レッスン189「私は今、自らの内に神の愛を感じる」


もし、あなたが私を良く理解したならば、すべての恐怖を落とし、もっと愛しなさいーーそして無条件に愛しなさい。愛するときは、相手のために何かしてあげていると考えてはいけない。あなたは自分自身のために大切なことをしているのだ。あなたが愛するとき、それはあなたのためになるのだ。だから、待ってはいけない。他の人が愛してくれる時にだけ愛そう、と言ってはいけないーーそれはまったく的外れだ。

利己的になりなさい。愛は利己的だ。人を愛しなさいーーそれによってあなたは満たされる。それによってあなたはもっともっと祝福を受けるのだ。

そして、愛がもっと深くなったとき、恐怖が消える。愛は光であり、恐怖は暗闇だ。



OSHO(「Courage 勇気」94ページ)

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What lies behind you and what lies in front of you, pales in comparison to what lies inside of you.
あなたの過去にどんなことがあったにせよ、あなたの未来にどんなことが待っているにせよ、あなたの内側に潜む素晴らしさに比べたら、色褪せて見劣りしてしまう。



Ralph Waldo Emerson
ラルフ・ウォルドー・エマソン

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真実の信仰はただひとつ。神、すなわち愛という信仰が、それである。

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オマル・ハイヤーム 「ルバイヤート






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レッスン189です。

「私は今、自らの内に神の愛を感じる」が今日のテーマです。


内に感じるものを外に見るという法則

悪意と恐怖で曇った目を通して世界を眺める者には攻撃と憎しみと復讐の世界しか見えないのと同じくらい、自らの内に神の愛を感じる者には、憎しみの世界など想像もつかないということが語られます。

そのわけは、次の法則が作用するからということです。





5.「You will look upon that which you feel within.
 それは、あなたが内側に感じるものをあなたは見ることになる、という法則です。

 If hatred finds a place within your heart, you will perceive a fearful world, held cruelly in death's sharp-pointed, bony fingers.
 もし憎しみがあなたの心の中に居場所を見出すなら、あなたは死神の先の尖った骨だけの指が残酷に握り締めている恐怖に満ちた世界を知覚するでしょう。

 If you feel the Love of God within you, you will look out on a world of mercy and of love.
 もしあなたが自らの内に神の大いなる愛を感じるなら、あなたは外に慈悲と愛に溢れる世界を見るでしょう。」


私たちが主役を張って出しゃばるせいで神の子は幽閉されている→聖霊に明け渡して脇役に徹する

さて、今日のレッスンの7.以降の文章は圧巻だと思います。

私たちは、自分から神を探そうという姿勢や努力をすべてかなぐり捨てて、心を空っぽにして、神のほうに自分を見つけ出してもらう覚悟を決める態度決定を迫られます。

私たちは、自分が主役を張っているつもりでいますが、私たちを主人公とする夢を見ている神の子が目を覚ますためには、本来お呼びでない私たちが主役として活躍する出番はありません。

アバターである私たちが悟りを開いて覚醒してこの夢の世界の中で神の子に変身するわけではありません。


私たちが知りえない神に至る道を神のほうは知っている

「7. Simply do this: Be still, and lay aside all thoughts of what you are and what God is; all concepts you have learned about the world; all images you hold about yourself.
 単純に、次のようにしてください。じっと静かにして、自分が何者かとか神とは何かについてのあらゆる思い、あなたがこの世界について学んできたあらゆる概念、あなたが自分自身について抱くあらゆるイメージを手放すのです。

 Empty your mind of everything it thinks is either true or false, or good or bad, of every thought it judges worthy, and all the ideas of which it is ashamed.
 真実だとか間違っているとか、善であるとか悪であるとか、あなたの心が考えるあらゆること、あなたの心が価値あるものと判断するすべての思い、あなたの心が恥ずかしいと思っているすべての想念を去らせて、あなたの心を空っぽにしてください。

 Hold onto nothing.
 何ものにもしがみつかないでください。

 Do not bring with you one thought the past has taught, nor one belief you ever learned before from anything.
 過去から教わった考えやあなたが以前に何かから学んだ信念など、何ひとつ自分と一緒に連れて行ってはなりません。

