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        対訳 奇跡のコース      奇跡のコース( 奇跡講座  A Course in Miracles ACIM )テキスト、ワークブック、マニュアルの和訳(日本語翻訳)

M17 魔術にはどう対処すべきか

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今回は、教師のためのマニュアルの第17節をご紹介します。

魔術的な思いをどう取り扱うべきかというテーマです。




魔術とは、欺瞞です。魔術的な思いは、欺瞞によって幻惑される思いです。

魔術は、幻想世界の中において、個別の心が信じ込んでいるこの世界のルールを一見すると枉げるような「奇跡」的な出来事を引き起こすことによって、個別の心を幻惑することです。

魔術は、奇跡の裏返しのようなものです。

ですから、奇跡を志向する心と正反対のものが、魔術的な思いということができます。

奇跡を志向する心は、分離の幻想を否定し、神の子の一体性を信じ、幻想であることへの気付きによって罪を赦す思いです。

これに対して、魔術的な思いは、分離の幻想を信じ、神の処罰を恐れて、それから逃れるために、幻想の中で幻想をもって逃避しようとすることで、ますます幻想の中への迷い込みを深めます。

魔術の発想は、都合の悪いことには蓋をして目に見えないようにして誤魔化すということです。ダチョウが敵から逃げようとして頭を砂の中に突っ込むようなものです。

分離の幻想を受け入れた上で、そのことは忘れるように、といった具合です。

「赦し」は、そもそも赦しの対象が実在することを受け入れた上で、「許す」ということではなく、対象自体が実在しない幻想であることを認めて取り消すことでした。

魔術的な思いは、幻想が本物であると受け入れた上で、それを忘れることで対処するという発想なので、根本的に異なるのが分かると思います。

それゆえに、根本的な解決がないままの問題は、心の中に蓋をして溜め込まれていくことになります。

だから、魔術的な思いは、捨て去ることなく隠してあるだけの眠らされた罪悪感を再び呼び起こすことにしかなりません。

だから、分離によって、神から処罰され復讐されるに違いないという恐怖から逃れられなくなってしまいます。

これに対する解決策として、マニュアルでは、事実をありのままに見る必要があるといいます。

怒りのような感情が湧き起るのは、事実によってではなく、事実についての解釈によってなのだということを理解する必要があるといいます。

魔術的な思いは、そこにありもしないものが、さも現実に存在するように見せかけ、それを現実だと信じさせることです。

怒りや妬みや驕りなどの感情は、この本当は実在しないものを現実であると解釈し、その解釈を信じ込むことによって生じます。

この仕組みを理解することによって、解釈の仕方を変える余地が生まれます。

こうして、私たちは、自分で外側の世界に投影した幻についての自分の解釈に反応していただけだったのだと気づくことによって、今、脱出することが可能になるというのです。






Section 17
第17節

How Do God's Teachers Deal with Magic Thoughts?
神の教師は魔術的な思いにどう対処すべきか



1. This is a crucial question both for teacher and pupil.
 これは、教師にとっても生徒にとってもきわめて重要な質問です。

 If this issue is mishandled, the teacher of God has hurt himself and has also attacked his pupil.
 もしこの問題への対処を誤るなら、神の教師は自分自身を傷つけてしまうばかりか自分の生徒まで攻撃することになってしまいます。

 This strengthens fear, and makes the magic seem quite real to both of them.
 この問題への対処の誤りは、恐れを強め、自分にも生徒にも、魔術を本当に現実的なものだと思わせることになってしまいます。

 How to deal with magic thus becomes a major lesson for the teacher of God to master.
 ですから、魔術への対処の仕方は、神の教師にとってマスターすべき重要なレッスンだということができます。

 His first responsibility in this is not to attack it.
 魔術に対処するに際しての教師の第一の心得は、魔術のことを攻撃しないということです。

 If a magic thought arouses anger in any form, God's teacher can be sure that he is strengthening his own belief in sin and has condemned himself.
 もし魔術的な思いがどのような形であれ怒りを生み出すなら、神の教師は、自分の罪を信じる思いを強めて、自分自身を咎めているのは確かだといえます。

 He can be sure as well that he has asked for depression, pain, fear and disaster to come to him.
 同じように、教師は、自分が憂鬱になったり、苦痛を味わったり、恐れを抱いたり、そして災厄が自分の許にやってくるよう求めたことも確かだといえます。

 Let him remember, then, it is not this that he would teach, because it is not this that he would learn.
 だから、教師には、彼の教えることになるのはこんなことではないと思い出させてあげなければなりません。なぜなら、彼の学ぼうとしていることはこんなことではないはずだからです。



