T20-5 永遠の伝令


Do not think that love in order to be genuine has to be extraordinary.
愛を純粋なものにするために何か特別なことが必要だとは思わないことです。

What we need is to love without getting tired.
私たちに必要なのは飽くことなく愛することです。



Mother Teresa
マザー・テレサ

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テキストから、「永遠の前触れ」という一節をご紹介します。


私たちの真価は計り知れない

私たちの兄弟の価値は計り知れないほどのものであるということが語られます。

計り知れない兄弟について過大評価するのはエゴだけであり、この過大評価は、私たちがエゴに毒されて自分のために兄弟を利用する必要があるためでしかありません。

エゴとしてはもともと無価値とみなしているところを多少の価値を見出して過大評価しているつもりですが、本来、計り知れない無限の価値を有するところを、その程度の矮小な価値で評価するのは、結局のところ、過少評価して貶めているだけだということです。

私たちは、五感の知覚に惑わされて、本当は自分の救い主である兄弟を自分の敵とみなしたり、自分の利益になるようなうまみを吸い取れる餌食とみなしたりと、自分の狭い了見で裁いた姿でしか見ることができません。

このように兄弟を裁くのか、兄弟の中にキリストの顔を見るヴィジョンを用いるのかは私たちの選択次第です。

兄弟を身体だとみなしている間は私たちはヴィジョンを用いてはいません。





神聖な「瞬間」

さて、特別な関係を神聖な関係に変える神聖な瞬間について、「瞬間」という言葉のイメージによって、私たちは、継続する時間の中のある特定の時点で、神聖な瞬間が訪れ、消え、また訪れる、という感覚で捉えてしまいます。

次の21章で出てくるT21-8 内面の変化では、幸せを真に求めてそれを受け取ったなら、その一回で十分なはずだということが語られます。

もし私たちが自分の望むものを受け取るのであれば、そして、幸せが不変なものだとすれば、つねに幸せであるためには、一度だけ求めれば十分なはずだからという理屈です。

ひとたび真に求めたなら、幸せになるし、その幸せとは不変のものなのだから、幸せがどこかに去ってしまって、また再度求める必要が出てくるということはないはずだからです。

そうだとすれば、私たちがつねに幸せであり続けているとはいえないということは、幸せの本質に照らして、実は、私たちは、一度も真に幸せを求めたことがなかったからということになるはずです。

神聖な瞬間も、これと同じで、真に神聖な瞬間を求めてそれが訪れたなら、神聖な瞬間は永遠で不変なものなのだから、一度訪れたあとに去ってしまって再度望み直す必要が出てくるはずがないということになります。

だまし絵で、それまでまったく見えていなかった絵柄に気づく瞬間がひとたび訪れたら、その後は、時間が経過してほかの絵を見たり忘れたりしても、もはや以前の気づかない状態に戻ることができなくなるような感覚です。

神聖な瞬間は、兄弟を赦し、ヴィジョンによって、兄弟がキリストであり、自分自身であり、自らを神の下へと連れ帰ってくれる救い主であると愛に満ちて気づく瞬間です。


聖霊を信頼して託す

この瞬間を与えて神の法を私たちの記憶に回復してくれる兄弟こそが神からの贈り物です。

その兄弟自身も私たちも、まだこのことを知りません。

けれど、両者の中に同じ贈り物があるとわかっている聖霊が両者のために、この贈り物を差し延べて代わりに受け取ってくれると信頼することならできます。

私たちは、聖霊を信頼することなら、比較的容易にできるように感じます。

それに比べて兄弟への信頼は本当に揺らぎがちです。

兄弟の価値が本当に計り知れないものだという本節の言葉を胸に刻みたいものです。



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テキスト第二十章 

V. Heralds of Eternity
五 永遠の前触れ



1. In this world, God's Son comes closest to himself in a holy relationship.
 この世界では、神聖な関係の中で、神の子は本来の自分に最も近づきます。

 There he begins to find the certainty his Father has in him.
 神聖な関係の中で、神の子は、父なる神が彼に対して抱いている確信を見出しはじめます。

 And there he finds his function of restoring his Father's laws to what was held outside them, and finding what was lost.
 そして、神聖な関係の中で、神の子は、神の法の適用の範囲外に置かれていたものに神の法を回復させて、失われていたものを見つけ出すという自分の役目を見出します。

 Only in time can anything be lost, and never lost forever.
 何かが失われうるとしても、それはただ時間の中だけのことで、決して永遠に失われてしまうわけではありません。

 So do the parts of God's Son gradually join in time, and with each joining is the end of time brought nearer.
 だから、神の子の一部である者たちは時間の中で徐々にひとつに結ばれてゆき、彼らが結ばれるたびに時間の終わりがより近くにもたらされます。

 Each miracle of joining is a mighty herald of eternity.
 ひとつに結びつくという奇跡の一つひとつが、永遠の到来の力強い前触れとなります。