 Forget this world, forget this course, and come with wholly empty hands unto your God.
 この世界を忘れ、このコースを忘れ、そして、完全に両手を空っぽにしてあなたの神の下へと赴いてください。



8. Is it not He Who knows the way to you?
 神のほうこそ、あなたへの道を知っているのではないでしょうか。

 You need not know the way to Him.
 あなたが神に至る道を知っている必要はありません。」


私たちの行動は「見て見て、邪魔しないでよ! ぼく、できるんだもん!」と癇癪を起こしている幼児と同じ

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迷子になった子供が自分の狭い了見でよかれと思って親を探し回ることで、かえって親に見つけてもらえない状態が深刻化するということはありがちな事態です。


コースの基本的スタンスは、あらゆる面で、これです。


つまり、私たちは自分には神を見出す力があると信じているし、努力を払う気も満々なので、何もするななどと言われようものなら、馬鹿にするな!と、自分を蔑ろにされたように感じて憤慨し、自分の有能さを証明してやろうと躍起になって奮闘します。

けれど、私たちの問題の本質は、このようにエゴが私たちの操縦桿を奪い取ってコントロールする状態を解消することにあるわけで、最初から物分かりよくお手上げ状態になってくれればよいけれど、なかなかそうはいかないので、コースは、あの手この手で私たちのエゴをなだめすかして聖霊の指導に従う合理性に気づいて明け渡しを徐々に進めるように導いているわけです。



この世界のすべてを忘れる

上の引用文の一部をあらためて抜き出します。

7.「Hold onto nothing.
 何ものにもしがみつかないでください。

 Do not bring with you one thought the past has taught, nor one belief you ever learned before from anything.
 過去から教わった考えやあなたが以前に何かから学んだ信念など、何ひとつ自分と一緒に連れて行ってはなりません。

 Forget this world, forget this course, and come with wholly empty hands unto your God.
 この世界を忘れ、このコースを忘れ、そして、完全に両手を空っぽにしてあなたの神の下へと赴いてください。」


はてしない物語のラストシーンで、バスチアンが生命の水に飛び込む直前の情景を描く部分を引用します。

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「アウリンは、バスチアンのさがし求めていた戸口である。始めからずっと自分で持っていたのだ。けれども、蛇たちは、ファンタージエンのものは何一つ通しはしないだろう。だからバスチアンは、幼ごころの君からいただいたものを、すべて返さなくてはならない。さもないと、生命の水を飲むことができない。水たちはそういっています。」
「でも、ぼくたちは幼ごころの君のおしるしの中にいるのでしょう。」アトレーユが大きな声でいった。「女王さまご自身は、ここにいらっしゃらないのですか?」
「水たちはいっています。月の子のお力はここまでで終わりだ。そして月の子だけは、この場所にいらっしゃることは絶対にできない。ご自身をはずすわけにはいかないから、おひかりの中にお入りになることはできない。」
アトレーユは困って、口をつぐんでしまった。
「今、水たちはたずねています。」フッフールがつづけていった。「バスチアンにその気持の用意ができているのか?と。」
「はい。できています。」アトレーユは叫んだ。「バスチアンはもちろんその気持です。」
その瞬間、黒の巨大な蛇が、白の蛇の尾を口にくわえたまま、ゆっくりゆっくり頭をもたげはじめた。堂々とした大きな胴体がぐらっと持ちあがり、ついに片側は黒く、片側は白い大きな門になった。
アトレーユはバスチアンの手をとり、この見るからに怖ろしい門をくぐった。二人の前には、泉が、今やその大きさ、見事さをあますところなく見せて噴きあがっていた。フッフールが二人につづいて入ってきた。二人は泉に向かって進んだ。すると、一歩ごとに、バスチアンがファンタージエンでもらったすばらしいものが、一つ一つなくなっていった。美しい、強い、怖れを知らぬ英雄は、ふたたび小さくて、太っちょの、気の弱い少年にもどった。ヨルのミンロウドでぼろ同然にすりきれてしまった服までもすっかり消え去り、何もなくなってしまった。ついにバスチアンは、一糸まとわぬはだかの姿で、大きな黄金の環の前に立っていた。
その環のまんなかから、生命の水が、ファンタージエンで得たものは一つ残らず失い、しかし、自分の世界と自分自身についての記憶はまだ甦ってこないこの最後の瞬間、バスチアンは、まったくよりどころのない状態を体験した。自分がどちらの世界のものなのか、自分はほんとうにいるのか、わからなくなったのだ。
だが、バスチアンは、ためらわずに水にとびこんだ。そして、水晶のように澄んだ水の中で、転げまわりはねまわり、水を吹きとばしはねかえして、きらきらととび散る水滴を口に受けて飲んだ。飲んで飲んで、渇きがすっかりおさまったとき、体中に悦びがみちあふれていた。生きる悦び、自分自身であることの悦び。自分がだれか、自分の世界がどこなのか、バスチアンには、今ふたたびわかった。新たな誕生だった。今は、あるがままの自分でありたいと思った。そう思えるのは、何よりすばらしいことだった。あらゆるあり方から一つを選ぶことができたとしても、バスチアンは、もうほかのものになりたいとは思わなかっただろう。今こそ、バスチアンにはわかった。世の中には悦びの形は何千何万とあるけれども、それはみな、結局のところたった一つ、愛することができるという悦びなのだと。愛することと悦び、この二つは一つ、同じものなのだ。
あとになって、バスチアンがまた自分の世界にもどってからずっと時がたち、やがて年老いてからも、この悦びはもう消え去ってしまうことはなかった。生涯のうちの最も困難な時期にさえ、かれにはこの心の悦びがあり、それがかれをほほえませ、まわりの人びとを慰めた。