2. There is, however, a temptation to respond to magic in a way that reinforces it.
 しかしながら、魔術を強めるようなやり方で魔術に関わりたいという誘惑が存在するのも確かです。

 Nor is this always obvious.
 しかも、この誘惑は必ずしも見え透いたものではありません。

 It can, in fact, be easily concealed beneath a wish to help.
 それどころか、この誘惑は、助けになりたいとの願望の裏側にやすやすと隠れてしまうことができます。

 It is this double wish that makes the help of little value, and must lead to undesired outcomes.
 助けをほとんど価値のないものにして、望みもしない結果へと導いてしまうのは、この二重になった願望のせいです。

 Nor should it be forgotten that the outcome that results will always come to teacher and to pupil alike.
 しかも、忘れてはならないのは、その望みもしない結果はいつでも、教師と生徒両方の許へと同じようにやってきてしまうということです。

 How many times has it been emphasized that you give but to yourself?
 あなたは自分自身にしか与えることができないと何度繰り返し強調してきたことでしょうか。

 And where could this be better shown than in the kinds of help the teacher of God gives to those who need his aid?
 そして、神の教師が彼の助けを必要としている人たちにどのような手助けをしているのかということ以上に、あなたが自分自身にしか与えることができないということを如実に示す場面はほかにないでしょう。

 Here is his gift most clearly given him.
 ここでこそ、最も明確に彼への贈り物が彼に対して与えられることになります。

 For he will give only what he has chosen for himself.
 というのも、彼は、自分が自分自身のために選んだものしか与えることができないからです。

 And in this gift is his judgment upon the holy Son of God.
 そして、この贈り物にこそ、聖なる神の子に対する彼の価値判断が現れているのです。



3. It is easiest to let error be corrected where it is most apparent, and errors can be recognized by their results.
 誤りは、それが最も明白に現れているところで修正するのが最も容易なことです。そして、誤りはその影響や結果によって見分けることができます。

 A lesson truly taught can lead to nothing but release for teacher and pupil, who have shared in one intent.
 真に教わることのできたレッスンは、一つの意図を分かち合う教師と生徒を解放することに導くことしかできません。

 Attack can enter only if perception of separate goals has entered.
 別々に分離した複数の目標を知覚するような場合でなければ、攻撃することは不可能なはずです。

 And this must indeed have been the case if the result is anything but joy.
 そして、もし結果が喜び以外の何ものでもないなら、分離を知覚しないかぎり攻撃などできないことは、本当に事実であるに違いありません。

 The single aim of the teacher turns the divided goal of the pupil into one direction, with the call for help becoming his one appeal.
 教師のたった一つに絞り込まれた目的が生徒の分裂した目標を一つの方向へと向かわせ、助けを求めることだけが生徒の唯一求めることとなります。

 This then is easily responded to with just one answer, and this answer will enter the teacher's mind unfailingly.
 そうなれば、生徒の助けを求めるたった一つの訴えには、たった一つの答えでもって答えることができます。そして、この答えは間違いなく教師の心に入り込むことになります。

 From there it shines into his pupil's mind, making it one with his.
 教師の心から、その答えは生徒の心へと輝きを注ぎ、生徒の心と教師の心を一つにします。



4. Perhaps it will be helpful to remember that no one can be angry at a fact.
 誰にも事実について怒ることはできないと覚えておくことは、きっと役に立つはずです。

 It is always an interpretation that gives rise to negative emotions, regardless of their seeming justification by what as facts.
 たとえ事実のように見えているものによって怒りが正当化されるように思えるとしたとしても、否定的な感情を引き起こすのは必ず事実についての解釈です。

 Regardless, too, of the intensity of the anger that is aroused.
 同じように、引き起こされた怒りの強さも関係ありません。

 It may be merely slight irritation, perhaps too mild to be even clearly recognized.
 その怒りは、些細な苛立ちにすぎないかもしれません。ひょっとすると、はっきりと気づくことすらできないほど穏やかな苛立ちかもしれません。

 Or it may also take the form of intense rage, accompanied by thoughts of violence, fantasied or apparently acted out.
 あるいは、その怒りはまた、強烈な激怒の形をとり、乱暴な思いが過ぎるだけでとどまることもあれば、実際に暴力が振るわれることもあるかもしれません。

 It does not matter.
 しかし、乱暴な思いが想像上にとどまるにせよ、実行されるにせよ、そんなことは問題ではありません。

 All of these reactions are the same.
 これらの反応はすべて同じものです。

 They obscure the truth, and this can never be a matter of degree.
 これらの反応は真理を覆ってぼやかしてしまいます。そして、この真理の曖昧化は程度の問題ではありえません。

