FC2ブログ

There Is No Spoon

ARTICLE PAGE

T3-3 知覚と知識ってどう違うの?

今回はテキスト第三章から、知覚知識について述べる一節をご紹介します。




一般的な用語としての「知識」は、物事を認識することによって得られた成果を指し、外部から取り込まれた情報を活用できる形で体系的に身につけたもののことを意味します。

これに対して、コースでいう知識は、知識を持つ主体が神の子であることから、一般的な語法とは相違が出てきます。

神の子はもともと神に完全に創造されているので、知識を得たり失ったり知識が変動したりすることはありえません。

そして、完全な創造とは、神の子が神と一体であり、すべてを持ち、すべてでもあることなので、知る主体と客体はひとつで分離していません。

したがって、端的に言えば、知識とは、神の子が抱く確信のことを意味するということができます。

この確信は揺らぐことがないので、時間とは無関係で、時間ではなく永遠の領域に属します。



これに対して、一般的な用語としての「知覚」は、感覚器官を介して外界の物事を認識することです。

コースでいう知覚も、アバターであるエゴ・身体の認識を意味し、一般的な語法と等しいと言えます。


1.「Even in its most spiritualized form perception involves the body.
 その最も霊的な形態においてすら、知覚するためには身体を必要とします。

 Knowledge comes from the altar within and is timeless because it is certain.
 知識は内なる祭壇から訪れます。そして、知識は確実なものなので、時間とは関わりを持ちません。

 To perceive the truth is not the same as to know it.
 真理知覚することは、真理を知ることと同じではないのです。」

客体として世界を認識する主体である覗き窓としてのアバターとしての身体がなければ、知覚はありえません。

知覚は、知覚する主体と知覚される対象が分離していることを前提に、知覚の主体が対象を認識していない状態から認識する状態に至るプロセスなので、時間に依存するものであり、確信の状態に接近して知識に移行する余地はあっても、知覚自体が固定することはありません。
キリストのヴィジョンは、知識ではなく、知覚のひとつですが、肉眼のフィルターやエゴの心理的歪曲によって曇ることのないありのままの正確な知覚です。






テキスト第三章 

III. Perception versus Knowledge
三 知覚知識



1. We have been emphasizing perception, and have said very little about knowledge as yet.
 私たちは、今まで知覚に重点を置いて見てきましたが、まだ知識についてはほとんど語っていません。

 This is because perception must be straightened out before you can know anything.
 その理由は、まず知覚が正しい状態にされていなければ、あなたは何も知ることができないからです。

 To know is to be certain, and certainty is strength.
 何かを知るということは、それを確信することであり、確信することが力となります。

 Perception is temporary.
 知覚は一時的なものです。

 As an attribute of the belief in space and time, it is subject either to fear or to love.
 空間と時間を信じることの属性として、知覚は恐れと愛のいずれによっても影響を受けます。

 Misperceptions produce fear and true perceptions foster love, but neither brings certainty because all perception varies.
 誤った知覚は恐れを生み出し、正しい知覚は愛を育みます。しかし、いかなる知覚も変化するので、正誤いずれの知覚も確信をもたらすものではありません。

 That is why it is not knowledge.
 この理由ゆえに、知覚は知識ではないのです。

 True perception is the basis for knowledge, but knowing is the affirmation of truth and beyond all perceptions.
 正しい知覚は知識に至る基盤にはなりますが、知るということは真理を確証することであり、いかなる知覚も及ばないものです。



2. All your difficulties stem from the fact that you do not recognize yourself, your brother or God.
 あなたの苦難はどれもみな、あなたが自分自身や兄弟や神が何者なのか、認識して判別できないという事実から派生します。

 To recognize means to "know again," implying that you knew before.
 識別するということは「再び知る」ことを意味するので、暗黙に当然の前提として、あなたが以前にはそれを知っていたことを示しています。

 You can see in many ways because perception involves interpretation, and this means that it is not whole or consistent.
 知覚は解釈を必要とし、解釈を要するということは、知覚が全体的なものでもなければ、一貫したものでもないことを意味するので、あなたは多様な見方をすることができます。