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Michael Ende
ミヒャエル・エンデ(「はてしない物語」より)

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バスチアンがファンタージエンで得たすべて返さなければ、生命の水に飛び込めなかったように、私たちも、この世界を忘れ、このコースも忘れ、自己像を忘れ、すべてを忘れて天国に帰還しなければなりません。







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Lesson 189

I feel the Love of God within me now.
私は今、自らの内に神の愛を感じる。



1. There is a light in you the world can not perceive.
 この世界には知覚できない光があなたの中にあります。

 And with its eyes you will not see this light, for you are blinded by the world.
 だから、この世界の目では、あなたはこの光を見ることができません。というのも、あなたはこの世界によって盲目にされているからです。

 Yet you have eyes to see it.
 しかし、あなたはその光を見る目を持っています。

 It is there for you to look upon.
 その光は、あなたが見えるようにあなたの中に存在しています。

 It was not placed in you to be kept hidden from your sight.
 その光は、あなたの目から逃れたままにしておくために、あなたの中に置かれたわけではありません。

 This light is a reflection of the thought we practice now.
 この光は、今、私たちが実践する考えを反映するものです。

 To feel the Love of God within you is to see the world anew, shining in innocence, alive with hope, and blessed with perfect charity and love.
 あなたの内側に神の大いなる愛を感じることは、世界を新たに見ることです。世界を無垢に光り輝いていて、希望にみなぎり、そして、完璧な思いやりと愛をもって祝福されているものとして見ることです。



2. Who could feel fear in such a world as this?
 いったい誰がこのような世界に恐れを抱くことができるでしょうか。

 It welcomes you, rejoices that you came, and sings your praises as it keeps you safe from every form of danger and of pain.
 その世界はあなたを歓迎し、あなたの到来を喜び、そして、あなたをすべての危険や苦痛から守りながら、あなたを讃える歌を歌います。

 It offers you a warm and gentle home in which to stay a while.
 その世界はあなたに、しばらくの間留まることのできる温かくて居心地のよい家を差し出してくれます。

 It blesses you throughout the day, and watches through the night as silent guardian of your holy sleep.
 その世界は、一日中あなたを祝福し、そして、一晩中あなたの聖なる眠りを静かに見守る守護者となってくれます。

 It sees salvation in you, and protects the light in you, in which it sees its own.
 その世界は、あなたの中に救済を見て、あなたの中の光が世界自体の光だとわかるので、あなたの中の光を守ります。

 It offers you its flowers and its snow, in thankfulness for your benevolence.
 その世界は、あなたの溢れる慈悲に感謝を捧げながら、あなたにその花と雪を差し出します。