 Either truth is apparent, or it is not.
 真理は明白であるか明白でないかのどちらかでしかありません。

 It cannot be partially recognized.
 真理が部分的に認識されるということはありえません。

 Who is unaware of truth must look upon illusions.
 真理に気づかない者は幻想を見ているに違いないのです。



5. Anger in response to perceived magic thoughts is a basic cause of fear.
 知覚された魔術的な思いに対する反応として湧き起こる怒りが、恐怖の基本的な原因です。

 Consider what this reaction means, and its centrality in the world's thought system becomes apparent.
 この反応が何を意味するのかよく考えてみてください。そうすれば、この反応が世界の思考システムの中枢を占めることが露になってきます。

 A magic thought, by its mere presence, acknowledges a separation from God.
 一つの魔術的な思いは、それが単に存在するということだけで、神からの分離を承認することになります。

 It states, in the clearest form possible, that the mind which believes it has a separate will that can oppose the Will of God, also believes it can succeed.
 魔術的な思いは、可能なかぎり明白な形で、神の大いなる意志に逆らうことのできる分離した意志を持つことができると信じている個別の心を表しており、その心は、神の大いなる意志に反して分離した意志を持つことに成功できると信じていることを表しています。

 That this can hardly be a fact is obvious.
 神の大いなる意志に逆らうことができるということが事実でなどありえないことは明白です。

 Yet that it can be believed as fact is equally obvious.
 しかし、神の大いなる意志に反することができることを、事実だとして信じることができることも同じように明白なことです。

 And herein lies the birthplace of guilt.
 そして、ここにこそ、罪悪感の揺籃の地を見出すことができます。

 Who usurps the place of God and takes it for himself now has a deadly "enemy."
 神の座を簒奪し、わがものとしようとした者は、今や絶対的な「敵」を持つことになります。

 And he must stand alone in his protection, and make himself a shield to keep him safe from fury that can never be abated, and vengeance that can never be satisfied.
 そして、神の座の簒奪者は、自分を守るためにひとりきりで立ち向かわなければなりません。そして、彼は、決して鎮まることのない憤激から、そして、いつまでも満たされることのない復讐から、自分を安全に保つための盾になるものを自分で作り上げなければならなくなります。



6. How can this unfair battle be resolved?
 どのようにすればこんな偏った戦いを決着できるでしょうか。

 Its ending is inevitable, for its outcome must be death.
 この戦いの終結は避けられないことです。というのは、この戦いの結果が死であることは間違いないからです。

 How, then, can one believe in one's defenses?
 そうだとすれば、どうして、その者に自らの防衛策のことを信頼することなどできるでしょうか。

 Magic again must help.
 またしても魔術の助けが必要となってしまいます。

 Forget the battle.
 そんな戦いのことなど忘れてしまうように。

 Accept it as a fact, and then forget it.
 戦いを事実として受け入れた上で、それから、それを忘れてしまうように。

 Do not remember the impossible odds against you.
 あなたに勝ち目が無いことを思い出すことのないように。

 Do not remember the immensity of the "enemy," and do not think about your frailty in comparison.
 「敵」の計り知れない強さなど忘れてしまうように。そして、敵に比べての自らの脆弱さについて考えないように。

 Accept your separation, but do not remember how it came about.
 自分が分離していることを受け入れるように。ただし、分離がどのようにして生じたのかということなど忘れてしまうように。

 Believe that you have won it, but do not retain the slightest memory of Who your great "opponent" really is.
 あなたが分離に打ち勝ったと信じるように。ただし、あなたの偉大なる「敵対者」が本当は誰なのかという記憶をほんの少しでも残さないように。

 Projecting your "forgetting" onto Him, it seems to you He has forgotten, too.
 このような魔術の勧めに従って、あなたが自分の忘却を神に投影することによって、あなたには、神もまた忘れてしまったように思えてきます。



7. But what will now be your reaction to all magic thoughts?
 しかし、このような、あらゆる魔術的な思いへのあなたの反応は、今では、どのようなものになってしまったことでしょうか。

 They can but reawaken sleeping guilt, which you have hidden but have not let go.
 魔術的な思いは、あなたが隠しはしたものの、捨て去ることなく眠らせている罪悪感を再び呼び覚ますことしかできません。

 Each one says clearly to your frightened mind, "You have usurped the place of God. Think not He has forgotten."
 あなたが隠した罪悪感の一つひとつは、あなたの怯えきった心にはっきりと告げます。「お前は神の座を奪い取ったのだ。神がそれを忘れてしまったなどと決して思わないことだ」と。

 Here we have the fear of God most starkly represented.
 ここにおいて、私たちは、最もはっきりと現れている神への恐怖を抱くことになります。