 The miracle, being a way of perceiving, is not knowledge.
 奇跡は、知覚の仕方のひとつであるがゆえに、知識ではありません。

 It is the right answer to a question, but you do not question when you know.
 奇跡は、疑問に対する正しい答えではあります。しかし、あなたが答えを知っているなら、あなたは疑問を抱いたりしないはずです。

 Questioning illusions is the first step in undoing them.
 幻想に疑問を抱きはじめることが、幻想を取り消すための第一歩となります。

 The miracle, or the right answer, corrects them.
 奇跡という正しい答えが幻想を正してくれます。

 Since perceptions change, their dependence on time is obvious.
 知覚は変化するものなので、知覚が時間に依存しているのは明らかです。

 How you perceive at any given time determines what you do, and actions must occur in time.
 その機会ごとにあなたがどのように知覚するかによって、あなたが何を行なうかが決まります。つまり、時間の中では、必ず行動が起こるということです。

 Knowledge is timeless, because certainty is not questionable.
 知識は、時間と関わりを持ちません。なぜなら、確信とは疑問を差し挟む余地がないことだからです。

 You know when you have ceased to ask questions.
 あなたが疑問を呈するのをやめたとき、あなたは知ることになります。

名称未設定

3. The questioning mind perceives itself in time, and therefore looks for future answers.
 疑問を抱いている心は、自分が時間の中にいると知覚するので、未来に答えを探そうとします。

 The closed mind believes the future and the present will be the same.
 閉ざされた心は、未来も現在と同じものになるはずだと信じます。

 This establishes a seemingly stable state that is usually an attempt to counteract an underlying fear that the future will be worse than the present.
 未来が現在と同じになるはずだと信じれば、表面的には安定した状態を確立できます。もっとも、こう信じるのは、決まって未来は現在よりもさらに悪くなってしまうかもしれないという心の底の恐れを中和しようとして試みられることです。

 This fear inhibits the tendency to question at all.
 この未来への恐れが、疑問を抱く気持ちを頭から抑えこんでしまいます。



4. True vision is the natural perception of spiritual sight, but it is still a correction rather than a fact.
 真のヴィジョンは、霊的な視覚による自然な知覚ではありますが、それでもなお、真のヴィジョンは事実ではなく修正です。

 Spiritual sight is symbolic, and therefore not a device for knowing.
 霊的な視覚は象徴を知覚するものであり、したがって、知るための手段にはなりません。

 It is, however, a means of right perception, which brings it into the proper domain of the miracle.
 しかしながら、霊的な視覚は正しく知覚するための手段であり、正しい知覚は、霊的な視覚を奇跡が起こるのにふさわしい領域へともたらします。

 A "vision of God" would be a miracle rather than a revelation.
 「神のヴィジョン」は、啓示ではなく奇跡と呼ぶべきでしょう。

 The fact that perception is involved at all removes the experience from the realm of knowledge.
 何よりも知覚を必要とするという事実が、その経験を知識の領域から締め出してしまうからです。

 That is why visions, however holy, do not last.
 これが、いかに神聖であろうとも、ヴィジョンが持続するものではない理由です。

名称未設定

5. The Bible tells you to know yourself, or to be certain.
 聖書はあなたに、汝自身を知れ、つまり、自分自身を確信せよと命じています。

 Certainty is always of God.
 確信は、必ず神から訪れます。

 When you love someone you perceive him as he is, and this makes it possible for you to know him.
 あなたが誰かを愛するとき、あなたはその人をあるがままに知覚しているのであり、その人をありのままに知覚することで、あなたはその人を知ることができるようになります。

 Until you first perceive him as he is you cannot know him.
 まずあなたが彼をありのままに知覚するまでは、あなたは彼を知ることができません。

 While you ask questions about him you are clearly implying that you do not know God.
 あなたが彼に対し疑問を呈し続けているかぎり、あなたは自分が神を知らないとはっきりと示しているのです。

 Certainty does not require action.
 確信は行動を必要としません。

 When you say you are acting on the basis of knowledge, you are really confusing knowledge with perception.
 あなたが自分は知識に基づいて行動していると言うとき、実は、あなたは知識と知覚とを混同しているのです。