3. This is the world the Love of God reveals.
 これが神の大いなる愛が明らかにする世界です。

 It is so different from the world you see through darkened eyes of malice and of fear, that one belies the other.
 その世界は、悪意と恐怖で曇った目を通してあなたが見ている世界とはあまりに違うので、この新たな世界があなたの世界が偽りであることを示します。

 Only one can be perceived at all.
 本当に、どちらか一方の世界しか知覚することはできません。

 The other one is wholly meaningless.
 もう一方の世界は、完全に無意味になります。

 A world in which forgiveness shines on everything, and peace offers its gentle light to everyone, is inconceivable to those who see a world of hatred rising from attack, poised to avenge, to murder and destroy.
 攻撃から憎しみが湧き起こり、殺して打ち滅ぼすために復讐しようと身構えている世界を見ている者たちにとっては、赦しがすべてに輝きを注ぎ、平安が優しい光をみんなに差し延べる世界など想像もつきません。



4. Yet is the world of hatred equally unseen and inconceivable to those who feel God's Love in them.
 しかし、自分の中に神の大いなる愛を感じている者たちにとっては、それと同じくらい、憎しみの世界は見ることも想像することもできない世界です。

 Their world reflects the quietness and peace that shines in them; the gentleness and innocence they see surrounding them; the joy with which they look out from the endless wells of joy within.
 自分の内に神を感じる者たちの見る世界は、彼らの中で輝く静寂と平安、彼らが自分たちの周囲に見ている優しさや潔白さ、内なる喜びの無限の泉から見る喜びを反映しています。

 What they have felt in them they look upon, and see its sure reflection everywhere.
 彼らが自分の内に感じたものを彼らは目にするのであり、その確かな反映をあらゆる場所に見ることになります。




5. What would you see?
 あなたはどんな世界を見たいのでしょうか。

 The choice is given you.
 その選択はあなたに委ねられています

 But learn and do not let your mind forget this law of seeing:
 しかし、見ることについての次の法則を学んで、自分の心に、この法則を忘れさせないようにしてください。

 You will look upon that which you feel within.
 それは、あなたが内側に感じるものをあなたは見ることになる、という法則です。

 If hatred finds a place within your heart, you will perceive a fearful world, held cruelly in death's sharp-pointed, bony fingers.
 もし憎しみがあなたの心の中に居場所を見出すなら、あなたは死神の先の尖った骨だけの指が残酷に握り締めている恐怖に満ちた世界を知覚するでしょう。

 If you feel the Love of God within you, you will look out on a world of mercy and of love.
 もしあなたが自らの内に神の大いなる愛を感じるなら、あなたは外に慈悲と愛に溢れる世界を見るでしょう。



6. Today we pass illusions, as we seek to reach to what is true in us, and feel its all-embracing tenderness, its Love which knows us perfect as itself, its sight which is the gift its Love bestows on us.
 今日、私たちは幻想を通り過ぎ、自分の中にある真実であるものへと到達し、そのすべてを包みこむ優しさ、私たちのことを完全にありのままに知るその大いなる愛、その愛が私たちに授けてくれる贈り物である視覚を感じることを求めます。

 We learn the way today.
 今日、私たちは、その道を学びます。

 It is as sure as Love itself, to which it carries us.
 その道は、大いなる愛そのものと同じくらい確実に、私たちを幻想の向こう側へと運んでくれます。

 For its simplicity avoids the snares the foolish convolutions of the world's apparent reasoning but serve to hide.
 というのも、その道の平坦さは、この世界の見せかけの道理がただ隠蔽することだけに奉仕している馬鹿げた複雑さという罠を回避してくれるからです。



7. Simply do this: Be still, and lay aside all thoughts of what you are and what God is; all concepts you have learned about the world; all images you hold about yourself.
 単純に、次のようにしてください。じっと静かにして、自分が何者かとか神とは何かについてのあらゆる思い、あなたがこの世界について学んできたあらゆる概念、あなたが自分自身について抱くあらゆるイメージを手放すのです。

 Empty your mind of everything it thinks is either true or false, or good or bad, of every thought it judges worthy, and all the ideas of which it is ashamed.
 真実だとか間違っているとか、善であるとか悪であるとか、あなたの心が考えるあらゆること、あなたの心が価値あるものと判断するすべての思い、あなたの心が恥ずかしいと思っているすべての想念を去らせて、あなたの心を空っぽにしてください。