 For in that thought has guilt already raised madness to the throne of God Himself.
 なぜなら、その神への恐怖の思いの中には、すでに狂気を神自身の玉座にまで昇らせてしまったことに対する罪悪感があるからです。

 And now there is no hope.
 もはや、希望はありません。

 Except to kill.
 殺すしかありません。

 Here is salvation now.
 今や、殺すことこそが救いとなります。

 An angry father pursues his guilty son.
 怒れる父は、その罪深い息子を追い求めます。

 Kill or be killed, for here alone is choice.
 殺すか殺されるかです。というのも、ここに至ってはそれ以外に選択肢はないからです。

 Beyond this there is none, for what was done cannot be done without.
 この選択肢のほかには何もありません。なぜなら、やってしまったことをなかったこととして済ませることなどできないからです。

 The stain of blood can never be removed, and anyone who bears this stain on him must meet with death.
 血による汚れを落とすことは決してできません。だから、誰であれこの汚れを自らに染めてしまった者は死と出会うことを免れません。



8. Into this hopeless situation God sends His teachers.
 こんな絶望的な状況の中へと、神は自らの教師たちを遣わします。

 They bring the light of hope from God Himself.
 神の教師たちは、神自身に由来する希望の光を携えています。

 There is a way in which escape is possible.
 そこには、抜け出すことが可能な道があります。

 It can be learned and taught, but it requires patience and abundant willingness.
 その道は学ぶことができ、教えてもらうことができます。しかし、道を学ぶには忍耐を要し、十分に溢れる意欲が必要です。

 Given that, the lesson's manifest simplicity stands out like an intense white light against a black horizon, for such it is.
 忍耐と意欲さえあれば、その道の教えの示すシンプルさは、真っ暗な地平線に差し込む凛冽な白光のように際立っています。というのも、その道はそのとおり単純で易しいものだからです。

 If anger comes from an interpretation and not a fact, it is never justified.
 もし怒りが事実ではなくその解釈からやってくるなら、そんな怒りが正当化されることは決してありません。

 Once this is even dimly grasped, the way is open.
 いったんこのことが、たとえおぼろげながらであっても把握できたなら、その道は開け放たれることになります。

 Now it is possible to take the next step.
 今や、次の一歩を踏み出すことが可能となります。

 The interpretation can be changed at last.
 ようやく、解釈の仕方を変えることができるようになったのです。

 Magic thoughts need not lead to condemnation, for they do not really have the power to give rise to guilt.
 魔術的な思いを非難する必要はありません。なぜなら、魔術的な思いは、実際には、罪悪感を生み出す力など持ち合わせていないからです。

 And so they can be overlooked, and thus forgotten in the truest sense.
 だから、魔術的な思いなど見過ごすことができるのであって、こうして、真の意味で、魔術的な思いは忘れ去られることになります。



9. Madness but seems terrible.
 狂気は、恐ろしいものに見えるだけです。

 In truth it has no power to make anything.
 本当は、狂気には、何も作り出す力などまったくありません。

 Like the magic which becomes its servant, it neither attacks nor protects.
 狂気の僕として仕える魔術と同じように、狂気は攻撃することも防御することもできません。

 To see it and to recognize its thought system is to look on nothing.
 狂気をよく見て、狂気の思考システムに気づくことは、無を見るということです。

 Can nothing give rise to anger?
 無が怒りを引き起こすことなどできるでしょうか。

 Hardly so.
 できるはずもありません。

 Remember, then, teacher of God, that anger recognizes a reality that is not there; yet is the anger certain witness that you do believe in it as fact.
 それゆえに、神の教師たちよ、覚えておきなさい。怒りとはそこに無いものに現実味を認めることであること、そして、怒りは、あなたがそこに無いものを事実として信じていることの確実な証しでだということを。

 Now is escape impossible, until you see you have responded to your own interpretation, which you have projected on an outside world.
 今のところは、自分が自ら外側の世界に投影したものについての自分の解釈に反応していたのだとあなたが気づかないかぎり、脱出することは不可能です。

 Let this grim sword be taken from you now.
 そこにありもしないものを事実だと信じるこんな容赦のない剣を、自分から取り上げてもらいなさい。

 There is no death.
 死というものは無いのです。

 This sword does not exist.
 こんな剣は存在しないのです。

 The fear of God is causeless.
 神を恐れることには原因など無いのです。

 But His Love is Cause of everything beyond all fear, and thus forever real and always true.
 しかし、神の愛は、恐れを越えて、ありとあらゆるものの原因なのであり、それゆえに、永遠に本物であり、いつも変わらぬ真理なのです。

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