 Knowledge provides the strength for creative thinking, but not for right doing.
 知識が力を与えるのは、正しく行動するためにではなく、創造的に思考するためです。

 Perception, miracles and doing are closely related.
 知覚、奇跡、そして行動の間には密接な関連があります。

 Knowledge is the result of revelation and induces only thought.
 知識は啓示の結果であり、ただ思考だけを引き起こします。

 Even in its most spiritualized form perception involves the body.
 その最も霊的な形態においてすら、知覚するためには身体を必要とします。

 Knowledge comes from the altar within and is timeless because it is certain.
 知識は内なる祭壇から訪れます。そして、知識は確実なものなので、時間とは関わりを持ちません。

 To perceive the truth is not the same as to know it.
 真理を知覚することは、真理を知ることと同じではないのです。

名称未設定

6. Right perception is necessary before God can communicate directly to His altars, which He established in His Sons.
 神が神の子らの中に自ら確立した神の祭壇と直接的にコミュニケーションを取れるようになるには、その前に正しく知覚することが必要です。

 There He can communicate His certainty, and His knowledge will bring peace without question.
 この神の祭壇でこそ、神は自身の確信を伝えることができます。そして、神の知識は疑いなく平安をもたらしてくれるでしょう。

 God is not a stranger to His Sons, and His Sons are not strangers to each other.
 神は、神の子らにとって見知らぬ存在ではないし、子らも互いに見知らぬ同士ではありません。

 Knowledge preceded both perception and time, and will ultimately replace them.
 知識は知覚と時間のどちらよりも先にあったものであり、最終的には知覚と時間に置き換わるでしょう。

 That is the real meaning of "Alpha and Omega, the beginning and the end," and "Before Abraham was I am. "
 これが「アルファであり、オメガである。始まりであり、終わりである」、そして、「アブラハムが生まれる前から、私は在る」と聖書が言う真の意味です。

 Perception can and must be stabilized, but knowledge is stable.
 知覚は安定させることができるし、安定させなければならないものです。これに対して、知識はもともと安定しています。

 "Fear God and keep His commandments" becomes "Know God and accept His certainty. "
 「神を畏れ、神の戒律を守れ」と言われているのは「神を知り、神の確信を受け入れよ」となります。



7. If you attack error in another, you will hurt yourself.
 もしあなたが他者の誤りを攻撃するなら、あなたは自分自身を傷つけることになります。

 You cannot know your brother when you attack him.
 あなたが自分の兄弟を攻撃しているかぎり、あなたには彼を知ることができません。

 Attack is always made upon a stranger.
 攻撃は必ず、知らない者に対して加えられるものだからです。

 You are making him a stranger by misperceiving him, and so you cannot know him.
 あなたは兄弟を誤って知覚することによって彼を見知らぬ他者に仕立てあげてしまうので、あなたは彼を知ることができないのです。

 It is because you have made him a stranger that you are afraid of him.
 あなたが兄弟のことを恐れるのは、あなたが自分で彼を見知らぬ他者にしてしまったせいなのです。

 Perceive him correctly so that you can know him.
 あなたが兄弟を知ることができるように、彼を正しく知覚してください。

 There are no strangers in God's creation.
 神が創造したものの中には、見知らぬ者など誰ひとりとしていないのです。

 To create as He created you can create only what you know, and therefore accept as yours.
 神が創造したように創造するためには、あなたはただ自分の知っているもの、したがって、自分のものとして受け入れるものしか創造できません。

 God knows His children with perfect certainty.
 神は自分の子供たちを完全な確信をもって知っています。

 He created them by knowing them.
 神は知ることによって彼らを創造したからです。

 He recognizes them perfectly.
 だから、神は自分の子供たちを完全に判別できるのです。

 When they do not recognize each other, they do not recognize Him.
 神の子らがお互いの判別がつかないとき、彼らは神を判別することもできないのです。


名称未設定

次

関連記事
確信知識知覚他人兄弟疑問一貫性奇跡識別真理

Comments 0

Leave a reply