 No one who has a single purpose, unified and sure, can be afraid.
 統一されて確実なただひとつの目的を持つ者は、恐れを抱くことができません。

 No one who shares his purpose with him can not be one with him.
 彼の目的を彼と分かち合う者はみな、彼とひとつにならずにはいられません。



2. Each herald of eternity sings of the end of sin and fear.
 永遠の伝令の一人ひとりが罪と恐れの終わりの歌を歌います。

 Each speaks in time of what is far beyond it.
 その一人ひとりが時間の中にありながら、時間をはるかに超えるものについて語ります。

 Two voices raised together call to the hearts of everyone, to let them beat as one.
 ふたつの声が一緒になって、みんなの胸に向けて、ひとつのものとして鼓動するようにと呼びかけます。

 And in that single heartbeat is the unity of love proclaimed and given welcome.
 そして、そのひとつになった鼓動によって、愛によってすべてがひとつに結ばれていることが宣言され、快く受け入れられます。

 Peace to your holy relationship, which has the power to hold the unity of the Son of God together.
 神の子たちを調和させて統一性を保つ力を持つあなたの神聖な関係に平安がありますように。

 You give to one another for everyone, and in your gift is everyone made glad.
 あなたたちがお互いに与えるのはみんなのためなので、あなたからの贈り物はすべての者たちを喜ばせます。

 Forget not Who has given you the gifts you give, and through your not forgetting this, will you remember Who gave the gifts to Him to give to you.
 あなたが与える贈り物をあなたに授けてくれた聖霊のことを忘れてはなりません。あなたがこのことを忘れずにいれば、その贈り物をあなたに渡すよう聖霊に託した大いなる神をあなたは思い出すでしょう。

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3. It is impossible to overestimate your brother's value.
 あなたの兄弟の価値を過大評価することなど不可能です。

 Only the ego does this, but all it means is that it wants the other for itself, and therefore values him too little.
 ただエゴだけが兄弟を過大評価します。しかし、これが意味するのは、エゴが他者を必要とするのは自分自身のためであって、結局、エゴは他者をあまりに過小に評価しているということだけです。

 What is inestimable clearly cannot be evaluated.
 計り知れないものを評価することが不可能なのは明らかだからです。

 Do you recognize the fear that rises from the meaningless attempt to judge what lies so far beyond your judgment you cannot even see it?
 自分の判断力をはるかに超えていて、それを見て確かめることすら自分にできないようなものに裁きを下そうという無意味な試みをするなら、そんな試みが恐怖を生み出すだけだということが、あなたにはわからないのでしょうか。

 Judge not what is invisible to you or you will never see it, but wait in patience for its coming.
 自分に見えないものを裁いてはなりません。裁くなら、あなたには決してそれが見えなくなってしまうからです。ただ、それが訪れるのを辛抱強く待つことです。

 It will be given you to see your brother's worth when all you want for him is peace.
 あなたが自分の兄弟のために平安だけを望むようになったとき、あなたに彼の真価がわかるようになるでしょう。

 And what you want for him you will receive.
 そして、あなたが彼のために望むものを、あなたは受け取るでしょう。



4. How can you estimate the worth of him who offers peace to you?
 どうしてあなたに、自分に平安を差し延べてくれる人の真価を評価できるでしょうか。

 What would you want except his offering?
 あなたは、彼が差し延べてくれるもの以外に何が欲しいというのでしょう。

 His worth has been established by his Father, and you will recognize it as you receive his Father's gift through him.
 彼の価値は大いなる父によって定められているので、あなたが父からの贈り物を彼を介して受け取るとき、あなたは彼の真価を認めるでしょう。

 What is in him will shine so brightly in your grateful vision that you will merely love him and be glad.
 彼の中にあるものは、あなたの感謝に満ちたヴィジョンの中で本当に明るく輝くので、あなたは彼を愛し喜ぶことしかできないでしょう。

 You will not think to judge him, for who would see the face of Christ and yet insist that judgment still has meaning?
 あなたは彼を裁こうとは思わなくなるはずです。というのは、キリストの顔を見ていながら、なお裁くことに意味があると言い張る者など誰もいないはずだからです。

 For this insistence is of those who do not see.
 そのように言い張るのは、真に見てはいない者たちです。

 Vision or judgment is your choice, but never both of these.
 ヴィジョンか、それとも裁きか、それはあなたの選択次第です。ただし、決してその両方を選ぶことはできません。

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5. Your brother's body is as little use to you as it is to him.
 あなたの兄弟の身体は、彼にとってほとんど役に立たないのと同じように、あなたにとってもほとんど役に立ちません。

 When it is used only as the Holy Spirit teaches, it has no function.
 身体が聖霊の教える通りにのみ使われるなら、身体は何の役目も持たなくなります。

 For minds need not the body to communicate.
 というのは、心同士がコミュニケーションを図るために身体は必要ないからです。