 Hold onto nothing.
 何ものにも、しがみついてはなりません。

 Do not bring with you one thought the past has taught, nor one belief you ever learned before from anything.
 過去に教えこまれた考えやあなたが以前に何かから学んだ信念など、何ひとつ自分と一緒に連れて行ってはなりません。

 Forget this world, forget this course, and come with wholly empty hands unto your God.
 この世界を忘れ、このコースを忘れ、そして、完全に両手を空っぽにしてあなたの神の下へと赴いてください。



8. Is it not He Who knows the way to you?
 神のほうこそ、あなたへの道を知っているのではないでしょうか。

 You need not know the way to Him.
 あなたが神に至る道を知っている必要はありません。

 Your part is simply to allow all obstacles that you have interposed between the Son and God the Father to be quietly removed forever.
 あなたの役目は、単に、大いなる子と父なる神の間に自分が置いたすべての障害が静かに永遠に取り除かれるのを容認することだけです。

 God will do His part in joyful and immediate response.
 神は即座に応えて、喜んで自らの役割を果たしてくれるでしょう。

 Ask and receive.
 求め、そして、受け取ってください。

 But do not make demands, nor point the road to God by which He should appear to you.
 しかし、色々と要求したり、神があなたに姿を現わすべき道を神に指定したりしてはなりません。

 The way to reach Him is merely to let Him be.
 神に到達する方法は、ただ神をあるがままにさせることです。

 For in that way is your reality proclaimed as well.
 というのも、そのような方法によって、あなたの真の姿も同じように明らかに示されることになるからです。



9. And so today we do not choose the way in which we go to Him.
 だから、今日、私たちは、自分が神の下に進む道を選ぶようなことはしません。

 But we do choose to let Him come.
 そうではなくて、私たちは、神に来てもらうことを選びます。

 And with this choice we rest.
 そして、この選択をすることで、私たちは安らぎます。

 And in our quiet hearts and open minds, His Love will blaze its pathway of itself.
 そして、私たちの静かな思いと開かれた心の中で、神の大いなる愛は自らその道を輝く光で照らし出します。

 What has not been denied is surely there, if it be true and can be surely reached.
 もしそれが本物で、確実に到達できるものであるなら、一度も拒まれたことがないものは間違いなくそこにあるはずです。

 God knows His Son, and knows the way to him.
 神はわが子を知っており、わが子に辿り着くための道を知っています。

 He does not need His Son to show Him how to find His way.
 神は、どのようにして自らの辿るべき道を見つければよいか、わが子に教えてもらう必要などありません。

 Through every opened door His Love shines outward from its home within, and lightens up the world in innocence.
 神の大いなる愛は、開かれた扉のすべてを通じて、神の内なる家から外へと輝き出し、潔白さで世界を照らし出すからです。



10. Father, we do not know the way to You.
 大いなる父よ、私たちは、あなたに至る道を知りません。

 But we have called, and You have answered us.
 しかし、私たちが呼びかけたので、あなたは私たちに答えてくれています。

 We will not interfere.
 私たちは、邪魔する気はありません。

 Salvation's ways are not our own, for they belong to You.
 救済の道は、私たちが作ったり見つけたりするものではありません。というのも、救済の道はあなたに属するものだからです。

 And it is unto You we look for them.
 だから、私たちは救済の道をあなたに見つけてもらうことにします。

 Our hands are open to receive Your gifts.
 あなたからの贈り物を受け取るために、私たちの両手は開いています。

 We have no thoughts we think apart from You, and cherish no beliefs of what we are, or Who created us.
 私たちは、あなたとは別に自分独自に思考する思いを何ひとつ持たないので、自分が何者であるかとか、誰が自分たちを創造したのかということについて、いかなる信念も抱かないことにします。

 Yours is the way that we would find and follow.
 私たちが見出して辿りたいのは、あなたの道だからです。

 And we ask but that Your Will, which is our own as well, be done in us and in the world, that it become a part of Heaven now.
 だから、私たちはただあなたの大いなる意志だけを求めます。あなたの意志は、私たちの意志でもあり、私たちの中で、そして、世界の中で成就されているので、いまやその意志が天国の一部となります。

 Amen.
 アーメン。


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それでは、ブリトニーさんのレッスンです。







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