanished.
 瀕の者は生き延び、者はよみがえり、苦痛は消え去りました。

 Yet a miracle speaks not but for itself, but what it represents.
 それでも、奇跡は、奇跡それ自体のためではなく、奇跡が象徴するものを代弁するだけです。






6. Love, too, has symbols in a world of sin.
 愛もまた、罪の世界において象徴するものを持っています。

 The miracle forgives because it stands for what is past forgiveness and is true.
 奇跡が赦すのは、奇跡が赦しを通り越した向こう側にある真理を表すものだからです。

 How foolish and insane it is to think a miracle is bound by laws that it came solely to undo!
 奇跡が、もっぱらそれを取り消すことだけを目的としてやってきたはずの法則によって縛られていると考えるのは、何と滑稽で狂った考えでしょうか。

 The laws of sin have different witnesses with different strengths.
 罪の法則には、様々な強みを持った多様な証人たちがいます。

 And they attest to different sufferings.
 そして、そんな証人たちが様々に違う苦しみが本物であると証言します。

 Yet to the One Who sends forth miracles to bless the world, a tiny stab of pain, a little worldly pleasure, and the throes of death itself are but a single sound; a call for healing, and a plaintive cry for help within a world of misery.
 ところが、この世界を祝福するために奇跡を送り出す聖霊にとっては、小さく刺すような痛みも、ささやかな世俗的快楽も、死の激しい苦痛もすべて、癒しを求める呼び声であり、悲惨な世界の中で助けを求める悲痛な叫び声としてひとつの音として聞こえるだけです。

 It is their sameness that the miracle attests.
 奇跡が証明しようとするのは、それらの苦痛も快楽も、どれもみな同じものだということです。

 It is their sameness that it proves.
 奇跡が証明するのは、あらゆる快楽と苦痛は同じものだということです。

 The laws that call them different are dissolved, and shown as powerless.
 様々な快楽や苦痛をそれぞれに違うものと呼称する法則は解除され、無効となったことが示されます。

 The purpose of a miracle is to accomplish this.
 このことを成就することこそ、奇跡の目的です。

 And God Himself has guaranteed the strength of miracles for what they witness to.
 そして、奇跡が証明するために必要な奇跡の力は、神自身が保証してくれています。

名称未設定



7. Be you then witness to the miracle, and not the laws of sin.
 それゆえに、あなたには、罪の法則の証人ではなくて、奇跡の証人になってもらいたいのです。

 There is no need to suffer any more.
 もうこれ以上、苦しむ必要はありません。

 But there is need that you be healed, because the suffering and sorrow of the world have made it deaf to its salvation and deliverance.
 とはいえ、あなたは癒される必要があります。なぜなら、この世界の苦悩や悲嘆が、この世界が救われて解放されることに対して、この世界そのものが耳を貸すことができないようにさせてしまっているからです。





8. The resurrection of the world awaits your healing and your happiness, that you may demonstrate the healing of the world.
 この世界の復活は、あなたが癒されて幸せになるときを待ち受けています。そのとき、あなたは、この世界が癒されていることを実証することになるからです。

 The holy instant will replace all sin if you but carry its effects with you.
 もしあなたが、ただ神聖な瞬間が及ぼす結果を携えて運ぶようにするならば、すべての罪に神聖な瞬間が置き換わることでしょう。

 And no one will elect to suffer more.
 そして、もはや誰ひとり、苦しみを選ぼうとはしなくなるでしょう。

 What better function could you serve than this?
 あなたが果たすうえで、これに優る役目などあるでしょうか。

 Be healed that you may heal, and suffer not the laws of sin to be applied to you.
 あなたが癒すことができるようになるために、そして、あなたに罪の法則が適用されて苦しむことがなくなるために、癒されてください。

 And truth will be revealed to you who chose to let love's symbols take the place of sin.
 そして、愛の象徴を罪に置き換えることを選んだあなたには、真理が明かされることでしょう。


名称未設定



いつも読んでいただき、ありがとうございます!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ ACIMへ
ポチリよろしく!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアルメッセージへ
にほんブログ村


ポチッとお願いします!

2air_rankクリックお願いします
関連記事

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

trackbackURL:http://thereisnospoon.jp/tb.php/374-bf35f8a9
該当の記事は見つかりませんでした。