 The sight that sees the body has no use which serves the purpose of a holy relationship.
 身体が見えるような視覚は、神聖な関係の目的に奉仕するうえで役立つことはありません。

 And while you look upon your brother thus, the means and end have not been brought in line.
 だから、あなたが自分の兄弟を肉眼で見える存在だとみなしているうちは、まだ手段と目的が一致していないのです。

 Why should it take so many holy instants to let this be accomplished, when one would do?
 手段と目的を一致させるために、一度で足りるはずの神聖な瞬間が、どうしてそんなに数多く要るというのでしょうか。

 There is but one.
 神聖な瞬間はただひとつしかありません。

 The little breath of eternity that runs through time like golden light is all the same; nothing before it, nothing afterwards.
 金色の光のように時間を駆け抜ける永遠のほんのかすかな息吹は、すべて同じものであり、その前に何もなければ、その後にも何もないのです。



6. You look upon each holy instant as a different point in time.
 あなたは一つひとつの神聖な瞬間を、時間の中における異なる時点として見ています。

 It never changes.
 しかし、神聖な瞬間は決して変化しません。

 All that it ever held or will ever hold is here right now.
 その瞬間が今まで保ってきたものや、これから保つことになるものはすべて、まさに今ここにあります。

 The past takes nothing from it, and the future will add no more.
 過去は神聖な瞬間から何も取り去ることはないし、未来は何もつけ加えることはありません。

 Here, then, is everything.
 したがって、ここにすべてがあります。

 Here is the loveliness of your relationship, with means and end in perfect harmony already.
 すでに手段と目的が完璧に調和した状態に達した際に、あなたの関係が持つ美しさがここにあります。

 Here is the perfect faith that you will one day offer to your brother already offered you; and here the limitless forgiveness you will give each other already given, the face of Christ you yet will look upon already seen.
 あなたがいつの日か、自分の兄弟に捧げることになる完璧な信頼が、ここではすでにあなたに差し延べられています。そして、ここでは、あなたたちがお互いに与えることになる限りない赦しは、もう兄弟に与えられているのであって、あなたがこれから見ることになるキリストの顔も、ここではすでに見られています。

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7. Can you evaluate the giver of a gift like this?
 あなたに、これほどの贈り物の与え主を評価できるでしょうか。

 Would you exchange this gift for any other?
 あなたは、これほどの贈り物をほかのものと交換したいというのでしょうか。

 This gift returns the laws of God to your remembrance.
 この贈り物は、神の法をあなたの記憶に回復させてくれます。

 And merely by remembering them, the laws that held you prisoner to pain and death must be forgotten.
 そして、ただ神の法を思い出すだけで、あなたは自分を苦しみと死の虜にしていた法則などすっかり忘れ去ってしまうはずです。

 This is no gift your brother's body offers you.
 これは、あなたの兄弟の身体があなたに差し出す贈り物ではありません。

 The veil that hides the gift hides him as well.
 その贈り物を覆い隠すヴェールが、あなたの兄弟まで隠してしまっています。

 He is the gift, and yet he knows it not.
 彼こそが贈り物なのですが、当の兄弟はまだそのことを知りません。

 No more do you.
 それを知らないのは、あなたも同じです。

 And yet, have faith that he who sees the gift in both of you will offer and receive it for you both.
 それでもなお、あなたと兄弟の両者の中にその贈り物を見ている聖霊が、その贈り物をあなたたち両者のために差し延べ、代わりに受け取ってくれると信頼してください。

 And through his vision will you see it, and through his understanding recognize it and love it as your own.
 そうすれば、聖霊のヴィジョンを通して、あなたにもその贈り物が見えるし、聖霊の理解を通じて贈り物を認識し、その贈り物を自分自身のものとして愛するようになるでしょう。



8. Be comforted, and feel the Holy Spirit watching over you in love and perfect confidence in what he sees.
 安心しなさい。そして、聖霊が愛をこめてあなたを見守り、完璧な確信を抱いてあなたを見ているのを感じてください。

 He knows the Son of God, and shares his Father's certainty the universe rests in his gentle hands in safety and in peace.
 聖霊は、神の子を知っており、宇宙が神の子の優しい手の中で安全と平安のうちに安らいでいるという大いなる父の確信を分かち合っています。

 Let us consider now what he must learn, to share his Father's confidence in him.
 ここで、大いなる父が神の子に対して抱いている確信を分かち合うために、神の子が何を学ばなければならないか考えてみましょう。

 What is he, that the Creator of the universe should offer it to him and know it rests in safety?
 宇宙の大いなる創造主が、たとえ全宇宙を彼に与えても、宇宙が無事に安らいだままだと知るほどの神の子とは、はたして何者なのでしょうか。

 He looks upon himself not as his Father knows him.
 当の神の子は自分自身のことを、大いなる父が彼を知るようには見ていません。

 And yet it is impossible the confidence of God should be misplaced.
 それでも、神が間違ったものに確信を持つことはありえないのです。


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